第16話 陛下

「何だ貴様らは! どこの手の者だ?」


 必勝の確信を持って放った自らの氷魔法を一瞬で溶解させられたムラシーンは、突然乱入してきた奇妙な二人組に向けて苛立ちをぶつける。

 そんなムラシーンの問いかけに対し、赤髪の男は薄く笑うと、そのままなんでもない事のように言葉を返した。


「僕達のことですか? 少し考えればお分かりだと思いますが、やる気のない上司がいる国の者ですよ」


 アレックスのその返答に、ムラシーンは一瞬硬直する。そして眉間に深いしわを寄せると、動揺隠せぬ声でアレックスへ言葉を投げかけた。


「国……だと? まさかクラリスの侵攻か!」

「はは、そんな無粋な真似はしませんよ。単純にちょっと困った元上司に呼び出されただけです。だいたい貴方ごときを叩き潰すのに、わざわざ国を挙げる必要がありますか?」


 アレックスは首を左右に振りながら、やれやれとばかりにそう口にする。

 一方、小馬鹿にしたかのような無礼な言葉を浴びせられ、ムラシーンは眉を吊り上げると、薄ら笑いを浮かべる赤髪に向かって怒りを叩きつけた。


「調子に乗るな! 貴様らは近衛と私たちによって包囲されているのだ。たかが二匹ほど虫が増えた程度で何ができる。まったく笑わせてくれるものだ」

「包囲? 僕たちをですか?」


 ムラシーンの言動を耳にするなり、アレックスは嘲笑混じりの口調でそう口にする。そして彼は、そのまま隣に立っている銀髪の男へと視線を向けた。


「おい。あの俗物が何か勘違いをしてるようだから、そろそろ現実を教えてやれ、ユイ」


 アレックスから促される形となったリュートは、冷笑を浮かべながら、彼らをこの場へ呼び出した人物の名前を口に出す。


「いやぁ、ごめんごめん。ちょっと予定より時間がかかってしまってさ。少し遅くなっちゃったよ。あ、お久しぶりですね、宰相殿」


 リュートの呼び声に応じる形で、近衛が密集して固められていたはずの入り口から二人の男が姿を現す。

 そしてややくたびれた初老の男に肩を貸しながら部屋へと入ってきた黒髪の男は、苦笑を浮かべながらムラシーンに向かってそう口にした。


「イスターツ……か。やはり貴様が今回の絵を描いたのだな。だがそこの二人に加え、貴様一人が増えた程度で、どうということがある?」


 苦笑いを浮かべながら空いている左手で頭を掻いている男に対し、ムラシーンはあざけりの笑みを浮かべながら挑発的な言動を取った。

 しかし、その至極まっとうな宰相の見解に対し、ユイは意味ありげな笑みを浮かべる。


「はは、確かに。私一人じゃどうということはないかもしれませんね。でも、もう一人増えるとどうですかね?」

「もう一人……だと?」


 ユイの言葉の意味を理解できなかったムラシーンは、途端に怪訝そうな表情を浮かべる。

 そんな彼に向かい、ユイは視線を自らの右へと向けて見せた。


「ええ。ほら、私の隣にいらっしゃるお方が増えると、話は別だと思うんですよ。あれ、もしかして宰相閣下は、こちらの方がどなたかお忘れになりましたか?」


 ユイはそう口にすると、わざとらしく首を傾げてみせた。

 やや芝居がかったユイの発言にいらだちを募らせながらも、彼の言動に引きずられるように、ムラシーンは視線をわずかに水平に動かす。


 そして彼の視線は、ユイが肩を貸さねば立つことのできない金髪の初老の男を捉えた。


「隣にいらっしゃる方だと? そこの薄汚いジジイがどうし――こ、国王陛下!」

「……ふふ。久しいのう、ムラシーン」


 ユイの肩を借りねば、立っていることさえままならない男。

 しかし、そんな彼の言葉と全身から放たれる威厳は、まさに王者のみが持つことができるものであった。


 そう、ユイに肩を借りてその場に立っていた男こそ、国王アルミム・フォン・ラインドルその人である。


 あまりにも予測外の事態に、ムラシーンは惚けたように口をポカンと開けると、一瞬言葉を失う。

 そして彼は必死に動揺する心を落ち着かせ、目の前の老人に向かい震える声を向けた。


「へ、陛下。お体は?」

「ふむ。二年も寝転がされておれば、ジジイにもなるじゃろうからな。さすがに良いとは言えんがの。そうそう、貴様に掛けられた呪術は、先ほどこの男に解いてもらったよ。なかなかうまくやったようじゃが、もう少し早くわしの息の根を止めるべきじゃったな。聞けば王宮内もほぼ掌握しておったようじゃし、慎重に事を運んでおったのじゃろうが、貴様のその慎重すぎる性格が裏目に出たな」


 アルミムが笑みを浮かべながらそう告げると、ムラシーンはまったく予期せぬ事態に動揺の極みとなる。


「くっ、くそ。イスターツどういうことだ。貴様一体なにをしたのだ?」

「なにをって言われても……ちょこっと貴方の呪術を解呪しただけの話ですよ」


 話の矛先を向けられたユイは、まるでなんでもないことのように簡潔にそう答える。

 しかし、その回答を耳にした男が見せた驚愕は、これまでで最大のものであった。


「な、なんだと。我が師であるあの変人でさえ、一度完成させたあの魔法を解除することはできん。ましてや貴様の術は、既に発動している魔法に対しては干渉できないはず……一体どうやったというのだ!」

「はは、かなりご丁寧に調べてくれたみたいだね。ワルムからの報告と、この間の学生君たちとのの戦闘記録から類推したのかな? さすがに私の魔法もどきを隠すのも、そろそろ限界ということなのかもね」

「まあ、あれだけ派手な事件を起こしていれば当然だな。他にも調べている諜報機関は少なくないだろう。ケルムやフィラメント、あとキスレチン共和国あたりも怪しいな」


 リュートは帝国と魔法公国、そしてクラリスの東に位置する巨大民主国家の名前を順に上げていく。

 そんな彼の言葉を聞くなり、ユイは大きな溜め息を吐き出した。


「はぁ、まったく困ったことだね。でもとりあえず、今はその辺のことを考えないことにしようか。さて宰相殿。私の魔法もどきだけど、貴方が推測したように魔法の発生点を見ることができなければ、その魔法に干渉出来ないのは正解です。といっても、これは私の魔法の性質上仕方ないことなんですが。ただ今回はちょっとだけズルをさせてもらってね、えっとどこにやったかな……あ、あった」


 そう言って、自分の身の回りをきょろきょろと見回したユイは、苦笑いを浮かべながら懐から一つの手鏡を取り出す。

 一度しか使うことができず、使用する度に砕けることで有名なその手鏡を目にした瞬間、ムラシーンは驚きのあまり両目を見開くとすべてを悟った。


「そ、それは過去写しの鏡!」

「正解。貴方の弟子のワルム君が、大事そうに持っていたものさ。まあいろいろあって、今は私の手元にあるんだけどね。しかし彼がこれを持っていてくれて助かったよ。この手鏡がなかったら、陛下にかけられている呪術の魔法式の発生点と、その構造式を見ることができなかっただろうからね」


 ユイはそう言って、壊れてしまった過去写しの鏡をポンと後ろに放り投げる。

 過去写しの鏡はあくまで消耗品であったため、使い終わったその鏡は既に価値を有していなかった。


「……そうか。その手鏡を使って私が魔法を使った時のことを確認し、私の魔法式を確認したというわけか」

「ふふ、さすがですね。もっとも、貴方が掛けてしまった呪術は既に完成しているから、後から干渉できなかったのですよ。やむを得ず、貴方の呪術を上書きする形にはなりましたけど……つまりうちの魔法士に簡易の付与魔法を使わせてアルミム様と同調を行い、そこから貴方が描いた魔法式を元に、全身に停滞し続けている魔法を書き換えたわけですね」


 ユイはそこで一度話を切ると、ゆっくりと後ろを振り返る。

 するとまさにそのタイミングで、共に親衛隊入りしたレイスの後に続くように、二人の若い魔法士の女性が部屋に入って来た。


 ユイは彼女らの姿を確認して一度微笑むと、再びムラシーンへと向き直り口を開く。


「しかし、呪いなんて書き換えるのは初めてだから、構造式を読むのがかなり面倒だったんですよ。何しろ命を奪うこと無く、アルミム様の体内の信号を一定で抑制し続ける魔法なんて、あまりに奇妙な魔法ですからね。まあ、あんな複雑な魔法を維持し続けなければならないが故に、この王宮からあなたは身動きがとれなくなったのでしょうが」


 アルミムが倒れて以降、ムラシーンがこの王宮を離れることはなかった。

 いや、より正確に言えば、常に一定の魔力をアルミムに注ぎ続けねばならないが故に、離れることができなかったのである。


 そんなムラシーンの積年の苦労を台無しにした黒髪の男は、自らの仮説を述べ終えると、苦笑を浮かべながら一度首を左右に振った。


「さて、宰相。わしは其方を高く買っていたのだがな。このような結末となることは、実に残念だ。近衛は既にわしが抑えた。観念するんじゃな」


 アルミムは一度コホンと咳払いをして周囲の視線を集めると、ムラシーンに向かって哀れみの視線を送る。


「くくく、はっはっは。なるほど、ここまでということか」


 アルミムから突きつけられた現実に、ムラシーンは自らの敗北を理解する。

 しかしそれでもなお、彼は玉座に腰掛けたまま一切動こうとせず、その場で引き笑いを続けた。


 ユイはそんな彼の姿を目の当たりにして、わずかに眉をひそめると、はっきりとその口で降伏を勧告する。


「宰相殿。近衛がアルミム様によって押さえられた以上、現時点で包囲されているのは貴方だ。というわけで、大人しく降伏してくれませんか。ついでに、うちの魔法科の子たちも、合わせて解放してくださると助かるのですが」


 薬物と呪術の併用によって、モノ言わぬ戦闘マシンとされてしまった学生たちをその視線に捉えながら、ユイはムラシーンに向かってそう勧告する。

 しかしムラシーンは首を左右に振ると、玉座から立ち上がるとともに怒声を発した。


「この私に降伏しろだと? ふざけるな! ここまで上りつめるのに、どれだけ苦労したと思う。私の研究を認めないフィラメント公国を出て、はや二十年。馬鹿な国王に取りいって周囲を出し抜き、ようやくここまでたどり着いたのだ。この私を認めなかったフィラメントの、いやミラホフ家の馬鹿どもを見返すにたる最高の魔法国家作りが始められる、まさにその矢先であったのだぞ。それをイスターツ、貴様はっ……! こうなれば我が夢尽きようとも、一人でも多くの者を、我が夢の道連れとしてやる」


 ムラシーンは憎悪に満ちた目でユイを睨みつけると、片手を上げて配下の魔法士たちに向かい合図を行った。


「なんていうかさ……どう考えても逆恨みだよね、これ。どうしてこう、魔法士っていう人種は感情的な生き物なのかな?」


 怒れる宰相を目にしながら、ユイは弱ったようにそう呟く。

 すると彼の側に居た二人の魔法士は、険しい視線をユイへと向けた。


「この俺のことも馬鹿にしているのか、ユイ」

「隊長、アタイのことも馬鹿にしてるのかい?」


 突如向けられた二つの視線の刃に、ユイは思わず後ずさる。


「いや、だからそういうところが、かんじょ――ご、ごめん。今のは無し。悪かった、私が悪かったからさ」


 リュートとナーニャの視線の圧力が一層強まったことを感じたユイは、形勢の不利を悟って早々と白旗を上げた。

 一方、緊張感の欠片もない三人もやりとりを見ていたアレックスは、薄く笑いながらユイに向かって声を挟む。


「さてさて。感情的じゃなく冷静さを売りにする一剣士としては、そんな愉快な話をしている場合じゃないと思うんだ。既にムラシーン君が魔法の準備をしているみたいだからね」


 アレックスの忠告を受けるなり、ユイは再び表情を引き締めて前方へ意識を向ける。

 その彼の視線の先では、まさにムラシーンが魔法を練り上げるために詠唱を開始していた。


「助かった……もとい、実にまずい状況だな。じゃあ予定通り、アレックスとリュートで魔法科の学生たちを頼むよ。連れてきた連中を使ってもいいから、できるだけ無駄な怪我のないように」

「ふふ、わかったよ。それで君は?」


 言外に働くよねという意思を乗せてアレックスが尋ねると、やむを得ないとばかりに一度頭を掻き、ユイはしぶしぶと返答を行った。


「仕方ないからさ、私はあの魔法を使うおじさんの相手をするよ」


 そう口にしたユイは、肩を貸していたアルミムをカイルへと預ける。

 そして彼は一度呼吸を整えると、玉座で待つムラシーンを視界に収め、彼目掛けてまっすぐに駆け出した。


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