第3話 僕ならいつでも結婚OKですよ?
「瑠衣さん、どうでした?」
周平と別れた途端に、物陰から、背の高い男がぬっと寄って来た。
「た、高瀬君?」
声ですぐわかったので、怖くはなかったけど、私はびっくり仰天した。
「あの、ずっと外にいたの?」
だって、店にいた時間は約二時間半。ずっと店の前にいたのだろうか?
彼は真面目くさってうなずいた。
「僕、聞きました。藤堂さんは結婚しないつもりらしいって」
藤堂と言うのは周平の苗字だ。だけど、私が高瀬君に教えたわけじゃない。伝手をたどって彼は聞いてきたらしい。伝手の正体には見当がつくけど。
多分、ライブのチケットをくれた人だ。
高瀬君は大学の後輩。大学時代は、二人とも、遊びのテニスクラブに所属していて、なんとなく仲が良かった。
でもそれだけ。
「それだけじゃなかったんですけどね?」
彼は不満そうだ。
そして、高校時代の五人衆の一人の麻衣の彼氏と同じところに就職した。つまり公務員。
「藤堂さん、結婚したくないそうですね?」
麻衣、どうしてペラペラしゃべる?
「いつかはするかもって……」
私は口ごもった。そして、後じさった。
周平と一緒にビールを飲んできたのだ。
酒臭い女って嫌じゃない?
だけど、高瀬くんはその分、間を詰めてきた。
「僕はすぐしたいです」
「え? あの……」
「何回も言ったでしょう?」
ライブチケットはワナだった。当然麻衣が来るんだと思っていたら、代わりに、さわやかに現れたのは高瀬君だった。
「麻衣さん、忙しいらしくって」
私は下から高瀬くんを見上げた。彼の方がずっと背が高かったからだ。
久しぶりの彼はちっとも変わっていなかった。
茶色っぽい髪がちょっぴりウェーブしている。
同じ微笑み。同じ柔らかな感じ。なにより包み込むような優しさ。相変わらずだ。
麻衣のやつが忙しいことはわかり切ってる。なんで、ライブに行こうだなんて言い出したのか、変だなとは思ってた。
「さあ、さあ、さあ! 早く行きましょう!」
極めてナチュラルに、高瀬くんは私の手を握って会場に踊り込んだ。
おいっ
いや、これは何?
ライブ会場は人だらけで熱気に包まれている。知った人が誰もいない、人の海の中で、私たちはしっかり手を握って移動した。
「迷子になったら会えなくなっちゃう」
高瀬くんは熱い目をして言った。
そう。
出会いは一期一会なのかもしれない。
そのチャンスを逃すと、赤い糸は切れてしまうのかも知れない……
……って、歌詞もあった。どうも、間が悪く、心に沁みるわ。
高瀬くんは、目で語る。
嬉しそう。そして、ライブステージより、私を見てる。
見ている……
ライブの後は疲れ果てて、そのまま家に帰ったけど、翌朝、高瀬くんはお昼を一緒にしようと誘いにきた。強引すぎる。
「藤堂さん、結婚、しないって言ったんですよね?」
「や、そこまでは言ってないよ? いつかするって……」
「それ、意味なくないですか?」
…………。
確かに。今、結婚しなかったら、いつ結婚するんだろう?
「やんわり断ってますよね」
う……。それはそうかも。
「僕は、公務員だから、お金はありません」
高瀬くんは言い出した。
「大手の民間企業で働いてる藤堂さんとは比べ物にならない」
周平は確かにリッチだ。
「だけど、転勤もほぼないし、残業も激務ってほどじゃない。子育て休暇もあります」
グイッと高瀬くんは乗り出した。
「僕、瑠衣さんと一緒だと落ち着くんです」
「え?」
確かに、高瀬くんと一緒だと、私も落ち着く。好き放題してても、高瀬くんなら大丈夫な気がする。
少々のワガママも許される気がする。
彼はまるでネコのようだ。
一緒にいても気に障らないし、機嫌の良し悪しがビンビン伝わってこない。
むううっとむくれてるのは、わかるけど、ヨシヨシすれば、しゅうううってなる。
私と高瀬くんは、一緒なのか。
「落ち着くんです。誰のものでもない。手の内にいると安心できる」
一緒じゃないわっ
それ、なんか違うわっ
一瞬、怖いもんが見えた気がする。
「結婚してください。今すぐ」
「す、すぐ?」
「藤堂さんが留守の今がチャンスです。婚姻届は24時間受け付けてくれます」
嘘つけ。そんな器用なお役所仕事があるものか。
「本当ですよ」
私は、引っ張られて日曜だと言うのに区役所の警備室に連れ込まれた。
「ちょっと止めてー! 高瀬くん!」
びっくりしたよ、本気で区役所まで行くんだもん。
「あー、婚姻届ね。ちょっと待ってねー」
かなりの年のおじいさん?がヨッコラショっと立ち上がった。
そして焦る私を見てニコッと笑った。
「いいんだよ。婚姻届はいつでもOK。受け取れるよ?」
「ね? 言った通りでしょう?」
高瀬くんが柔らかく口を挟む。
いや、本当にわかったから。今、婚姻届、出すわけじゃないから、おじいさんをわずらわせるのは止めてあげて!
高瀬くん、どうしちゃったの? こんな人だったっけ?
「え? まだ出さないの?」
老眼鏡をかけ直し、応対用の小窓から顔を覗かせたおじいさんが聞いた。
「すみません!すみません!まだ、話がそこまでいってなくて!」
平謝りに謝る私。
「彼女が、婚姻届なら24時間受付出来るっていうのを疑うから」
そんなもの、ネットで調べりゃすぐわかる話でしょうが!
なんでわざわざ区役所まで行かなきゃなんないのよ!
「一緒に行きたかったんですよ、婚姻届出しに」
高瀬くんの頬が緩む。
だけど、目が真剣だった。
なんか企んでる。
「話がまとまってから来てね」
おじいさんは、フフンと言った様子だった。それから対応用のガラスの小窓をピシャンと閉めた。
そりゃそうだ。
日曜の区役所に
高瀬くんは、「人権を大切に!」とか「人・都市・夢の融合〇〇区」とか「SDGs」とかいっぱいビラが貼ってある看板の後ろに回った。
「誰にも見えない」
そんなこた、ありません。丸見えですって。区役所の敷地内は、人いないけど、道路から丸見えだって! 高校生カップルじゃないんだから! ちょっと!
彼は思い切り抱きしめた。そして、耳元で囁いた。
「結婚して。僕のものになって。お願い」
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