第17話 野望の終焉

「あらら、行っちゃったね」


 走り去っていくユイの背中を見つめながら、その場に残されたアレックスは少し残念そうな表情を浮かべる。


「……もしかしてお前、あの宰相とやりたかったのか?」

「いや、そういうわけじゃないけどさ。ほら、手加減して戦うってのは、どうにもストレスが掛かるものだからね」


 いつもの笑みを浮かべながらアレックスがそう口にすると、リュートは大きく息を吐きだし、呆れたように呟いた。


「まったく、お前という奴は……」

「ふふ。それはそうと、君と背中を合わせて戦うなんて、一体いつ以来かな?」


 やや感慨深げにアレックスがそう口にすると、リュートは一瞬考えこむ素振りをみせる。

 しかし今の状況を省みるなり、すぐに彼は表情を引き締めた。


「さあな。どちらにせよ、あいつ絡みだったことは間違いないさ。とにかく無駄口は終わりだ。きっと今頃クラリスでは、泣きそうな表情で働いているかわいそうな後輩が待っているはずだからな」

「ああ、確かにエインスくんには少しだけ悪いことをしたね。さて相手は十二人か……取り敢えず、僕と君は一人当たり四人でいいかな?」


 一般的に考えれば、剣士が魔法士を二人同時に相手どるなどということは、決してありえない計算である。

 しかしながら、二人どころか四人という数をアレックスが提案すると、リュートも彼ならば当然だとばかりにあっさりと頷いた。


「いいだろう。ならばアンナ、そしてエミリー。君たちは二人協力して右手前の魔法士二人を相手してくれ」

「「分かりました!」」


 上官であるリュートの命令を受けて、実践を前にした緊張を二人は覚えつつも、はっきりとした口調でそう答える。

 すると、彼の隣にいたアレックスも、自らの教え子に向かって、リュートに倣うよう命令を下した。


「なら、レイス君。君はそうだね……左手前の二人を担当ということにしようか」

「えっ! あいつらは二人がかりで二人を相手取るのに、俺は一人でふた……いや、はは。な、なんでもないです、師匠」


 一瞬抗弁しかけたレイスは、アレックスの表情から笑みが消えたことに気づいた瞬間、慌てて口を噤む。そしてすぐさま上官から視線を外すと、誤魔化すように剣を握り直し、命じられた魔法士たちへと向き直った。


「それじゃあ、敵の魔法士君たちも準備できたようだし、御相手するとしようか」


 右の口角を吊り上げながら、アレックスは皆に向かってそう告げる。

 するとその言葉を合図とし、一同は自らの相手どる魔法士たちに向かって、一斉にその場を駈け出した。





「スーペルフードル!」


 アレックスたちの戦いが幕を開ける直前、既にムラシーンとユイとの戦いは火蓋を切って落とされていた。

 ムラシーンは右手に巨大な稲妻の魔法を編み上げると、迫り来るユイ目掛けて一気に解き放つ。

 それは自らに向かい一気に間合いを詰めてくるユイに対し、牽制のために放ったものであった。


 しかし牽制というには十分すぎる威力が、その稲妻には込めらている。

 だからこそユイは一つ舌打ちをすると、直角に自らの進行方向を変更し、稲妻の一撃を回避した。


 一方、ムラシーンはユイのその回避運動を予め予測しており、続けざまに左手で魔法を構築する。そして魔法が完成した瞬間、ユイの進行方向目掛けて、二筋目の稲妻を解き放った。


