デザートは連絡先と共に
とは言え、やはりボクは彼女が知り合いではあるものの、交友があったわけではないと確信をもって言うことが出来た。知り合いというか、あちらが一方的にボクのことを知っており、こちらはどこか――例えば廊下などで彼女とすれ違った際に、何かしらのアクシデントが発生し、彼女の顔を見ることとなったなどの、微小な接点であったのだと思われる。その程度のことでは記憶に残らないとしても仕方ないことだろう。元々記憶力は弱いのだ。
何よりも、彼女の名前に聞き覚えがなかったのだ。
しかしそれよりも何よりも、彼女は何をするためにこんな十字ヶ丘のシベリアこと僻地学生食堂まで来られたのだろうか? この食堂は他の席が結構沢山大漁に空いているし、この態度と見た目からして明らかに見ず知らずの野郎に絡むような、うざったい陽気なタイプの人間ではないだろう。それに学食の前で手作りと思われる弁当を食すだなんて煽りとしか受け取れぬ行為を行うだなんて……。
やはり何かしらの罰ゲームでボクに会いに来たのだろうか?
そのような想像しか出来ないぞぅ。
まあ、どうでもいいか。騒がしいのは苦手だが、一人では寂しいとかで前に座ったなど、そんなところだろう。他人なのだし、静かにしてくれていればいいさ。丁度こちらも寂しくボッチ飯を行っていたところなのだ。ウィンウィン、というやつだ。
鳴りやまない静寂が、食堂内に響き渡る。
「えっと……そうだ、知っていますか? この街で最近、立て続けに殺人事件が起こっているんですよ。怖いですよね」
彼女は時計の音だけが響く無音に限りなく近い空間に耐え切れなくなったのか、そんな、何をどう思考しようと食事中にするべきではないであろう話題を提出してきた。彼女の倫理観は極度の緊張の末に決壊することとなってしまったのであろう。
「知っていますよ。しかも、被害者は全員女性という話じゃないですか。極めて変態性が高い事件ですよね」
一人目の被害者は、会社員の女性が裏路地でズタズタに引き裂かれていたらしい。一人目はただの殺人であり、ここまで捕まらないだなんて思っていなかったのでよく知らない。
二人目の被害者は、女子高校生が人通りの少ない石居坂で、やはりズタズタに引き裂かれていたそうだ。あそこの人通りの少なさは尋常ではなく、ボクも何度か通ることがあったが、あそこを通る際に人ひとりとして視認したことはないほどだ。
三人目の被害者は、街外れにある廃教会で発見されたそうだ。しかし妙なことに、三人目の被害者は吊るされていたとかなんとか……連続殺人として盛り上がりを見せてきたことで興味が一時的になくなっていたために、これもまたうろ覚えの知識だ。
四、五人目の被害者は、今朝のニュースでやっていたもので、後に詳しく見てみるとどうやら一軒家で母子共々殺されてしまっていたらしい。やはり前三件と同様にその体を直視に耐えないほどズタズタに切り裂かれていたそうなのだが、今回は子供を切り裂いた母親の体内へと押し入れるという異常性もあったらしい。こういうものには、きっと加害者の精神的な要因があるのだろうが、そんなものは知ったことではない。ボクは犯人ではないのだから。
「人を殺すのって、どんな感覚なんでしょうね。こんなに人を殺めるということに、何かしらの意味があるのでしょうか?」
あれだけでやめておけばよかったものを、反応してしまった故か話を発展させてゆく志雄生さん。
「人を殺すのは……まあ、最悪な気分なんじゃないですかね。でも、やってはいけないことだからこその高揚感とか、上手くいった時の達成感が癖にでもなってしまったんじゃないですか? もしくは――死んだ人間は自分よりも下位の存在に成り下がるから、それを楽しむとか……」
この猟奇殺人犯の考察を訊かれたのだと思い、自分なりに考えた殺人犯を語る。
ラーメンを食べ終えたので、とっておいたライスをスープに入れる。自分ではあまり感じていなかったのだが、どうやらぼくは他人より少し多く食事を摂取する人間らしく、ラーメンだけではバイト前に空腹に襲われてしまうのだ。
「…………えっと……」
困惑したように、少々小さめな声で声をかけてくる志雄生さん。
