極光β
騒がしい朝食が終わった後、鴎には一時的に自分自身の領域内へと引っ込んでもらった上で事前に今回の会議内容を知らされていたらしい神楽姉に引き留めを頼み、悲しきかな、真面目な話が始まってしまったのであった。真面目とかそういうのは苦手なのだが、まあ、気楽に行くとしよう。最悪、後で要点だけ神楽姉に訊けばいい。
「いやぁ、良い子だねぇ。可愛い子だねぇ。私達ってば死んじゃった後の彼女しか会ったことがなかったからさぁ、生きてる永倉さんって凄い新鮮だったよ」
へらへらと、にこにこと。平素と変わることのない調子で由比ヶ浜優希はそんなことをほざきやがった。彼女からしたらただのギャグの範疇だったのかもしれないけれど、しかし……しかしそれは、あまりにも配慮というものが足りないのではないだろうか?
彼女には、人の心がないのだろうか?
愚問か。人の心は元より、常識を欠いているのだろう。
何のことはない風を装いつつも由比ヶ浜優希を冷ややかな目でそっと見つめていると、ふと立ち上がった破魔さんが、あろうことか由比ヶ浜の頭を握り拳で殴りつけて言い放ったのである。
「由比ヶ浜。彼に謝れ」
と。
それに便乗する形で「ああ、由比ヶ浜くん。今のは流石に配慮が足りないというものだよ」、と鴉井校長が注意を合わせたのであった。
流石に驚いた。てっきりこのまま流されるのだとばかり思っていたが、どうやら破魔先輩にも鴉井校長にもある程度の常識は備わっているらしい。上に立つ者こそ持ち合わせなくてはならない常識をこの二大巨頭が持ち合わせていることには安心したが、この集団の頭である女がそれを持ち合わせていないとは……幸先不安な物である。
そんな内の不安を彼女は保有する六感能力とやらで知っているはずだが、それでもさも何も知らない風を装って、卓に片肘立ててぶーたれた。
「謝れって? え、ヤですけど」
ガキかこの人は。
こんなんで、どうしてこの人の上に立つ人達の中でリーダーなんてやれているんだ。破魔先輩の方がよっぽど適任だと思うんだけどな……まあ、どうでもいいか。
「ガキって何ですかー! 私みたいな美ボディを持つガキなんておらんわたわけ者が!」
「心が読める癖に心を理解できないんじゃ、その能力は必要ないんじゃないですか? 上に立つ者の資格も、知れたものですね」
「何をぅ! なんて、そんなことはどーでもいいのよん」スッと、気味が悪いほど直角に感情を方向転換させる由比ヶ浜。あるいは、こういう自分の感情がコントロールできるという一点において彼女は見出されたのか。「気になって気になって夜も眠れないような違和感があるんだよ。まずはそれを質問したいんだけど、いいかな?」
ズイッと、彼女は顔を近付けて迫ってくる。
その目に気圧される形でボクは無意識的に体を引いてしまったが、しかし、不思議なことにその距離はまるで接近を感じさせずに詰められた。追い詰められた。
「私達も、一度あの事件に手をつけた事があったんだよ。そりゃ、勿論そうするよね、六感課外活動部として見過ごすことなんてできないからね」
そんなことを語り始める由比ヶ浜だが、ボクの中で彼女の株はトップ独走、他の追随を許さぬほどに暴落に墜落を重ねているため、また口から出まかせなのではないかと疑いチラリと志雄生さんに視線を送り確認を取る。そんな些細な視線の変化を敏感に感じ取った志雄生さんは、ただ小さく頷きを返してきた……まさかまさかの事実なのか。
「私と破魔先輩。それに千年万年先輩の三人で迎撃しようとここ霧ヶ音邸に侵入して、機会を窺っていたんだ。——あー、ところで同じ奴を相手したかってのがまだわかっていないから質問するけどさ、君が相手したのはどんな奴だった? 私達が相対したのは、周りの空間すらも歪ませているような、歪な、息も詰まるような赤髪の少年だった。丁度同じくらいの年齢で、袖にナイフを隠している、ね」
思い出す。
侵入者を思い出す——真っ赤な髪は頭から血液を被ったようであり、その下に窺う肌は病的なまでに白い。不愉快で仕方ないといった視線を送ってくる顔は苦痛に曇っている様子であり、ただその動きだけは機械を思わせる冷徹なものであったと記憶している。袖から取り出したナイフが、ボクの差し出した拳を避けて一差しでこの命を摘み取ろうと刺し出される。
「袖にナイフを、ですか。ええ、ボクが相対したのもそいつで間違いありませんよ。というか、ボクが死んだ後に部屋で見たんじゃなかったんですか?」
「ああ、見たとも。君が二人死んでいた」何のことはないように語る由比ヶ浜部長。ボク自身はその理由が否が応でも脳内で組み上げられてしまったために納得する。「いやしかし、それじゃあ、尚更おかしいんだよね」
睨むような目線で、ボクという蛙を縛り付ける蛇。
まあ確かにその場に二人のボクがいるというのはおかしな話ではあるけれど、六感能力だ何だと人知を超えたアレコレと相対しておきながら今更何がおかしいというのか。六感能力があるのだから、ドッペルゲンガーだって実在するだろうさ。実際問題、出会って死んだし。
「何がおかしいって——だって、私達三人で襲い掛かっても勝てなかった相手を、どうして君一人で相手取り、そして勝利を収められるんだろう、って疑問に思うのは必然じゃないかい? 戦闘系統の能力って訳でもないだろうに」
……………………。
はははははははははははは。何だそんなことか。何を言い出すのかと身構えてみたが、いやまさか、その程度のことだったとは驚き桃の木テッシード、ってね。まあ、確かにボクやあいつじゃなかったら気付けないことなのかもしれないけれど、少しぐらい引っかかってもいいのではないだろうか?
いや、引っ掛かった結果が由比ヶ浜部長が見たと言う二人のボクの死骸なのだろうか。もしそうなのだとしたら、最早解答と呼称しても遜色ないモノを与えられておきながら解答に辿り着けない阿保だぞ。
「ん? どういうことかな?」
「鏡の向こう側の自分を殺すのはお互いに難しい、ということですよ。ただ、それだけです。鏡を殴って向かいの存在が割れたとしたら、殴ったこちらも写っている以上割らざるを得ない……感覚の話なので、説明はなかなか難しいですね」
「? それは、どういう……いや、きっと、訊いてもわからないことなんだろうね。感覚の話か……『鏡の向こう側の自分』ね。成る程成る程」理解しているのかしていないのか、判断に困る面持ちで顎に手を当てて呟く由比ヶ浜。「それじゃ、もうこの近くに来れないように封じてやったっていうのは、どういう事なんだい?」
どういうもこういうも、
「ただ話し合っただけですが?」
人間には言語という技術があるのだ。先祖代々継承されてきたその技術を駆使して交渉をすればどうにでもなるだろう。ボス戦じゃ武器は出し惜しみせず使うものであり、使い手次第でいかようにも変貌する——ボクはラストエリクサーするタイプではないというだけの話である。
「うぅむ……話が出来るタイプの人間じゃなかったような気がするんだけどなぁ。先輩方から見た彼は、そんなコト出来るタイプに見えましたかね?」
困ったように眉を八の字に曲げて、以前行ったらしい鴎救出作戦に同行したという二人の先輩の方へと顔を向ける由比ヶ浜部長。話を振られた先輩方は、首だけを動かして顔を見合わせた後で同時に頭を掻き、代表して破魔先輩が口を開く。
「俺から見たあの殺人鬼も、とても話し合いが可能なタイプには見えなかったな。というか、会話とかそういう、人間的なアクションが起こせるような存在には、とても……」
見えなかった。
そう続けることは、しかし無かったのであった。きっと、気を遣ったのであろう。それがアイツに対してなのかボクに対してなのか、それとも他の誰かなのかなどボクは先輩ではないからわからないのだけれども。まあ、誰に対しての気遣いであったとしてもそれは無駄な話である。この件に関しては、口籠ってもアイツに関して発言した時点でボクに向けてその言葉を遣ったも同然なのだから。
「んーじゃ、まあいいや。突き詰めていっちゃうと、私達には関係ないことだしね。終わったならよかったよかった、最悪の事態は避けられた訳だし一件落着ということで」
終局的にはそんな投げ槍というか投げっぱなしジャーマンな文言を放ち、会話の軌道を緩やかな円弧を描かせてずらしたのであった。緩やかというにはあまりにも直角のように思えるが、その場にいたボクからするとさも当然の帰結のように思えたのだ。
つまり、そういうことだ。
天然モノの空間作成能力者。上に立つために産まれ落ちた登場人物という訳だ。この六感課外活動部に於いて由比ヶ浜優希という彼女が上に立つのは、この超自然的な空間作成能力——あるいは、わからないモノはわからないと切り捨てることができる前進主義にこそあるのかもしれない。確かにそれは何よりもリーダーに求められることと言えるし、ましてやこんなおよそ現実とは言い難い状況下であれば誰よりも輝かしく錯覚できるものではあるが……突き詰めていってしまうと、それはどこまで行っても異常者であるという証明に他ならない。
「よし! そんじゃま」
そんな鬱々としたボクの気持ちを知ってか知らずか——彼女の性格上、知った上で無視していそうな話だが——手をパン、と鳴らして、本題であるらしい作戦会議とやらに移行した。こちらからしたら一体全体何の作戦の何の会議であり何故に我が家で行われているのか(最後の謎だけはふたつほど心当たりがあるが)何ひとつとして理解していないので、ロードローラーほどの不実に押し潰されていち早くリタイアorギブアップして早々にこの家から出て行って貰いたいのだが、全く、こんなことを考えてしまったが故に、もう出て行く気は一抹ほどの希望すらもなく消え去ってしまったらしい。
オイ由比ヶ浜ァ。にやにや笑いでこっち見るんじゃねぇよ。あんたの笑顔は何か無性に腹が立つんだよ。大体、可愛げのない女子のにやにや笑いとか見たところで何のご利益もなさそうなものだ。健全な男子高生がこれほどまでに萎えるのも珍しいのではないだろうか。
「それじゃあまずは、そうだね。新たに吉備団子された真っ直ぐじゃないだけに留まらず騎士道精神のカケラも持ち合わせていない騎士サマから紹介していこうか! ほら、スタンダップリィズ!」
右手の平を上に扇ぐようにして、ニューキビダンゴフレンドたるボクに起立を要求してくるヶ浜さん。もう、抵抗してもあの女郎が楽しむだけであると悟った悲しき男であるニューキビダンゴフレンドであるボクは、嫌がらせとして逆に素直に立ち上がることにした。なんだか術中にハマってしまっているような気もするが、気にしなければそんなこともないことになるであろう。気にしてもまた術中に迷い込むだけというものである。
彼女にゃ勝てないと考えた方が賢そうだな。
「えーっと、ニューキビダンゴフレンドである皆様ご存知一度この繰り返される四日間といった異常事態を作り上げた張本人だと疑われて、調べ上げられた末に襲われた経験がお有りの霧ヶ音騎式くんで〜す! 拍手‼︎」
ん? 「ちょっと待て……ください」
今聞き逃すにはあまりにもあまりな、驚きの新事実が解禁されたぞ。
「なんだい、霧ヶ音くん? ふふ、過ぎたことじゃないか。どうでもいいじゃないか。器、小さいんじゃぁございませんか?」
器、ですかい。
そんなものボクが、「知ったこっちゃないですね」
自身以上に自分の事を理解できていない存在はいない、というのはボクの短い人生の中で編み出した自説ではあるけれど、自画自賛になってしまいはするものの当たらずも遠からず、信憑性自体は高いと自負している。
まあ、いいか。
「ちなみに最も率先して行動していたのは志雄生ちゃんです」
なんてこったい……いや、まあそういうのもありか。
『過ぎた事じゃないか』と由比ヶ浜が言った通り、過去、それも既に切除されて存在しない過去の話である。そのボクが今のボクでないことは周知の事実であるので、ボクならざるボクがどうなろうと、どんな悲惨な道を辿ろうが、ボクには一切として関係のない話である。関係がないのだから、どうでもいい。
心を落ち着かせることに成功し、高みへと登ったボクを見て悔しそうにゴミでも見るような目で睨んでくる、本当にこいつが部長なのか本格的に疑わしくなってきた由比ヶ浜優希にピントを合わせて、心の中で口角を釣り上げた般若のような悪い笑みを浮かべることにより追撃を試みる。
その後でボクは「よろしくお願いします」と一言告げて、上げた腰を下ろすのであった。他の部員方は申し訳なさそうに目を逸らしてはいるものの、鴉井校長先生の「済まなかった。私達の勘違いで……」という謝罪を皮切りに、各々各自に謝罪を開始した。先も語った通り、別にこれと言って怒っているという訳ではなく、ただむずむずするだけであるため「構いません。それがあなた方の仕事なのですから」と返す事にした。
「ちなみにですが、皆様がそんな顔で謝るって……一体ボクの身に何が起こったんですか?」
気になったから、訊いてみた。
それを受けた部長殿はボクに「知らなくていい事は知るべきではない」という単純明快な常識を再度刻み込む。そんな言葉では逆に知的好奇心は刺激されるばかりだと思うのだが。
「そんなに知りたいのかぁ……欲しがりめ」
「勝ったんですから、欲しがってもいいでしょう。日本人なんですから」
「そっか……そうなの? まあいっか。んーっと、確か……まずは君の四日間を調べ上げたんだよね。そしたら四日間の中で行動のパターンが都度都度違うことがわかってさ、でも志雄生ちゃんは能力者の匂いはしないって言うんだ。んで『逆にアイツ怪しくね?』となる訳よ。この世界自体が六感能力による賜物だとしたら、その人自体の六感能力の匂いはかき消される訳じゃない? この時点でこの家で起こっていた事件のコトは知ってたから、尚更ね。んでもって次の段階として千年万年先輩に触らせて反応がなかったらシロってことにするという話に落ち着いてね、先輩が上手いこと捕縛したんだけど先輩の鳩尾と金的を同時に攻撃することで脱出。逃げて怪しさ爆上がりしたから、仕方がなく路地裏に追い込んでいって、その先でもう逃げられないように片脚を折っちゃったんだけどね、君ってばしつこくてさ、それでも逃げようとするのよ。だからやりたくなかったけどもう片方の脚も——」
「……そこまでするんですか…………?」
本格的にこんな部活に入りたくなくなってきたぞぅ。
なんだよ逃げないために脚を折るって。どこの弱小人斬りサークルの現代版だよ。ここは京都か? 三人一組で行動してる様子も多いし、何だこいつら。
「……普通にこんなことを?」
「んにゃ、普通はやらないよ? やる訳がないでしょう? 馬鹿なの? 死ぬの?」
黙れファッキン部長殿。
両脚折り魔が。
「人を殺すような奴——まあ、今回は疑いだけだったけどさ——それでも、犯人である可能性のある奴を相手にしてるんだよ? なら、手も気も抜けないでしょ? こっちだって死ぬかもしれないんだから」
「じゃあ、警察とかに頼ればいいじゃないですか」
ずっと思っていたことを、弾みでポロッとこぼしてしまった。ある程度の予想がついていたから口にしていなかった訳だが、いやはや、気が緩んでいるな。
「警察には頼れないよ」
ボクの疑問にそう受けたのは破魔生徒会長だった。
「それは何故にですか?」
「君はとても理解が早くて、彼女の《読心術》を体験しただけで納得してくれたけど、警察機関に六感を所有している人がいるかどうかもわからないままに相談に行っても、門前払いもいいところの対応をされるだけさ。『四日間が繰り返されているんです。その中で起こっている殺人事件などを解決してください』だなんて言って、誰が信じるよ? 起こってもいない事件なんだよ?」
やはりそうか。
リアリティの欠如した現実には、誰も目を向けないのは世の常である。
「それは、誰も信じませんね」
………………。
しかし、そう考えると悲しい話である。人知れず平穏を守って、誰にも感謝されない仕事を淡々とこなし続ける、だなんて。あるいは、それこそ、なのか。
「警察には頼れない。でもここは私達が生きている街なんだ」
「ボク達が生きている街……」
「だから、守りたいじゃないか。霧ヶ音くんは、違うのかい?」
街のことなんて、ボクには関係ない。というか、考えたことすらもなかった。思考の片鱗もこの街に対しては向かなかった。それはボクにとってあまりにも大きすぎるもので、この家もろくに守れないボクが発送するには、スケールの規模が違いすぎたからである。
でも、ボクは——。
「街は守りたい。でも、人間だからやっぱりそう簡単に死んじゃあいけないと思うんです。だから、慎重に慎重に慎重に、丁寧に丁寧に丁寧に行動しているんです。多少やり過ぎたとしても、お互いに死なないように」
