食前食後は考え事と共に
我が校の学生食堂――いわゆる学食は、その利便性の悪さに加え校内に存在する売店の存在から使用者が非常に少ない。少ないというか――一ヶ月にひとりいても珍しいほどだ。教員一同は使っているようであるが、生徒はまるで見かけない。
と言うのも、ここ十字ヶ丘高校の学食は教室棟とは一切接続していない独立した小屋であり、生徒用玄関の真反対に位置しているのだ。一度教室棟下駄箱にて上履きから靴に履き替え外に出る必要があるのだから、堕落主義の高校生達からすると、悲しきかな、まるで利用価値がないのだ。
そんなもの、誰も行かないだろう。
しかし、そんな誰も来ないことをプラスとして活用するような人間もいる。それは、大人数でわいわいと楽しそうに食事をすることを嫌う異端者――もしくはわざわざ学食へと来て美味しいわけでもない学食を好んで食べる異常者くらいのものであり、そのような類いの人間でなければこの立地最悪な上に暖房がキッチンにしかない極寒学食になど来ることはなかった。そして、悲しいことにと言ってみたもののそこまで悲観することもないことに、その異常者とはボクだった。
「さてはて、今日も今日とてがらんどう……」
呟きつつ、トレイを手に取る。
さて、何を食べたものか。
基本的に美食家なんて高貴な主義を持たないボクは、好き嫌い選り好みせずに食べられるものであればどのようなものでも食べることが出来る。甘いものも辛いものも苦いものもどんと来い。昔、父に連れられて散々色々なものを食べざるを得ない状況に遭遇することとなったため、腹を括り様々なものを食した結果、好き嫌いなんて贅沢は言えない体にされて閉まった。食べられるだけでありがたいの精神だ。
美味なものを好むことを「舌が肥える」と言うけれど、それにあわせて言うのであれば、ボクは「舌が細る」とでも言うのだろうか。「食が細る」に似たニュアンスで。舌が細る――ものを食べるたびに、甘い辛いはわかっても美味しいとか不味いと言った感覚器官が可笑しくなり、それがそういうものだとして受け取ることしか出来ないのである。まあ要するに全てがカップラーメンのように「あ、うん……」的なノリの食事になっているわけだ。
別に問題であるわけがないのだけれど、わざわざ外食をしたり出前を取った際などにとてつもない残念みに襲われるのはどうにも考えものだったりする。出前で頼んだ蕎麦屋のカレーと購入したレトルトカレーの違いがわからないのだ。味の違いはわかっても価値の違いがわからない。そうなると安く済むレトルトカレーで良いではないか、という発想に至ってしまうのだ。
「……どうでもいいか」
別に食事に満足する必要なんてないだろう。幸福は人を成長させるらしいが、別に不幸ではないのだから退化するわけではないだろう。退化するわけでないのであれば、別に幸福を感じる必要もない。それに、幸福を感じるだなんて、そんなこと、ボクには分不相応も甚だしい。
そうだな、食事なんて食べられれば良いだろう。
熟考の末、ボクは注文カウンターに移動して、「すみません、醤油ラーメンとご飯大盛りで」と注文を行った。店員のおばちゃんは、「はいよ。七百五十円」と至って作業的に言って青い精算トレイを出してきた。そのトレイに指定された金額を払い、支払いを済ませる。
支払いを済ませた後で受け取りカウンター前にスライド移動し、少し待つてば注文通りの品が受け取りカウンターに出てきたので、それをトレイ上に乗せる。
いつも通りに人っ子ひとりいない食堂。昼休みだと言うのに食堂に生徒がひとりもいない高校なんて、ここくらいのものだろう。冬になると外が寒くなるというに一度外へと出なければならない不条理アンド暖房のない食事スペースという不可抗力の寒さに、今の世の高校生が耐えられるわけがない。などと学校側の足りない脳味噌に感謝しつつ、ボクは入り口から一番遠い端の端の席を選んだ。定位置である。普段であれば、六人用のこの長方形のテーブルの真正面には唯一無二の親友が座って共に昼食を摂るのだが、何やら最近は無断欠席の多い奴で、もっぱら孤食が当たり前になりつつある。
「いただきます」
呟いて、一口。
「………………」
いつも通りの味である。
そんなにコロコロ味が変わっても困りものではあるのだけれど、変わりないのもそれはそれで面白みがない。前述のような馬鹿舌のボクであっても味の違いはわかるのだ。わからないのはあくまでも価値であり、言ってしまうと馬鹿なのは舌ではなく頭の方なのだろう。性欲と恋心の区別がつかない中学生ではなく、性欲と恋心の差別ができない中年のような違いと言えばわかりやすいだろうか? わかりにくいだろう。要するに何が言いたいのかというと、初心だからこそ査定が出来ないのではなく、場数を踏んでいるから審査出来ない、ということだ。
やはり何を言っているのかわからないな。
語りに向かない性分らしいので、下手に喋るのはやめておこう。
ボクはそこから、黙々と麺を啜ることのみに集中する。以前と異なり楽しくない食事であった。同時に注文したライス大盛は面を食べ終えた後でスープに入れて猫まんまにして食べるという算段なので残しておく。行儀としては悪いのだけれど、見ている人間もいはしないのだから構わないだろう。ルールは取り締まるものがいなければ機能しないのだから、祖の眼がないのであれば破ったところで問題にはならないものである。
「…………」
午後の残りの二時間はなんだったか。確か、化学と数Aだったかな? 化学は特に何も問題らしい問題はなく、数Aは宿題があったような気がするが、別に済ませておらずとも問題ないだろう。覚えているかどうか、そこが問題なのだから。
まあ、そんな程々に生きていたそんな時。
「前、いいですか……ね?」
そんな声が、ボクの側面から聞こえてきた。
その声に聞き覚えはなく、声に覚えがないということはその声の主はボクの知り合いではないのだけれど、反射的に声の主の方へと顔を向けてしまった。そしてやはり、そこにいたのは一切記憶にない、見ず知らずの、ボクの脳内フォルダに記録の「き」の字すらもない滅多矢鱈に青白い顔をした女子生徒だった。人違いでもしたのだろうか?
