第2話 宿場町

 一行が国境砦を出発し、ラインドル王国領に入ってはや四日。 周囲の木々は針葉樹林が中心となり、動物もキツネやリスなどの毛皮獣が、ユイたち一行の前に姿を現すようになり始めた。

 そんなクラリスとは異なった動植物の生態系やそれらが織りなす景色に、ユイは一つ一つ感動しながらも、少しずつラインドルの王都であるセーブルへ向かい旅路を進めていく。そしてその日の夜に、ようやくセーブルヘ向かう街道最後の宿場町となるエレメンに到着した。


「よし、ここからセーブルまであと一日か。思ったより近かったな」

「旦那、国境からならそうですが、王都からだともう六日ですぜ。やっぱり遠いですよ」

 ユイと違い動植物や景色などにあまり興味を示さないクレイリーは、単純に長旅で疲れたのか、疲労を感じさせる声で反論した。


「そっか、そうだったな。まあ、もう少しで到着だからいいじゃないか。そんなことより、この町での宿を決めようか」

「隊長。ナーニャのやつが、既にそこの看板が掛けられた酒場付きの宿に向かって、走って行っちまいましたよ」

 町の入口で馬を預けた途端、誰になにも告げること無く、急ぎ足で最も手近な酒場へと駆け出していったナーニャのことを、カインスが笑いながら告げる。それを聞いたユイは、酒場のある集落につく度に、全く同じ行動を取るナーニャに呆れると、肩を落とした。


「またか……仕方がない、とりあえずはその店に行こうか」

 ユイは呆れた表情を浮かべながら、カインスの指し示した宿に向けて歩き出す。そしてその店の入口となる木のドアの前にたどり着くと、ゆっくりとその扉を開けた。


「いらっしゃい、もしかしてさっき入ってきた元気のいいお嬢さんのツレかい?」

 その店の中に入ると、目の前に設置されたバーカウンターの中にたたずむマスターと思われる男性が、ユイたちに向けて声をかけてきた。


「ええ、多分そうです。それで彼女は?」

「ああ、そこでもう飲んでるよ」

 マスターが親指で方向を指し示すと、旅の者と思われる大勢の客達の中で、ひときわ目立つ赤髪の女性が、既に二杯の空ジョッキを目の前に置いている姿があった。


「はぁ……あいつは全く」

「はは、うちも長いこと店をやっているが、あんな飲みっぷりのいいお嬢さんは初めて見たよ」

 そう言ってマスターはカラカラと笑うと、クレイリーが横から呆れるように呟いた。


「そうでしょう、そうでしょう。ほんとに困ったものですぜ」

「いいじゃないか。元気がいいことは悪いことじゃないさ。それに俺の店も儲かるしな」

 マスターは困った様子のユイたちを見ながらも、一向に酒のペースを落とさないナーニャを見やって、ニヤリと笑う。


「確かに、店をやってる人にとっては良い客でしょうね。まあ、あいつだけいい目を見せるのも癪だし、私達も一杯もらうとしようか。あと人数分の宿泊もお願いできるかな」

「あいよ、任してくれ。じゃあ、取り敢えずここに掛けてくれるかな」

 ユイの依頼を快く引き受けたマスターは、ナーニャの座っている席の周りに空きがないことを確認すると、ユイたち三人にカウンターの席を勧めた。三人は顔を見合わせて、一つ頷くと、勧められたカウンターの席に腰掛ける。

 三人が腰掛けたのを確認すると、マスターは笑顔を浮かべながら、食器棚から三つの木のジョッキを取り出す。そして順番にジョッキのふちギリギリまでエールを注いでいくと、ユイたちの前に一杯ずつ置いていった。