「ああ、すみません。スープ飛びましたか?」
「いえ、違います違います。……えっと、なんで言うんでしょうか。その……失礼だと自覚して言ってもいいでしょうか?」
「はい、別に構いませんよ」
「霧ヶ音さんは、人を殺した経験があるのですか?」
志雄生さんは、そんな突拍子もないことを口にした。
日本国でそのような行為の経験者はなかなかいないし、例えいたとしてもそんな奴がこんな場所で学業に励んでいるはずがないのだが、彼女は、そんな面白を口にした。彼女は、「人を殺した経験があるのか?」と、ボクに質問したのだ。人の生命を絶った経験があるのか、と、ボクに訊いてきたのだ。
「まさか」、と、馬鹿にするような口調で、ボクは志雄生さんに言う。「あくまでもボクの想像、空想、仮定の話で導き出し答えですよ。人を殺した人間が、こうのうのうと地方高の学食を食べている訳がないでしょう」
それが当たり前の解答であった。
当たり障りのない回答であると思った。
「そう……ですよね。すみません」
「いえ、別に。幼馴染に『死んだ魚の目なんて生温いものじゃなくて、騎式の目はまさしく死んだ人間の目って感じだよね!』、と言われる人間ですので。それに、そういう傷だのなんだのに慣れている節はありますから」
「……そうなんですか。えっと……中学校でヤンキーでもやってらっしゃったのですか?」
「ヤンキー……はやってないですね。どちらかと言うと、まあ、偽善の味方とでも言いますか……」
「偽善の味方……ですか?」
「ああ、いえ、悪です。ヤンキーよりも生温く、殺人犯よりも冷酷な。人類を滅ぼすのが人類愛であるのと同様に、です」
「………………へぇ」訳のわからないという顔を隠しもせず、何を言っているんだと言わんばかりの返事をする志雄生さん。確かにボクの言っていることなんて理解出来るものではないし、理解してほしい、理解してはいけないと思って話しているのでそれで良いのだけれども。大体、自分自身も何を言っているのかわからないものを理解されても困惑しか返すことは出来ないだろうさ。
「そちらはきっと優等生をやっていたのではないですか?」
「いえ、私は……その……いじめっ子で…………」
ああ、やっぱりか。
そんな雰囲気だもんな。
「は?」
素で聞き返してしまった。
いじめっ子だって? この子が? こんないじめてくださいと言っているかのような外装をまとった、トイレの個室に入っている時にホースで水かけられた経験のありそうな、机の上に花瓶を置かれた回数は数知れずという遍歴を視界に入れただけで共通認識として認識させられるような、そんないじめられっ子の風貌を完璧なまでに身にまとった彼女が――いじめっ子だって⁉︎
いや、聞き間違いだな。
「すみません。声が小さくて聞こえなかったのでもう一度お願いできますか?」
「あっ……はい! すみません。……えぇと……中学生時代は……その…………いじめっ子を……」
聞き間違いではなかった。
「……マジか」
思わず口からこぼれ落ちる。
人は見かけによらないと言うけれど、というかその言葉を今の今まで完全に理解しているつもりだったのだが、改めてその言葉の重みと信頼を実感する。才色兼備の鴎が引きこもりをやっていることで理解したつもりになっていたが、なるほど、こういう可能性も存在するのか。なんだかんだ言って一番恐ろしいのはどんな怪物や妖の類いよりも人間だ、という話は本当なのかも知れないな。こんな女子が裏からいじめを操っているだなんて、想像がつくはずがない。想像を絶しすぎている。女性の世界の怖さを実感する。
「今は愚かな過去だと足を洗い、ちゃんと従順な学生をやっています! だから逃げないでください!」
食事が終わったので教室に帰ろうと立ち上がり、まずは食器の返却のためにとトレーに掛けた両の手を、対面する形で座っている志雄生さんは飛びつくようにボクと正反対の手でそれぞれの手を上から押さえつけ、力を込めてトレーを机に戻させられた。思いのほか力が強かった……手、痛いな。
いやしかし、逃げることは叶わないらしい。
というか、まず本題を聞いていなかった。
「……えっと、すみません。今から意味のわからないことを言うかも知れません」
