第17話 うつろいゆく意識の中で
「旦那!」
「隊長!」
セシルからの連絡が届くなり、クレイリーとカインスはまさに全速力と言うべき勢いで、ロマオウリへと駆けつけた。
そして彼等は大声を発しながらユイの家へと飛び込む。
中へ入り込んだ彼らが目にしたもの。
それはまるで喘ぐかのように、体全体を使って呼吸を繰り返すユイの姿であった。
「あ、ああ……君たちか……元気そうだね」
荒い呼吸を繰り返しながら途切れ途切れに言葉を絞り出したユイは、どうにか意識して表情筋を操ると、歪な笑みを浮かべる。
そんな彼の姿を目にしたクレイリーは、一瞬その場にて呆然と立ち尽くした。
しかしすぐにハッと我に返ると、そのまま彼の側へとまっすぐに駆け寄り、必死の形相でユイを揺さぶる。
「旦那ぁ、旦那ぁ! 何やってるんでやすか。早く立ち上がってくださいよ。こんなところで苦しそうにしているなんて、全く旦那らしくないじゃないでやすか。いつもみたいにあっしをからかっているだけだって、早く言ってくださいよ」
「はは、ごめんね……君をだますのは嫌いじゃないんだけどね……思えば初めて会った時もそうだったか……でもね、今は演技をしてあげる余裕が無いんだ……私でも計算外のことはあるものさ……それも結構頻繁にね」
「なに弱気なこといっているんでやすか。あれでしょ、どうせあっしらが必死になったところで、いつもの様にケロッと起き上がって、あっしらのことを笑うんでやしょ。あっしにはわかってるんですぜ。だから、だから起き上がってくだせえ!」
クレイリーはその強面の顔を涙でくしゃくしゃにしながら、まるで縋り付くようにユイの体を強く揺さぶる。
すると、そんな彼の後ろに控えていたカインスは、慌てて彼を羽交い絞めにした。
「兄貴、止めてください! 隊長が苦しがってるじゃないですか。落ち着いてください!」
「バカヤロウ、こんな時に落ち着いていられるかよ」
「でも、でも!」
必死にカインスを振りほどこうとクレイリーはもがくも、二人の力の差は歴然であり、彼の拘束を脱し得ない。
そんな必死の形相のクレイリーを目にして、ユイは残された力で右腕を動かすと、ゆっくりと頭を掻いた。
「ありがとう……クレイリー……君の気持ちはさ……わかっているつもりだから」
「旦那ぁ、あっしやカインスだけじゃねえんですぜ。王都に居るフートもナーニャも、それからクレハの奴も、今か今かと旦那の帰りを待っているんでやす。こんなところで寝ている場合じゃないんですぜ!」
クレイリーはいよいよ人目も気にすることなく、両目から大粒の涙を流しながら、声を張り上げて叫ぶ。
すると、ユイはわずかに申し訳なさそうな表情を浮かべ、ほんの少しだけ首を縦に動かし、自らの気持ちを伝えた。
そしてそのままユイは視線を水平方向に動かすと、彼はセシルに向かって声を発する。
「セシル……意識がある今のうちにお願いがある……例の赤い背表紙の本……それをここまで持ってきてくれない……かな」
「わかったわ、ユイ君」
これまでずっとユイの側に付き添っていたセシルは、ユイの頼みを受けて椅子から立ち上がると、指定された本を手に取った。
「ごめん……あと書くものも頼む……そこの引き出しに……入っているから」
ユイの頼みを受けてセシルは引き出しを探る。そして羽ペンとインクを取り出すと、彼女はインクにペン先を浸し、そのまま震えるユイの手に握らせた。
「ありがとう……セシル」
ユイはセシルに向かって感謝の言葉を告げると、力の抜けきった震える手で、本の中に残されたわずかばかりの空白部分に文字を書き足していく。
既にユイの手からは握力の大部分が失われ、彼は何度もペンを落とした。
しかしその度にユイは歯を食いしばり、彼の側についていたセシルからペンを握らせてもらうと再び空白へと立ち向かう。
そうして少しずつではあったものの、既に書き記されていた膨大な量の魔法式に欠けていた空白は埋められた。