「なるほど……ワルムの使っていた魔法ですか。しかし、さすがは師匠。彼の魔法より、はるかに洗練されていますね」


 ムラシーンの持つ圧倒的な魔力と無駄のない魔法式を目の当たりにし、ユイは表情から余裕をなくすと、二発目の稲妻をぎりぎりのタイミングで回避する。

 そして一度間合いを取り直すと、ユイは一息つけようした。


 しかしそんな彼目掛けて、息つく暇もなく三発目の稲妻が襲いかかる。


「あんな出来損ないと、この私を一緒にしないで欲しいものだな。それよりもだ、得意の魔法改変は使わないのかね、イスターツ君?」


 諜報機関を通し、ある男からもたらされた事前情報から、ムラシーンは興味深い内容を見だしていた。

 それは士官学校でユイが魔法改変を使用した際、最終的には二種類の魔法に彼は干渉したのだが、それらを同時に改変することはなかったという事実である。


 ムラシーンはその事実から、ユイの能力にはある種の限界が存在するのではないかと仮説を立てていた。

 つまり二つ以上の魔法を、同時に改変することができないのではないかという仮説である。


「……もし貴方が魔法を途切れさせてくれるなら、いつでも喜んでお見せしますがね」


 ムラシーンの口ぶりと戦術から、ユイは自らの魔法改変が一つの魔法にしか及ばないことがバレていることを理解する。

 彼自身、帝国との戦いという表舞台で魔法改変を使用したその日から、いつかはこういった日が来ることを漠然と予測していた。


 しかし、いざ実際の戦闘でその欠点を突かれるということは、思っていた以上の苦労を彼へと強いる。


「君の魔法改変は実に面白い能力だが、種が割れてしまえば対策の打ち様はいくらでもあるものだ。例えばこのように絶え間なく魔法を打ち込むだけで、君は永遠に私に近づけまい」

「……これはおそらくワルムからの報告ですか。まったくうちの国はスパイ天国ですね」


 四発目の稲妻の魔法をぎりぎりのところで回避すると、ユイはいつもより力ない苦笑いをどうにかその表情に浮かべる。

 そんなユイの表情を目にしたムラシーンは、歪んだ笑みを浮かべた。


「御名答。我々の諜報網の大部分を掃除してくれたようだが、完全にその全てが根絶されたわけではない。経歴の怪しい君の情報は十分に集まらなかったが、あの馬鹿弟子に連絡を取るくらいは可能だったさ。あんな廃棄物でも、このような役に立つことがあるのだから、馬鹿にはできんものだ。それに彼は、こんなものも我が国に伝えてくれたしな。ライトニング!」


