六感課外活動部・後半

 光あるところに影は映え、

 プラスが存在しているのならばそこには必ず必然的にマイナスが存在する。

 それはどのような時間、場所、状況でもある変わることのない絶対普遍のルールであり縛りであり、何よりも制約であった。その不自由が人間を人間たらしめており、その不自由が緩まると緩まるにつれて人として失格していくものだ。欠陥品として成立していってしまうというものなのだ。

 つまり、不可能を可能にする——言い換えれば不自由を自由へと誘うこの《六感》という力は、人という存在を座から引きずり下ろす圧倒的なまでに無慈悲なプラスなのである。人を人ならざるものへと昇華する力だなんて——酷い話だとは思わないだろうか?

 しかし、それでもやはりボクらは人間なのだ。どうしようもないくらいに人間で、人間でしかないのだ。

 ボクも部長を名乗る彼女も志雄生さんも部長の後ろに立つ大柄な男の先輩も先程までこの部屋にいた全ての人間も——皆まとめて根こそぎどうしようもなく人間だ。性懲りもなく、懲りることもなく、何でそうなのかなんてことは知らないけれど、それでも、ボクらは結局のところ人間なのだ。

 詰まるところ何を言いたいのかというと、人すらも超えるかもしれない《六感》というプラスを持つことになってしまったボクらは、その力を手に入れると時を同じくしてプラスマイナスを「0」に引き戻す多大なマイナスすらもこの身に受けているのだ。モノに対する貨幣の支払いのように、異常に対する欠点という対価。等価交換。世界は常にバランスを求めているのだ。世界がこんなものを、求めてもいないのに一方的に与えたというのに、だ。

 理不尽だ。

 ああ理不尽だ。

 理不尽か。

 まあ、そんなことはどうでもいいのだ。

「じゃあ、実験の前にもう一度確認をしようか」

 その一言で上の空だったボクの意識は引き戻される。

 場所は六感課外活動部部室。

 六人近くこの場にいたはずなのに、皆それぞれの用事で出払ってしまい、今ではボクを含めて三人に数を減らしていた。この独特な寂しい空間は、嫌いではない。

 三人。

 ボクと部長を名乗る彼女とその背後に立つ大柄な男子生徒の三人。

 志雄生さんはというと、何やらボクの第六感の実験の準備があるらしく別室へ移動して行ってしまった。ボクを推薦してこんな面倒な事態に巻き込んだという神楽姉はボクに構っている間手が動かせなくなる部長方の仕事の処理を行うのだとか。こうも知り合いの少ないと少し寂しさがあるが、同時に誰も自分を知らない空気感は好ましい。まあ、この空間において相手を知らないのはボクだけであり、他二人はボクのことを認知しているらしいのだが。

「君のその眼の副作用は、聞いた限りじゃ『発動後に立ちくらみがする』という即死級のものではないと思われているんだけどね、一応ってやつだね。無理無茶無謀は無価値の極みだしね! 人類の一歩はトライから成るものなのは世の常さ」

 無理無茶無謀は無価値の極み、か。

 なるほど。彼女はそういう考え方をする人なんだな。個々の能力を認識し、適切な指示を下そうとする。そういう人は、実際にその行為ができなくとも嫌いではない。嫌いではないけれど、別段好きでもない。自分が成れなかったものを見ると、諦めていたはずなのに、ボクの中に憎悪の炎がチラつくから——そんなボクをやるせない気持ちは、こんなボクだからこそ他人に向けてしまう。

 最悪な人間なのだ。

 最悪な害悪なのだ。

「もしも能力を行使し続けた結果君が今回亡くなってしまったら、この千年万年先輩の六感能力で君の遺体から六感能力を消させてもらうから、そこんところはご了承を。でも安心して、君が果たせなかったカモメチャンの救出は、私達が全力を持って行い、今後そんなことが起こらないように最善を尽くすことを約束するから……さ!」

「そうですか。では、お願いします」

「うん、頼まれたよ」

 鴎が助かるのなら何でもいいのだ。

 人間には変えることのできない価値が元々決められていて、ボクみたいな何もできないゴミ崩れと万人に必要とされ、世界すら導けるであろう鴎とでは何を比べたところで鴎を救った方が得がある。所詮この世は損得勘定なのだから、それに従うまでだろう。ルールは守らなければならない。価値あるものを活かし価値無きものは捨て去り忘れ去る……世の常だ。

 効率的に行こう、ボクよ。

 機械的に、感情的にならず、イメージするのはただの機構。

「まず、何から見ればいいんですか?」

 コツは何となくだが掴めているので、そう難しいお題でなければこの眼で見渡すこともできるだろう。要はイメージと欲求だ。

「じゃあ、取り敢えずは使用中の状態を確認したいから志雄生ちゃんを眺めてみて。見えたら何かしらの合図を送って」

「わかりました」

 ボクはそう受けてから、そっと目を閉じる。

 視界の情報処理が最小限になり、その空いた容量をフルに使い捨てて志雄生さんを思い浮かべる。できるだけ明確に、志雄生さんをイメージする。他人の顔を覚えるのは苦手とするところではあるが、不思議と見覚えのあるあの顔であれば何とかイメージ付くだろう。

 艶やかであでやかな、腰にまで届きそうなスッと長い黒髪。女性の中でも特に色素の薄い白い肌は鈴蘭の花を思わせ、その黒曜石のような瞳に何が映っているのか、どう映っているのかなんて、ボクのような人間では知る由もない。

 そっと——

 ——ただ瞼を持ち上げる。

 別の部屋にいるはずの志雄生さんが視界の内に映り出され、その現状自体が【千里眼】と名付けられた第六感の発動を自覚させる。そうなってしまっては件の「夜の砂漠」というものが寝ぼけていたのではなく、正真正銘本物の砂漠であったということになるのだが……あれが本物のアラビアンナイトか。夢と現実の違いというものは時として優しいものなのだと初めて思った。

 だからどうしたという話である。

 つまりどうでもいいことなのだ。

「あー、テステス。どっちか、あるいはどちらとも、聞こえているかい? 聞こえているのなら返事よろ」

 ささやくような、部長を名乗る彼女の声。

「聞こえますよ」

 ボクは彼女の声にそう受ける。

「成程。【千里眼】発動状態でも外部からの声は聞こえるのね。よしよしよし、じゃあ霧ヶ音くん、今君には一体誰の声が聞こえているんだい?」

 ?

 どういうことだろうか?

 一体全体……「誰の声」とは? 謎々か何かだろうか?

 どういう意味の質問なのか真意を掴むことは敵わなかったので、何の捻くれもなく「由比ヶ浜さんの声です」と面白味も何もないごく当たり前な回答をする。

「ふむふむふむ。質問の意味がわからかいとでも言いたげなニュアンスを受けたから一応説明しておくとだね、私と志雄生ちゃんの二人でそれぞれ同じ原稿を読んで、君の六感が眼だけに作用しているものなのかを調べたんだよ」

 六感の概要が見れる六感とかあったらいいんだけどね、だなんて都合の良い夢を語る部長。

 しかし、成程。理解した。

 今のところ望んだものを見る以外の能力が不明である【千里眼】なので、視認先の声が拾えるのではないかという仮説を立て、検証してみたのであろう。その可能性は、考えたこともなかった。

「ん。体調とか大丈夫そうかな? まだいけるかい?」

「体調にこれといった問題ありません。次の実験に移りましょう」

 視界は安定しているし、気分も悪くはない。

 あくまで考察の範疇を出ないのだが、千里眼のリバウンドはこの六感を解除した時にくるのではないだろうか。前例が三度もあるのである程度確かだと思いたい。寝起きで砂漠を見た時も砂漠が見えなくなった後に目眩に襲われ、部室で砂漠を見た時も鴎を見た時も、発動を切った時に反動がやって来ているからだ。

 長時間使用による反動まではわからないが、今回はそれも込みの実験であることは部長から説明されている。どうなるのか、少しばかり楽しみだったりする。

「よし! それじゃあ、視界とかって動かせそうかい? 目線を動かすだけでも、色々試してみて」

 色々試してみて、と言われても。

 まず、どうやって視界を動かせばいいのかがわからない。千里眼発動中のこちらの視界の感覚としては、視界全体に巨大で完成された絵画が展開されているような感覚なのである。つまり、四方にはある一定の決められた限界が存在しており、視界を動かそうにも目線を動かそうにも「何も無い」というものは人間には視認することが敵わないことだ。

 千里眼発動中に動き回るというのは歩きスマホと同じかそれ以上の危険性をその内にはらんでいるものであるし、これは不可能なのではないだろうか?

「そうかい、それは残念。ふぅむ、なんとも便不便のバランスが不便に傾いている第六感なんだね、君のは」

 そちらさんだって、不便利性の塊みたいな爆弾を抱えているじゃあないですか。人の心の中で抱えているキモチなんて、知るべきじゃないでしょう。ワルイですしね。

「……そうだね」ボクの返しに彼女は声音も変わることはなかったものの、しかし、彼女は言葉は気持ちを失っているようであった。「……君、嫌なヤツだね」

「いえいえ、人が確実に断れないような取り引きを持ちかけてくるあなたよりは、こんなんでも幾分かはマシというものでしょう……なんて。すみません冗談が過ぎました」

 よくわからないながらに縁が結ばれてしまった部長を名乗る彼女だが、一応取り入っておこうとコミュニケーションを試みてみたのだが、呆気なく失敗に終わり、なんなら嫌悪で剣呑な雰囲気になってしまった。知っていたが、人間関係を築くのは不得手である。千年万年先輩というらしい今のところ一言も声を発していない巨漢の彼がいるであろう方向から微かに殺気を感じるが、嫌悪な雰囲気も剣呑な雰囲気も両方揃えてまた一興というものだろう。