「私とアズウェル先生で……作り上げたこの魔法式……その残されていた鍵の部分を……これで全て埋めることが出来たね」
そう口にしながら、ユイは一つの心残りを覚えていた。自らとアズウェルとで編み上げたこの魔法、それを目にすることが出来ないであろうということを。
そして寂しげに薄く笑うと、次の瞬間ユイは再び力を失い、手に持っていたペンを地面へと落下させた。
「ユイ君!」
「大丈夫だよ……セシル……ほんの少し疲れただけだから……それよりもこれを……王都に送ってくれるかな……アズウェル先生に……ね」
ユイは息も絶え絶えになりながらセシルにそう告げると、彼女を少しでも心配させないように笑い掛けた。
もはや表情筋を動かすことさえ叶わず、いびつな笑みを浮かべたユイをその目にして、セシルは瞳に涙を溜めながら彼の手を握りしめる。
「ユイ君。あなたが作り上げてくれたこの魔法、私じゃこんな複雑なものとても扱えない……ごめんなさい」
本を受け取ったセシルは、中に書かれた魔法式の記述をその目にしながら、ユイに向かってそう謝罪する。
そう、彼女が目にした魔法式は、あまりに複雑怪奇な白物であった。
士官学校出の才女であるセシルを持ってしても、その記されている内容の半分さえ彼女は理解できなかった。
するとそんな彼女の声を耳にしたユイは、かすかに首を左右へと動かし、セシルに向かって慰めるように声を発した。
「君のせいじゃない……私の読みが甘かっただけさ……ユニバーサルコードにアクセスすることが……まさか病状の進行を加速させるなんてね……世界と同調するということは……自分を外部と同一化させ……抵抗の壁を取り払うこと……か。なるほど……本当に甘かった」
長い間マジックコードにしかアクセスしていなかった為に、ユニバーサルコードにアクセスする欠点を理解できていなかった。そんな自らの見通しの甘さを恥じて、彼は自嘲気味に笑う。
そしてユイはゆっくりと手を動かし頭を掻こうとしたが、もはや彼の腕は意志の力だけでは意図したとおり動かすことができなかった。それ故に、そのまま糸が切れた操り人形のように、ベッドの下に向かって彼の腕は垂れ下がる。
「旦那ぁ!」
カインスに羽交い絞めにされたままであったクレイリーは、そのユイの姿を目にして悲鳴にも近い叫び声を上げる。
「ああ……これはいよいよ……かな……もう首さえ動かせないや……カインス……クレイリー……そしてセシル……ありがとう」
ユイは四肢や首に全く力が伝わらないことを理解し、視線を宙に向けたまま一言一言呟く。
虚空に向けられた彼の瞳には、カーリンに来たばかりの時の厳ついクレイリーの姿が、戦略部でいつも爽やかに笑っていたカインスの姿が、そして士官学校時代の美しい宝石のようなセシルの姿がはっきりと写り込んでいた。
目にすることができないはずの彼等の姿を認識して、ユイはほんのわずかに満足そうな表情を浮かべる。そして彼は、静かに両目を閉じていった。
彼が瞳を閉じて行く姿は、その場にいた三人にとって、彼の生命の終わりを告げる動作のようにも感じられた。
だからこそ彼等は、口々にユイの名前を叫ぼうとする。
しかし、そんな彼等の叫びが喉元から発せられようとした瞬間、突然大きな音を立てて部屋の入り口のドアが蹴破られた。
「馬鹿がいる部屋はここか!」
この悲痛な空間を切り裂くかのように、部屋の中に飛び込んできた銀髪の男の声を耳にして、目をつぶりかけていたユイはほんのわずかに口角を動かす。
そしてまだ彼が動かすことができる眼球を、声の主の方向に向かってゆっくりと動かした。
彼の両目が捉えたもの。
それは王都で最高と称される一人の魔法士の姿であった。
「はは……どうやら私は……まだ死ねない運命のようだね」
万感のこもった声でそう呟くと、ユイの意識を支えていた緊張の糸は消失し、全てを親友に委ねる安心感の中で彼はゆっくりと意識を失っていった。
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