第9話 疑惑

「ごめんね、こんなこと急に頼んじゃって。今日は仕事がなくて、校長室の片付けをしようと思ったんだけど、ラインバーグ閣下が意外とたくさんの荷物をそのままにしていってしまってね。まぁ、急に大臣になってしまわれたわけだから、仕方がないけどね」

 手伝ってくれる三人に対して、申し訳ないと謝りながら、ユイは手元にある本の束を、本棚へと運んでいく。エミリーは、本棚にバラバラに並べられた本の背表紙を見て、それらを順番に並べる作業をしていたが、ユイの謝る声を聞いて手を止めると、ユイに向かって微笑んだ。


「ああ、そうだったんですね。いいえ、構いませんよ」

「ありがとう、そう言ってくれると助かるよ。そういえば、あの二人はしっかり教えてくれているかい?」

 ユイが、リュートとアレックスのことを心配して話題に出すと、一瞬で表情を曇らせたレイスとは対照的に、エミリーとアンナは満面の笑みをこぼす。


「ふふ、リュート先生は、本当に丁寧に教えてくださっています。あんな素晴らしい先生を紹介してくださって、本当に嬉しいです。ねぇ、アンナ」

「そうね。リュート先生って、少しぶっきらぼうに見えますけど、とても丁寧に教えてくださるんですよ」

 ソファーの上に無造作に置かれた辞書のたぐいを、それぞれのジャンル別に直す作業をしながら、アンナは声をはずませて答えた。


「あいつは昔から後輩の面倒見が良かったからなぁ。しかし、君たちがそう思ってくれてると知ると、あいつも喜ぶだろう。あいつはクールなふりをしているが、実はシャイなだけだからな」

「ああ、やっぱり。実は昨日、アンナがリュート先生にお礼のお菓子を持っていったんですよ。そうしたらリュート先生は、顔を真っ赤にしながら、隅っこで黙々と食べてらっしゃいました」

「ちょっと、エミリー!」

 エミリーの予想だにしない暴露に、思わずアンナは非難の声を上げる。その声を聞いて、ユイは本を抱えたまま苦笑した。


「はは、あいつらしいや。ところで、アレックスのやつはどうだい?」

「ア、アレックス師匠は、とてもとても素晴らしい先生であります」

 ユイが、レイスに話題を振ると、彼はわずかに震えながら、やや落ち着かない様子でそう話した。


「ああ、もういい。だいたいわかったから。なるほど、かなり絞られているみたいだね。私も学生時代に、何度か仕方なくあいつと手合わせしたことがあるんだが、それはそれはひどい目にあったよ。あっ、そうだレイス! 君があいつに勝てば、その日から私より強いと名乗っていいよ」

「と、とんでもありません! 師匠に勝つなんて、恐れ多いこと……微塵も考えたことなどありません」

 レイスは、荷物を運ぶ手を止めると、その場で直立不動のまま答えた。



 そんな他愛のない雑談を交えながら、しばらく四人で部屋の荷物を片付けていくと、次第に散らかっていた部屋も秩序を見せ始めてくる。そうして部屋の片付けの終わりが見えた始めた頃、不意に校長室のドアがノックされた。


「旦那、ちょっといいですかい?」

 ドア越しに、やや低い声が室内に響くと、学生たちはユイに視線を集める。ユイはその視線を受けて頭を一つ掻くと、訪問者に対して返答した。


「ああ、クレイリーか。どうぞ、空いてるよ」

 ユイの返答に、校長室のドアが開けられると、いつものスキンヘッド姿のクレイリーが、やや慌てたように入ってきた。

 学生たちは、普段接点のないような容貌をしたクレイリーに対し、驚きのあまりに硬直する。中でも、もっとも動揺したアンナは、手元に持っていた辞書をその場に落としてしまい、辞書の地面にぶつかる音が周囲に響き渡った。


「ああ、心配しないで。こいつはクレイリーと言ってね、私の元部下だよ。見た目は怖いが、気のいいやつだから、そんなに驚かなくていい。ところで、こんな時間に私の所へ来るなんて、一体どうしたんだ?」

 ユイが、不思議そうな顔でクレイリーに尋ねると、クレイリーは申し訳無さそうな顔を浮かべ、禿げた頭に手をやりながら答えた。

「実は、ナーニャのやつが、町の酒場でまた問題を起こしやして……」

 だんだん語尾が弱くなるクレイリーの発言に対して、ユイは頭を二度掻くと、大きくため息を吐く。


「またか……私はあいつの保護者じゃないんだがなぁ。やれやれ、しかたがない。では君たち、この机の上の資料をそちらの棚に移してくれ。それが終わったら、今日は解散でいいから。急にお願いしたのに、申し訳ない」

 ユイがすまなそうに謝ると、エミリーは気を使わないでくださいとばかりに、首を左右に振って、否定した。


「いえ、大丈夫です。これくらいお安い御用ですよ」

「そうかい? じゃあ私は少し席を外すから、あとはよろしくね」

 ユイは、エミリーたちにそう告げると、クレイリーに連れられて、渋々といった様子で校長室から出て行った。


 残されたエミリーたちは、ユイに指示された机の上の資料を動かそうと、その紙の束を手にとる。レイスがその資料の内容を、何気なく目で追うと、一瞬動きを止め、その場で声を上げた。


