番外編 温もり

俺が初めてアイツと出逢ったのは、深夜の繁華街だった。

“綺麗な女”。

それがアイツの第一印象だった。

外国の人形みたいに整った顔。

緩やかな波のような長い髪。

女にしては高い身長。

ただ歩いているだけでも人目を引くその容姿。

派手な女なんて夜の繁華街では全然珍しくなんてない。

でも、アイツは派手な女じゃなかった。

夜の闇に溶け込むような黒いワンピースに黒いサンダル。

化粧だって決して濃い訳じゃない。

それでも、アイツが人目を引いていたのは……。



その日も俺達はいつもと同じように繁華街のメインストリートに溜まっていた。

たくさんの人が行き交う路上。

そこを俺達は堂々と我が物顔で占領していた。

路上に座り込む俺達の傍らを通る奴らが迷惑そうな顔をしていようが、『邪魔だ』という視線を向けてこようが俺達は全くお構いなし。

それどころか、路上に座り込みタバコを吸ったり酒を飲んだり大騒ぎしたり……。

やりたい放題って言葉がピッタリだ。

すぐそこには派出所もあるけど、そいつらでさえも俺達の事は見て見ぬフリ。

でっけぇ乱闘騒ぎでも起こさねぇ限りアイツらが俺達に構う事はない。

それが分かっているから、俺達には恐いもんなんてなかった。

未成年にも関わらず飲酒、喫煙なんて当たり前。

毎日ケンカ三昧。

人を殴る事に罪悪感なんて全く感じない。

ただ、この瞬間が楽しければそれでいい。

未来の事なんて考えたくもねぇ。

現在いまを笑って過ごせるなら、過去も未来も俺はいらねぇ。

「おい、瑞貴」

「あ?」

「今からどうするよ?」

ハクがガードレールに腰掛ける俺に近付いてきた。

コイツは本名が博人ひろとであだ名が“ハク”。

あんまり詳しい事は分からねぇけど、自分の名前が嫌いらしい。

だから、本名で呼ぶと本気でキレる。

ハクの名前を口に出してはいけない。

それを俺が知ったのはハクと初めて顔を合わせた日だった。

◆◆◆◆◆

友達の友達だったハク。

友達に紹介されたハクは笑顔で俺に右手を差し出してきた。

「どーも」

「あぁ」

俺は差し出された右手を握った。

「俺、博人っていうんだ。……でも、」

「俺は瑞貴。よろしくな、博人」

この時、俺がハクの話を最後まで聞いてたらよかったのかもしれねぇけど……。

正直、聞こえなかったんだ。

俺が“博人”と口にした瞬間、紹介してくれた友達が焦った表情を浮かべた。

……?

不思議に思った瞬間、俺の視界にものすごい勢いでこっちに向かってくる物体が映った。

次の瞬間、鈍い音が響き頬に痛みを感じた。

……は?

……もしかして……。

俺が殴られたのか?

突然の事に頭が状況を理解するのに時間が掛かった。

でも、それは時間にすると数秒の事で……。

『お……おい!!瑞貴!!』

『ハク!!止めろって!!』

気付くと身体が勝手に動いていた。

周りにいた奴らが必死で止めに入る中、俺とハクは激しく殴り合っていた。

騒ぎを聞きつけて駆け付けた警官。

『おい!!逃げんぞ!!』

殴り合う事に夢中になり過ぎて周りの声が全然聞こえなかった俺の耳に誰かが叫んだその声だけが鮮明に響いた。

お互いに顔や身体にたくさんの傷を作った俺とハクは弾かれたようにつかみ合う手を放し全力でメインストリートを走り抜け細い路地裏に逃げ込んだ。

メインストリートとは違い人気の無い薄暗い路地裏。

殴り合いをしたうえに全力疾走までした俺とハクはぐったりと地面に座り込んだ。

ポケットからタバコを取り出し、火を点けると、少し離れた所でハクもタバコに火を点けていた。

暗闇にタバコの匂いが漂い煙を吐き出す微かな音だけが鮮明に聞こえてくる。

何度か煙を吐き出したハクが小さな声を発した。

「……なぁ……」

「あ?」

「……悪かったな」

「なにが?」

「……突然、殴って……」

「俺、未だになんで突然殴られたのか分かんねぇんだけど?」

「……だろうな」

「……」

「……嫌いなんだよ」

「は?なにが?」

「……自分の名前……」

「名前?なんで?」

「名前で呼ばれると思い出すんだよ」

「なにを?」

「……“親”……」

そう言ったハクの声はとても辛そうで……。

それ以上聞く必要はなかった。

深夜の繁華街に集まってくる奴らは何かしら心に傷を持っている。

その殆どが家庭に何かしら問題があって居場所がねぇ奴らばかりだ。

俺も例外じゃねぇし、多分、コイツも……。

「じゃあ、なんて呼べばいい?」

「……えっ?」

「嫌なんだろ?名前で呼ばれんの?」

「あぁ」

「だったら、なんて呼べばいいんだよ?」

「……“ハク”……」

「分かった。よろしくな、ハク」

「あぁ、サンキュ……」

「別に、俺も毎回話し掛ける度に殴られたらたまんねぇからな」

「……だな」

◆◆◆◆◆

あの日からハクと一緒にツルむ事が多くなった。

タメって事もあってハクとは気が合う。

好みも楽しいと感じる瞬間も隠し持っている傷も……。

俺とハクは似ていた。

「別に、なんでもいいけど?」

「ビリヤードでもしに行くか?この前、お前が勝ち逃げしたままだからそろそろリベンジしねぇとな。それとも飲みに行くか?リュウさんが『近いうちに顔出せ』って言ってたぞ」

