第4章 ラインドル編

第1話 北へ

 春光うららかな晴天の日。

 クラリス王国北端の国境砦には、常備兵の他に、全くバラバラな姿をした三人の兵士の姿があった。


 一人の男は、ハゲ頭の山賊風の男であり、残り二人の取りまとめ役を行なっていた。そしてもう一人の男は筋骨隆々で、早朝から笑顔を絶やさないさわやかな男性である。最後の一人は、紅一点である美女といっていい女性であったが、まだ太陽の高い時間にもかかわらず、酒瓶を片手にしながら、頬の色を彼女の髪のように赤くしていた。

 彼らは国境警備の兵士たちから、若干奇異の目で見られながらも、砦の壁の日陰に身を預け、のんびりと談笑しながら、その場で時間を潰していた。それもこれも全て、ある男性を待つためである。


 彼らは幾ばくかの時間、その場で過ごすこととなったが、太陽が彼らの頭上に輝くようになった頃に、ようやく彼らの待ち人である黒髪の男性が、クラリス方面から馬に乗って、ゆっくりと近づいて来た。その男は、馬の鞍に片足を置いた不安定な姿勢で、アクビをしながらも、先に彼ら三人に気づいたため、挨拶代わりに右手を上げる。

 すると筋肉男が、その近づいてくるだらしない男の存在に気が付き、残りの二人に彼の到着を伝えた。残りの二人は、やれやれといった様相で足元にある自分たちの荷物を持ち上げる。そして三人のうちのリーダー格であった坊主頭の男が、その黒髪の男に向かって、歩み寄っていくと、疲れたような声を上げた。


「旦那、遅いですぜ。すっかり待ちくたびれやしたよ」

「ごめんごめん、ちょっと立ち寄らないといけないところがあってね」

 クレイリーに愚痴を言われたユイは、思わず苦笑いを浮かべながら、そう言い訳した。


「旦那は遅刻癖があるんですから、次に何かあるときは一緒に王都を出やすからね」

「信用ないなぁ……そんなに、私って遅刻するイメージがあるかな。私自身はあまり覚えがないのだけど」

 ユイが腑に落ちないように首を傾げると、クレイリーは諦めのため息を吐いた。


「……本気ですか。なんか、旦那と話していると自分がすごくまともに感じやすよ。まあ、今更旦那にそんなこと言っても無駄なのはわかっていますので別にいいんですが。それより聞きたいのは、なんで今回はこの人選なんですかい?」

 クレイリーは、カインスには視線を向けること無く、酒瓶を小脇に抱える女性を射抜くように横目に捉えた。その仕草に、ユイはクレイリーの言いたいことを把握すると、頭を掻きながら、口を開く。


「いや、他の奴らは忙しくてね。もともと最初は外務省がよくわからない護衛を、私につけようとしたんだが、護衛なのか監視なのかわからないから拒否させてもらってね。それで仕方ないから、とりあえずアレックスとリュートを連れて行こうと考えたんだが……」

「それはさすがに……」

 クレイリーは、親衛隊の中心人物二人を連れて行こうとしたユイに向かって、呆れた声を上げる。


「そうなんだよな。その話を切り出した瞬間、エインスが泣きながら許してくださいって言ってきてさ。まあ、気持ちはわかるけど。で、そんな状況で誰を連れて行こうかって考えた時に、お前たちかフートぐらいしか思い当たらなかったわけだ」

「フートはダメだったんですかい?」

「アレックスに頼んだんだけど、彼女には新兵の訓練を手伝って貰いたいって、あいつが言い張るから連れてくることができなくてね。まぁ、訓練の指導役としてはちょうどいい強さなんだろう。だいたいアレックス本人が稽古つけたら、特別なやつ以外は訓練にならないし」

「なるほど、そういう経緯で今回の四人が選ばれたわけですか。確かにいくら人材難だからといって、あの細腕の新人たちに、いきなりこの仕事を任すわけにはいかないですしねぇ」

 クレイリーは今年加入してきた魔法科出身の卒業生たちを思い出すと、苦笑いを浮かべながらそう答える。


「そういうこと。新人の中でも、レイスだったら別に連れて行ってもいいかと思ったが、これもアレックスがまだ未熟だからといって良い顔しなかったからな……まあどちらにせよ、アイツのことはお前とカインスがいれば、たぶんなんとかなるだろ」

「なんか、旦那の護衛に来たのか、ナーニャの面倒を見に来たのかよくわからないですが……とりあえずわかりやした」

 クレイリーが、つるつるとした頭をさすりながら、そう返答する。すると少し離れて、二人の様子を見ていたナーニャが、何か感じるものがあったのか、その場所から二人に向かって声を上げた。


