背水、陣敷かずして
——そこに契りは交わされた。
そんな色々ありすぎて気疲れというか単純な精神の疲弊率が高めに記録された日の夕方の話である。夕方と言っても冬の夜は早く、最早夜の形相をしていたが時間的に夕方な気がするのでここでは夕方と表記しようと思う。
ボクは何のことはなく夕飯を調理しつつ、どうしたものかの対応思考の実験結果として思い至ってしまった最悪のプランを実行に移そうと情報をまとめることにしたのであった。
契約通り、由比ヶ浜優希と言うらしい彼の部長からは、大変貴重な情報を流していただいた。情報というものは最悪の場合親族を売ってでも手に入れるべきであるほどに貴重なものであり、それをこれからの労働程度で手に入れられたのは幸いであったと思う。更に、あの部活のお人好しはそれだけにとどまることはなく、鴎を救うためのプランを思考し始めていたボクに対して、彼女達はボクは既に立派な六感課外活動部員なのだから、部活を動かして鴎を救けに向かっても構わないと言ってくれたのだ。だがしかし、それは丁重にお断りさせていただいた。これはあくまでもボクらの家の問題であり、ボクの家の物語なのである。それに何よりも、その時既に最悪として切除に、思考することすらもはばかっていたボクが立てた現状最有力候補として挙げられているプランニングは、とても、あんな純粋高潔な人間に耐えられるような、甘いものではなかったのだ。甘い苦いというよりは、賢いやり方ではないと言ってしまうべきだろうか。
ボクは鴎のためなのであれば、血で血を洗うことだって許容しよう。
いくつもの尊き命を、貴き才能を屠ってきた殺人鬼に対する——六感殺し——これからも続き続けるであろう四日間の中で完璧にその存在を殺しきる方法を。悪を断罪し得る、悪辣の刃を。
とても人の所業とは思えないような、ただの復讐の方法を。
そんなものに、彼女達は巻き込めない。
この話は、その時になってから話すとしよう。
いいや。こんな話、何が相手だとしても話すべきではないのだろう。墓場の底の底、冥界まで持って行くとしよう。まあ、毎度恒例ではあるため予想のついている賢い読み手もいるだろうが、ボクのプランニングはボク自身が言っているよりも簡単なものであり、単純なものであり、簡潔なものであった。
まあ何はともあれもう一度くらいは思考してみようではないか、今思いついているコレはあくまでも最終的なプランであることに変わりはないのだから。与えられた情報をまとめ、見聞きした景色に合わせ、状況を作り出し、対応策を思考する——そんなことができれば最高だったのだが、至極残念なことにボクと言う人間はどこまで行ってもただの人であり、限界ギリギリ死線の上になど立てる逸材ではなかったのだ。鴎のように死線の上に立てるだけの度量と技術、才覚に恵まれていればよかったのだけれども……まあ、与えられたものでやりくりするのも人間か。
シンキングタイムスタート。
二月三十日水曜日午前十時。その時間には、既に鴎は死亡していたそうだ。となると、ボクが家を出る午前七時半から午前十時にかけての二時間半の間に鴎は惨殺されてしまっているのだろう。情報提供の際に精査したところ、血が既に乾き始めていたそうだ。ボクはそちらの方面に対する知識は特別持ち合わせてはいないけれど、血が乾き始めていたということはそれ相応の時間が経過したと考えるのが当然である。すると、最低でも締めを午前十時ではなく三十分前倒しすることが可能ではないだろうか。
七時半から九時半の間の二時間。
時間帯は常にその間であり、それはきっと犯人の精神的な不具合、あるいはルーティーンなどの類だと推測される。推測するだけで、断定なんてしない。曖昧であるし、犯人の考えなんて読めたと思いたくない。あんな、人を殺して平気な異常者の思考なんてわかってたまるかという話である。
以前、この時間に対応しようと六感課外活動部が動いたことがあったそうだが、誰も犯人の姿を見ることなく永倉鴎は殺害されたそうだ。しかしそれは【透明化】などのチャチな能力によるものではないらしい。そういった小手先だけの能力であったならば、破魔生徒会長殿の能力に引っ掛からない訳がない、と断言されてしまった。
そして当然、犯人は六感保有者と見て間違いないそうだ。そりゃ、あの集団の誰にも見られることなく暗殺をやってのけたのならば六感保有者となるのだろう。神楽姉という信用に足る人物が参加している上に、あのような証拠を見せられてしまったために信じると言ったが、しかし六感能力ねぇ……ファンタジーやメルヘンの類いが現実に在るとは、未だに信じたくないものだ。
どのような六感能力が考えられるのか、百パーセント仮定で構わないと前置きした上で質問してみたところ、考えられるのは【時間を止める能力】や【無数の多次元に行く能力】と言った知覚されずに懐に潜り込む(変装や透明化などの「確かにそこに存在しているという事実すらも、手繰り寄せることができないような類い」の)ことが実現可能な六感。考え得るのは、そんな途方もないモノらしい。プロの見解なので鵜呑みにするのが一番なのだろう。この場合、凡人の考えなど人の文明が栄えることの次に無意味なことなんだから。
今は流儀やプライド如きに構っていられる余裕などない。
基本的な殺人方法は刺殺であり、凶器は推理と異なり刃物全般であるらしい。刃物全般であるのだから、その中には当然包丁も入っているためにボクの駄推理もあながち間違えではないとも言えるだろうか——包丁というものの危険性は、嫌というほど知っているつもりであったが、実際にそれが凶器になった現場というものをこの眼で目撃してしまうと、こう、包丁を使う気になれないものだ。突然、今まで使っていたはずの物が、そういう、生き物を傷つける類いの道具に見えてきてしまう。銃や爆弾と変わらない兵器のひとつに思えてしまう。
まあ、そんな感情には流されることなく——あるいはそういえばそうだとたった今気付いたボクは、現在、キッチンにて絶賛魚を捌いている途中だけれども。ボクほどの玄人キッチン戦士は、その程度の認識誤差で折るわけにはいかないという後付けでもすれば、少しはそれらしくなるだろうか。まあ、腹を空かせた女の子が待っているなんてのも良いか。
「………………」
そうだよ
「なぁ、鴎。お前は、もしもその歳で死ぬことになったらさ、後悔とかってあるのか? その歳でっていうか、今とか明日とか明後日とかに死ぬとしたらさ、やっぱ『あれやっとけば』とか『これしたかった』って思う?」
一応、本人の意志を聞いてみた。
もしもここで後悔はないと言われてしまったら、ボクはその意志を尊重しなければならないだろう。その場合、ボクには鴎を救う資格が欠片も残されはしまい。鴎の意志だけであれば耳を塞ぎ目を瞑り、その考えから目を背けて自分勝手に救うなんて選択肢もありはするのだけれど、ボクは、誰か——鴎よりも大切な人——から託された基本理念である、人間の最低条件「人は未来に淡い期待を抱かなければならない」、という項目に当てはまらなくなってしまう。そうすると、ボクは鴎を救えない。救うことができない。救ってはならない。
つい数秒前まで「今は流儀やプライド如きに構っていられる余裕などない」と言っていた奴が何をほざく、と驚かれること間違いなしだが、こればっかりは性分なのだ。流儀やプライドではないので、仕方がないってヤツだろう。
そんな結局は鴎の返答次第なボクの質問に対して、
「んー? そうだねぇ」
なんて深く考えているのかどうかイマイチわかりづらい声を発し、素材集めの周回をしつつ考えるフリをする鴎。
声からして、ハナから答えは出ているというのに再三の思考を重ね、それが確かに自分の総意であるのか決を取っている様子ある。
「勿論、後悔はあるだろうね。やり直したいとも望むでしょ……でも、最後の最後にはさ、きっと、『仕方ないのかな』って思うかもしれない。思っちゃうかもしれない。諦めなければ苦しいだけだから、最後には自分の意志なんて捨てて諦めちゃうと思うかなー」まるで何でもなさそうに、ゲームから目を離すこともなく鴎は言う。「だって、それが一番賢い生き方じゃない?」
料理をする手が止まる。
軽く目を瞑り、顎を引き、深い呼吸を複数回行う。
「……そう」
答えは得た。
「うん。そうだよね」
鴎は、『殺されたら、後悔はある』と答えた。ならばボクは、ボク自身の誠に従い鴎を救う絡繰となろうではないか。
最後の最後に諦める、なんて、そんな悲劇的な最後は鴎にゃ似合わない。そんな下らない喜劇というものは、ボクみたいな誰からも捨てられるようなしょうもない人生を生きてきた奴にこそ似合うものなのだから。配役は奪わせない。鴎には満天の星空か、虹のかかった青空が似合うのだから。
救いはなく、希望もない。
そんな現実は、少なくとも鴎は望んでいなかった。ボクも、鴎のそんな結末をもう二度と見たくはないし見る気なんて粉微塵の一粒すらも存在しない。確実に今回で終わらせる。すり潰してやるとも。
部長様は『この街は繰り返している』と言っていた。『六感保有者は四日前の肉体に戻るが、記憶は受け継がれる』とも。
ならば、きっと成功するはずである。
相手がどのようなモノであるのか、想像なんてしようもないけれど、それでも、何度だって立ち向かい殺し嬲り計り謀り陥れ崩し磨き抉り炙り刻み込んんでやろうではないか——二度と鴎に手を出さないように、と。