「焼きそばパンを買ってくればいいんですか?」
「違います……すみません。過去のことでいじめるのはやめてもらってもいいですか?」
過去、いじめっ子だったいじめられっ子の皮を被った彼女を過去のいじめっ子だったという歴史を利用していじるという、なかなかに面白いことを思いつき、同時に実行してみたのだがやめてくれと言われてしまった。やめろと言われ、相手が嫌がることであり、自分の過去の話で同じことをやられたら多分ブチ切れると思うボクなので、素直にやめることにする。やはり自分がやられて嫌なことは人にやってはいけないよな。彼女は自分に負い目を感じているため比較的大人しいが、ボクの場合は最悪手が出かねないので自重。弱い奴が相手に手を出したところで、負けるのがオチである。それが女子であったとしても。男女平等の名の元に、女子が弱いなんてことは認めない。
「……で、その馬鹿らしい話ってなんですか? 本題だと思われる馬鹿馬鹿しい話をどうぞ」
「えぇっとですね……最近、奇妙なことはありませんでしたか?」
「ありましたね。見知らぬ女子生徒に、学食を食べているにも関わらず目の前で弁当を食べられ、あまつさえ会話として殺人事件の話をさせられました」
「すみません……すみません……」
「あとは……そうですね。ああ、これは幼馴染の話なのですが、最近たまに視線を感じるとかなんとか」
「それは気をつけた方がいいんじゃないですか? そういうのって、割と事件に発展したりするものなんじゃないでしょうか。最近物騒ですし、気をつけてあげたら愛が芽生えるかも知れませんよ」
「嫌ってほど愛されているのでもう大丈夫です」
「それって誰の話ですか‼︎⁉︎」
突然声を大にして、バンッと両手で机を叩き、その勢いを利用しつつ立ち上がった志雄生さん。
勢いよく立ち上がったせいで、机に足をぶつけておる。痛そうであるが自業自得なのでかける言葉はない。強いていうのであれば、「ざまぁ」といったニュアンスのものになるが、流石にこちらが彼女の記憶を有していない以上、出会って間もない他人にそんなことは言えない。そのくらいの常識は持ち合わせているというものである。
それも、結構痛かったようで、椅子の上で膝を撫でる志雄生さんにそんなことは言えるわけがない。
「そ……それってどういうことですか?」
再度、先ほどと似たような質問を投げかけてくる。
質問が変わったのならば、返答は後者に合わせて変えるべきだろう。
「いじめられている……というかガキの低脳ではあいつのことを理解できずに、蚊帳の外に置かざるを得ないため孤立してしまっていたあいつに、こっちも孤立していたので話しかけてみたら妙に懐かれまして……」
「そりゃ、もう好きになるじゃないですか。なるしかないじゃないですか」
「そうですか? これって好きとか嫌いとかじゃなくて、それぞれ相手よりも自分の傷は浅いと思うために集まる、言ってしまえば傷を舐め合う者同士でしかないじゃないですかね」
「そういうものだったんですか?」
「そういうものでしたね」
あいつとボクの関係は、それぞれがそれぞれを比べ、そして自分はまだマシだと安心し合うために近くにいる。その程度の関係である。
一人では抱えきれない荷物であっても、相方がもっと多くの荷物を抱えていたら自分はまだマシだと考える。そんな程度の話なのだ。実際は荷物の重さは変わらないのに、上辺だけは相手の方が多く見えるから安心する。相手も、実際の荷物の重さは変わらないというのに、上部だけは相手の方が重そうに見えるから自分はまだマシなのだと思える。
「……あ、じゃなくてですね。えぇと……例えばですね。今まで嗅いだことのない不思議な匂いを嗅いだ、とか。周りの人の口は動いていないのに声が聞こえる、とか。自分の言うことをよく聞いてくれるようになった、とか。人の近くに文字が見える、とか」
「……いえ…………特には思い当たりませんかね」
「そうですか。ですが、変なことがあったらいつでも言ってくださいね!」
「なんでですか? 志雄生さんには関係のないことじゃないですか」
「それはそうですが……」
少し跳ね除け過ぎただろうか?