 ムラシーンがその呪文を口にした瞬間、フードルに酷似した魔法構成ながらも、より速度の早いクラリス式の稲妻魔法が彼の手元より解き放たれる。


「うちの国の魔法までですか……写本は回収したというのに」


 写本がワルムの手にわたっていた事実をその目にしていたため、ユイはこのようなことが起こりえる可能性を脳内から排除してはいなかった。

 しかし、さすがにこうして自国の魔法と直面することとなると、ユイといえども多少の動揺を覚える。


 そうして、ユイはわずかに回避のための出足が遅れた。

 それ故に彼は、右側腹部にムラシーンから放たれた母国式の稲妻を掠める羽目となる。


 稲妻の熱により、自らの衣服から焦げた香りが漂った。

 その香りを感じ取ったユイは、思わず顔をしかめる。


 しかし、そんな彼以上に不満気な表情を顔に浮かべたのは、直撃を期待していたムラシーンであった。


「ちっ、外れたか。だが、これはどうかな? 自らの国の魔法で焼け死ぬがよい。フレイムアロー!」


 ムラシーンは続けざまにクラリス式の呪文を唱えていった。

 すると、たちまち彼の眼前には彼の身長と同程度の炎の矢が生み出され、ユイ目掛けて射出される。


 その炎の矢を目にしたユイは、その完成度の高さに舌打ちを一つ打った。

 いくら写本の内容が伝わっているとはいえ、ここまで完璧にムラシーンがクラリスの魔法を使いこなしているとは考えていなかった為である。


 しかし本当にユイが驚きを覚えたのは、その次の瞬間であった。

 ユイ目掛けて一つ目の炎の矢が放たれるや否や、次の瞬間には同様の炎の矢がムラシーンの眼前に編み上げられたのである。


「連続生成……ですか。なるほど、ワルムと比較したのは確かに失礼だったようですね」


 下唇をわずかに噛み、二発目以降の回避方法を計算に入れながら、ユイは最小限の動きで一つ目の炎の矢を躱す。

 しかし二つ目、三つ目と続けざまに矢が放たれていくと、ユイの表情からは次第に余裕が消失していき、そして貧血の影響からか段々と息が荒くなっていった。


「どうしたのかね、イスターツ君? 我が不肖の弟子を軽くあしらったという君の実力は、その程度のものかな」


 呼吸が荒くなり始めると同時に、次の矢に対するユイの動き出しは遅れ始め、射出された炎の矢と回避した際の体との距離はまさにぎりぎりの距離になりだしていた。

 その光景を目にして、ムラシーンは嗜虐心を満足させていくと、彼は愉悦の笑みを浮かべる。


 しかし、ぎりぎりの距離にまでユイの体と自らの炎の矢は縮まったにも関わらず、そのほんの僅かの隙間は一向に埋まることはなかった。 


「中々に粘りおるな……んっ?」


 自らの魔法が一向に直撃しないことに苛立ちを感じ始めたタイミングで、ムラシーンは回避一辺倒のはずのユイの動きにわずかな違和感を覚える。

 それは自らの放つ魔法以外のことに、ユイの意識の一部が割かれているように感じた為であった。


 その考えがムラシーンの脳裏へと浮かび上がった瞬間、彼はある種の疑心暗鬼に囚われ始める。

 それは彼の眼前にいる英雄などとまで称される策士が、なんの策を弄する事無く、淡々と回避だけに専念し続けていることへの違和感からであった。


 そして何かが奥歯の間に挟まっているかの様な違和感は、何十発目かとなる炎の矢を解き放った瞬間に、ある確信へと変わる。


「貴様、一体どこを見ている。私の魔法を躱す度に、ほんのわずかずつ視線を動かしているようだが、なにを企んでいるのだ?」


 ユイの回避運動を注視していたムラシーンは、炎の矢を躱すユイの動作の中に、後方へわずかに視線を動かすという不必要な動きが含まれていることに気が付いた。


「企む……ですか? はてさて、一体なんのことでしょう」


 ムラシーンの問いかけにとぼけてみせたユイは、そのまま次に飛来する炎の矢を再びギリギリのところで回避する。

 しかしその瞬間、ムラシーンは決定的な仕草をその目に捉える。


 そう、ユイは魔法を躱す際に、必ず後方での戦闘の一部を視野に収められるような形で回避運動を行なっていたのであった。


 その動きの法則性に気づくや否や、ムラシーンはユイの視線が向けられた先である後方の戦闘に自らの視線を移す。

 そこには彼の操る魔法人形たちが、わずか五名の敵兵に苦戦する光景が存在していた。


 途端にハッとした表情となったムラシーンは、直ちに脳内で一つの仮説を組み上げる。


「もしや貴様……最初からただの時間稼ぎが目的か! 他の仲間がわが人形どもを排除し、私との戦闘に合流するのを待っているのだな」


 怒りと動揺のあまり、連続して放ち続けていた魔法を途切れさせると、ムラシーンはユイに向かってそう問いただす。

 すると、ユイはその機を逃すことなく一息つけ、頭を掻きながら苦笑してみせた。


「ふぅ……いやぁ、バレちゃいましたか。自らの命を度外視して戦うことができ、集団で一糸乱れぬ連携を取れる魔法兵部隊を作り上げること。それこそが、彼らを自らの手駒にした目的だったはずですよね。でもさっきから貴方は、私に向かって魔法を打ち続けることに集中するあまり、彼らに対してろくにも指示を出していなかった。主のいない人形状態の彼らが相手なら、残念ながらうちの連中とは勝負になりませんよ」


 ユイはムラシーンの使用している呪術の特徴を正確に予測していた。

 その魔法の特徴として特筆されるべきもの。それは誘拐した学生たちを忠実な手駒にする為、彼らの自由意志を封印したことにあった。


 この呪術を利用すれば、通常の戦闘時はムラシーンの指示の下で、まさに彼の手足のごとく連携を取ることができる。それ故に彼らは、先ほどのレジスタンス突入時の折、完璧な連動から圧倒的な戦闘力を見せつけることができた。


 しかしムラシーンの指示を前提とした戦闘兵器であるが故に、彼の指示が途切れればただの判断力の劣る魔法士の寄せ集めに過ぎない。

 しかもいくら優秀な学生を優先して誘拐したとは言え、あくまで誘拐時の最優先事項は洗脳しやすい人間かどうかであり、魔法士としての戦闘能力はあくまで学生レベルの延長線にすぎなかった。


