第12話 セシル・フロンターレ
呆然と立ちつくしているセシルに対し、ユイは困った表情を浮かべながら頭を掻くと、彼女に向かって口を開く。
「えっと、あれ? まだ王都から連絡が来ていないのかな……一応、今日から私もここで働くことになるから、またよろしく」
「よろしくって……でもユイ君って、今はもう三位で閣下待遇でしょ。こんな田舎の軍務長なんて五位か六位の仕事じゃない。変だよ」
如何にレムリアックは僻地であるとはいえ、この地でもユイ・イスターツの名前を知らないものはいない。
ましてやユイと共に学生時代を過ごしたセシルは、彼の情報に一喜一憂しながら、これまでこの地で過ごしてきた。それ故に、王都とレムリアックという距離の壁から少なからぬ時間差は生じていたが、ユイの立場や階級についてはある程度把握している。
だからこそ彼女は、目の前にいる黒髪の男が本当に彼女の知るユイ・イスターツであることを理解できなかった。
「いや、今回私が来たのは軍の仕事じゃなくてね……実は、レムリアックを貰ったんだよ、この間ね」
「へ……もらった……え、えええ!」
セシルは一瞬ユイが何を言っているのか理解できず呆然とする。しかしその脳内にて、ゆっくりとユイの言葉の意味が広がりを見せると、セシルは途端に驚きの声をあげ、手で口を押さえるとともに目を見開いた。
「いやぁ、嘘みたいな話だけど、本当のことでさ」
「……まぁ、ユイくんはクラリスの英雄だしさ、別に貴族になってもおかしくないと思うよ。だけどさ……なんでよりによって、このレムリアックなの?」
「いや、これには色々と複雑な事情があってね。とりあえずここで立ち話も何だから、どこか適当な部屋に案内してくれないかな。私だけじゃなくてさ、部下たちもたくさん荷物を持ってきているからね」
未だ目の前で動揺を隠せずにいるセシルに向かいそう告げると、ユイは後ろに控える彼の部下たちを差し示した。
「なるほど……そんなことがあったんだ。でもさ、やっぱりユイ君が貴族って違和感あるよ。そりゃあ、君の活躍は聞いていたけどね」
様々な予想外の衝撃故に放心状態となっていたセシルは、しばらく市役所の入り口から動くことが出来なかった。だが、困った表情を浮かべたユイによって促されると、どうにか理性を回復させて空室となっていた軍務長室へと一同を案内する。
そして人数分のコーヒーを運んで来た後にユイから簡単な説明を受けると、彼女は首を左右に振りながらそう口にした。
「はは、違和感か。まあ、仕方ないよ。当の本人でさえ、まだ慣れてはいないんだからさ」
そう返事をしたユイは、運ばれてきたコーヒーに口をつけて満足げな表情を浮かべると、苦笑を浮かべながら頭を掻く。
「うん、それはすごくよくわかる。だって君がそんな簡単に貴族らしく振る舞えるとは、とても思えないからね」
目の前の黒髪の男が依然として頭を掻く癖を有していることに、何故か言い様のない安心感を覚えながら、セシルはここに来て始めて明るい笑みをこぼす。
そうして二人だけの世界で会話が進んでいることに、ここまで遠慮をしていたスキンヘッドの男は、いよいよしびれをきらせて声を上げた。
「旦那ぁ、先ほどからずっと親しげにしていやすけど……こちらの方はどなたですかい? そろそろ紹介して頂いてもいいんじゃないかと思いやすが」
ユイとセシルを交互に見ながらクレイリーがそう口にすると、彼の隣の椅子に腰掛けていたカインスもまったく同じ気持ちであったようで、一緒になって大きく首を縦に振る。
そんな二人の仕草を目にしたユイは困ったような表情を浮かべながら、目の前の軍服姿の女性のことを彼等に向かって紹介した。
「ああ、ごめんごめん。実は彼女は士官学校時代の戦略科の同級生でね。セシル・フロンターレ六位だよ」
「はじめまして、セシル・フロンターレです。現在はこのレムリアックの駐在武官と軍務長代理を務めています。よろしくお願いいたしますね」
セシルは二人に向かってそう自己紹介すると、そのままゆっくりと頭を下げる。
その彼女の仕草を見届けたユイは、今度はクレイリーたちを指し示すと、簡潔に彼等のことを紹介した。
「それで、こっちの怖そうなのがクレイリー六位で、そっちの筋肉がカインス六位だ。同じ階位だから仲良くしてやってくれると嬉しい」
ラインドルより帰国した後に昇進を果たした二人を新たな階位で紹介すると、途端にクレイリーが不満そうな声を上げる。
「なんか、あっしらの紹介が雑じゃないでやすか? 旦那ぁ、あっしらとも十分に長い付き合いなんでやすから、いくら美人さんと再会出来て嬉しいからって、そんなにオマケ扱いしないでくださいや」
「いや、だって今回は別に来なくてもいいって言ったのに、無理やり付いてきたのはお前たちだろ。まあ、それはいいとして……セシル、まさか君がこのレムリアックにいるとは思わなかったよ」
ユイは首を左右に振りながらクレイリーにそう反論すると、それでもう話は終わったとばかりにセシルの方へと向き直る。
そんな昔と変わらぬマイペースなユイを目にして、セシルは苦笑するとともに、彼の言葉から一つの違和感を覚えた。
「でも私がいると知らなかったなんて、なんか少しユイくんらしくないよね。君って無駄な努力とかは嫌いだけど、いつも準備や下調べには手を抜かないじゃない。ほら、リュート君とかミーシャにイタズラする時なんてね」
昔の思い出を懐かしむように、セシルはふんわりとした笑みを浮かべつつそう口にする。
すると、ユイはすぐさま弱ったような笑みを浮かべた。
「はは、あの頃とは違うよ。今回は本当に全然時間がなくてね。ここに来る直前まで、偏屈なおじさんに缶詰にされてしまっていたんだ。だからここの現地資料に関しては、リュートとアレックスにまとめてもらってね、それには目を通してきたつもりだったんだけど……あれ? あ、もしかしてあいつら!」
ユイはそう口にしたところですべての事情を察すと、軽く舌唇を噛んだ。
一方、学生時代には滅多に目にすることのなかったユイのしてやられた表情を目にして、セシルは思わず白い歯をこぼす。そしてわざわざ自分のことを資料の中から隠し、そのままユイに名簿を渡したであろう黒幕二人の事を彼女は口にした。
「ふふ。でもアレックス君はわかるけど、リュート君までいたずらに加担するなんて、やっぱり彼は少し変わったね。去年の終わりに、王都の軍務庁舎に報告へ行ったんだけど、彼と偶然会って驚いたわ。前と違って、すごく雰囲気が柔らかくなっていたから」
「リュートの旦那に関しては、たぶん目の前にいる困った人の影響だと思いやすよ、正直言って」
セシルの発言を耳にしたクレイリーは、溜め息を吐き出しながらやれやれとばかりに首を左右に振る。
すると、途端にユイは不満の声を上げた。
「なんだい、なんだい。私が一体何をしたっていうんだい。ともかくだ、セシル、どうして君がこのレムリアックに?」
「それは私がレムリアック出身だからだけど……あれ、ユイくんに言ったことなかったっけ?」
わずかに首を傾げながらセシルはそう口にすると、ユイは呆けたよう一瞬口を開け、そして次の瞬間気まずげな表情を浮かべた。
「そういえばそうだったね。うん、君はレムリアックの出身だったか」
田舎の出でありながら、セシルは士官学校時代の長期休暇の際、いつもユイと同じく帰省せずに王都にとどまっていた。その理由を尋ねた時に、自らがレムリアック出身だと彼女が言っていたことを、ユイは記憶の片隅から思い出す。
「ええ、その通りよ。軍務省にどれだけ人がいるといえども、さすがにここの赴任希望者がいなくてね。だから地元出身の私は、戦略科を出て少し経ってからは、ずっとここの勤務を命じられているの。去年にはいよいよ動かす気もなくなったみたいで、ついに六位の階級と軍務長代理という肩書きをもらうことになってね、まあ僻地手当のようなものでしょうけど」
「なるほどね。まぁ、ここはあの悪名高いノバミム自治領と国境で接しているし、いくら人材を送りたくなくても、零にすることはできないってことかな。まあ、最低限の治安維持もしなければならないしね」
帝国の中において、元々他国であったという理由とあまりの治安の悪さ故に、完全な併呑が見送られた土地であるノバミム自治領。
彼の地はこのレムリアックから地続きとなる南に位置する。
それ故に、彼の地から悪党が大量に流入して来た場合の対処や連絡要員も兼ねて、軍は最低限の人員を常にこの土地に配属させていた。
「その通り。今みたいにルゲリル病が有名になる前は、何度もこの土地の魔石を狙って侵攻されたことがあるみたいよ。もっとも最近は侵攻どころか、誰も近づこうとさえしないけどね」