最近ロクに人と会話することがなく、あったとしても近所の人々かバイト先であり、後は鴎という何を言ったところでダメージを受けることはないであろうメンバーであるために、友人、もとい知人との会話でどの範囲までの言葉を使っていいものなのかに困リ果てた。対人の際、適度な距離というものがあるが、その物差しが歪みきってしまったボクには、人との関わりというものが兎に角苦手という一面が存在している。唯一の親友とでも表現すべき奴からは、『お前は普通に話したら愉快な奴だとは思う。だが、表情筋が仕事しないから基本怖い。冗談かどうかの判断をし辛いからな』、とのことだった。
「霧ヶ音くん。携帯電話って持っていますか?」
「まあ、ケータイくらいは」
「貸してください」
そう言って、手を差し出された。
どういうつもりなのかはわからなかったが、データのバックアップは鴎に頼んでやってあるし、怒っているのかはわからないが破壊されたところで携帯電話を電話として使うことはあまりないので困ることはない。取り敢えず、志雄生さんを不快な気持ちにさせた償い程度の軽い気持ちで、ボクは言われるがままにズボンの右ポケットに入れていた携帯電話を取り出して、志雄生さんに手渡した。
「……パスワードとかつけてないんですか…………」
「まあ、別にいらないかなと思いましてね。今日は用事があったから持ち歩いていますが、基本的に携帯電話は家に置きっぱなしですし、携帯電話を電話として使うことなんてそうないですから」
「携帯電話なのに携帯していないんですか。では何に使っているんですか?」
「基本はゲームですね。付き合いで始めたゲームだったんですけど、歴史の勉強になるからついついやっちゃいましてね」
「人は見かけによらないですね。ゲームとかやらないように見えました」
「あまりやらないってだけで、ゲーム自体は嫌いじゃないですからね。切っ掛けさえあれば、やりますよ。何事も挑戦と言いますからね」
「そうですね。やってみないとわからないことなんて、世界には山ほど転がっていますから」
何か、ボクの携帯が弄られている。
これが現役の女子高校生か、と感心せざるを得ないタイプの速さで何かを入力されていくが、入力音の微妙な差で何と入力されているか聞き分けられる耳を残念ながらボクは持っていないため、何をされているのか皆目見当もつかない。帰ってきたら初期化されていた、なんて話だったら少し愉快かも知れないが、そんなことをやるタイプではないだろう。そんな、波風立てるような愚行を行う人間ではないだろう。
どちらかと言うと、そう。旧文明で緩やかに腐っていくことを望むボクに近しい、そんな親近感がある。
迷惑千万だと理解してはいるものの、彼女という存在はそうあるべきだと自分に規定を記しているように感じられるのだから仕方がない。天然ではなく養殖。生簀を作り、自らを中で飼育する時代についていけない取り残し。
「これからも仲良くしましょうか」
何の気なしに、そう言ってみた。
「え? ……えと……はい。よろしく……お願いします?」
何か恥ずかしかったが、まあ、彼女はきっと進める人間だろう。
ボクは、少しでも彼女が前に進む手伝いができれば、それだけで満足だ。
「あ、ありがとうございました。ケータイ、お返しします」
一度志雄生さんの手に渡った携帯が、再びボクの手中へと帰ってくる。
一応動作確認のために携帯を開いてみると、そこには何ら変哲のないホーム画面が映し出されることとなった。変化は見られず、一体全体何が行われたのかわからず、恐怖からポケットしまうにしまえずにいると、志雄生さんは少し恥ずかしそうにしながらも初めて、はっきりとした声でボクに告げた。
「私への連絡手段を一通り、入れておきました」
「ああ、そういう」
なるほど、納得。
もしくは、役得。
「じゃあ、何かあったら連絡しようとは思います」
「よろしくお願いします」
「しかし、なぜそんなことを?」
「え⁉︎ えーっと……秘密でも、いいですか?」
口の前に人差し指二本でバツマークを作り、申し訳なさそうに志雄生さんは言う。
無性に腹が立つ行為ではあったが、ここは落ち着いて対応していくことにする。
「別に構いませんよ。何にしたって、ひとりで抱え込むよりも人と共有した方が楽になると言いますし」
ボクは言う。
至って適当に、どうせもう関わることはないと高を括って軽口にそんなことを言う。
志雄生与一。
彼女のケータイに、これから誰よりも連絡を入れることになり、同時に肩を並べることになるのだが、そんなこと、この時は全く予想していなかった。この頃のボクの中での彼女の扱いは、申し訳ないが記憶にないクラスメイトであり、それ以上でもそれ以下でもなかったからである。それが、まさか相棒と言うべきなのかどうかは知らないけれど、一番近くでチームを支える存在同士になるだなんて、予想してはいなかった。
予感らしいものも。
まるでしていなかった。
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