 死ぬも生きるも八十八夜、千夜に届かぬ只人なり——ってね。

 言ってみただけの戯言でしかないのだろうが、ヘラヘラと生きる大切さというものもあるだろう。正直漏らしそうなくらい怖いが、ふんぞり返って余裕面見せておかねば後で面倒なキャラになりかねん。

「まあ、いいよ。実際そうなんだしねぇ。ん、じゃあ、次ね。その状態での視界変更は可能かい? 試しに私に視界を変えてみて」

 難しい注文であったが、今見ている志雄生さんのイメージを部長に置き換えれば良いのだろうか?

 イメージの変換など意識して行ったことがなかったため手間取ってしまったのものの、思いの外あっさりと視界の変更には成功した。日頃の男の子タイムが功を奏したとも言えるだろう。一回でイメージの変更を行おうとするのではなく、映像として視界を移動させるイメージを行うことによって視界の変更に成功したのである。同時に、先程動かせなかった視界の移動にも成功した。一石二鳥、飛ぶ鳥も落とす勢いでの成長である。才能、あるのかも?

「成功か、うんうん。ピースピース。どうだい? 映ってる〜?」

 満点の笑顔でダブルピースする部長。

 テレビカメラに映り込もうとしてくる人に対するカメラマンの気持ちとはこういうものなのだろうか、という複雑でもなければ何でもない、ただの鬱陶しさが心を濁す。これが男ならば殴っているところだ。ただし美女に限る、というヤツだ。なまじに顔が良いために憎らしい。

「じゃんじゃん行こうか。視界の変更が可能なら……存在しないものだとどうかな? ユニコーンとか。あ、男の子ならドラゴンか。よくエプロンとかに書かれているもんね」

 謎の煽りは横に流して……どうすれば良いのだろうか? ユニコーンなどどこ在住なのかもわからない。ドラゴンに関してはどのようなドラゴンをイメージするべきかわからないため、取り敢えず放置ということで。

 ユニコーン……軽くファンタジー色強めにイメージしてみたが、視界が変化するどころか今も尚部長の姿が映し出され続けている。これは無理なヤツなのではないだろうか。

「存在しないものは不可能……と。んー、了解了解。それじゃあ、戻って来ていいよ。大丈夫、倒れそうになったらちゃんと支えるからさ」

「……それは、本当に頼みますよ? 冗談抜きで」

 最悪、実際に倒れるかもしれない。

 こんなことならば今さっきちょっとした反抗意識から言い返さなければよかった。支えてもらえないんじゃないかという疑心がボクの心の中にチラリチラリと頭を出してきてしまう。無駄なことはするべきじゃないということですか。

 後悔。

 頭の中で無理理屈を構築し、自らの行いを正当化しながらも同時に『部長を見る』という思考を一片すら残さず消し去る。あるいは、単色に塗りつぶされた光景で思考を上塗りしたと言っても良いだろう。嫌な思い出を不意に思い出してしまった時のボクなりの対処法であったが、こんなところで役に立つとは……人生、何が役に立つかわからないものだ。

 そんな無駄な思考なんて後付けであり、実際のところは。

 フッと——

 ——蝋燭の火でも消したように、尾を引きながらもボクの視界は晴れてゆく。

 常にかけていた眼鏡を外した時のような、世界に対する違和感と視界の霞み。ただ一刹那もない平穏の後、ボクを襲ってきたのは隠し切れない気分の悪さと激痛。皮膚という皮膚、ボクという個の表面とも表現可能な部分全土に多種多様な蟲が這い回っているような不快感と気持ち悪さ気色悪さ。そして何よりも、自分という個が犯されているような——侵されているような——そんな言い表しようのない、感じてみなければ伝わらない恐怖。

 視界が真っ赤に染まりだしたのは音がなくなってすぐ後であり、音がなくなったのは徴収が始まってからおよそ○・四秒後のことだった。

     *

【千里眼】のルール

①対象のイメージがはっきりと思い浮かべられなければ能力は発動しない。

②イメージしたものがこの世に存在していなければ視認することはできない。

③ペナルティは能力終了後に発生する。

④ペナルティは能力行使時間によって変化する。行使時間が長引けば長引くほど強力な徴収が行われる。

⑤ペナルティは使用者本人のみが受け、他者に影響はない。

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