「どっちでもいいけど……てか、お前もう飲んでんじゃん」

俺はハクの手に握られている瓶を顎で指した。

ハクの視線が自分の手に落ちていく。

「これは、酒じゃねぇよ」

「は?」

「酒のフリをしたジュースだ」

「……」

自身満々に言い放ったハクに俺は苦笑した。

ハクはこういう奴。

この適当な感じがハクのいいところ。

ハクは無邪気な笑みを浮かべて俺の足元に腰を下ろした。

地面の上で胡座を掻いたハクはタバコをくわえた。

「なんか楽しい事ねぇかな?」

タバコの煙と共にハクが吐き出した言葉。

それは、ハクの口癖。

別に本当に楽しい事を探してる訳じゃなくて、ふとした時に口にする言葉。

それがどんな事を指しているのかは分かんねぇけど……。

でも、ハクが何かしらの刺激を求めてるって事は俺にも分かる。

なんでかって言うと……。

それは、俺も同じだから。

上手く言えねぇんだけど、俺達は心にある大きな穴を必死で埋めようとしてんだと思う。

ぽっかりと空いた穴を代わりのモノで塞ごうとしてんだ。

なにかに夢中になっている時は喪失感を忘れる事が出来る。

今の俺達が夢中になれる事って言ったら“刺激的で楽しい事”ぐらい。

俺やハク、そしてここに集まる殆どの奴らが、飢えた獣のようにそれを求めていた。

「ナンパでもすっか?」

「……またかよ」

「あれ?瑞貴くんは女が嫌いなんですか?」

ふざけた口調のハク。

でも、ハクは俺を怒らせたい訳じゃない。

それが分かっている俺は気にも止めなかった。

「……嫌いじゃねぇけど……」

「……けど?」

「……後が面倒くせぇ……」

「確かにな」

ハクは楽しそうに腹を抱えて笑った。

「……てか、ハク」

「ん?」

「お前、この前ナンパした女どうした?告られたんだろ?」

「……あぁ、あれな……」

ピタリと笑いを止めたハクが気まずそうな表情を浮かべた。

「……?」

「……着拒中……」

言い難そうに呟いたハクに俺は溜め息を吐いた。

「……またかよ」

ハクはよくナンパをする。

見た目も悪くないし、話も上手くて面白い。

だから、引っ掛からない女はまずいない。

しかもハクが声を掛けるのは、ナンパも出会いの一つだと思っているような女ばかり。

なぜかハクはそういう女にしか声を掛けない。

抵抗感なく着いてくるような女を見極めて声を掛けるからハクのナンパ成功率は著しく上昇し、今では仲間内でもトップクラスの成功率を誇っている。

「……いや……違うんだよ」

「あ?なにが?」

「俺も好きで着拒してんじゃねぇんだよ」

「は?」

「いや、俺だって『コイツと付き合ってもいいかな』とか思うんだけど……」

「……けど?」

「付き合いだすと束縛してくんじゃん」

「束縛?」

「『今日も繁華街に行くの!?』とか……」

「……」

「『繁華街に何しに行くの!?』とか……」

「……」

「挙げ句の果てには『繁華街にナンパしに行くんでしょ!?』とか……」

「……間違ってはねぇじゃん……」

「おい、瑞貴!!ちょっと待て!!」

「……んだよ?」

「さすがに俺も彼女がいる時はナンパなんてしねぇよ」

「……そうか?」

どんなにハクが自信を持って断言しても、今まで彼女がいた期間が10日間とか5日間とか3日間とか……

全く長続きしてないからそれが本当なのかどうかが判断出来ない。

「……あぁ……一応、付き合い始める時には思うんだ」

「なにを?」

「『大事にしよう!!』って」

「あぁ」

「でも、ここは俺達にとって特別な場所だろ?」

「……だな」

「本当は比べちゃダメなんだろーけど」

「……」

「女とこの場所だったら、間違いなく俺はこっちを取る」

そう言ってハクは親指で自分の後ろを指した。

ハクの親指の先には、楽しそうに盛り上がってる奴らの姿。

ハクが選ぶのは“繁華街”じゃなくて、“友達がいる繁華街”って事はすぐに分かった。

友達を取るか女を取るか。


それは究極の選択だと思う。

ハクもそういう所が不器用って言うか……。

生真面目って言うか……。

器用に両立は出来ないらしい。

“着拒”するハクを人は“最低な男”だと思うかもしれない。

でも、ハクの“着拒”は歪んだ優しさなんだと思う。

ハクは着拒よりも相手の女をはっきりと突き放す事の方が傷付けると思っている。

だから、着拒で自分への関心を薄れさせて自然消滅を狙っている。

そうやって相手がハクに抱く気持ちを愛情から憎しみに変えようとしている。

自分が最低な男を演じれば相手の傷も浅くて済むかもしれない。

そんな事を考えているに違いない。

それは、心に深い傷を持つハクらしい考えかもしれねぇけど。

「……だったら、ナンパとか止めればいいじゃん」

「……だよな」

ハクは自嘲気味に笑った。

「結局、お前も傷付いてんじゃん」

「は?」

「相手の女も可哀想だけど、それ以上にお前も弱ってんじゃん」

「……」

ハクは驚いたように俺を見つめた後、俯くように視線を落とした。

しばらく、胡座を掻いた膝の上に置いた手を眺めていたハクが静かに口を開いた。

「……でもさ……」

「ん?」

「たまに、すげぇ寂しい時ってねぇか?」

「寂しい時?」

「あぁ、1人で寝たくねぇ時。そんな時に誰かが隣にいてくれるとすげぇ落ち着く」

「……あぁ」

「……それに……」

「……?」

「僕も健康な男の子だから……ねぇ?」

「……」

顔を上げたハクはいつもと同じように笑っていた。

ハクが手当たり次第にナンパをするのは、間違いなく最初の理由。

まぁ、後の理由も多少はあるかもしんねぇけど……。

俺も男だから気持ちに関係無くそういう事に興味がいくのも分かる。

だけど結局はハクも寂しいんだと思う。

こうやって仲間内でバカ騒ぎするのは楽しい。

でも、たまに無性に寂しくなる気持ちもなんとなく分かる。

人肌の温もりが恋しいっていうか……。

人の温もりに包まれたいっていうか……。

ハクは、その温もりをナンパの相手に求めてんだと思う。

だけど、俺らと同じくらいの歳の女にそれを求めた所で理解されるはずもなく、結局体だけの付き合いって思った女がハクを束縛する。

束縛されたハクは、その女の気持ちを受け止める事が出来なくなりあっと言う間に終わりを迎える。

まさしく、負の連鎖。

悪循環の連続だ。

その原因を作っているのは間違いなくハクの“弱さ”。

弱さがねぇと優しさは生まれねぇし、強くもなれねぇ。

……だけど……。

優しさや強さと違って弱さは隠そうとする分、人には伝わりにくく、時として恨みを買う事もある。

「……お前、そのうち女から刺されんぞ……」

俺の忠告にハクは苦笑しながら「……だな」と呟いた。

手に持っていたタバコを車道に向かって弾き飛ばしたハクがそのタバコを見つめたまま言った。

「……刺されねぇように気を付ける」

「あぁ、そうしてくれ」

「でも、もし刺されたら見舞いの品持って毎日病院に来いよ」

「は?見舞いの品?」

「もちろん、エロ本でお願いします」

「……お前、最低だな……」

俺の言葉にハクは、楽しそうに腹を抱えて笑い、そんなハクを見た俺も笑った。

「さて、瑞貴から貴重な助言も貰った事だし……今からどうすっかな~」

ハクは胡座を掻いたまま大きな伸びをした。

空に向かって伸びるハクの掌を見ていた俺の視界の端に1人の女が映った。

何気なくそっちに移した視線。

そのまま俺の瞳はその女に釘付けになった。

外国の人形みたいに整った顔。

緩やかな波のような長い髪。

女にしては高い身長。

ただ歩いているだけでも人目を引くその容姿。

人目を引く派手な女なんて夜の繁華街では全然珍しくなんてない。

でも、その女は派手って感じじゃなかった。

服だって夜の闇に溶け込みそうな黒いワンピースに黒いサンダル。

化粧だって決して濃い訳じゃない。

それでも、アイツが人目を引いていたのは……。

「どうした?」

ハクの不思議そうな声が聞こえる。

「いや……別に」

そう答えながらも俺の視線がその女を放す事はなかった。

そんな俺の異変にハクが気付かないはずもなく……。

「なに見てんだよ?」

ハクが俺の視線の先を振り返った。

何度か俺とその女を交互に見たハクが

「……はぁ!?」

すっと呆けた声を出したけど、俺はそれをシカトした。

俺にシカトされたハクは再びその女を確認するように振り返った後……。

「……おい、瑞貴」

低い声を出した。

「……んだよ」

「お前が見てんのって女だよな?」

「……」

「まさか、その隣にいる見るからにあっちの世界のオッサンじゃねぇよな?」

「……」

「止めとけって!!いくらお前が暴れん坊でも本職には勝てねぇって!!」

「……」

「あっ!!別に俺はビビってる訳じゃねぇぞ」

「……」

「お前がどうしてもって言うなら俺も一緒に行くし……」

「……」

「よし!!こうなったら一緒に入院すっか?」

「……ハク……」

「おう、どうした?行くか?」

「……ちょっと黙ってろ……」

「はぁ!?」

納得出来ねぇって声を出したハク。

そんなハクをシカトして俺は視線を動かした。

地面に座り込んで談笑中の奴らに視線を向ける。

その中にいるはずのそいつの姿を探して……。

茶髪の綿菓子みたいな髪の女。

「凛!!」

俺の声に凛はすぐにこっちに視線を向けた。

「な~に?」

「ちょっと来い」

「今?」

「あぁ、3秒以内だ」

渋々と立ち上がった凛はダルそうに俺とハクに近付いてきた。

「なによ?」

ハクの隣に座り込んだ凛が俺を見上げた。

「お前、あの女知ってるか?」

俺は2人の背後を顎で指した。

ほぼ同時に後ろを振り返ったハクと凛が

「……やっぱり女かよ」

「どの子?」

同時に言葉を発した。

「あそこにいる黒いワンピースの女」

俺は、ハクの言葉をシカトして、凛の問い掛けに答えた。

「はぁ?俺はシカトなのか?」

「……黒のワンピース……あっ!!あの背の高い子?」

「あぁ」

「やっぱりシカトなのか?」

「話した事はないんだけど、最近よくこの辺にいるよ」

「ふ~ん。歳は?」

「なんでシカトなんだ?」

「多分、私達とタメだよ」

「タメ?上じゃなくてか?」

「シカトしてんじゃねぇよ」

「うん。△△中の3年生。同中の子が言ってたから間違いないよ。殆ど学校には行ってないらしいけど……」

「俺らと“同類”か?」

「なぁ、俺も会話に入れろよ」

「……多分ね」

「どこかのチームとの関係は?」

「……寂しいじゃねぇか」

「今のところはないと思うよ。誰かと話してるとこを見た事はないし、どちらかと言えば誰かとツルみたがるタイプでもなさそうだし……でも……」

「おい!!俺にも構ってくれ!!」

「ハク!!うるさい!!」

「ハク、うっせぇぞ」

「……!!」

「凛、『でも』の続きは?」

「時間の問題だと思うよ」

「どういう意味だ?」

「みんな狙ってる」

「……狙ってる?」

「あれだけ綺麗な子をその辺の男が放っておく訳ないじゃん」

「……」

「私が聞いてるだけでもかなりヤバイ奴の名前が結構な数あがってるよ。実際にはもっといると思うけど」

「ヤバイ奴?」

「チームの幹部クラスの男とか。あの子を巡って抗争が起きるかもよ」

凛はそう言って楽しそうに笑った。

「あの女を巡って抗争?」

低い声を出したのは俺じゃなくてハクだった。

「うん、抗争。モテる女は大変だよね」

「凛、お前楽しそうだな」

「そお?私は心配してるんだけど、ハクには分からないんだろうな」

「心配?凛、日本語は正しく使え」

「はぁ!?正しく使ってんじゃん!!」

「バカか、お前は……本当に心配してるって言うのはな……」

「……?」

「こういうのを言うんだよ」

そう言ってハクは俺を指差した。

驚いた表情の凛と意味ありげな笑みを浮かべたハクが俺を見ている。

……。

……んだよ?

……この居心地の悪さは……。

「……瑞貴が……女の……心配……」

虚ろな瞳でぶつぶつと繰り返し呟く凛の瞳が

「……!!」

突然、輝いた。

……なんか、すげぇ嫌な予感がする……。

そう感じた瞬間、勢い良く立ち上がった凛は……。

「大変!!こんな貴重なネタをゲットするなんて!!みんなに報告しなきゃっ!!」

興奮気味に喚いた。

……おい、おい……。

勘弁しろよ……。

「……ちょっと待て」

俺は今にも走り出しそうな凛の手首を掴んだ。

「なによ!?」

行動を阻止された凛が不満そうな声を出す。

……なんでお前が不満そうなんだ?

おかしいだろ?

どう考えてもこの状況を不満に思うのは俺じゃねぇか?

「……お前、今から何をしようとしてる?」

「はっ!?なに言ってんの瑞貴?」

「あ?」

「こんな面白い話、早くみんなに教えてあげないと!!」

……。

……いや……。

俺だって分かってたんだよ。

凛がこういう奴だって……。

……でもさ、ちょっと期待とかしてたりすんだよ。

もしかしたら、口だけで実際にはそんな事しねぇかもって……。

確かに、立ち上がった凛は慌てた様子でどこかに行こうとしていた。

……してたけど、それが俺の想像通りとは限らねぇじゃん。

もしかしたら便所に行きたくなったのかもしれねぇし……。

そうじゃなかったら、喉が渇いたから飲み物でも買いに行こうと思ったかもしれねぇし……。

……なんてな。

どうやら、俺のその考えは甘かったらしい。

「……教えなくていい」

「なんで!?」

「全然、おもしろくねぇよ」

「いや、かなりおもしろいって!!」

「……おもしろがってんのはお前だけだろーが」

「うん、今はね」

「は?」

「だから私がみんなに教えてあげるんだってば!!」

「……」

たまに……凛の言ってる事が理解出来ねぇ時がある。

まさしく、今がそうだ。

この状況でおもしろいのは間違いなく俺じゃねぇよな?

確かに凛や凛の話を聞いた奴は楽しめるかもしれねぇ。

こういう話は他人の事となればそれだけでおもしろくなる。

でも、そうなったとしても俺は全く楽しくもねぇし、おもしろくもねぇ。

俺には利点なんてこれっぽっちもねぇじゃん。

利点どころか損するんじゃねぇか?

「……マジで止めてくれ……」

「いや!!」

「……マジで勘弁……」

「無理!!」

……コイツ……。

マジで手に負えねぇ……。

俺は溜め息を吐いた。

なんで俺がこんな目に合うんだよ?

マジで納得出来ねぇんだけど……。

大体こうなったのもハクが余計な事を言ったからじゃねぇか。

……てか、えらく大人しくねぇか?

いつものハクなら、凛に負けねぇくらい騒ぐはずなのに……。

俺は視線を動かした。

「……ハクはどこだ?」

ついさっきまでそこにいたはずのハクの姿がない。

「は?ハクなら……」

俺に手首をガッチリ掴まれている凛が反対の手で指差した。

その指先を辿った俺は

「……!!」

絶句した。

……しくじった……。

凛の相手に夢中になり過ぎて全く気付かなかった。

いつの間にか俺達の傍を離れたハクは女に声を掛けていた。

さっき話したばかりだと言うのに……。

ハクは相変わらずだった。

まぁ、このくらいでハクがナンパを止めるはずなんてねぇけど。

もし、俺が忠告したくらいで止めるなら、ハクも最初からナンパなんてしねぇだろうし……。

だから、それはいい。

ハクがナンパをしたいなら好きなだけすればいい。

……けど……。

問題はハクが声をかけている相手だ。

なんでハクがあの女に声を掛けてんだ?

「早く行った方がいいよ」

凛がニッコリと微笑んだ。

……いや……。

これはニッコリじゃなくてニヤリだな……。

天使の微笑みに見せかけた悪魔の微笑。

……コイツ……。

今度は何を企んでやがる?

「あ?」

警戒している俺の声は自然と低くなった。

「……ハクはヤバイと思うよ」

「ヤバイ?なにが?」

「瑞貴も知ってるでしょ?」

「だからなにがだよ?」

「ハクのナンパ成功率」

「……」

「こんな時間にこんな場所にいる女がハクの毒牙に掛からない訳ないじゃん」

「……」

「早く行けば?」

「……」

「あっ!!別に強制してる訳じゃないよ」

「……」

「瑞貴がいいなら私は全然構わないし……」

「……」

「ハクが誰に声を掛けようが……」

「……」

「それがきっかけで2人が仲良くなろうが……」

「……」

「いつの間にか2人がどこかに消えようが……」

「……」

「そこから、2人の関係が深くなろうが……」

「……」

「何日か後にハクの着拒リストの名前が増えようが……」

「……」

「ハクの行動にあの子が傷付いて泣こうが……」

「……」

「私には全然関係ないから」

「……」

ハクとあの女が……。

なんだこの胸騒ぎは……。

……いや……。

いくらハクのナンパ成功率が高確率だと言っても……。

100%って訳じゃねぇし。

アイツだって収穫なしの時だってあるし……。

……それに……。

あの女はハクの得意分野じゃねぇじゃん。

凛だって言ってたじゃねぇか。

『みんな狙ってる』

でも、よくよく考えてみればそれだけ狙われているにも関わらず、未だに誰も落とせてないって事は……。

きっとあの女はナンパ嫌いな女に違いない。

残念ながらハクのナンパ成功率は今晩下がってしまうらしい。

……ドンマイ、ハク……。

俺は心の中で楽しそうに笑うハクに向かって手を合わせた。

「あれ?行かないの?」

タバコを取り出した俺を不思議そうな表情で見つめる凛。

「あぁ」

「はぁ?なんで?」

「なにが?」

「なんで行かないの?」

「なんで行かないといけねぇんだ?」

「だってハクだよ?ハクがあの子に声を掛けてるんだよ」

「……だな」

「はぁ!?なんでそんなに冷静なの?全然面白くないじゃん!!」

「……」

……とうとう本音が出たな。

ふてくされてる凛を軽くシカトして俺はタバコに火を点けた。

「……はぁ……全然面白くない……」

「……」

「ハクとあの子はあんなに楽しそうなのに……」

「……」

は?

楽しそう?

確かに、ハクはさっきから笑ってるけど……。

あの女は鬱陶しそうな顔をして……ねぇじゃねぇか……。

衝撃の事実に気付いた俺はくわえていたタバコを落とした事にも気付かず茫然とその光景を眺めていた。

「危なっ!!」

「……」

膝の上に落ちたタバコを俺の代わりに慌てた様子で叩き落としている凛。

「熱っ!!」

「……」

凛は眉間に深いシワを刻みながら俺の膝をバシバシ叩いている。

「……全く……」

「……」

「火傷したらどうすんのよ?」

「……」

……おい……。

「火の点いたタバコを落とすくらい動揺してるくせに……」

「……」

……膝が……。

「格好付けてんじゃないわよ」

「……すげぇ痛ぇんだけど……」

いつまでも凛にバシバシと叩かれていた俺は我慢出来なくなりそう言ったのに……。

「はぁ!?」

凛は不機嫌な声を出して俺を睨んだ。

……ちょっと待て……。

なんで俺が睨まれてるんだ?


ここは、凛が怒るところじゃねぇだろ……。

俺は『痛ぇ』って正直に言っただけだし。

どっちかと言えば俺は被害者だろ。

「……」

「……」

無言で俺を睨む凛とそんな凛を見つめる俺。

無言の時間がしばらく流れ、

「……もう!!」

凛が呆れたように溜め息を吐いた。

「……」

「もう少し頑張れば?」

「……」

はぁ?

頑張る?

何を?

「瑞貴がどうしてもって言うなら協力してあげない事もないけど?」

「……協力?」

「仕方ないなぁ~。そんなに言うならこの凛様が意気地なしの瑞貴くんを助けてあげるしかないね」

「……別に何も言ってねぇし、頼んでもねぇけど」

「まぁ、ハクの毒牙からあの子を救えるのは私くらいのもんだろうし」

「……本当に助けようと思ってんのかよ……」

「ほら、私ってかなりいい奴じゃん?困ってる子がいたら放っておけないっていうか」

「……お前がいい奴かどうかは微妙だけどな……」

「それに綺麗な子が困っていたら助けなきゃって思うんだよね」

「……別に困ってはねぇだろ。すげぇ笑ってるし……」

「綺麗な男も女も大好きだし」

「あぁ、そう言えばアイツもキレイな顔をしてたな」

「そう、そう。基本的に綺麗な顔の子としか仲良くしないから」

「……お前、最悪だな」

「そう?ありがとう」

「……全然褒めてねぇし……」

「あら、残念。……で?」

「あ?」

「アイツって誰の事?」

「……」

「……?」

「……今更それかよ」

「ねぇ、誰のこと?」

「名前が出て来ねぇ」

「はぁ?」

「キャバで黒服してる……」

「黒服?」

「先輩」

「……」

「お前が惚れてる……」

「……!?」

「……男」

「……!!」

やっと黙らせた。

弱点を人に見せない凛。

そんな凛にも大きな弱点がある。

繁華街のキャバで黒服として働いている“先輩”

名前は確か……。

……。

……。

……なんだったっけ?

チャラい見た目とは正反対の名前。

歴史の教科書に登場しそうな名前。

「リョウマだったか?」

「……」

「いや、違ぇな。タカモリだっけ?」

「……ムサシ……」

「あぁ!!それだ、それ。ムサシだムサシ」

「……」

「見た目はあんなに軽そうなのに、なんで名前はそんなに古風なんだ?」

「……先輩のおじいちゃんが剣道の先生だから……」

「なるほどな。じゃあ、“ムサシ”先輩も剣道強ぇのか?」

「……剣道に限らず棒状のモノを持たせたら最強……」

「最強?」

「……うん……」

「例えば?」

「……高校生の時、上級生の集団にトイレに呼び出されてたまたまそこにあったモップで全員病院送りにしたり……」

「……」

「今働いてるキャバの前の店でチンピラが嫌がらせに来た時、ホウキ一本で撃退したり……。先輩の伝説は上げ始めたらキリがないの」

「……マジですげぇな……」

「……うん……」

「なんでそんな奴に惚れたんだ?」

「顔」

「……」

「……それと……」

「……?」

「見た目に反して意外にもチャラくなくて真面目なところ」

「へぇ~。そうなのか?」

「うん。ああ見えて女友達も少ないし……」

「マジで!?」

「スマホのメモリーにも女の情報はほとんど入ってなかったりするの」

「なんでお前がそいつのスマホ事情まで知ってんだよ?」

「……見せて貰った事がある」

「はぁ?勝手に見たんじゃねぇだろうな?」

「そんな事しないし!!」

鼻の穴を膨らませて否定した凛。

……。

……。

確かに……。

凛はそんな事をするような女々しい女じゃない。

一緒にいると、たまに『実はコイツは男じゃねぇか?』と思う事がある。

……たまに。

……しばしば。

……頻繁に。

……まぁ、だから俺達と付き合っていけるのかもしれねぇけど……。

凛は俺やハクにとって女じゃない。

凛と恋愛が出来るかって聞かれたら……。

それは、無理。

外見がタイプじゃないとか、性格がどうとかの話じゃなくて……。

凛は友達。

俺にとってハクが気の合う友達であるように、

凛も俺にとって大切な友達。

異性同士の間には友情なんて存在しない。

よく耳にする言葉。

だけど俺はそうは思わない。

確かに凛と知り合うまでは俺もその言葉の内側にいた。

その頃、俺が女っていう生き物に持っていたイメージは……。

ギャーギャーうるさくて……。

気分屋で……。

自己中で……。

そのクセ自分が都合が悪くなったらすぐに泣く。

泣けば自分の思い通りになると思っている。

まぁ、そんな女ばかりじゃねぇのかもしれねぇけど……。

俺にそんなイメージを植え付けたのは、それまで俺に関わってきた女達だった。

……あの女も含めて……。

俺の記憶に僅かに残るあの女も……。

泣きながら喚いていた。

親父が泣き喚くあの女に面倒臭そうに言い放った。

『そんなに嫌なら出て行け』

その翌日、俺が幼稚園に行っている間にあの女は消えた。

『瑞貴』

『なぁに?お母さん』

『今日の夜はレストランに2人でご飯を食べに行こうか?』

『本当!?』

『えぇ。何を食べるか考えててね』

『お子様ランチ!!』

『はい、はい』

『お母さん、約束だよ!!』

『うん、約束ね』

……その約束が果たされる事は無かった。

あの女は笑顔で交わした約束を平然と破り俺の前から消えた。

幼いながらに約束を破られた事が信じられなかった。

悲しさ……。

悔しさ……。

寂しさ……。

果たせねぇ約束なら最初から口にしなければいいのに……。

月日を追う毎に母親の声も顔も……

記憶は薄れるのに、

その時、感じた感情は今でもはっきりと思い出す事が出来る。

結局、母親が俺に残したのは嫌悪感だけ。

その嫌悪感は女に対する警戒心を俺に植え付けた。

……女なんて面倒くせぇ。

そうは思っていても女と関わらずに生きていくなんて無理な話で……。

俺が選んだのは適当に女と接する道だった。

笑顔で言葉を交わしてもどこかで警戒をしていた。

身体を重ねる夜を過ごす事があっても俺の心の中にまでは踏み込ませる事は無かった。

そうする事で俺は自分自身を守ろうとしていた。

あの時みたいに消えない傷を負いたくない。

そんな俺の考えを覆してくれたのが凛だった。

◆◆◆◆◆

凛もハクと同じ様に友達の友達だった。

クリクリとまん丸の瞳を輝かせた凛は小型犬を連想させた。

「瑞貴、よろしく!!」

初対面にも関わらず馴れ馴れしい凛に警戒心満々の俺。

「なんで女なんか紹介されねぇといけねぇんだよ?」

キレかけた俺に凛を紹介した友達は言った。

「アイツは女じゃねぇよ」

「はぁ?女じゃない?」

「あぁ」

そうは言われてもどこからどう見ても凛は女だった。

小さな身体をキャミとミニスカートで包み、

綿菓子みたいな茶色い髪。

メイクで隠した幼さの残る顔。

一緒にいる女に比べたら頭一個分くらい小さな身長。

楽しそうに笑う声も、

はしゃいでいる声も、

女そのもので……。

一瞬、女の格好をした男かと思ったりもしたけど……。

「……どう見ても女じゃねぇか……」

「いや、違う」

なんでこんなに自信満々なのかが全く分かんねぇけど……。

どこからどう見ても女の凛をそいつは女じゃないと言い張る。

その言葉が全く理解出来ない俺は、挨拶を交わすだけで他の女と同様に凛とも距離を取っていた。

紹介されてから凛は毎日のように溜まり場に顔を出すようになった。

凛は俺の姿を見つけた瞬間、すげぇ勢いで近寄って来る。

その姿はおもちゃを見つけた小型犬そのもので……。

「瑞貴、元気?」

まん丸な瞳を輝かせて……。

「あぁ」

……こいつ、本当は尻尾があるんじゃねぇか?

そう思わずにはいられなかった。

凛は俺だけじゃなくみんなに声を掛けていた。

人懐っこい笑顔と明るい性格であっという間にこの空間に溶け込んだ。

男にも女にも……。

タメも年下も年上にも……。

相手が誰であろうと変わる事のない態度。

凛がそこにいなくてはならない存在になるのに時間は掛からなかった。

そんなある日のこと。

いつものように溜まり場にいた俺は、最新号の雑誌を眺めていた。

その場にいる誰もがいつもと同じように時間を過ごしていた。

ただ一つ違ったのは……。

そこにうるさすぎる声が聞こえなかった事。

そして、俺がここに顔を出しても駆け寄ってくるアイツがいなかった事。

初めて顔を合わせたあの日以来。

凛が溜まり場に姿を見せなかった日はなかったし、

あのテンションの高い声が聞こえない日もなかった。

あんなにうるさいと思っていたのに……。

あんなにウザイと思っていたのに……。

いざ凛がいないと静かすぎて……。

なぜか寂しく感じた。

俺は見ていた雑誌を置いた。

「……なぁ」

すぐ傍にいたそいつに話掛けた。

「ん?」

マンガを読みながら返事をしたそいつは俺に凛を紹介してくれた奴で……。

「……アイツ、今日は来ねぇのか?」

「アイツ?」

読んでいるマンガから視線を動かさずに

そいつは不思議そうな声を出した。

「……り……」

「ちょっと悪ぃ……はい?」

『凛は来ねぇのか?』

そう尋ねようとしたけど……。

微妙なタイミングでそいつのスマホが鳴った。

俺の質問は遮られ、会話は一時保留となった。

「……あぁ……うん……」

漫画を見つめながらダルそうに話ていたそいつが

「……はぁ!?」

突然でけぇ声を出し

「分かった、すぐに行く」

慌てたようにスマホを閉じた。

「おい、瑞貴!!」

そいつは手に持っていたマンガ本を放り投げ勢い良く立ち上がり

「あ?」

「行くぞ!!」

なぜかそいつは瞳を輝かせていて……。

「は?どこに?」

全く状況が理解出来ない俺に

「凛が女じゃないって証明してやる!!」

意味不明な言葉を自信満々に言い放った。

「……意味分かんねぇ」

「とにかく来いって!!」

そいつは俺の腕を掴むと溜まり場の出口へと向かう。

「……おい」

「ん?」

「俺は逃げねぇから取り敢えず腕を放せ」

「は?……あぁ……悪ぃ」

やっと解放された俺の腕。

なんでこいつがこんなに焦っているのかは分からねぇけど……。

どうしても凛が女じゃない事を証明したいらしく。

女の凛を女じゃねぇなんて証明出来るはずねぇだろーがと思いつつも

別にヒマだからこいつに付き合ってやるかみたいな気持ちで溜まり場を出た。

溜まり場の外には今、来たばかりらしいハクがいて

「ど……どうした?」

不思議そうに俺達を見ている。

「ハク、お前も来い!!」

そいつはそう言い残して走り出した。

夜を迎えようとしている繁華街へと向かって。

「なんだ?なにがあった?」

ハクが走り去るそいつの背中を見ながら尋ねてくる。

「……俺もよく分かんねぇんだけど……」

「あ?」

「凛が女じゃねぇ証拠をみせたいらしい」

「は?凛は正真正銘女だろーが」

「あぁ、俺もそう思うんだけど……」

『瑞貴!!ハク!!なにやってんだ?早く来いよ!!』

俺達が着いて来ていない事にやっと気付いたらしいそいつが焦ってる感満載の声で叫んだ。

焦ってる感満載な声はどこか楽しそうで

その声が繁華街に響き、道行く人がそいつに視線を向けている。

「どうする?」

ハクが俺に視線を向けた。

「俺達がこのままあっちに走り出したら、あいつは怒ると思うか?」

俺は叫びながら俺達をみているそいつがいる方とは反対の方を指差した。

「……あぁ、間違いなく全力疾走で追い掛けて来るだろうな」

「お前、今から全力疾走してぇか?」

「……悪ぃ、俺さっき起きて飯食ったばかりなんだ……」

「じゃあ、全力疾走は無理だな」

「あぁ、全力疾走は勘弁してくれるとありがたい。……それに……」

「……?」

「“凛が女じゃねぇ証拠”ってのを見たい気もする」

ハクの気持ちはなんとなく分かる。

凛は女。

それは紛れもない事実。

俺がその事実を信じる事はあっても疑う気は更々ない。

……だけど……。

“凛が女じゃねぇ証拠”ってのは気にならなくもない。

「行ってみるか?」

「あぁ」

俺とハクは闇が支配しようとしている繁華街に向かって足を踏み出した。

確かハクが全力疾走は無理って言っていたはずなのに……。

なぜか俺とハクは繁華街のメインストリートを全力疾走している。

その原因は俺とハクの数歩前を全力疾走しているこいつの所為。

何をそんなに急いでいるのかは分かんねぇけど……。

“凛が女じゃねぇ証拠”を見る為にはこいつに着いて行かないといけなくて……。

いつもと変わらない繁華街。

いつもと変わらないって事は人が溢れているって事で……。

そんな所を全力疾走するのは容易な事じゃない。

前も後ろも右も左も……。

四方八方を人に囲まれている状態。

そこを全力で走り抜けられるのは……。

俺達の前を走るコイツが

『オラァ!!退け!!』

『道空けろ!!コラ!!』

叫んでいるから。

繁華街に響き渡るドスの効いた怒声に行き交う奴らが驚いたように道をあけていく。

全力疾走しながらこれだけ声が出せるコイツを俺はある意味尊敬する。

しばらく走ると公園の噴水が見えてきた。

繁華街のど真ん中にある公園。

最近、緑化計画とかなんとか言って自分の好感度を上げるために権力を持った大人が作った新しい公園。

休日の昼間には親子連れやカップルで賑わっているけど

夜になると俺達みたいな奴らやナンパしたい奴やナンパされたい奴が集まる場所へと変わる。

でけぇ噴水はこの公園のシンボルみたいなモノで日がくれるとライトアップされる。

その噴水の前に出来た人集り。

そこでやっと足を止めたそいつは

『……退けよ』

人集りに向かって低い声を出した。

威圧的な声に振り返った若い男が道を譲る。

人集りの中心に足を進めるとそこにいたのは凛だった。

いつも笑顔を絶やすことのない凛が険しい表情で立っている。


そんな凛の視線の先には男が2人。

凛の険しい表情とは対照的にそいつらは笑みを浮かべこの状況を楽しんでいるようにも見える。

凛の後ろには女が2人。

完全に怯えきったような表情。

この状況を見る限り決していい状況とは言えない。

『……良かった。間に合った』

俺とハクをここに連れて来た張本人が安心したように呟いた。

「なぁ、これって……」

ハクが凛に視線を向けたまま口を開いた。


『あぁ、モメたらしい』

「はぁ?モメた?なんで?」

『凛の後ろに女がいるだろ?始めはあいつらが絡まれたらしい』

「……ナンパか?」

『……あぁ』

「なんでお前が事情を知ってんだよ?」

ハクと話していたそいつに俺は尋ねた。

コイツはずっと俺と溜まり場にいたはずだ。

『さっき連絡を貰った』

「誰に?」

『知り合い』

「そいつはどこにいる?」

『この中のどこかに紛れてんじゃねぇか?』

「なんですぐに助けねぇんだ?」

この状況の原因を聞く限り凛に落ち度はない。

むしろ絡まれた友達を庇ってんだ。

相手は男。

背の低い凛は余裕で見下ろされてるし……。

しかも、2人。

凛の後ろにいる女は怯えていて身動きひとつしない。

男2人相手じゃ凛ひとりがどんなにイキがっても結末は見えてる。

「……俺が行く」

俺の言いたい事を理解したらしいハクがそう言って凛達に近付こうとした瞬間……

『……止めとけ』

そいつはハクの腕を掴んだ。

「あ?」

珍しく低い声を出したハク。

『必要ねぇよ。それに凛も手を出されたくねぇはずだ』

俺達よりも凛との付き合いが長いそいつの言葉には妙な説得力があり

ハクは俺に視線を向けた。

その瞳は「どうする?」って感じで……。

ハクが俺に向ける視線に気付いたそいつが

『助けに入るのは凛が本当にヤバくなってからでもいいだろ?』

余裕すら感じる口調で宥めるように言った。

……まぁ、確かに……。

今、この瞬間に凛が危険な目に合ってる訳じゃねぇし……。

凛が周りに助けを求めてる訳でも強がって平然を装ってる訳でもない。

この距離にいればいざという時にすぐに助けに行く事も出来る。

それに、こいつが俺達に何かを見せようとしているのは一目瞭然で

多分それが凛の“女じゃない証拠”に関係がある事も分かる。

俺はハクに向かって小さく頷いた。

それを見たハクは凛に視線を戻した。

ポケットに両手を突っ込んだハクは黙って凛を見つめている。

俺達が見守るように凛を見つめ始めて数分後。

状況は俺達の予想通りの展開を見せた。

張り詰めた空気の中、言葉を交わした凛と男達。

『女のクセにイキがってんじゃねぇよ』

男の1人がそう言って凛の肩を突き飛ばした。

その瞬間、凛は動いた。

……結局、俺やハクの出番はなかった。

自分より体格のいい男2人相手に凛は圧勝だった。

あっという間に男を動けなくした凛は肩で呼吸はしているけど、かすり傷ひとつない。

その光景を呆然と見つめている俺とハク。

もちろん周りの野次馬達だって「……信じられない……」って表情をしている。

そんな空気の中、まるでこうなる事が分かっていたかのように

『な?手助けなんて必要なかっただろ?』

楽しそうな表情の奴が1人。

「……」

「……」

驚きの余り言葉が出てこない俺とハク。

『あいつケンカで負けた事が一度もねぇんだ』

「は?」

「あ?」

俺とハクが同時に声を発した。

「……一度も?」

『あぁ、相手が男でも女でも絶対に負けない』

そいつのその言葉が信じられなかった。

凛の動きはケンカ慣れしてる奴の動きだった。

……って事は、何度もケンカをしてるって事で……。

回数をこなしているのに負けた事がないはずがない。

俺だって負けた事はあるし、

もちろんハクだって……。

ケンカなんてそんなモノだ。

回数をこなせば負ける率だって増える。

今までケンカで負けた事のない奴なんて会った事がない。

「ケンカで負けた事がない事が“女じゃねぇ証拠”なのか?」

『ん?……まぁ俺的にはそれだけでも充分、男前で女にしとくのはもったいねぇと思うんだけど……』

そう言ってそいつは涙を浮かべている女達の頭を撫でている凛に視線を向けた。

『さっきあの男達が地雷を踏んだのに気付いたか?』

「地雷?」

『凛が大嫌いな言葉をあいつらが言ったんだ』

……凛が大嫌いな言葉?