「おい、これ士官学校の予算分配の内訳じゃないか?」

「えっ、本当だわ。これと、これと、これを合わせると、全部で五年分の予算と使い道がここに揃っているわね。でも、なんで予算案の時期でもないの、ユイ先生がこんなものを……もしかして!」

 エミリーが閃いたように顔を上げると、残りの二人も同じ事に気づいたのか、表情を固くしていた。


「ああ、たぶんそうじゃないか。おそらく不正予算を調べるために集めたものだぞ、これ」

「でも、こんなの勝手に見たのがバレたら、ちょっとまずいんじゃない?」

 アンナはバレた時のことを考えると、急に不安そうな表情を浮かべる。すると、そんな彼女の表情を目にしたエミリーは、わずかに逡巡した後に、自らの好奇心に負けて言葉を発する。


「それはそうだけど、気にならない?」

「そりゃあ、気になるけど……」

「少しだけ、少しだけ見てみましょうよ」

 エミリーは決意を固めてそう話すと、机の上の資料を、上から順番にめくっていった。


「まずこの資料が、各ゼミごとの予算案ね。えっと、予算の上位からアズウェル教室、ラムズ教室、スレイブ教室、ティック教室、ノーフル教室と……あれ? アズウェル教室って、あなたたち聞いたことある?」

 エミリーが予算額の最も多いゼミの名前を挙げて、そう口にすると、レイスも首を傾げた。


「いや、俺は知らないなぁ。アンナは?」

「私も知らないわよ。戦略科のゼミじゃないの?」

「えっと、この後ろの資料を見ると、代表者がアズウェル・フォン・セノーク教授で、どうも魔法科の教室みたいよ……って、この教室、学校の研究予算の一割も持っていってるじゃない!」

 その資料に書かれていたあまりの予算額に、エミリーは驚きを隠すことができず、周囲に聞こえるような大きな声を上げた。


「はぁ、一割? 本当に?」

「ええ、ほらこれを見て」

 そう言って、手元の資料を二人に見せると、二人とも即座に驚きの表情を浮かべた。


「ほんとね……他の教室の倍以上の予算を使ってるわ。しかもここ三年間で、急激に増えているじゃない」

「でも、こんなに予算を取れるものなのか? 研究内容にもよるだろうけど、こんなの他の教授陣が反対するだろう。それに予算案を握っているのは、あのうるさい事務長だぜ。こんな予算案、あの人なら突っぱねると思うけど……」

 三人は、エミリーの疑問に思わず考えこむ。わずかの時間の後に、アンナが先日のユイの発言を思い出すと、ふと顔を上げ話し始めた。


「……事務方が、このアズウェル教授とグルだったとしたら? ほら、ユイ先生の話を盗み聞きしていた時にも、事務方が非協力的だって言ってたじゃない」

「そうだな。たしかにそんなことを言っていた気がする。でも、これだけじゃあ、なんの証拠にもならないよなぁ。ただ予算が多いっていうだけで……」

 アンナの仮説に対して、レイスはやや時間を取って考えた上で、そう発言した。それを受けて、アンナは僅かの間、黙りこんだが、再び顔を上げて二人に提案する。


「確かにそれはそうだけど、でもこの予算は、多分普通じゃないと思う。誘拐事件も少し手詰まりだし、この際、このアズウェル教授のことを少し調べてみない?」

「そうね、確かに誘拐事件は、進展が難しそうだし、目先を変える意味でも、この教室のことを少し調べてみましょう。もしかしたら何か関係あるかもしれないし」

 アンナの提案に対して、エミリーも一つ頷いて、その意見に同調した。


「よし、そうと決まったら、とりあえず明日までに、この教授のことを調べて来ようぜ」

「わかったわ。じゃあ、明日までにアズウェル教授に関して、それぞれ聴きこみね。そしてまたお昼にゼミに集合しましょう。それでどう?」

 エミリーの提案に、レイスとアンナはそれぞれ同意を示した。そして近くにおいてあった白紙のメモ用紙に、三人はその資料から必要な部分だけを書き写す。その後、勝手に書類を覗き見たことの痕跡を残さないよう、机の上の資料をユイの指定した棚の上に移すと、施錠をして、校長室から立ち去っていった。





「それで、アレで良かったんですかい?」

「ああ。済まないな、部屋を散らかすのを手伝ってもらった上に、あんな芝居までさせて」

 二人は校長室を出ると、そのまま街の酒屋で、酒を飲み交わしていた。


「いいですよ、こうやって昼間から旦那に一杯奢って貰ってるんです。何も文句はありやせん」

「しかし、あの子たちはちゃんと気づいてくれるかな? 予算額にばかり目を取られなきゃいいけど……まぁ、あの人がいれば、最悪ミスリードされても大丈夫か」

 ユイはそう言って、心配事を脳裏の隅に追いやると、目の前のエールを一気に飲み干した。

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