「それで、兄ちゃんたちはどこへ向かっているんだい?」

「私たちですか? 私たちは王都セーブルへ向かっているところなんだけどね」

「へぇ、王都ね。だとしたらもう一息だ。おそらく明日の午後には着くはずさ。もっとも二日酔いで、朝に起きられないなんてことがなければだけどな」

 マスターは、視線をナーニャ方向へ向けながらそう口にする。するとユイは一度肩をすくめ、首をゆっくりと左右に振ると、マスターの発言を否定した。


「はは、それは大丈夫ですよ。なんせあいつはべらぼうに強いですからね」

「そうかい、それなら安心だ。あんな綺麗な嬢ちゃんが、二日酔いでゲロ吐く姿なんて見たくねえしな。それで王都へ行くのは観光の為かい?」

「本当は観光が良いんですけどね。残念ながら仕事ですよ」

 マスターの問いかけに対して、ユイは右手を左右にパタパタと振りながら、そう返答した。


「仕事か、そいつは残念だ。せっかくの王都なのにな」

「まあ、働かざるもの食うべからずって言いますから。それにこうやって旅をしながら、あいつの面倒を見るよりは、王都で働いていたほうが楽なんですよ」

 ユイはそう言って、五杯目のエールをウェイトレスに注文しようとしているナーニャを横目で見ると、一つ溜息を吐く。


「ははは、普通はあんな美人のお嬢ちゃんの面倒を見れるなら、羨ましいと思うのが男ってもんだろうがね」

「たぶんあの性格がなければマスターの言うとおりでしょうがね。しかし、こんな話をしているのがバレたら、あいつに怒られやすから、このへんにしておきやしょうか」

 クレイリーがそう言ってナーニャの話を切ると、マスターは笑いながら分かった分かったと一度頷く。そしてユイたち三人のジョッキが空になっていることに気がつくと、新しいエールを注ぎ直し、それぞれに手渡していった。

 ユイはその新しいエールを喉に流し込むと、ニンマリと笑みを浮かべる。そして、なんとはなしに、店内をぐるりと見渡すと、マスターにお礼の言葉とともに、一つの気になったことを尋ねた。


「ありがとうございます。しかしこの店はほんと繁盛していますね。こう言ってはなんですが、結構小さな町なのに」

「以前はこんなには客も多くなかったんだけどな。この町の位置も微妙でな、昔はこの町を通りすぎて一気に王都まで行っちまう奴も多かったんだ。だがここ二年ほどの間に治安が悪くなってからは、そんな奴は一人もいなくなったよ。そのおかげでこの宿も繁盛させてもらっているんだがな」

 マスターのやや複雑な心境を表した物言いに、ユイは興味を引かれると、更に彼に向かって話を進める。


「なるほど、夜間に移動するくらいなら、この町で泊まっていこうとする者が増えたわけですね」

「その通りだ。最近レジスタンスがこの辺りでも現れるようになってね。この街の付近でも夜中に街道を移動していると、襲われる危険があるってもっぱらの噂になっているからな」

 マスターの使ったレジスタンスという聞きなれない言葉に、ユイは引っかかりを覚えると、少し自分なりに思索を行った後に、その言葉の意味を尋ねた。


「レジスタンス……野盗みたいなものですか?」

「へぇ、レジスタンスを知らないのかい? すると、あんたらはこの国の人間じゃねえな」

 店主がやや興味深そうな目でユイを見つめると、ユイは苦笑いを浮かべながら、自らのことを口にする。


「ええ、今回の仕事のために、隣のクラリスから来ましたので」

「そうか、なら知らなくても仕方ないな。この国は数年前まではアルミム国王を中心に、そりゃあ他国に誇れる落ち着いた国だったんだ。だけど二年前に、急に国王が体調を崩されると、宰相のムラシーンが好き勝手やるようになっちまってな。最初に奴がやったことが、政治と軍事の中枢部をごっそりと自分のシンパに入れ替えることっていうから呆れるだろ」