「そこ、なんか失礼なこと言ってないかい。他に現場に出れる魔術師がいないっていうから、北の酒を条件について来てやったんだ。もう少し感謝して貰いたいもんだね。まあ、そんなことはどうでもいいけど。それより隊長、本当に北の国には良い酒があるんだろうね?」

 自分が到着するなり酒の話を始めるナーニャに対して、ユイはやや戸惑ったような笑みを浮かべる。しかし、彼女のことだからと諦めると、大きく首肯し、彼女の話を肯定した。


「ああ、それは心配しなくていいよ。北の国は寒いから、昔から酒造りは盛んでね。ほら、酒を呑むと温まるだろ。そういうことだよ」

「そうかい、ならあたしは何も言うことないや。隊長の好きなようにしてくれたらいいよ」

 ユイの答えを受け取ると、ナーニャは酒以外には興味が無いことを隠しもせず、気分を入れ替えて自分の馬に歩み寄る。そしてさっさと出発できるように、旅の荷物の確認を行い始めた。ユイはナーニャの姿を見て、彼女がカーリンにいた頃と全く変わらないという事に対して、少量の安堵と多量の呆れ成分を含んだ溜息を吐いた。そして、多少の脱力の後に、気分を切り替えると、もう一人の同行者に視線を向け、彼に声をかけた。


「最後になってしまったけど、カインスも今回の件は構わないかい?」

「いや、国境まで来て、今更確認されても困りますが……どちらにせよ隊長や兄貴たちが行くのなら、お供しますよ」

 いつものような屈託のない笑みで、ユイの問いに答えると、そのまま求められてもいないのに筋肉をアピールするようなポーズを取る。

 その仕草を見て、こいつもある意味我が道を行くやつだよなとユイは考え、今回の旅路に気を重くする。しかし、彼らが自分のために付いてきてくれるのだと考えなおすと、ゆっくりと左右に首を振り、改めて感謝の念を浮かべた。

 そんなユイの仕草を微笑ましく見ていたクレイリーは、ユイが表情を引き締め直した所で、この護衛が決まった段階から抱いていた疑問を彼に投げかけた。


「旦那。旦那が実際に外務省に異動になるなんて、欠片も考えていやせんでしたが……しかしよくもまあ駐在大使なんてエルトブールを離れる役職が、問題にならずに許可されやしたね」

「元々軍上層部に疎まれていて、外に出したかったってのはあるだろうね。それに今回は軍務大臣のお墨付きの仕事だからね」

 ユイは両手の平を左右に開いて、そう答えると、クレイリーはやや言いづらそうにしながらも、噂で聞いた内容を口にした。


「でも王女がかなり反対されたと聞きやしたが……」

「ああ、その件ね。実際に彼女自身があまり賛成ではなかったのは、事実だけどね」





「私を置いて行ってしまうんですね」

 エリーゼは、目の前の椅子に腰掛けるユイに向かい、頬をふくらませながら、非難めいた口調で話す。


「人が聞いたら誤解するようなことを言わないでください」

 王女専用の応接室に呼ばれたユイは、その部屋の中にいるのが、自分とエリーゼだけであることに安堵しながら、そう返答した。


「だって、貴方を王都に呼んで、親衛隊長に据えたのは私ですよ。なのに貴方は、私が任命した親衛隊長職をあっという間に辞めてしまうし……さらに今度はこの王都から離れて他国へ行こうとするし。カーリンから貴方をスカウトして引っ張ってきた私には、少しくらいは文句を言わせてもらう権利があると思いますわ」

 エリーゼは全く今回の人事に納得していない表情を浮かべると、ユイを睨みつつそう告げた。その視線を受けて、ユイは自分で望んでこの王都に戻ってきたわけではないのだけどと、内心では多少反論する。しかし、表面上にはその心情をおくびにも出さず、苦笑いを浮かべると、ゆっくりと謝った。


「まぁ、そう言われると言い訳の言葉もありません。ですが、今回の人事は私ではなく、私の上司が決定したものでして」

「……言い訳してるじゃない。どうせ、貴方がラインバーグに自分の人事を出させたんでしょ。それくらいは私にもわかります」

 ユイはさすがにそのくらいのことはお見通しかと考え、弱った表情を浮かべる。そして何かそれらしい言い訳を考えようとするも、あまりいい案が思いつかず、結局誤魔化すように右手で頭を何度も掻いた。