……………………志雄生さん。
いや、まあ、確かにその通りではあるかも知れないけれども……。
「君は違うかも知れないけど、こうやって廻り続ける世界で価値観を失う人ってのは結構いるんだよ。だから、それを失わないために必ず心に留めておくのさ。人間であることを、ね。『人は、死んだらそこで終わり』なんだ。君にはそう見えないかもしれないし、私はそう見えないように振る舞っているけれど、これでも私達、これで大真面目なんだ」
そんなことを言う由比ヶ浜優希を見たボクは、恥ずかしながら、その姿に少しばかりの希望と憧れを抱いてしまったのであった。ボクのような存在には到底至ることの出来ない最果てにいる光に、憧れてしまったのだ。
目が焼ける。
身を焦す。
イカロスの二の舞だ。
ありもしない夢物語に逃避して、現実から目を背ける愚か者にはただ純粋な何の揺らぎも矛盾もない失望だけが残るものである。そんなわかり切った泥沼に片足を突っ込んでしまった愚者にしかなれないボクは、まるで光に集まる蛾のように、自らの考えに変革をもたらす他に起こせる行動はありはしないのであった。
「……で、作戦会議と言うのは一体?」
ああ、全く——クソ召し上がれ部長殿。ボクはこれからあなたの後をついて行きますよ。これでも不誠実な男でしてね、二人の女性の後ろを着いて行くことだって偶にはあるというものなんです。そりゃ、仕方ないってやつでしょう。
憧れというものは残酷だ。
しかし、血に濡れたものというのはどうしてこんなにも美しく見えるのだろうか。
「………うん、わかった。じゃあ、今回の作戦会議を開始するよ。
「まず、今回の作戦からは霧ヶ音くんが参加する事を念頭に置いておいて欲しい。《千里眼》という監視者の目があるだけで作戦の難易度はどっと下がるけれど、同時に慢心の心が生まれるもの。気をつけていこう!」
スッとキャラクターの変わった部長に驚きはしたけれど、同時にこういう人こそが人々を惹きつけるのだろうと得心する気持ちが発生するのであった。真面目であるというのは、どうやらその場を取り繕う嘘でもわかり辛いギャグでもなく、心の底からの真言であったのだろう。
真言は苦手だ。
ボクみたくのらりくらりとあらゆることから逃げて生きてきた人間にとっては、避けようのない直球のボールはデッドボールとしてこの身に受ける他ないのだ。ああ、いや、これも憧れ故の不慮の事故なのかも知れないな。
「では今回の標的から。今回の標的は『佐藤もこも』さんという女性だよ」
そう言うと共に、卓上に一枚の写真を提示される。隠し撮りしたような斜角からの写真ではあるものの、顔はしっかりと写っている。何というか、言っては悪いが納豆のパッケージでお馴染みおかめのような……いや、古風な印象を受ける顔の女性である。
「彼女の六感は未だ不明のままだけど、志雄生ちゃんが言うには匂いが強くないから大規模な被害を発生させるタイプの能力じゃないと予想されているよ。まあ結果的に、という可能性は常に念頭に入れておいてね」
写真に写っている女性は、お世辞にも美しいとも可愛らしいとも言えないような少し強面なそばかすが散った顔の二十代前半と言ったところであろうか。予想してみたものの別にそれがどうしたと言った感じだが、敵を知るにはまず見た目から、ということで……いやおかめだな。
「じゃあ今回の役割分担から。
「実働部隊は私と千年万年先輩の二人で、その後ろで万が一に備える部隊には破魔先輩と日向先生に着いてもらうことにしたよ。そして今までは志雄生ちゃん一人に行ってもらっていた電話での司令官及び情報整理役には霧ヶ音くんを追加させてもらいました。まあ、いつも通りに鴉井校長は不参加という事で——まあ、そんなところかな。
「何か質問ある人?」
そうして〆た由比ヶ浜部長に対して、ボクは挙手をして質問の体勢を取る。他の部員の様子から見てこの布陣が当たり前の様子だが、初めてのボクからしたら何が何だか。
「はい、霧ヶ音くん」
「電話での司令及び情報整理とは一体何をやるのでしょうか?」