 マスターの話す内容に、ユイは苦笑いを浮かべると思わず頭を一度掻く。


「それは、思いきったことしますね。でも急にそんなことしたら、揉めたんじゃないですか?」

「ああ、揉めたさ。特にそこで首をすげ替えられた連中や、冷遇された奴らは、ムラシーンのやり方をかなり強く非難したみたいだな。そしたらムラシーンは軍部を動かして、そんな奴らをあっさりと一網打尽さ」

 マスターは、自分の国のことでありながら呆れた話だと言いたげな表情で、ユイたちにそう説明する。その話を受けたユイは、マスターの話した内容から、レジスタンスの意味を彼なりに予想すると、マスターに確認するように尋ねた。


「ということは、そこで弾圧から逃れた連中が、レジスタンスと呼ばれて抵抗活動を行なっているってところですか」

「その通りだ、兄ちゃん察しがいいな。レジスタンスもなぁ、最初は地道な抵抗活動程度だったみたいだが、宰相派の弾圧が激しくなるに連れ、武力衝突までするようになってな。そうして次第に知名度が大きくなっていくと、全く関係ない盗賊やならず者たちまでが、自分たちのことをレジスタンスと勝手に名乗るようになっちまって、もうぐちゃぐちゃさ。王都の連中の意向もあるんだろうが、今じゃ悪さする連中のことをひとくくりにしてレジスタンスと呼ぶような有様さ」

 そう説明したマスターは、やや渋い表情を浮かべた。その顔を見て、ユイはマスターの心情を察すると、口を開いた。


「しかしそれもひどい話だね。最初にレジスタンスを言い出した連中にとってはいい迷惑だろう」

「ああ。俺に言わせれば、本物の連中はともかく、勝手にレジスタンスと名乗っている奴らは、ただのクズどもさ。と言っても、そんな野蛮な奴らの影響もあって、この店の売上が上がってるんだよなぁ。そういった意味では、まあほんの僅かだけは感謝してやろうかなと思っているよ、ほんの僅かだけな」

 マスターはそう言ってニヤッと笑みを浮かべと、ユイはしたたかなマスターに苦笑する。


「それでこの辺りの治安はどうなんだい、けっこう荒れてたりするのかな?」

「そうでもないんだけどな。ただ本物のレジスタンスがこの町の北の森を根城にしているから、評判自体は良くないがね」

「へぇ、そうなのかい。でも、場所がわかっているなら、なぜムラシーンはそいつらを捕まえないんだい?」

 エールを一度口にした後、顎を右手でさすりながらユイはマスターにそう尋ねる。


「それがなぁ、レジスタンスが根城にしているのが迷いの森と呼ばれる大樹海でな。ムラシーンも何度か討伐部隊を出したみたいなんだが、一度も奴らを見つけることができなかったって話だ。ま、俺達には関係ないけどな。それに治安って意味じゃあ、レジスタンスが近くにいると言っても、勝手にレジスタンスを名乗っているゴロツキ連中とは違って、本物の連中は、ほとんど一般の庶民には手出ししないみたいだからな、悪くなりようが無いさ。もっぱら奴らに襲われているのは、大概が宰相関係者や政府の人間さ」

 マスターが苦笑いを浮かべてそう話すと、ユイはマスターに向かって笑いかけた。


「はは、その事実はあまり広まらないほうがいいだろうねぇ。マスターにとっては」

「その通りだ。あんまり安全だって話が広まったら、この店はまた閑古鳥のなく田舎の宿に逆戻りさ。だが、そんな心配はいらねぇよ。ムラシーン派の連中が、勝手にゴロツキどもの悪事を本物のレジスタンスの仕業として喧伝するだろうからな」

 マスターはそう言って片目をつぶると、ユイはなるほどとばかりに大きく頷く。


「なるほどね。しかしマスターの話を聞いて安心したよ。明日、私たちは王都に向かうために北の森の側を通らなければいけないから、襲われたら困るからね」

「はは、心配すんなって。大丈夫さ、あんたらの旅の無事を祈っているよ」

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