 それ故に、ムラシーンから供給される魔力の補給と指示がなければ、彼らがリュート達の脅威足りえる要素は皆無に等しいと言えたのである。


「ちっ、所詮は使い捨ての人形ということか。ならば足を引っ張る前に、最後の奉公をしてみせよ。スーサイドボミング!」


 ムラシーンはあっさりと人形たちの敗北を悟ると、彼らに魔力を注ぎ込んだ上で、リュートたちもろともレジスタンスを巻き込んで自爆するように魔法を組み上げていく。


 一方、ムラシーンに敵対する者達の中で魔法に覚えのある者は、ムラシーンが呪文を唱え始めると同時に顔色を変えた。

 それはムラシーンが口にした呪文が、各国で禁呪指定されている自爆魔法の呪文そのものであると感づいた為である。


「ま、まずい。皆さんここから退避を!」


 かつて王宮で魔法学の指導を受けた経験があるカイルも、その危機的状況に気がついた一人であった。

 彼はムラシーンの唱えようとする魔法の被害を予測すると、顔を真っ青にする。そしてレジスタンスと近衛の皆をその場から逃がす為、カイルは必死に声を張り上げた。


 そうして瞬く間に、大玉座の間は混乱と狂騒に包まれる。

 しかしそんな事態を前にして、一人だけ会心の笑みを浮かべる黒髪の男が存在した。

 

「そう、実はこのタイミングを待っていたんですよ! マジックコードアクセス」

「なに!」


 自らが編みあげた魔法式が急速に侵食され、瞬く間に別の構造式へと書き換えられていく感覚に、ムラシーンは全身を身震いさせる。

 そして次の瞬間、完全に書き換えられた魔法式を理解すると、ムラシーンは目を見開くとともに驚愕の表情を浮かべた。


「クラック!」


 そのキーコードをユイが唱えるや否や、ムラシーンの手元より彼の望まぬ魔法が、配下の魔法士たち目掛けて一斉に放たれていく。

 そして次の瞬間、ムラシーンによって操られていた魔法士たちは急速に瞳に理性の色を灯すと、次々とその場に崩れ落ちていった。






「さて、いいかげん演技も終わりかな?」

「ふぅ……本当にあいつは手の込んだことをさせる」


 目の前で対峙していた魔法士たちが、正気に戻るとともにその場に崩れ落ちるのを確認すると、リュートはようやく安堵の溜め息を吐き出した。


 殺してしまわぬようきちんと手を抜きながら、それでいて圧倒した戦いを演出してくれというユイの無茶な要求。

 それを完全に遂行した二人は、お互いに笑みを浮かべあう。


「ふふ、まあいいじゃないか。もちろん手加減はしたけどさ、久しぶりに実戦に近い感覚で剣を振るうことができたから、僕はそれなりに楽しかったよ」

「お前は、全く……」


 剣術バカにつける薬はないとばかりに両手を左右に広げると、リュートは軽い苦笑いを浮かべた。そして彼は先ほどまで魔法士たちと奮戦していた新人たちへとその視線を向ける。

