第8話 失踪
ユイの解散という言葉を聞くなり、ゼミ室の外で話を聞いていた三人は、一目散にその場から駆け出すと、そのまま中庭まで一直線に逃げ出した。
中庭に着くと、普段から鍛えているレイスはわずかの間に息を整えたが、アンナとエミリーは幾ばくかの時間、中腰の姿勢での休憩を必要とした。そうして少し呼吸が落ち着いてくると、エミリーが顔を上げて二人に声をかけた。
「はぁ、はぁ、みんな聞こえた?」
「ああ、どうやら本当みたいだな。不正経理は俺たちには調べようもない話だが、誘拐とは……クソ、俺達が知らない所で同じ学生が、攫われているなんて、許せるかよ」
レイスは部屋の中で行われた会話の内容に、未だに驚きが隠せず、僅かないらだちを表情から隠せずにいた。
「でも、まだ誘拐かどうかは、わからないんじゃない? あの内容だけだと、あまり先走りは良くないと思うけど……」
アンナは、ユイたちの話の真偽を疑っていたが、レイスの言葉を聞いて、慎重論を唱えるためにそう話した。
「そうね。でも、そのあたりも含めて、一度調べてみる価値はあるんじゃない」
「確かに、その通りだな。とりあえず誘拐事件を手分けをして調べようか。俺は陸軍科と戦略科を中心に調べてみるよ。ただ魔法科が怪しいようだから、お前たちが所属科だし、そちらに関しては二人で調べてくれないか?」
正義感と好奇心が入り混じったエミリーの提案に対して、レイスも賛同すると、二人に役割分担を提案した。
「……わかったわ。じゃあ一週間後に、お互いの状況を話し合うことにしましょう」
慎重論を唱えていたアンナも、調査自体の必要性は感じており、二人の意見を聞いて、わずかに逡巡した後に同意を示した。そして三人は、お互いの役割分担を確認し合った上で、一週間後の昼に調査内容を報告し合うこととして、その場で別れていった。
一週間後の昼休みに、三人はゼミ室へと集合していた。ただ三人の中で、レイスだけは明らかに先週と様相が異なっていた。
彼の体は、あちこちに打撃痕と擦り傷が目立ち、場所によっては、打撃痕の上に更に打撃痕が重なるような場所も散見され、その傷跡が彼への指導の厳しさを雄弁に語っていた。
「最悪だった。アレックス師匠は鬼だ……」
「師匠? それと前はあんなに強い人と稽古したいって言っていたじゃない。なのに弱音を吐くなんて、ちょっと情けないんじゃない?」
エミリーが、レイスの発言に呆れながらそう突っ込むと、レイスはとたんに真剣な表情を浮かべて、エミリーの発言に対し反論した。
「甘い! 一度、お前も師匠の訓練を受けてみればいいんだ。あれを経験すれば、この学校の授業なんて、生ぬるいにも程がある……はぁ、明日も訓練があるんだよな……」
レイスは普段に無く大きな溜息を吐くと、明日に課されるであろう訓練という名の拷問を想像し、気力を失って机に突っ伏す。その光景を見たエミリーたちは、お互いの顔を見合わせると、思わず笑みをこぼした。
「お気の毒様。朱のアレックスに喧嘩を売った罰ね。少しは自重しなさいってことでしょ。それに比べ、私たちの先生はすごく紳士的な方よ、リュート五位はね。ねぇ、アンナ」
「そうね。いつも私たちのことを気にかけてくださって、手取り足取り教えて下さるものね。本当に、あの先生を紹介してくださって、ユイ先生には頭が上がらないわ」
エミリーとアンナは、ニコニコとした表情を浮かべ、リュートのことを褒めちぎる。それを聞くと、レイスは一層憂鬱な表情を浮かべ、限りなく深い溜息を再度吐いた。
「なんだよこの差は……理不尽だ、絶対に理不尽だ」
「自業自得ね。まあそれはそれとして、今日は訓練の話をするために集まったんじゃないから、その話はここまでにしましょ」
「そうだな……俺もいつまでも、あの悪夢のことは考えたくないし、事件のことを話そうか」
レイスが、多少気を取り直して、机から顔を上げると、ゆっくりと頷き、そう提案した。
「それで、レイスはなにか分かったの?」
「おう。俺は主に戦略科と陸軍科の伝手を使って調べてきた。結論から言えば、ここ数年に関しては、誘拐などされた形跡はまったくないな。まず戦略科の方だが、奴らの中で、この学校から逃げ出した奴は少なくない。だけど、逃げたのはほとんど貴族の坊ちゃんばかりで、見事に全員がご自宅へお逃げ遊ばしたみたいだな」
レイスが呆れたようにそう説明すると、アンナも納得したように頷き、口を開いた。
「そうよね。あそこはコネで入った貴族様が結構いるから、たしかにそのケースは多いかも」