「ん。それはだね、私達実働隊は基本的には耳に着けるイヤホンのような携帯電話に接続して使用する機械を使って、常に司令部隊と連絡を取っておくんだ。そして司令部隊は実働部隊及び後方待機部隊の全員に対して常に連絡を取っている状況にあって、必要な情報は全員に伝え、不必要な情報は規制して混乱を防いだりする役割を担っているんだよ。まあ霧ヶ音くんには主に六感能力に疑いのある人物を志雄生ちゃんや私と一緒に探したり、作戦中に標的の行動を俯瞰的に観察してもらうといったことにその眼を役立てて頂こうと考えているのよん。休憩は自分で体調を診て行ってね」
成る程。
どうやらここ六感特殊課外活動部は、ボクの想像の数十倍はしっかりとした部活動を行なっているようである。中学校の美術部くらいちゃらんぽらんな組織だと思っていたら、違った。
しかし、気になることはまだある。
「続け様に質問してもいいでしょうか?」
「構わないよ。言ってごらん」
「六感保有者と接触したとして、その六感を摘出しようとしたら千年万年先輩が保有者の身体に直接触れていないといけないんですよね? それって、怪しまれませんかね?」
千年万年先輩の《六感殺し》とでも呼ぶべき「六感保有者から六感能力を消し去る」能力の発動条件は対象の肉体に直接触れること。六感実験の際に、由比ヶ浜部長が教えてくれたことだ。しかし、そんなことをしていたら、怪しまれそうなものであるが……。
「その点は裏路地に連れて行ったり追い込んだりするのが常套手段だけど、無理そうな場合は日向先生に出てもらって、それでもどうしても無理な場合には破魔先輩に強固な外界と内界を遮断する結界を作ってもらって、その中で行うっていう強行手段に出る感じかなぁ」
「裏路地に連れて行くって、それはそれで怪しまれそうなものですがね」
「それでも、相手さんの六感が一見してわかるような能力だったり物理的な破壊力のある能力じゃあ、このことが世間にバレてしまうだろう? それはあんまり好ましくないんじゃないかなって、思うんだけど」
他人は信用せず、自らも信用せず。
社会なんてものは上っ面だけはいいものであり、表があるものには必ず裏が存在している、という奴だろう。あまり深くは踏み込みたくないのでここまでで踏み止まっておくことにするが、いつか、その真実を知る時がボクにも来るのかも知れない。
極力、謎は謎のままがいいんだけどね。
まあ、結局は変なことをしている集団がいるってんで警察が来るかもしれない。応援を呼ばれるかもしれない。包囲されるかもしれない。って恐怖なのだと、由比ヶ浜部長はこの作戦会議後に携帯電話の通信サービスで軽く語ってきた。もしもその周でこの四日間のループが終わったら、汚名が残ることになるという不安というか……いや、警察と絡みたくないってのは当然の話か。
「じゃあ、他に質問がある人は?」
再度由比ヶ浜部長がそう皆に訊いたけれど、しかし、今度は誰一人として挙手をする者はいなかった。皆慣れたものなのだろう。彼、彼女らがこれまでどれほどの六感保有者と密かに戦ってきたか何でことは知らないし、どれほどの事件を事前に解決してきたのかなんてものも残念ながら、一般人でしかなかったボクが知るところではないのだけれど、きっと、知らず知らずの間にボクも彼女らに救われていることが何度もあったのだろう。
「それじゃあ今回も皆の安全と安心を願って——」
握った右手を突き出して、唐突に始まった謎の儀式。部長殿だけではなく、他の部員全員が行なっているその謎の行為に、ボクのガラス細工の豆腐な精神は、圧倒的なまでの強制力に引っ張られてしまい意味のわからないままに自然と部長達と同様のポーズをとることにした。
まあ、全く何をやるのかわからないという訳ではないので、あまり好きではないけれど付き合うともさ。郷に入っては郷に従え、と言うやつである。ボクの家だけどな。ここ、ボクの家だけどな。
「——今周こそ、この繰り返す四日間を切り抜けるぞッ‼︎」
「「「「「おー‼︎」」」」」
そのたったひとつの目標に向かって、この場にいる全員の心は天高く突き上げられたこの拳に誓ってひとつになるのであった。
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