第3話 次席大使

 ラインドル王国。もともと大陸西北部にあった小国家群が、南部のクラリスや大陸中央にあるキエメルテ共和国から身を守るために、団結して同盟関係を結んだことが国家の始まりである。

 そのような互助的な同盟関係から、しっかりとした国家に成立させたのは、五代前となる初代ラインドル国王であった。彼は経済力、軍事力に加え、婚姻政策を積極的に利用し、クラリスを含む周辺諸国と、対等な同盟関係を築くことができる国を作り上げた。そして大陸西部における最北端という立地の為、冬は外界と閉ざされる気候上の問題が、逆にこの国の盾となり、今日まで国家として安定した体制を維持することに成功していた。


 ユイたち一行は、北の森を特に支障なく通過すると、夕方にはラインドル王都であるセーブルに到着した。そして街の入口を見張る守衛官に外交大使である証明を渡すと、守衛官はやや驚きの表情を浮かべながらも、入都の許可を出し、一行は街の中へと足を踏み入れた。


「へぇ、これは素晴らしいね」

「ですね、こいつはちょっと……かなりよくできてやすよ」

 街に入るなり、ユイもクレイリーもその防衛を前提として構築された街並みに感嘆の声を上げる。ラインドルは他国に比べ、やや地方豪族たちの力が強い土地柄であり、王都であるセーブルは、そのことを反映して国の規模に対してやや小さな都市だった。しかし城下町の構造は、街の中心となる王宮への道のりが全くわからない構造が取られており、周囲に張り巡らされた巨大な石壁の存在感もあり、彼らを驚かせるに十分であった。



「明らかに防衛を意識した都市づくりだね。クラリスみたいに商業活動を優先した街だと、こんな複雑な都市構造は取ることができないよ」

 ユイは頷きながら、この王都の設計者に内心で称賛の声を上げる、しかし一瞬考えこむような仕草を取ると、その迷路のように複雑な道路構造から、大使館までの道のりが無駄に遠くなっていることに気づき、ため息を吐いた。


「旦那、とりあえず行きやしょう。あんまりのんびりしていると、ナーニャの悪い癖がまた出やすから」

「あんたね、私も宿が決まるまでは飲みになんて行かないさ。全く人をなんだと思っているんだ、失礼な」

 ニコニコしているだけのカインスを除き、ユイとクレイリーは内心でナーニャの発言を全力で否定していた。しかし口に出すと面倒なことはわかりきっているので、彼らはなにも言うことなく黙々と道を急ぐと、ようやく目的地であるクラリス大使館の姿が見え始めた。


「旦那、あれですかい?」

「ふむ、私も実物は見たことないんだが、外務省から貰ってきた地図を観る限りは、たぶんあれだろうね」

 ユイは確認するように、手元の地図に再度目を落とし、間違いないことを確認する。その大使館は、クラリスの力を誇示する目的もあるのか、大使館と呼ぶにはやや大きな建築物であった。それを見たユイの最初の感想はなんとまあ無駄なものをというものであり、苦笑いを浮かべると頭を一つ掻いた。


「待て。何者だ、お前たち!」

 ユイたちが、建物を見上げることにも飽き、中へ入るために入り口の門のところを通過しようとすると、門の左右から警備兵と思われる兵士たちが、槍を片手にユイたちの目の前を塞いだ。


「私のことを聞いているのかな。えっと、ここでお世話になるイスターツですが、なにか?」

「イスターツだと? ほう、そのイスターツがなんのようだ?」

 警備兵の中でも明らかに格上と見て取れる、ベテランの男が胡散臭げな目つきでユイを睨みながらそう問いかけた。


「いや、大使着任の挨拶に来たんだけど、なにか問題でもあるのかな?」

「冗談は休み休み言え! 今度着任されるユイ・イスターツ閣下はあの帝国を一人で薙ぎ払われたような武のお方だ。お前のような軟弱そうな男とは似ても似つかんわ。勝手にイスターツ閣下の名前を使うとは、怪しい奴め」

 そのベテランの男の言葉が周囲に響いた瞬間、彼の部下であろう他の警備兵たちも、慌ててユイたちを取り囲むように、周り込み始める。


「いやいやいや、私はあまり武の人じゃないんだけどな。というか、なんでそんな風に思われているのかな?」

「まったくですよ。旦那がねぇ……しかし噂って恐ろしいものですね」

 警備兵たちの物々しい雰囲気とは異なり、警戒された当人たちは、苦笑いを浮かべながら微塵も気にする様子を見せない。その態度に、警備兵たちは不信と怒りを増大させると、今にも飛びかからんという勢いで、食って掛かった。


「お前たち、なにを言っている。ふざけた奴らめ。今から取り調べを行うから、腰につけた武器を手放し、我々の指示に従え!」

「まいったなぁ、どうしたものか……」

 ユイは、隊長たちの指示に従う気はさらさらなかったが、どうやって本人であることを証明するか、頭を悩ませため息を吐く。そして関所でも使った、大使就任の任命書を持っていることに気がつくと、それを取り出そうと馬に備え付けた荷に手を滑らせた。しかし、その動きをなんらかの抵抗の動きと受け取った警備兵たちは槍を構え直すと、一触即発の空気が周りに立ち込めてくる。

 そのような不毛な状況が打開されたのは、大使館の中から中年の官僚臭漂う男性が、騒ぎを感じ取って、出てきた時である。


「一体、これは何の騒ぎかね?」

 髪を後ろにまとめ、眼鏡をかけた男性がベテランの警備兵に問いかけると、彼は舌打ちをしながらも、簡潔に状況を説明した。


「これは秘書官殿、失礼致しました。この怪しげな者達が、イスターツ様の名を騙って、大使館に押し入ろうとしておりましたので、これより排除を行うところです」

「怪しげな男? 目の前にはイスターツ閣下たちしかおられぬが、どこに怪しげなものがおるのかね」

 秘書官があっさりとそのように述べると、ベテラン兵は一瞬呆然とする。僅かな放心の後に、自分のやってしまった過ちに気付くと、とたんに顔を青くした。


「まっ、まさかこの男……い、いや、この方がイスターツ閣下。し、失礼いたしました!」

 手に持った槍をそのまま投げ捨てかねない勢いで、頭を下げると、他の警備兵たちも慌てて彼に従い最敬礼を行う。その姿を見て、ユイは頭を二度掻くと、右手を顔の前にやり左右にパタパタと振った。


「いいよ、いいよ。門番としての仕事をまじめにやっていることはわかったから。とりあえず職務に忠実なのもいいが、自分の偏見を他人に押し付けないように、以後頑張ってくれたまえ」

「はっ、はい。大変失礼致しました! き、肝に銘じます」

 慌てて再度頭を下げるベテラン兵に、優しく微笑みかけると、ユイは秘書官と呼ばれた男の方へと向き直った。


「それで失礼ですが、貴方は私をご存知なのですか?」

「ええ、昨年の帝国侵攻後に、一度王宮へ戻る用がありましたので。その際に王宮内の廊下で閣下のご尊顔を拝見したことがあります。もっともあの時はこのように同じ職場で働くことになるとは思いもしませんでしたが。改めまして、次席大使をさせていただいておりますホイスと申します。さて、こんなところで立ち話もなんですから、中にお入りください。閣下の執務室へご案内致しますので」

 そう言ってホイスはユイたちを建物の中へと促すと、一行は重厚な大使館の中へと入っていった。





「先ほどは助かりました、ホイス殿。改めまして、はじめまして。この度、クラリス駐在大使を拝命しましたユイ・イスターツと言います。以後よろしくお願い致します」

 ホイスに案内され、小奇麗な駐在大使の執務室へと通されると、ユイは荷物を下ろすなり、ホイスに向き直って挨拶をした。


「お待ち致しておりました、イスターツ閣下。閣下が当地にお越しになると聞いて、この国の者達はもちろん、我が大使館の職員もやや浮かれておりましてね。なにしろ閣下の御名前はこの地まで響き渡っております。ただあまりに活躍が派手過ぎましたので、先ほどのようなことが起こってしまったのは、困った話ですが」

「全くです。しかしどんな噂が広がっているかわかりませんが、このように実物はあまり大したものではないんですけどね」

 ユイが弱ったように頭を二度掻くと、ホイスは首を左右にふり、ユイの発言を否定してみせた。


「閣下は確固たる実績を挙げられたのです。私などに言わせれば、帝国をあの劣勢の状況から追い返すなんて、巷で溢れる噂程度では過小評価なくらいですよ」

「はぁ、そんなものですか」

「先程の警備兵の反応を見てわかるように、この国にも単騎で帝国軍を蹴散らしたクラリスの英雄ユイ・イスターツの名前は鳴り響いております。そのようなこともあり大使館職員一同、憧れを抱きながら閣下の御着任を心待ちにしておりました」

 そう言って、笑みとともにホイスはユイに向かって頭を下げると、慌ててユイも頭を下げた。


「ありがとうございます。あと、彼らは僕の護衛で来てもらった親衛隊の面々です。彼らにも部屋を用意してもらえるとありがたいのですが」

 ユイが後ろを振り返り、クレイリーたち三人に視線を向けると、ホイスは虚を突かれたように、声を高くした。


「親衛隊! とすると、王女様付きの兵を連れて来られたのですか?」

「ええ、もともと私の部下なので無理を言って同行してもらいました。もちろんエリーゼ王女と親衛隊長の許可はもらっていますのでご心配なく」

 ユイは目を丸くしてその場で固まってしまったホイスに対して、笑いながらそう告げる。


「な、なるほどわかりました。しかし、親衛隊の武名は聞き及んでおりますが、皆様、一般の兵士とは少し面構えが違いますな」

「はは、正直に兵士らしくないといってもらっていいですよ。ただ実力の程は見た目で判断しないで頂けたらありがたいです」

 ユイがそう苦笑いしながら答えると、ホイスは数度頷いた後に口を開いた。


「もちろんです。護衛、大使、事務、経理、それぞれにふさわしい能力と格好と装備がありましょう。私のような内務省出身の門外漢が、その辺りのことに口を挟む気はございません」

「そう言って頂けるとありがたい。では、彼らも暫くの間ご厄介になりますので、よろしくお願いいたします」

 ホイスのその言葉に、ユイは再度笑みを浮かべ直すと、丁寧に頭を下げお礼を言った。


「わかりました。では、当地御赴任の間は彼らも閣下とともに動かれるということですな。だとしましたら、ちょうどいい機会です、閣下と彼らに一人紹介しなければいけない人物がいます」

「私たちにですか……どなたでしょう?」

「少しお待ちください」

 ホイスはそう述べるなり、まっすぐに部屋を出て行く。そしてわずかばかりの時間の後に、若い空色のショートカットの女性を連れて、部屋に戻ってきた。

「お待たせしてすいません。本当は最初にご紹介すべきだったのでしょうが、こちらが閣下直属となる秘書官のノアです」

「私、直属ですか……」

 立場的には秘書官が付いても不思議ではないのだが、そのあたりの仕事はクレイリーに任せようと考えていたユイは、やや戸惑った表情を浮かべる。


「ええ、駐在大使には専属の秘書官が付くことになっていますので。こちらのノアは、王立大学を優秀な成績で出ておりますし、この地での勤務も長く、何かと閣下のお力になれるかと思います」

 ホイスはそういって笑みを浮かべると、後ろに控えていたノアに、前に出て挨拶するよう促した。


「ノア・レミュールです。閣下のご活躍は以前から伺っておりまして、その時はまさか閣下の専属になれるとは夢にも思っていませんでした。誠心誠意務めさせて頂きますので、どうぞよろしくお願い致します」

「……ああ、よろしく」

 ユイは未だ困惑を隠し切れない様子であったが、取り敢えず来てすぐに人事を自分で動かす訳にはいかないかと諦めると、ぎこちなく笑みを浮かべながら頭を二度掻いた。


「さて、では私は一足早く退室させていただきましょうかな。他の業務もありますので。それでは失礼いたします」






「おい、聞いていた話と違うではないか!」

 ユイの執務室を辞去したホイスは、廊下の外で待機させていた部下に、室内には聞こえぬよう声を絞りながらも、いらだちを隠せない声を浴びせた。


「おかしいですね、できるだけイスターツの同行者は、我々にとって程よい人間を付けるよう、軍首脳部や外務省には働きかけていたのですが……」

「くそ、これでは簡単に追い返すのは、難しいかもしれん。一度、ムラシーン殿と協議が必要だな」

 ホイスは忌々しげな表情を浮かべ、ユイの部屋の前を離れると、これからの計画に支障がないか、再度思考を働かせ始めた。

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