 彼の視線の先では、今は肩で息をしているものの、困難な命令を完全にやり遂げてみせた頼もしい二人の部下がそこに存在した。


 彼女らの姿を目にしてリュートは、僅かに頬を緩める。

 するとそんな彼に向かって、隣にいた赤髪の男が声を掛けてきた。


「君の教え子たちだけど、なかなかやるじゃないか。人形たちが相手とはいえ、完全に彼らを上回っていたよ」

「ふん、それはお前のレイスもだ。魔法士でもないのに、二人を相手によくやる。一体この短期間に、どんな鍛え方をしたんだ?」


 リュートの問いかけを受けて、アレックスは心外だという表情を浮かべる。そして銀髪の青年の誤解を解こうと、彼は口を開いた。


「どんな鍛え方と言われてもね……別にそんなに激しい訓練はさせていないさ。むしろどうしても親心が出てしまってね、訓練に甘さが出てしまうのが最近の悩みなんだよ」

「じょ、冗談でしょ。勘弁してくださいよ、師匠」


 敵が魔法士である上に数的不利の戦闘を強いられた為、精神面での消耗も大きかったレイスは、少し離れたところで聞こえたアレックスの言葉に抗議の声を上げた。

 一方、そんな弟子の声を耳に入れたアレックスは、ニコリとした笑みを浮かべる。ただしその目元はまったく笑ってはいなかった。


「あれ? まだまだ余裕があるようだね。だったら、クラリスに戻り次第、フートくんとの打ち込み練習を増やすとしようか。まあ、これも親心というやつだね」

「し、師匠……」


 情け容赦無いその一言に、レイスは心底口答えなんかするんじゃなかったと後悔し、そのまま床にへたり込んだ。

 彼に訓練を命じた男は、意気消沈したレイスから興味を失うと、彼は大玉座の間の奥へと視線を移す。


 彼の視線の先では、先ほどまでとはその表情を逆転させた二人の男が、ついに決着の時を迎えようとしていた。






「貴様、一体何をした!」

「彼らに送るあなたの魔法を、少しだけ弄らせてもらいました。しかし、あれだけ後方の戦いを意識するような仕草を繰り返していたんですから、もう少し早く気づいて欲しかったですね。お陰ですっかりくたびれちゃいましたよ」


 見せつけるように右手で自らの肩をトントンと叩きながら、ユイはやれやれとばかりに大きな息を吐き出す。

 一方、ムラシーンはユイの口から吐き出された事実を耳にして、思わず声を震わせた。


「と、ということは……貴様が私の魔法を躱し続けていたのは、私が人形どもへ指示の魔法を送るのを待っていただけということか!」

「ああ、ようやく気づいて頂けましたか。実はかなりめんどくさいんですよね、あなたを倒した後に彼らへの呪術を消すのって。その点、あなたの魔法にタダ乗りすることができれば、一度で十二回分美味しいじゃないですか。なにしろ、私はめんどくさいことがどうにも嫌いで」


 そう口にし終えると、ユイは苦笑いを浮かべながらゆっくりと頭を掻く。

 自らを馬鹿にしたかのようなその仕草に、ムラシーンは顔を真っ赤にすると、目の前に憎き男の名前を連呼した。


「くそ、イスターツ……ユイ・イスターツ!」

「さあ、そろそろ終幕です。うちの学生たちを誘拐しその自由意志を奪ったこと、元校長として絶対に許しません。どうかお覚悟を」


 頭を掻いていた手を止めると、ユイはそのまま左腰に備え付けた刀の柄へと手を運ぶ。そして彼はわずかに姿勢を低くすると、駆け出す構えをとった。


「近衛は国王によって掌握され、我が手駒も貴様によって全て取り上げられた。なるほど、私が終わりだということは認めよう。だが、だが、だが、だが貴様だけは……貴様の命だけは必ず貰い受けるぞ。喰らえ、スーペルフードル」


 やや自嘲気味にムラシーンは笑うと、覚悟を決めた彼は、それまでで最大級の魔力を込めた稲妻の魔法を編みあげていく。そして自らに向かって駆け出したユイの姿をしっかりと両眼で捉えると、迷うことなく彼目掛けて一気に解き放った。


 ムラシーンが最大の威力を込めて一心不乱に編み上げた稲妻の魔法。


 それを目の当たりにしたユイは、わずかに表情に笑みを浮かべる。

 そして次の瞬間、ジャッカルに狙われる得物のように、稲妻の魔法はユイによって侵食を開始された。


「マジックコードアクセス」

「させんわ! スーペルフードル!」


 自らがどれほど精緻な呪文を編み上げようと、それが一度解き放たれれば、次の瞬間にはクラックされるであろうとムラシーンは予め想定していた。

 だからこそ彼は、当初の作戦と同様に、間髪入れずに注ぎ込める限りの魔力を乗せた二発目の稲妻魔法を解き放つ。


 ムラシーンの取ったこの策は、ユイに乗っ取られた稲妻と、今解き放った二発目の稲妻が相打ちとなり、二つの稲妻の均衡状態を産み出すことにあった。

 つまり二つの稲妻がぶつかり合った状態で、ムラシーンは三発目の魔法を放つ。そうして稲妻同士の均衡状態を押し切り、勝利を得るというのがムラシーンの編み上げたプランであった。


 しかしそんなムラシーンのプランを完全に読み切っていた黒髪の男は、その表情にほんのわずかな笑みを浮かべる。

 そして彼はあえてムラシーンの狙いに従うかのように、一発目の稲妻へとアクセスすると、一気に魔法式を書き換えていった。


「クラック!」


 ユイがその呪文を口にした途端、ムラシーンの放った最初の稲妻は、彼の考えていた通り自らに向けて反転する。


 ただし一点だけ、彼の想定していない事象が生じていた。

 ユイの手により書き換えられ、そして彼の魔力を上乗せされた稲妻は、最初に彼が創りだしたものの三倍以上の光の束へと生まれ変わっていたのである。


「なんだと、馬鹿な!」


 ユイの眼前から急反転し自らへと迫り来る巨大な光の奔流を目にして、ムラシーンは表情を凍りつかせる。

 そして彼が均衡状態を作り出すために解き放った二発目の稲妻は、ユイに乗っ取られた巨大な稲妻によってあっさりと飲み込まれた。


「スーペルフ――いや、まずい。ロカパレー!」

 予想外の事態に、ムラシーンは編みかけていた三発目の稲妻をキャンセルすると、防御魔法を急速に編み上げた。そして稲妻が肉薄し、直撃するまさに直前に、彼はほぼ全魔力を注ぎ込んだ重厚な岩の壁を眼前に生み出す。

 次の瞬間、巨大に膨れ上がった稲妻がムラシーンの作り出した岩の壁へと直撃した。


 光と熱が周囲に撒き散らされ、足元の絨毯は焼け焦げ、空気は急速に乾燥する。

 光の本流とも言える稲妻が周囲に拡散させた膨大な光量は、その場にいる者達の視界を一瞬にして奪い去った。


 そして一瞬の光の氾濫が収束し、ムラシーンは目を見開く。

 するとムラシーンの視界には、多数の深い亀裂を有して今にも崩れ落ちそうでありながらも、ぎりぎりのところで自らを守り切った岩の壁が目の前に存在した。


 そしてそれを目にした彼は確信する。

 自分はユイ・イスターツの奥の手を防ぎきったということを。


 時間にすれば、ごくごく僅かな一瞬のみの安堵。だが、確実に極一瞬の思考の空白が彼に生じる。

 そしてそれによって生み出された刹那の時間を、見逃さぬものが存在した。


 彼はムラシーンから完全に死角となる岩壁の正面に接近すると、壁の向こうにいる宰相に向かい別れを告げる声が発する。


「終わりです。さようならムラシーンさん」


 ユイはその言葉を言い終えるや否や、左腰に差した長刀を一気に抜刀する。

 その剣閃はまるでバターを切り裂くナイフの如く、亀裂の入った岩壁ごと、背後のムラシーンの胴体に真一文字の断面を生み出していった。


 そしてほんの僅かの時間差で、切断された岩壁とともに、ムラシーンはその場に崩れ落ちていく。

 振り切った剣にこびりついたものを払うため、ユイは刀を一振るいした。そして鞘へと刀を納めると、その場で大きな溜め息を吐き出し、彼は両目を閉じる。


 彼の耳には後方からの溢れんばかりの歓声が届いていたが、彼は意識的にそれもシャットアウトした。そうして彼はただ単純に、クラリスを旅立った日のことを思い起こしていく。


 今回の旅路の目標と、出会い、騒動、そしてその結末。

 この一ヶ月あまりの出来事が、まるで走馬灯のように駆け足で彼の脳裏を次々と横切って行った。


 そうして彼の胸の内側に残ったもの。

 それは校長時代に自らへと課した宿題を、ようやくやり終えたという安堵であった。


 彼はその感覚にしばらく身を委ねた後、始めて皆がいる後方を振り返る。そしてゆっくりと、瞑っていた両目を開いていった。

 そうして開かれたユイの瞳には、それぞれの立場により全く異なる表情を浮かべている人々の姿が映る。


 人々の瞳はそれぞれ異なる色彩を帯びながらも、その場にいる意識あるもの全ての視線が、自らに向かい収束していることにユイは気づいた。

 様々な感情に彩られた視線を一身に受け、ユイは彼らに向かって、ある宣言をしようと口を開きかける。

 しかし自らに注がれる視線の一つに、その行為を期待するこの国の王子の姿を彼は認めた。


 その瞬間、彼は首を左右に数回振ると、開きかけた口をゆっくりと閉じる。

 そして苦笑いを一つ浮かべると、ユイはいつもの様に頭を数回掻き、なにも口にすること無く、ゆっくりと仲間たちのもとへと歩み寄っていった。

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