「はぁ、もういいわよ。好きになさい」

「申し訳ありません」

 ユイはエリーゼの許可とも取れるその言葉を受けると、即座に謝罪の言葉を告げた。そのユイの反応にエリーゼは、一度だけ目を閉じ頭の中を整理すると、急に表情を固くして、真剣な眼差しで彼を見つめる。そして、誰にも告げていない決意を口にした。


「貴方だけには、先に告げておきます。今度、貴方がこの国に帰って来たら、私は女王への就任を宣言します」

 エリーゼの予期せぬ言葉に、一瞬ユイは時が止まったかのようにその場に硬直する。そして彼の頭の中に、ゆっくりとその意味が広がった所で、なんとか一言だけ言葉を絞り出した。


「……本気ですか?」

「ええ、本気も本気ですよ。だから、私を永遠に王女のままにさせないためにも、必ず無事に帰って来なさい」

 見慣れないユイの驚いた表情に、エリーゼは多少の精神的優位性を感じたのか、わずかに笑みをこぼしてみせた。しかし、エリーゼのそのような仕草も視界に入っていないかのように、ユイは彼女の顔を真剣に見つめたまま、一切表情を変えること無く問いかけた。


「私のことはいいんです。それよりも女王の件は本気ですか? 正直言って、国内の反対派を考えると時期尚早と思いますが」

 ユイはそう告げながら、エリーゼの女王就任に反対しそうな面子を、頭の中にずらりと並べる。この国の歴史で初の女王の誕生に、異議を唱えるであろう人数の多さと顔ぶれは、ユイをして言葉遊びをする余裕を失わせるほどの規模であった。

 しかし、ユイのそんな危惧を知ってか知らずか、エリーゼは自らの話す内容に臆すること無くユイに向かって自論を述べた。


「たしかに彼らのことは憂慮しています。しかし、現在のように、最高権力者に空白があることは、国として不安定な状態です。誰も責任を取らない状態ですからね。このまま現状維持を続けることの方が、今後のことを考えるとマイナスでしかないと思わない?」

「それはそうですが……」

 ユイはエリーゼの意図を正確に察知した上で、わずかに表情をしかめると、言葉を濁す。


「貴方の言いたいことはわかります。現状では、私に十分な後ろ盾が無いことを言いたいのでしょう。おそらくライン公やヤルム宰相は私に協力してくれるでしょうが、他の大公家はどう出るか……ましてや地方貴族の連中は、場合によっては他国に寝返りかねないでしょうね」

「そこまでわかっておいでで、あえて火中の栗を拾われますか?」

「だから、貴方が必要なんです。救国の英雄ユイ・イスターツがね。貴方がいるからこそ内外に睨みが利くんです。いい加減、貴方は現実から目を背けずに生きるべきよ」

「……買いかぶりすぎですよ」

 ユイは王女の嘘偽りのない言葉とその強さに、わずかに表情を曇らせるとそう吐き出す。しかし、ユイの逃げるような言葉に王女は、頬をピクリと動かすと、彼に向かって再度語りかけた。


「本気で言ってるの? それとも謙遜? どちらにしても、貴方は現状を正しく認識すべきよ。いえ、貴方の能力を考えると認識はできているんでしょうけど、ただ受け入れてないだけよね。でも、もうそろそろ覚悟を決めてもいい頃じゃないの?」

 ユイは自分より幼いエリーゼの説教に、下を向くと一度ため息を吐く。そして数度頭を掻いた後に、エリーゼに向かって口を開いた。


「わかっていますよ。多少背負わなければいけないものができてしまいましたからね」

「ふふ、その言葉が貴方から出ただけでも今回は良しとするわ。貴方はめったに内心を人に見せないからね。珍しく今回はあなたから働こうとしているみたいだし、今回はこれ以上なにも言わずに受け入れてあげます。でも、繰り返すようだけど、出来るだけ早く、そして無事に帰ってきなさい。いいわね?」





「旦那、もう昼過ぎでやすから、そろそろ出発しないと次の宿場に、陽のあるうちにたどり着けませんよ」

 クレイリーの言葉に、ユイは先日の王宮の出来事から、現実へと思考を切り替えると、目をつぶって一度大きく息を吐きだす。そして一緒に旅立つ三人を順番に見ていき、最後にエルトブールの方角を眺めやると、気分を切り替えた。


「よし、じゃあ行こうか」

 ユイがいつものような落ち着いた声でそう口にすると、残りの三人はそれぞれユイを見て笑みを浮かべる。


 そして一行はラインドルの王都へ向かうため、北の大地へ馬を進め始めた。

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