「そりゃあそうだろう。誰だって、病にはかかりたくないものさ。あれ、でも君がレムリアック出身で、今もこの土地で働いているってことは……」
「その通り。私も昔はルゲリル病に罹ったの。もっとも二歳ぐらいの頃の話で、私自身は記憶にないんだけどね」
本当に記憶が無いためか、なんでもない事のようにセシルはその事実を口にする。
すると、ユイはやや気まずげな表情を浮かべながら、彼女に向かって口を開いた。
「そっか……でも、君がいてくれて本当に助かるよ。ここの領主になったのはいいんだけど、全くもって当地に伝手がなくてね。どうしたものかと思っていたところだったんだ。しかし、これでしなければいけないと思っていたことも、どうやら何とかなりそうだ」
「ユイ君、一体何をするつもりなの?」
ユイの発言を耳にしたセシルは、彼の能力とその気質を知るだけに、言い様のない嫌な予感を不意に覚える。
しかしそんな彼女に向かいユイは軽く微笑みかけると、すぐさま彼は視線を自らの部下たちへと移した。
「そりゃあ、いろいろなことさ。でも、まず差し当たってしなければいけないことは、クレイリーとカインスの今日の寝床を確保することだね」
「ああ、そういえば王都からは不可能だったので、宿の手配とかしていやせんでしたね。あれ、ちょっと待ってくだせえ……旦那はどうするつもりでやすか? まさかセシルさんの家に留まるつもりじゃないでやしょうね?」
「え、うち!? 本当にうちに来るつもりなの、ユイ君?」
思わずどきりとした表情を浮かべたセシルは、口元を押さえながら驚きの声を上げる。
しかしユイは困ったような表情を浮かべると、あっさり首を左右に振った。
「ないない。取り敢えず、私は私が住みたいと思う場所が決まるまでは、ここの一室を借りさせてもらうつもりだよ」
「ええ、でもここ市役所だよ。しかもボロボロだし……ねぇ、もっといいところ探してあげるからさ、ちゃんとした所に住もうよ。なんだったら別にうちでもいいからさ」
セシルが心配そうにそう口にすると、ユイはやや弱った表情を浮かべながら頭を掻く。
「うん、それも悪くないんだけどね。でも、取り敢えず住む場所には色々条件があるから、しばらくはここでいいさ。それにこれから君にはもっと他のことでお世話になるつもりだから、こんなどうでもいいことで迷惑を掛けたくないんだ」
「迷惑だなんて……というか、他のことでお世話? 私が?」
一瞬だけ少し照れた表情を浮かべたセシルであるが、すぐにユイの発言に引っかかりを覚えると、そのまま首を傾げる。
「うん、さっきも言ったけどさ、君に手伝ってもらいたいことがあるんだ」
「何を手伝えばいいの?」
セシルはなにか言い知れぬ胸騒ぎを感じながら、覚悟を決めてユイに尋ねる。
すると、ユイは顎に手を当ててわずかに考えこみ、そして言葉を選びながら彼女に向かって説明を口にした。
「えっと、この土地をさ、昔のように活気溢れた街に変えたいと思う。あの魔石狂時代のようにね。でも、当時と同じ結末にさせないためにも、十分な準備が必要さ。だから、そのためのお手伝いを君にお願いしたくてね」
「ユイ君、それは無理よ。だって、ルゲリル病の蔓延する土地になんて、今どき人が来るわけないわ」
「そう。そこなんだよ、問題は。だからさ、私はそれを何とかしようと思っているんだ」
いつもの苦笑いを浮かべながら、ユイは皆に向かってそう宣言する。
すると、その場にいた三人は一斉にユイを凝視した。
「ま、まさか旦那。あんた……」
「うん。取り敢えずこの土地から、ルゲリル病に罹る者を無くしてみようか。全てはそこから始まる。そういうわけだからさ、君には明日から協力してもらうよ、セシル」
恥ずかしそうに頭を掻きながら、これまで誰一人として考えもしなかったことをユイは口にした。
そんな彼を目の当たりにして、セシルは驚きと不安、そして期待と戸惑いの入り混じった表情を浮かべる。
しかしながら、学生時代から彼がいつも自分の期待以上のことを実現し続けてきたことを思い出すと、セシルはユイに向かって小さく首を縦に振った。
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