「鴎」意味はないけれど伝えておこうと、ボクは彼女の名前を呼ぶ。「ボクはいつでも、何が起こったとしても、世界がどんな形になったとしても、鴎の味方でいるからね」
所詮只人の戯言だった。
所詮夢物語の偽言だった。
しかし、そんな価値のない言葉に鴎は目を輝かせて頷いて、ボクに言うのである。
「ありがとう、騎式。でも無理はしないでね。騎式はいつも、私を救けてくれているからさ。中学校の時だって、騎式が救けてくれたから、私の自殺しようだなんて考えを捨てられたんだからさ!」
「……そうなんだ」
自殺しようだなんて、考えてしまっていたのか。
自殺なんてものは、ボクが考える中ではあるものの、最悪の死亡方法である。自らを殺すだなんて、そんなことをした奴は人間ではない——そして、そんな状況を作り上げた周囲の人間も、無差別に、平等に、皆まとめて人間ではない。人間であっていいはずがないと思っている。人間と定義するには、あまりにも難しいものがある、と。
命というものの大切さは、悲しきかな幼少より叩き込まれている。ペットを飼うまでもなく、身に染みて教えられてきた。
命というものは殺せばなくなるのだという事実を、ボクは知ってしまっている。
不服なわけではなく、なんなら光栄なものだが、しかし、それでいて知りたくなかった。理解していたくなかった。だなんて考えるボクも、この内には少しばかり存在している。
戯言……あるいは偽言である。
「騎式」ゲームに吸い付いていた顔を上げ、あいつはボクの名前を呼ぶ。「騎式が何をやって、どうやって生きて、どんな結末を迎えるんだとしても、私は騎式の味方だからね」
嬉しいことを言ってくれると思った。
しかし同時に、悲しい現実だとも思った。
まあ、そんなものはどうでもいいことだった。
そんなこと、どうでもいい現実なのだ。
その非情さは既に知っていた。
その不条理は既にわからされていた。
嬉しいものは嬉しいのだ。
それならそれで良いではないか。
「ありがとう、鴎。心強いよ」
決心はより強固なものとなり、
覚悟は遠い昔に決まっていた。
正義の味方なんて夢は見るけど、叶わぬ夢だとわかっている。ボクなんかが成れるようなものではなく、一度選択を間違えてしまったボクには未来永劫敵わない、儚い果ての夢幻である。
だからボクは正義を名乗らない。
なぜならボクは正義ではないのだから。
なぜならボクには正義なんて存在しないのだから。
「鴎——」
正義ではないし、悪でもない。
善でなければ、悪でもない。
秩序は嫌うが、混沌も怨む。
神を否定し、人を信じず。
自分を信じず、他人を信じぬ。
「——ボクは——」
ああ、そうだ。
ボクは、鴎だけの——
「——君だけの————」
*
ああ、そうだ。完全に忘れていた。
危ない危ない、洒落にならない。
ボクはポケットから携帯電話を取り出して、追加されてしまった由比ヶ浜部長のケータイに連絡をいれる。最近の女子高生というものは、知り合ってすぐの得体の知れない奴にすぐに携帯電話の番号を預けるのか、と時代の流れを憂いながらコールを待っていると、思いの外早く、三コール目に由比ヶ浜さんは出た。
『はいもしもし由比ヶ浜ですが?』
「もしもし。霧ヶ音です」
『ん? あーあーあー、どうしたんだい霧ヶ音くんよ。まさか鴎さん救出に、やはり私の力が借りたいと? しょ〜がないにゃぁ〜』
「まあ、あながち間違いでもないです。兎にも角にも質問なのですが、生徒会長の結界というものは、生徒会長が付近にいなければいけないなどの制約はあるのでしょうか? 近くにいなければならないや、触れていなければならないなどのそういった制約は」
『生徒会長の? あーっと……別になかったと思うけど、離れれば離れるほど性能は下がるよ? 性能というか、単純に外的損傷からの耐性が下がって脆くなったりだとか色々と劣化していく感じィよ』
「……なるほど。では、生徒会長のご自宅を訊いてもよろしいでしょうか?」
『ん? まあ、何をやろうと思ってるのか知らないけれど、それは永倉さん救出に必要なことなんだろう? ならば手を貸すとも! 個人情報だから詳しくは言えないけれど、構わないだろう? うんうん、構わないなら良いとも。破魔先輩の自宅は、学校から徒歩十分圏内だね。位置的には学校から君の家の方面に十分歩いた辺りかな』
「では、生徒会長に今から来てもらい、結界を張ってもらうことは可能ですか?」
『さぁ? そりゃ、私の事情があるように破魔先輩にも事情があるだろうから可能かどうかなんて知らないけれど……まあ、いいよん! 取り敢えず訊いて見るねー! 答え貰ったらまた連絡するわぁ』
「お願いします——」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます