エピソード23

「そろそろ飯でも食いに行くか?」

響さんがそう切り出したのは、この空き地に来てから2時間以上が過ぎた頃だった。

運転に夢中になりすぎてそんなに時間が過ぎている事に全く気付いていなかった私は時計を見て驚いた。

「腹は減ってねえか?」

響さんに尋ねられるまでは特に何も思わなかったのに

今日起きてからコーヒーしか口にしていない事に気づいた途端、空腹感が襲ってきた。

「……微妙に……」

本当は微妙なんてレベルじゃなかったけど

『とてつもなくお腹が空いてます』

だなんて言えない私はそう答えるしかなかった。

「じゃあ、行くか?」

「はい」

私と響さんは一旦車を降り、席を入れ替わった。

助手席に座ると心地いい疲労感と達成感そして大きな安心感に包まれた。

「何か食いたいモノはあるか?」

運転席に座った響さんが私に視線を向けた。

「いえ……特には……」

「なんでもいいのか?」

「はい」

「分かった」

響さんは頷くと私とは全然違う慣れた手付きで車を動かし始めた。

車体を後退させながら車の向きを変えて空き地を出ると

細い路地で右折と左折を繰り返しながら

大きな道へと出た。

響さんの頭の中ではすでに次の目的地が決まっているらしく

車は颯爽と車道を駆け抜けている。

「響さん」

「うん?」

「今日って何か予定があったんじゃないんですか?」

「予定?」

響さんは不思議そうな表情で私にチラッと視線を向けた。

その表情を見て新たな疑問が浮かんだ。

響さんは今日、何か予定があったから私を誘ったんじゃないの?

まさか、空き地で私に車の運転をさせる為に誘ったなんて事はないと思うんだけど……。

あれは話の流れで急遽決まったって感じだし

今からご飯を食べに行くのだって

私が『お腹が空いた』って言ったからで……。

どう考えてみても私を中心に時間を過ごしているように感じる。

「だから、私を誘ってくれたんじゃないんですか?」

「……予定って言うか目的はちゃんとある」

「目的?」

「あぁ」

「それはどんな?」

「……えっ!?……それは……まぁ……その時が来たら分かる」

突然、しどろもどろな感じで曖昧な言葉を並べた響さん。

……?

明らかに挙動不審人物に変身した響さんに私は首を傾げた。

……もしかして、これは聞いちゃいけない事だったとか?

何となくそう悟った私は

「そうですか」

それ以上は聞く事を止めた。

響さんがこんなに動揺する事は珍しいし

遅かれ早かれいずれはその“目的”は私にも分かるらしいから

今、焦って聞き出す必要もないか。

私はそう結論を出した。

◆◆◆◆◆

「着いたぞ」

響さんが車を停めたのは小高い丘の上にあるレストランだった。

可愛らしい雰囲気のお店。

そこで私と響さんは食事をした。

昼食にしては遅くて

夕食にしては早すぎる

中途半端な時間の食事。

だけど、お腹が空いていた私はそんな事にはお構いなしでたくさん食べた。

そんな私を響さんは優しく穏やかな笑顔で楽しそうに見つめていた。

デザートまでしっかりと食べた私は大満足でお店を出た。

次に響さんが車を停めたのは繁華街にあるパーキングだった。

「何をするんですか?」

「ん?買い物」

そう答えた響さんは私を近くにあったブランドショップに連れて行った。

そこで響さんは私に言った。

「好きな帽子とサングラスを選べ」

そう言われた私はまたまた首を傾げた。

「えっ!?」

……なんで、帽子とサングラスなんだろう?

その疑問は私の顔にも出ていたらしく

「変装用だ」

響さんは苦笑気味に教えてくれた。

「変装用?」

「あぁ」

「なんで変装するんですか?」

「見られたらヤバいだろ?」

「誰に?」

「雪乃の店の客」

「お客さん?」

「店が休みの日にお前と繁華街にいるって事はある意味営業妨害だからな」

……なるほど……。

どうやら、響さんは私のお客さんに気を使ってくれているらしい。

でも、その気遣いは私を指名してくれるお客さんがいるっていう前提だから

ヘルプ専門の私には正直必要なかった。

だから、丁重にお断りしようかと思ったけど

私は響さんと同伴をした日の事を思い出してしまった。

響さんはここではとてつもなく有名人で

たくさんの人が響さんを知っている。

響さんと一緒に繁華街を歩くと不愉快に思う人がいる事はあの日分かった。

私と響さんは別にそういう関係じゃないのに……。

その人達にとってみたら響さんの隣に女がいるって事が気に入らないらしく

遠慮もなく堂々と敵意を向けてくる。

わざわざ変装をするのは面倒くさいけど

知らない女から敵意をむき出しにされるのはもっと面倒くさいし……。

もし、そうなったとしても私には響さんとの“約束”があるから迂闊[うかつ]にキレる事も出来ない。

そんな状況に私は耐えられるかしら?

……。

……。

……無理よね。

帽子とサングラスで性別を偽る事は無理だけど

堂々と顔を出しておくよりも

隠しておくほうが少しはマシかもしれない。

多分それは私の気分的なモノだと思うけど

帽子とサングラスで視界を遮れば余計なモノも見なくて済むし……。

そう思った私は素直に帽子とサングラスを選んだ。

帽子は今日着ている服に合う目深に被れるもの。

サングラスは顔の3分の2は隠れそうな大きさで濃い色のレンズのものを選んだ。

帽子を深く被りサングラスを掛けて鏡を覗き込んでいると

「そのサングラスデカくねえか?」

背後から響さんの声が聞こえた。

「デカいですね」

「他のにするか?」

「いえ、これにします」

「それでいいのか?」

「はい、変装するにはピッタリです」

「……なるほどな」

「響さんも私と一緒に変装してみませんか?」

「俺も?」

……なんで今まで気付かなかったんだろう?

私が変装するよりも響さんに変装してもらえば全てが解決するじゃない。

そう気付いた私はサングラスが陳列されている棚から1つ手に取り

少しだけ背伸びをして響さんに装着してみた。

「う~ん。似合い過ぎて変装って感じじゃないな」

「綾?」

陳列棚にそれを戻し他のサングラスを手に取る。

「う~ん。これも変装用じゃないな」

次々にサングラスを手に取り響さんに装着するけど

そのどれもが似合い過ぎていて変装用には使えないものばかりだった。

私の“響さん変装計画”に最初は動揺を隠せない様子だった響さんも

5個目のサングラスを装着した辺りから観念したようにされるがままになっていた。

一通り全部のサングラスを装着した私は大きな溜め息を吐いて、肩を落とした。

……ダメだ……。

全然、変装にならない。

変装なんだから本人だってバレないようにしなくちゃいけないのに……。

どんなサングラスを装着してみても響さんは響さんだった。

サングラスを装着していても響さんを知っている人からみたら誰だって一目で本人だって分かる。

分かるだけならまだしもサングラスを装着した響さんはファッション雑誌から飛び出してきたモデルさんみたいで余計に人目を引く。

……って事は必要以上に注目されるって事で……。

それだったら変装の意味が全くなくなってしまう。

……サングラスがダメなら……。

私は響さんの腕を掴むと帽子が陳列されている棚の前に移動した。

「あ……綾?」

「次は帽子を選びますよ」

「サングラスは?」

「サングラスは目的に合うものがありませんでした」

「は?」

不思議そうな響さんを他所に私は適当な帽子を手に取ると

「響さん、すみません。少し頭を下げてもらえます?」

「えっ?あぁ……」

前屈みになった響さんの頭の上に載せた。

……う~ん。

「次はこれです」

……まさか……。

「次はこれを……」

……帽子もダメなの!?

「……」

再び私の口からは大きな溜め息が漏れた。

響さんに色んなサングラスを装着し

色んな帽子を被せてみて1つだけ分かった事がある。

帽子やサングラスじゃ響さんが纏うオーラは隠せない。

隠せないどころか余計にその存在感をアピールしてしまう。

こうして私が考えた“響さん変装計画”は大失敗に終わった。

「……無理です」

「は?」

「響さんは変装出来ません」

「そうなのか?」

「残念ですけど、どんな帽子を被ってみても、どんなサングラスを装着してみても響さんは響さんでした」

「そうか」

「どうしても変装がしたいなら、もう“あれ”しかありません」

「“あれ”?」

「ハゲヅラと鼻眼鏡です」

「ハゲヅラと鼻眼鏡!?」

「それだったら響さんだってみんなも気付かないかもしれないけど、必要以上に目立ってしまう恐れがあります」

「……だろうな」

「ですから、響さんは変装出来ません」

「そうか。残念だな」

「じゃあ、挑戦して……」

「いや、遠慮しておくよ」

「……ですよね」

せっかく響さんを変装させようと思ったのに……。

私はガックリと肩を落とした。

そんな私の頭を試着したままの帽子の上から優しく撫でながら響さんが言った。

「もう一度選んでくれないか?」

「……?」

「今度は変装用じゃなくて俺に似合いそうな帽子とサングラスを選んで欲しい」

「えっ?」

「ちょうど新しいのを欲しいと思っていたんだ」

「いいんですか?」

「ん?」

「私が選んでもいいんですか?」

「あぁ、頼むよ」

「はい、任せてください!!」

多分、それは響さんの優しい嘘。

落ち込んだ私を元気にする為の嘘。

響さんはそういう人。

人の為に優しい嘘がつける人。

他人[ひと]は響さんを“優しい人なんかじゃない”って言う。

だけど私にしてみればこんなに優しい人はいないと思う。

響さんにお願いされたって事が嬉しくて

響さんに頼ってもらえた事が嬉しくて

私はさっき以上に張り切って響さんに似合う帽子とサングラスを選んだ。

さっきは変装用っていう目的に合う帽子とサングラスが1つもなくて困ったけど

今度は目的に合うものがありすぎて困った。

響さんは『似合うものを選んでくれ』って言ったけど

似合わないものがない。

響さんに似合うものを選ぶ気満々だった私は本当に困っていた。

「……綾」

「はい?」

「眉間にシワが寄ってる」

「えっ!?」

困り過ぎていて自分が険しい表情になっている事にも気付かなかった。

私の眉間を人差し指で撫でる響さんは

どうやら眉間に刻まれているシワをのばそうとしているらしい。

「なんで、そんなに険しい顔をしてんだ?」

「……無いんです」

「無い?」

「似合わないものが無いんです」

「は?」

「似合うものがありすぎるから困ってるんです」

「……」

私も充分困った表情をしていると思うけど

それ以上に困ったって感じの表情を浮かべた響さん。

……2人で買い物に来てお互いに困った顔をしてる私達ってどうなんだろう……。

張り切っていた分、私のヘコみ具合は大きかった。

……頑張って響さんに似合うものを選ぼうと思ってたのに……。

また、役に立てなかった。

そう思うと情けなさが込み上げてきた。

自分の情けなさに小さな溜め息が零れ落ちた時

またしても私を救ってくれたのは響さんだった。

「綾が選んでくれたって事が俺は嬉しいんだ」

「えっ?」

落としていた視線を上げるとやっぱり響さんは私に優しくて穏やかな視線を向けていた。

「“変装用”とか“似合うもの”ってのは建て前上の口実で本当は綾が俺の為に選んでくれたものが欲しかったんだ」

「そうなんですか?」

「あぁ、だから綾がいいと思うものを選んでくれるか?」

「はい!!」

響さんの言葉で急激にテンションが上がった私は

また張り切って選んだ。

『綾がいいと思うものを選べばいい』

響さんの言葉でプレッシャーから解放された私は

楽しみながらサングラスや帽子を物色した。

半強制的に帽子やサングラスを試着させられる響さんはずっと楽しそうに私を眺めていた。

「この帽子とサングラスがいいと思います」

私が満足げに頷いたのはこのショップに入って

2時間以上が経った頃だった。

途中、何度か店員さんが『お手伝いしましょうか?』と近寄って来たけど

その度に響さんは大人な対応でやんわりと断り

私に選ばせてくれた。

選ぶのにかなりの時間が掛かったのに響さんは嫌な顔ひとつせずに待っていてくれた。

そんな中、選んだサングラスと帽子に私は大満足していた。

「じゃあ、これにするか」

「はい」

「お前はそれでいいのか?」

「はい」

「支払いを済ませてくる」

響さんは私が選んだ全てのものを手にレジへと向かおうとした。

「ちょっと待ってください」

「ん?他にも欲しいものがあるのか?」

「いえ、これは私が買います」

私は響さん用に選んだ帽子とサングラスを奪い取った。

「いや、支払いは俺が……」

「ダメです!!これは私が買いたいんです!!」

強い口調で断言した私に響さんは困った表情を浮かべた。

きっと響さんはものすごく困ってる。

それは嫌ってくらい分かる。

……分かるけど、これだけは譲れない。

これは、私が買わないと意味がない。

響さんは私の顔を見つめていた。

そんな響さんから私も視線を逸らさなかった。

しばらく、沈黙が続いた後、響さんは諦めた様に溜息を吐いた。

「……分かった」

響さんが仕方なくその言葉を口にしたのは分かっている。

それでも私は構わなかった。

私が、一生懸命選んだものだから私が自分のお金で買ってプレゼントしたかったんだ。

私と響さんはそれぞれがお互いの帽子とサングラスを持ってレジへと向かった。

『ご自宅用ですか?プレゼントですか?』

店員さんに尋ねられ私と響さんは一瞬顔を見合わせた。

その後、響さんが言った。

「すぐに使うから包装はしなくていい」

『分かりました』

店員さんがニッコリと微笑んだ。

支払いを終えたばかりの帽子とサングラス。

私達はそれを交換した。

「ありがとう」

響さんは照れたような表情を浮かべていた。

だけど、どことなく嬉しそうにも見えた。

それだけで私は胸が一杯になった。

私は今まで誰かに贈り物をしたことが無い。

正確に言えば、何かプレゼントを贈るほど人と親しくした事がない。

瑞貴や凛にタバコやジュースを奢る事ぐらいはあるけど

それはタバコにしろジュースにしろ瑞貴や凛の“定番”があるから、わざわざどれにするか選ぶ必要なんて無い。

だから、誰かの為に必死で何かを選んだのは今日が初めてで……。

慣れない事に疲れはしたけど、それ以上に得たものは大きかった。

……人に何かをプレゼントするってこういう事なんだ。

確かに、ここはブランドショップだから帽子やサングラスの小物にしても値段は高い。

自分の為に何かを買うなら分かるけど

それが人の為となったら話は別。

雑誌とかで“恋人に高級品をプレゼントしてもらった”みたいなノロケ記事を目にする度に

なんでそんなに高いものをプレゼントするんだろ?

高ければいいってもんじゃないでしょ?

って思ってたけど、今なら何となくその気持ちが分かる気がする。

大切なのは“もの”じゃなくて“気持ち”なんだ。

人に贈り物をするのはその人の喜ぶ笑顔を見たいからであって

お金でその人の気持ちを掴みたいからじゃない。

受け取る側だって、高級品が嬉しいんじゃなくてそれを買うまでに自分の為に時間を費やしてくれた事が嬉しいのかもしれない。

響さんと買い物の時間は、私の考えを少しだけ変えてくれた。

凛や瑞貴達もこんな気持ちで私へのプレゼントを選んでくれたのかな。

そう思うと益々感謝の気持ちでいっぱいになった。

「……こちらこそありがとうございます」

私も照れくささを感じながらその言葉を口にした。

◆◆◆◆◆

帽子を被りサングラスを装着した響さんと私は夕方の繁華街を人混みに紛れて歩いていた。

「次は何をするんですか?」

尋ねた私に

「何をしようか?」

響さんも尋ね返した。

「はい!?」

そんな響さんに私が驚いた事はいう迄もない。

「うん?」

どうやら、響さんはノープランだったらしい。

ノープランなのにわざわざ繁華街に来たらしい。

しかも、変装までして……。

「……そう言えば最近の高校生って何をして遊ぶんだ?」

「は?」

「俺達の時代とは全然違うんだろ?」

「響さん達は何をしていたんですか?」

「……何をしてたっけ……」

視線を宙に向けた響さんは何かを考えているようで……。

その行動が記憶を辿っているんだと気付いた私は大人しく待つことにした。

「……確か……」

「……?」

「単車で暴走したり」

「……暴走……」

「他校にケンカを売りに行ったり」

「……ケンカ……」

「友達の家でえロ本を読んだり」

「エロ本!?響さんもエロ本なんて見るんですか!?」

「さすがに今は見ねえけど当時は俺も健全な男子高校生だったからな」

「そ……そうなんですね。なんか私が持っている響さんのイメージではそんなもの見ない気がしてたんですが……」

「そうか?」

「はい」

「俺、自分でイメージ崩してんじゃねえか?」

「……ですね。あっ!!でも少しだけしか崩れてないですよ!!」

「……綾……」

「は……はい!?」

「それ、全然フォローになってねえぞ」

「……!!」

響さんが楽しそうに笑うから思わず私まで笑ってしまった。

一頻り笑った響さんが思い出したように口を開いた。

「で?」

「えっ?」

「今の高校生は何をして遊ぶんだ?」

響さんは再び私に尋ねた。

その質問に答えようとしたけど

「……何をするんでしょうね?」

何も思い浮かばなかった。

「は?」

不思議そうな表情の響さんを見て

「えっ?」

私も不思議に思った。

……なんで、響さんはこんなに不思議そうな顔をしてるの?

「……綾」

「どうしました?」

「お前、現役の高校生だよな?」

「そうですけど?」

「お前はバイトや学校以外の時間をどう過ごしてるんだ?」

「バイトや学校以外の時間?」

「あぁ」

私は再び考えてみた。

……学校やバイトの時以外は……。

「寝てますね」

「寝てる?」

「はい」

「……」

「……?」

「……まぁ、バイトと学校の両立は大変だからな。友達と遊んだりはしないのか?」

「たまに遊びます」

「その時は、何をするんだ?」

「何って……お菓子を食べながら世間話をしたり」

「あぁ」

「繁華街をあてもなくブラブラ歩いたり」

「あぁ」

「そのくらいですかね」

「なるほどな」

「あっ!!そう言えばクラスの女の子達はカラオケに行ったり、プリクラを撮ったりして遊んでるみたいですけど……」

「お前はしないのか?」

「しないですね」

「なんで?」

「疲れるから……ですかね」

「は?」

「え?」

「疲れる?」

「えぇ」

「……歳、誤魔化してねえか?」

「はい?」

「遊んで疲れるって現役高校生の発言じゃねえだろ」

「なっ!!私は本当に高校生です!!」

「本当に?」

疑いの眼差しを向けてくる響さんに

「本当です!!」

私は力一杯頷いた。

「そんなに力まなくても冗談だ」

響さんは疑いの表情を崩し吹き出した。

……なんだ、冗談か……。

私には前科があるから本当に疑われてるのかと思った。

「……疲れるっていうのは体力的にって事じゃなくて、精神的に疲れるんです」

「ん?」

「私、友達ってあんまりいないんです」

「えっ?」

驚きの声を上げた響さんが私の顔を見つめた。

その表情には明らかに動揺の色が広がっている。

その表情を見て私は自分の言葉が足りなかった事に気付いた。

誰だって、突然「友達がいない」なんてカミングアウトをされたら動揺してしまう。

「いや……ち……違うんです。友達がいないって言うか……」

「……?」

「何でも話せる友達は少ないけどいるのはいるんです」

「あぁ、そうか」

「でも、私は人見知りが激しい上に女の子が苦手で……」

「女が苦手?」

「はい。正確には女の子が苦手じゃなくて女の子らしい性格の子が苦手なんです」

「女らしい性格って?」

「1人じゃ何も出来なくてトイレに行くのも誰かと一緒とか」

「あぁ」

「何かあるとすぐに泣いたりとか」

「あぁ」

「そういう子が苦手なんです」

「なるほどな」

「だから、私が仲良く出来る女の子って限られてて……」

「うん」

「凛以外の女の子と長時間一緒にいるとすっごく疲れちゃうんです」

「そうか」

響さんは納得したように頷いた。

「……ところで、凛って誰だ?」

「あっ、私が気兼ねなく付き合える唯一の女友達です」

「そうか。今度、会ってみたいな」

「この前、響さんに会った時、一緒にいたんですよ」

「この前……夜に繁華街で会った時か?」

「はい」

響さんはまた視線を宙に向けた。

どうやらこれは響さんの癖らしい。

考え事をする時、響さんは視線を宙に向ける。

その発見が私は嬉しくて響さんに気付かれないようにこっそりと笑みを零した。

「……もしかして、背の低いふわふわとした髪型の子か?」

突然、響さんが宙から私に視線を向けるから

私は慌てて表情を引き締めた。

「そ……そうです!!」

「ん?どうした?」

「えっ!?」

「なんか、焦ってねえか?」

「いえ!!全然!!」

「そうか?」

響さんに見つめられた私は心臓の音が周囲に聞こえるくらい高鳴った。

その動揺を悟られたくない私は慌てて口を開いた。

「あ……あの時一緒にいた子が“凛”なんです!!」

「えっ?……あぁ、そうか」

「はい」

「でも、あの子は……」

「……?」

「いかにも“女”って感じじゃないか?」

「凛が女の子らしいのは外見だけなんです」

「どういう意味だ?」

「性格はとても男らしいんですよ」

「そうなのか?」

「はい、その辺にいる男の子より全然男らしいです」

「へえ~。一度話してみたいな」

「本当ですか?」

「あぁ」

「じゃあ、今度会って話してあげてください。きっと凛も喜ぶと思います」

「喜ぶ?」

「凛は響さんの大ファンなんですよ」

「大ファン!?」

「え」

「それはかなりのプレッシャーだな」

「プレッシャーですか?」

「あぁ、喋ったらせっかくのイメージが崩れちまうだろ?」

「……」

「……」

「……そうかもしれませんね……」

「……だろ?」

「……はい」

「……やっぱりな」

響さんは大きな溜め息を吐き肩を落とした。

……やばっ!!

どうしよう。

正直に答え過ぎて、響さんが落ち込んでる。

どうにかして、フォローしてあげないと……。

「……大丈夫です!!」

「……?」

「そんな響さんでも凛は喜びます!!」

「は?」

「『意外な一面が見れた!!』って大喜びします」

「そうなのか?」

「はい。凛はそういう子です」

「そうか」

「えぇ、凛は私の自慢の親友ですから」

「……親友か……」

「はい、親友です」

「すげえな」

「えっ?」

「胸張って親友だと言える友達がいるって事はすげえ事だ」

「そうですか?」

「あぁ。この世界にはたくさんの人がいる。この街にしたってこれだけの人間がいるんだ」

響さんは行き交う人達に視線を向けた。

「そんな中で“親友”と呼べる人間に出逢える事はすげえ幸せな事だと俺は思う」

幸せな事?

……。

……。

……確かに……。

今まで考えた事なかったけど……。

凛と出逢えた事は、とてもすごい事なのかもしれない。

もし、あの日凛と出逢わなければ、今、響さんとこうして一緒にここを歩く事はなかったかもしれない。

響さんだけじゃない。

雪乃ママも

アリサも

下手したら瑞貴とだって仲良くなる事はなかったかもしれない。

人との繋がりだけじゃない。

生活だって……。

もし、凛と出逢わなかったら私はどうなってたんだろ?

高校には行っただろうか?

住む家はあっただろうか?

バイトは?

もし、凛と出逢わなかったら私は笑えてなかったかもしれない。

「……そうですね」

「人見知りだっていいんだ」

「……?」

「人との関わりが苦手でもいい」

「……」

「友達はたくさんいなくてもいい」

「……」

「なんでも、腹割って話せる友達が1人いれば、人は生きていける」

「……ですね」

「今度、会わせてくれ」

「えっ?」

「お前の“親友”にぜひ会ってみたい」

「はい」

人との出逢いは偶然の重なり合いだけど

想像もつかない未来を与えてくれる。

当然だと思っていた存在は

改めて考えてみるとその存在の大きさを知らしめる。

すぐ傍に支えてくれる人がいるって事は、

響さんが言う通りすごい事なのかもしれない。

私は凛にとってそういう存在なんだろうか?

私の中に小さな疑問が生まれた。

それから私と響さんは陽が落ちるまで繁華街で過ごした。

あてもなくブラブラと

立ち並ぶショップを覗いたり

カフえでコーヒーを飲んだりした。

何度か行き交う人が振り返って響さんを見てたけど

帽子とサングラスのお陰なのか話し掛けてくる人はいなかった。

途中、ゲームセンターの前で響さんが思い付いたように言った。

「プリクラでも撮ってみるか?」

その口調はまるで『一杯飲んで行くか?』って言う仕事を終えたサラリーマンみたいだった。

「は?」

そんな響さんの口調に私は自分の耳を疑った。

今、プリクラって聞こえた気がしたけど

……もちろん、気の所為よね?

まじまじと響さんを見上げる私を

「俺、プリクラって撮った事ねえんだよな」

私の言葉を他所に響さんはまるで独り言のように呟いた。

「……いや、私もないんですけど……」

「は?」

さっきは私の言葉を軽く流したくせに

思わず呟いた今度の言葉には食い付いてきた。

「え?」

「プリクラを撮った事がないって言ったのか?」

「そうですけど?」

「一回ぐらいあるだろ?」

「ないですね」

「……」

「……」

無言で私を見つめる響さんは明らかに驚いているようだった。

「“凛”って子と撮ったりしねえのか?」

「凛と?しません」

「なんで?」

「凛はどうか分からないんですけど……」

「……?」

「私、写真って苦手なんですよね」

「苦手?写真が?」

「はい。映す時ってなんかポーズをとったりするでしょ?あれってよくよく冷静に考えてみたらかなり恥ずかしいと思うんです」

「……まぁ、そう言われてみれば……」

「それに、シャッターが押されるまでそのままのポーズでいないといけないのが苦痛で……」

「苦痛?」

「私、周りが沈黙になると笑ってしまう癖があるんです。静まり返ったエレベーターの中とか人はたくさんいるのに誰も喋らない空間にいると無性に笑いが込み上げてくるんです」

「それは珍しい癖だな」

「でしょ?」

「あぁ。じゃあ、写真を撮る前の沈黙が苦痛なんだな?」

「はい」

「なるほどな」

納得したように頷いた響さん。

それを見て、私は響さんがプリクラは諦めてくれたんだと思った。

……でも……。

「よし」

響さんは私の手を掴むと

「行くぞ」

「……!?」

ゲームセンターの中にズカズカと入って行った。

店内に足を踏み入れた途端、大きなBGMとゲーム機から発される音が耳を刺す。

薄暗い照明なのに明るく感じるのはたくさん並んだゲーム機の光が辺りを照らし出すから。

ここは昼間でも夜でも深夜でも時間を感じさせない。

日曜日の午後だから学生っぽい子の姿が目に付く。

ここには何度も来た事があるけど、

この時間帯に来るのは初めてかも……。

そんな事を考えていると

「どこにある?」

響さんの声が聞こえた。

「えっ?」

「プリクラを撮る機械はどこにある?」

「2階だったと思いますけど……」

「分かった」

「あ……あの……響さん!?」

響さんはまたしても私の言葉をスルーして2階へと繋がる階段を

私の手を引いたまま登り始めた。

……まさか……。

……いや……そんなはずない……。

私は、ちゃんと断ったし……。

だから、響さんがプリクラを撮りに行こうとしているような気がするのは

私の勘違いだと思うんだけど……。

……てか、どうか勘違いであって欲しい。

そんな私の願いも虚しく

響さんは若い女の子達で賑わうプリクラコーナーで足を止めた。

「ひ……響さん!?」

周りにたくさん人がいたから小声で呼び掛けた私の声は賑やかな騒音に掻き消された。

「いっぱいあるな」

立ち並ぶプリクラの機械に視線を向けたまま響さんは感心したように呟いた。

「これってどれがいいんだ?」

……そんな事を聞かれても……。

普段、プリクラと縁の無い私は

「……さぁ?どれがいいんでしょうね……」

としか答えられなかった。

そんな会話になっていない会話を交わしている私はある視線に気付いた。

プリクラの機械の前で順番を待っているらしい女の子達の集団。

その集団の子達が向ける視線の先には……

「なんでこんなに種類があるんだ?あれとこれはどう違うんだ?」

いつにも増して真剣に悩んでいる響さんの姿があった。

……すっかり忘れてたけど……。

帽子を被りサングラスを装着しているとはいえ、私の隣にいるのは響さんで……。

この人は必要以上に目立つ。

例え人混みにいたとしても必然的に他人の視線を集めてしまう。

高い身長。

長い手足。

整った顔。

そして、絶対に埋もれてしまう事のない独特のオーラ。

いつもはスーツを着てるし響さんの周りには厳ついお兄さん達がいるからどことなく話し掛け難い感じがあるけど……

残念な事に今日は私服で厳ついお兄さんもいないから

どこからどう見ても響さんはかっこいいお兄さんにしか見えない。

響さんの素性を知らないあの子達にしてみれば、響さんは“プリクラコーナーに突然現れたイケメンのお兄さん”でしかなくて……。

響さんが女の子達の標的になってしまう事は私にも安易に想像出来る。

ふと、気付くとその子達以外にも響さんに視線を向ける女の子達がいた。

……これはマズい……。

響さんの身の危険を察知した私は、女の子達の視線に気付かず未だにプリクラの機械を眺めながら悩んでいる響さんの腕を取ると

「ひ……響さん、あの機械が空いてますよ!!」

一番近くにある機械の中に強制的に響さんを押し込んだ。

これ以上、響さんを人目に晒す訳にはいかない。

そう思った私は自分でも驚く程の力を発した。

「あ……綾?」

そんな私の馬鹿力に響さんは驚いていたけど

私にはそれを気にする余裕なんてなかった。

プリクラの機械の中に身を潜めるように入った私はカーテンの隙間から外の様子を覗いてみた。

……よかった、大丈夫みたい……。

私は胸を撫で下ろした。

今のところ、大きな異変はない。

こんな所で女の子達が騒ぎ出したらパニック状態になるのは目に見えている。

そんな事になったらこの上なく面倒くさいし……。

きっと響さんだって困ってしまう。

そうならない為にも私がしっかりと響さんを守ってあげなきゃ!!

当の本人である響さんはこの緊迫した状態に全く気付いてないし……。

私は密かに闘志を燃やしていた。

「綾」

カーテンの隙間から外の様子をうかがっていた私は響さんに呼ばれた。

「……は……!?」

振り返り『はい?』と答えようとした私は

その言葉を発する前に響さんに肩を抱かれた。

……えっ?

なに!?

そう思った瞬間、素早く響さんはボタンを押し

『は~い♪撮るよ~!!』

なんとも緩い感じの声が聞こえ

私は眩しい光に包まれた。

……は!?

……一体、何が起きたの!?

状況が飲み込めず唖然とする私の耳に

「成功だな」

響さんの満足そうな声が聞こえ

恐る恐る隣を見上げるとそこには声と同じく満足そうな表情の響さんが私を見下ろしていた。

……やられた……。

私がそう気付いた時には、既に分割された同じ画像のプリクラが機械から出てきていた。

プリクラ初体験の響さんと私には

文字を書き込んだりハートや星の形のスタンプを押して

可愛らしいプリクラを作るなんて高等な技術があるはずもなく

なんともシンプルなプリクラが仕上がっていた。

しかも、不意打ちで撮影された私の顔は“驚いてます!!”って感じで

にっこり笑う事すら出来ていない。

「……これってかなり最悪な感じじゃないですか?」

出来上がったプリクラを眺めながら思わず呟いてしまった私に

「そうか?可愛いじゃん」

響さんは、私が持っているプリクラを覗き込むとお世辞にしか聞こえない言葉を述べた。

「は?可愛い?」

「あぁ」

「一体なにが?」

「ん?これ」

響さんが指を差したのは、かなりの間抜け面を惜しげもなく披露している私だった。

……どう見ても可愛くはないでしょ?

しかも、響さんが隣にいるから私の間抜け具合が余計に引き立ってるし……。

「撮り直すか?」

「はい?」

「気に入らないなら、何度でも付き合うぞ?」

……気に入らないって言えば気に入らない。

でも、だからってわざわざ撮り直すのも……。

……てか、なんで響さんはこんなに乗り気なの?

何気にすごく楽しんでない?

「……いえ、これでいいです」

「そうか?」

「はい」

残念そうに頷いた響さんを見て、私は苦笑してしまった。


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