残念ながら数少ない友人であり、この学校に登校している唯一の女子の友人である箕美とも異なる女子生徒である。記憶の「き」の字も存在していないのは仕方ないのかもしれない。
「………………」
誰だこいつ。
視線を落として学年によって色の異なる上履きを確認すると、赤であった。その色は三年の青とは異なり、一年の黄色とも違う――二年生。つまり、同学年である。
一応、周囲を見回して彼女が声をかけたのは珍しく食堂何て場所にやって来た他の人物である可能性を頼りに確認するも――いつも通りに人なんてものは、およそ人と定義できる存在は、ボクと彼女の二人しかこの空間には存在していなかった。あえて言うのであれば食堂のおばちゃんもいるのだが、ここからでは位置の問題で観測出来ない。しかし、今一度この食堂の存在意義が心配になってくる風景だ。
「あ、あなたに話しかけ……ています」
女子生徒はボクを見て、そう言う。
つまり、やはりボクは話しかけられているということだ。
「……どちら様ですか?」
知らない人だから、訊いてみた。
聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥、との思いでとった行動であったが、その言葉にショックを受けたのか、その青白い顔の女子生徒は手に持っていた弁当を床に落とした。硬いプラスチックの容器が落ちた時の音が無音の空間に小さく響く。
「あ、あ、あ……すみません。意味わからなかったですねすみません。あ、わたしはこれで……」
弁当を拾った女子生徒は、今にも泣き出しそうな顔でそそくさとその場を立ち去ろうとしている。
ふむ、この反応からして内輪での罰ゲームでここに来たのではなさそうだ。そうすると、ボクが単純に知り合いの顔を忘れたことになるのか。クラスメイトの名前など覚えてはいないボクではあるものの、ついに知り合いの存在すら忘れるようになったとすると、末期である。最早精神病を疑ってもよいレベルだ。これはこれは。
「あーっと……前はいいのですが、多分単純にボクがあなたのことを忘れてしまっただけみたいなので、もう一度お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
ボクは帰ろうとする女子生徒を引き止めて言う。 流石のボクとて失礼だと思う質問なのだけれど、仕方がないので質問をした。知ったかをして何かの拍子に忘れていることがバレるよりも、質問をして再度名前を教えてもらう方が今後この人との交流を持つことになった際に気不味くならないだろう。大体、こんな不健康そうな顔をした人間を極冷の中帰らせることには抵抗があるのだ。
「で、では失礼します……」
一言そう言って、進められた通り相対する位置に腰を下ろした女子生徒。
目の前に座ったことでようやくボクはその顔を拝むこととなるのだが、しかし、よく見るとこの顔はどこかで見かけたような気がする。ずっと近くだったような気もするが、やはりボクの彼女に関する記憶は霧隠れを決め込んでいる。少なくともとても仲がよかったボクの彼女などでは決してないのだろう。ううむ……しかし、古くからの付き合いであったような気もしないこともない。
艶のある黒髪に、全てを疑ってかかるような歪み、そして濁った同色の瞳。制服の着用方法は女子にしては珍しいと言うか、このような陰気な女子生徒はほとんどそうであるように正しく着こなしている。異形なまでに、と表現してもよいほどに飾りっけなく着こなしている。
肌は前記の通り病的と表現するのが正しいのではないかと思うほどに青白く、態度は常に怪しさ全開にオドオドとしている。一部の人から怒りを買いそうな、美人であるものの恐怖で全身を支配されているタイプの彼女。
やはり、こうして見ると見覚えがあるような気がした。
しかし、少なくともタイプは違ったのだろう。
「えっと、二年四組の志雄生――
「同じく四組所属、
ふむ。
ふむふむ。
ふむふむふむ。
ふむふむふむふむ。
二年四組。
彼女は、自己紹介の際に自身が二年四組だということを告白した。見覚えがあるわけだと納得する。納得する他なく、そして彼女が驚く――というか傷ついた理由も足りない脳であるものの理解した。
二年四組。
それは、ボクの所属するクラスであったのだ。
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