「ああ、そいつらに関しては、ほとんどがここのカリキュラムについていけなかった奴ばかりみたいだ。それで、次にうちの陸軍科の方だが、こっちにも訓練についていけなくて逃げ出した奴は数名いた。ただそれ以外のほとんどは、借金を作ったり、女絡みなんかの理由で、中退同然にこの学校を抜け出してる」
「なるほど、科によって結構違うのね」
アンナが科の構成違いによる、逃げ出す理由の差異を興味深く思うと、思わず相槌を打った。
「ここ数年で、そうやって陸軍科を飛び出していった奴は、だいたいが傭兵や護衛等の仕事に就いてるみたいだ。その中には、仕事や痴情のもつれで、既に死んじまった奴はいるが、先輩たちの知ってる限りでは、なんの理由もなく消えちまった奴なんていないらしい」
話の内容に、アンナとエミリーはわずかに眉をひそめたが、今回の事件とは関係ないと考え、気持ちを切り替えると、エミリーが口を開いた。
「そうなのね。では、やはり問題は魔法科ね」
「やはりというからには、なにかあったのか?」
エミリーの発言に対し、レイスが思わず身を乗り出して尋ねると、エミリーは大きく一度頷き、話し始めた。
「魔法科の失踪は、大きく分けて二つのケースが有ったわ。一つは他の科と同じで、カリキュラムについていけなくて、ドロップアウトした人たち。これはアンナに調べてもらったわ」
「ええ、その人達のほとんどは、自宅に逃げ帰ったか、中途半端な魔法士としてほそぼそと暮らしているみたいね」
「そいつらも問題なしか。じゃあ、もうひとつのケースってのは?」
アンナの調べに対し、レイスは理解を示すと、エミリーに続きを尋ねた。
「そう。問題はもうひとつのケースなのよ。このケースの失踪者は、魔法科の成績上位者が多いの。特に学園内でのトラブルもなく、金銭的な理由なんかもない。本当に理由がわからない失踪ね。そして、その人達はまったく足取りがつかめないの」
「ってことは、誘拐っていうのもまんざら無い話とは言えないか……」
レイスがそう呟くと、アンナが何かに引っかかったような表情を浮かべ、おもむろに口を開いた。
「ちょっと待って、エミリー。成績の良い人たちなら、そんな簡単に誘拐なんかされるかな? 一応、魔法科のエリートなんでしょ」
「そう、それが引っかかるのよね。もちろん学生レベルだから、その人たちより強い相手なんていっぱいいるでしょうけど……でも、そんな簡単に誘拐なんて出来るかは、確かに私も疑問に思うわね」
エミリーはアンナの疑問に対して同意を示したが、レイスはその意見に対して首をひねると、二人に向けて自分の見解を述べた。
「そうか? 確かに面と向かって決闘を挑んでさ、そして相手を倒して誘拐するんだったらその通りだろう。だけど、そんな誘拐の仕方をする奴がいるか? 魔法科の奴なら、陸軍科の連中と比べて筋力なんかも弱いだろうし、不意をついて魔法を使わせなければ、何とでもやりようがあるだろ」
「不意をつく……か、そうね。でも、もしそうだとすると、場合によっては内部犯の可能性を考えないといけないわね」
アンナのその発言に対して、三人は多少気まずげにお互いの顔を見合わせると、相互に複雑な表情を浮かべた。
「それで、これからどうする? その人達のことを調べていく形にするのか?」
「でも、正直言ってあまり情報がないのよね。今年、そのケースでいなくなったのが二人。貴族の三男が一人と、あと一人は親が魔法士の子供ね。人数が少ないから、私も一週間の間に、ある程度は調べたんだけど、突然消息を絶っていて、その前後に特に変わったことはなかったみたいなの。その二人の関係に関しても、まったくお互いに接点がなくて、唯一の共通点が成績が優秀ということだけ……」
調べた内容をエミリーが説明すると、レイスはため息を付き、思わず首を左右に振った。
「はぁ、それじゃあ打つ手なしじゃないか」
「そうね。どうしましょうか……」
三人は次の案が浮かばず、誰も言葉を発しないまま、その場に静寂が訪れる。
そしてわずかに時間が過ぎた時、ゼミ室のドアがノックされると、彼らの先生がそこから顔を出した。
「やぁ、君たち。いまちょっと時間あるかな?」
その場のやや重い空気を、まったく気にする素振りもなく、ユイはマイペースに三人に問いかけた。
三人が顔を見合わせると、三人を代表し、エミリーがその問いかけに対して返答した。
「はい。大丈夫ですけど……なんでしょうか、先生?」
「ああ、実は赴任したばかりで、校長室の資料整理が進まなくてね……申し訳ないんだけど、手伝ってもらっていいかな?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます