第13話 変わるものと変わらないもの

「さて、セシルの協力も取り付けたことだし、少しこれからの計画というか各自の仕事を割り振るとしようか」


 ユイはそう口にするなり、三人を順番に見回す。

 すると、そんな彼を見つめる三人は、それぞれ順に頷いた。


「では、まずクレイリー。君にはこの市役所の帳簿や名簿、それと現在のルゲリル病の発生数と発生場所について調べてもらいたい。ただし、直接現地に行って調べるのは禁止ね」

「しかし旦那。それだと正確な統計は取れやせんぜ。かなりいい加減なものになるかもしれやせんが、本当にそれでよろしいんで?」


 彼の身を案じて条件を付け加えたことを、クレイリーも理解していた。しかしながら彼としては、ユイのために出来るだけ完全なものを作成したいという思いが強く、それ故に念を押す形で改めて問い直す。


「ああ、それで構わない。いずれ正式なものは作るからさ、今の段階ではとりあえず大まかというか、だいたいの報告でいいんだ。だから今回はスピードだけを重視してくれ。それとまとめた資料は私が処理するから、データの収集だけに専念してくれればいい」

「だ、旦那がそんな雑用をやるといいだすなんて……ここに来るまでに、なんか悪いもんでも食いやしたか?」


 集められた資料を自分で処理すると言い出したユイの発言を耳にして、クレイリーは珍しいものを見たかのように驚き、真剣に心配そうな表情を浮かべる。


「え? ユイ君って、そういう統計処理とか得意だったじゃない。最近はあまりやらなくなったの?」


 『知識オタク』などと呼ばれていた時代のユイを知るが故に、セシルはクレイリーの言動を耳にして意外そうな声を発する。

 しかしそんな彼女の発言受ける形となったユイは、今の自分の適当さを暴露されているような気分になり、苦い表情を浮かべずにはいられなかった。


「いや、ああ言った作業にはすっかり飽きてしまってね。やってくれる人が別にいるなら代わりにお願いすることにしているのさ。でも、今回は人がいないならね。それに私はしばらくこの建物内から身動きが取れなくなりそうだし、書類仕事ぐらいは手伝おうと思っただけだよ」

「旦那が何をする気かわかりやせんが、取り敢えず了解しやした。へへ、旦那が自ら働くなんて言われるなら、あっしも負けていられやせん。任せてくだせえ、最速で取り揃えてみせやすぜ」


 クレイリーはユイの発言に僅かな違和感は覚えたものの、セシルの前だからこそやる気を見せているのだと解釈し、すぐに命令に従うことを宣言した。 

 一方、クレイリーのそんな心持ちなどあずかり知らぬユイは、今度はカインスに向かって視線を移す。


「じゃあ次にカインス。君の仕事はレムリアックにおける軍の掌握と訓練だ。軍務長代理のセシルは、しばらくフルタイムで軍の仕事をすることが出来ない。だから、君が代わりに彼等をまとめ上げてくれ」

「隊長、オイラでいいんですか? そんな軍務長の仕事なんて、正直言って自信がないんですが……」

「大丈夫さ。君は親衛隊の弓部隊を訓練しているだろ。あの要領で、しっかり彼等を取りまとめてくれたらいい。それ以外の仕事はセシルがやってくれるからさ」


 現在の親衛隊においてかつてカーリンの戦略部に所属していた面々は、一様に六位への昇進を果たしていた。


 ユイの副官のような仕事をしているクレイリーと単独行動を好むクレハを除き、フートは剣士隊、ナーニャは魔法士隊、そしてカインスは弓士隊を現在はそれぞれ率いる立場となっている。


 そんな彼等の中で、他の二人のように癖もなく爽やかで面倒見の良いカインスは、最も上手く隊をまとめあげていると、親衛隊長のエインスに評価されていた。


「……わかりました。やってみます」

「ありがとう。それじゃあ、君たち二人は早速明日の仕事の準備に取り掛かってくれ。あと部屋探しも併せてしてきてくれて構わない」


 ユイが二人に向かってそう告げると、クレイリーはわずかに含みのある笑みを浮かべながら立ち上がる。


「へぇ、では行ってまいりやす。あと旦那。二人きりになるからって、おかしな気は起こさないでくださいよ。エリーゼ様やリナが泣きやすぜ」

「ああ、もううるさいな。わかっているから」


 クレイリーのニヤけづらに腹を立てたユイは、手をひらひらさせてさっさと出て行くように彼を促す。

 そのユイの仕草と表情を目にして、してやったりとした笑みを浮かべながらクレイリーは陽気に部屋を出て行った。


「はは、では隊長。オイラも行ってきます」


 クレイリーとユイのやりとりを笑いながら見ていたカインスは、いつものようなさわやかなな表情を浮かべると、そのまま部屋から歩み去って行った。

 そうして部屋には、かつての同級生二人が残される。


「さて最後に君だ、セシル。君には私の研究を直接手伝ってもらいたい」

「研究? そりゃあ、君が手伝ってくれって言うのなら構わないけど……具体的に何をすればいいの?」


 セシルは真剣な表情でそう尋ねると、ユイは頭を掻きながら、ふざけているとしか思えない内容を口にする。


「別に君自体は何もしなくていいんだ。毎日お昼に二時間ほどこの部屋に来て、そこの椅子に腰掛けてくれたら、それだけでいい」


 ユイの発言を耳にしたセシルは、一瞬ユイが何を言っているのか理解できず、訝しげな表情を浮かべた。

 もちろんセシル自身、自らの美貌に多少の自信を有してはいる。

 王都の軍務庁舎に努めていた頃、当時の上司によっていつも舐め回すように見つめられ続けていたことかつてはあった。だからこそ、そのような目的の可能性も一瞬だけ彼女の脳内をかすめる。


 しかし目の前の男性は、彼女を置物や話し相手としてしか求めない人間ではないことは、他の誰よりもセシル自身が知っていた。


「私は何もしないでいいって……ユイ君、どういうことなのかしら? 君の言う事だから、まったく意味のないことではないと思うけど」

「そうだね。どうせすぐバレることになるんだし、君には全部話しておこうか。セシル、これを見てくれないかい」


 ユイはそう口にするなり、大量に置かれた荷物の中から一つの紙の束を取り出し、そのままセシルへと手渡す。

 その表紙に書かれた『コード理論を応用したレムリアックにおける諸政策第二稿』というタイトルを目にした瞬間、セシルは途端に手元を震わせた。


「こ、これは……だって、あれはもう使わないって」


 顔を強張らせながら、セシルは絞りだすような声でユイに向かい問いかける。

 すると、ユイはゆっくりと二度首を左右に振り、そのまま彼女に向かって優しく語りかけた。


「残念ながら、あの頃とは事情が変わったんだ。置かれている状況も、自分の立ち位置もね。もう僕も……いや、私もあの頃のままじゃないんだよ。セシル、歳を取るってことは、自分と周りの変化を受け入れるってことだと思うんだ」

「そうかもしれないけど……でも、変わらないものもあるし、変えちゃいけないものもあるんじゃない?」


 彼女の心境を案じてあえて抽象的に語りかけてくるユイに対し、セシルは彼を見つめ返すと、真剣な表情でそう口にする。

 そのセシルの真摯な眼差しを前にして、ユイはわずかに視線を逸らすと、苦笑を浮かべながら言葉をこぼす。


「それはそうかもしれない。でもね、セシル。あの時の僕になかったものを、今の私は背負っているんだ。天涯孤独の身になったと考えていた頃の僕と、ここに一緒に来てくれた彼らのように、そんなダメな僕を慕ってくれる人ができてしまったこの私とではね」

「ユイ君……」


 かつて彼女は、誰よりも彼の横顔を見つめ続けていたつもりだった。

 彼のライバルを自負していた銀髪の青年よりも、彼と同じ孤独の檻の中にいた赤髪の彼よりも、そして彼を誰よりも慕っていた金髪の少年よりも。


 そんな彼女だからこそ、はっきりと理解できた。

 誰よりも大人のように振舞っていた少年は、外見だけでなくその内面も本当の大人になったのだと。


 誰よりも優しく傷つきやすいが故に、他人との関わりを最小限にしようとしていた不器用な彼は、あの頃の優しいままで心が強くなったのだと。

 だからこそセシルは、目の前の青年の表情の裏側に隠された強い意志を感じ取り、それ以上言葉を発することが出来なくなった。


「セシル、君の気持ちには感謝するよ。そしてだからこそ僕は、いや……私は一歩前に進もうと思う。たとえ踏み出した先に大地がなかったとしても、私は後悔しない。それがこんな虚像の英雄に付いて来てくれた人たちに、私ができる唯一のことだからね」


 ユイはそう口にすると、セシルに向かって一つ微笑む。そしてそのまま彼は。ゆっくりと椅子から立ち上がった。


 突然の彼の動作に、セシルは戸惑いを見せる。

 すると、ユイは苦笑を浮かべながら彼女の肩をポンと軽くたたき、そのまま部屋のドアに向かってまっすぐに歩き始した。


「どこへ行く気なの?」

「少し市庁舎内の探索にね。どうせ住むにしても、少しくらいは住み心地の良さそうな部屋がいいからさ。取り敢えずさっきの件に関しては、明日のお昼くらいに始めるつもりだから、それまでにそいつに目を通しておいてくれるとありがたい。じゃあ、また明日に」


 セシルに向かってそう告げたユイは、ニコリとした笑みを浮かべると、そのまま部屋から姿を消す。

 そうして部屋の中には、様々な思い出が蘇ったために、その瞳に雫を貯めることとなった女性がただ一人だけ残された。


「ユイ君、確かにあなたは変わったのかもしれない。そして変わることは悪いことではないのかもしれない。でもね、今も変わらないし、変えたくないものは確実にある。そう、私のあなたへの思いのように……ね」

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