俺は記憶を辿った。

……もしかして……。

「……“女のクセに”か?」

『瑞貴くん大正解!!』

てっきり肩を突き飛ばされてキレたと思ってたけど……。

どうやら違ったらしい。

『“女のクセに”って言葉は禁句だ。もし、あいつを本気でキレさせたいなら効果抜群だけどな』

「……」

「……」

『あいつも“傷”を持ってんだよ』

「傷?」

『あぁ、普通の女は女である事を武器にすんだろ?でもあいつは絶対にそんな事しねぇ』

「どういう意味だ?」

『あいつはガキの頃から“女のクセに”って言葉を聞いて育ってきた』

「……?」

『あいつの親父さんはすげぇ古風な人だったらしくてよ。女を見下したような扱いをする人だったらしい』

「……」

『何かある度にお袋さんや凛に“女のクセに”って言ってたらしい。あいつは知ってたんだ。親父さんにそう言われた後、お袋さんが誰もいない部屋で泣いてた事を……』

「……」

『……その事が直接の原因かどうかは分からねぇけど……』

「……」

『精神的に弱ったお袋さんはある日突然、凛の前から消えた』

「……出て行ったのか?」

『……いや……』

「……?」

『……自殺……したんだ……』

「……!!」

『お袋さんが亡くなってからだ。凛がその言葉に異常に反応をするようになったのも、実家に近寄らなくなったのも……』

「……」

『でもさ、あいつはあいつなりに努力してんだよ』

「努力?」

『ケンカで絶対に負けねぇのも、人前で絶対泣かねぇのも、どんな事でも必ず自分で解決しようとすんのも、全部“女のクセに”って言われたくねぇからだ』

「……」

『そんな凛を俺はかっこいいと思うし、いい意味で女じゃねぇって思ってる』

そいつはそう言って凛を眩しそうに見つめた。

「……確かに女じゃねぇな」

「あぁ」

俺の言葉にハクが頷いた。

『だろ?』

そいつは嬉しそうな笑みを浮かべた。

「凛!!」

ハクがでけぇ声を出した。

その声に凛は辺りを見渡し俺達に視線を留めた。

「ハク!!あっ!!瑞貴もいる!!コウダイまで!!みんな揃ってどうしたの!?」

女2人の手を引いて近付いて来た凛は首を傾げ不思議そうな表情で俺達を見上げている。

『瑞貴とハクがお前がなかなか溜まり場に来ねぇから迎えに行くってうるさくってよ……』

「え?瑞貴とハクが!?マジで!?そっか~2人共、私がいなくて寂しかったんだね。よし!!溜まり場に帰ろう!!」

嬉しそうに歩き出した凛の後ろ姿を見て俺達は顔を見合わせて吹き出した。

◆◆◆◆◆

「……瑞貴……」

「……」

「瑞貴?」

「……」

「瑞貴ってば!!」

「……あ?」

「どうしたの?ボンヤリして。具合でも悪いの」

「いや……なんでもねぇよ」

「そう?調子悪いならすぐに言いなよ?」

「あぁ」「それでどうすんの?」

「なにが?」

「あの子」

凛が指差したのはあの女だった。

「……」

どうする?って聞かれても……。

「……あの子も寂しいのかな?」

呟くように言った凛。

「あ?」

「私達みたいに居場所と温もりを求めてるのかもしれないね」

凛の言葉は俺を動かすには充分の言葉だった。

ガードレールから腰を上げた俺に

「瑞貴?」

凛が驚いたような声を出した。

「お前も来いよ」

「えっ?」

「綺麗な顔の奴が困ってたら放っておけないんだろ?」

「……うん!!」

近付くに連れて聞こえてくるハクと女の声。

その声は見た目と同じ落ち着いた声だった。

近付く俺達に先に気付いたのは女だった。

女の顔から笑みが引き俺達に警戒しているのが分かる。

それに気付いた俺は自然と立ち止まった。

「……瑞貴?」

俺の一歩後ろを歩いていた凛が隣で足を止めた。

「……どうしたの?」

不思議そうに首を傾げていた凛が俺と女を交互に見て

「私に任せて!!」

瞳を輝かせた。

「あ?」

「大丈夫だって!!安心して私に任せてて!!」

……。

……いや……全然安心出来ねぇんだけど……。

そんな俺の思いを他所に凛は俺の腕をガッチリと掴んだ。

……!?

そして、徐にハクと女の間に割って入った。

「初めまして!!」

突然の凛の行動に女の顔が微妙に焦っている。

「私、凛。あなたは?」

「……綾」

「綾、よろしく!!」

凛は俺の腕を放すと今度は綾と名乗った女の右手を掴んだ。

そして、勢い良く上下に振った。

綾の顔が明らかに引き攣っている。

でも、凛はそんな事お構いなしで機関銃の如く言葉を発した。

「綾、これ瑞貴ね。そんで、これがハク。あっ!!ハクは紹介しなくても知ってるか」

「う……うん……」

「私達、綾とタメだから仲良くしようね」

「えっ!?……えぇ……」

「居場所がないなら私達の所においでよ」

凛のストレート過ぎる言葉にその場にいた全員が固まった。

張り詰めた空気さえ感じる中

凛だけが人懐っこい笑みを浮かべている。

そんな凛をまっすぐに見つめている綾。

俺とハクは息を飲んで2人を見つめていた。

「1人だと寒いでしょ?」

「……えっ?」

驚いた表情の綾。

でも、それは当然と言えば当然で……。

今は7月。

鬱陶しかった梅雨もようやく終わりを告げようやく夏の到来を感じる時期。

そんな時期に寒い訳もなく……。

どちらかと言えば暑い。

だから、凛の話す日本語は明らかにおかしくて

綾が不思議そうな表情を浮かべるのも当たり前だった。

「おい、凛。お前の日本語おかしくねぇか?」

俺と同じ事を思ったらしいハクが呆れたように言った。

「えっ?そう?」

意味不明な言葉を口にした凛が首を傾げている。

「今は7月だぞ?寒い訳ねぇじゃん」

「……ハク……」

「あ?」

「あんたバカでしょ?」

「……なっ!?」

きっと誰が聞いてもバカなのは凛だと言うはずなのに……。

そんな凛にバカ呼ばわりされた気の毒なハクはショックの余り言葉さえも失っている。

「寒いのは体感温度じゃないわよ」

「は?」

「寒いのは……ここだよ」

凛が指差したのは左胸だった。

……なるほどな。

凛の言いたい事を理解した俺は珍しく凛を尊敬した。

凛が言いたいのは『1人だと心が寒い』って事。

季節に関係なく寂しいと心が冷える。

凛は多分それを言いたいんだと思う。

その寒さを経験した事のある凛だからこそそう言える言葉。

凛の言葉はしっかりと綾にも伝わったらしく

「……そうだね」

綾が寂しげに微笑んだ。

その横顔から俺は目が離せなくなった。

「……それなら来ればいいじゃん」

俺の口から自然と言葉が零れた。

「ほら、綾!!瑞貴もああ言ってるんだから!!結構、温かいよ」

「……?」

「みんなでいると温かい」

凛の言葉に綾が小さな声で呟いた。

「……ありがとう……」

◆◆◆◆◆

あの日から月日は流れて俺達は高校生になった。

こいつと同じクラスだと分かった時、俺が心の中で思わずガッツポーズをしたことも……。

初めてこいつの制服姿を見た時思わず見惚れてしまったことも……。

こいつに想いをぶつけて抱いた時、思わず涙が溢れそうになったことも……。

こいつの寝顔を見る度に思わずその頬にキスをしたくなる事も……。

……こいつは知らない。

校内にある空き教室。

窓の外は陽が落ち辺りは暗くなりつつある。

さっきまで聞こえていた部活中の生徒の声がいつしか聞こえなくなっていた。

ソファに座った俺の膝の上にすやすやと眠っているこいつ。

午後の授業開始のチャイムと同時に眠りに落ちまだ起きない。

軽く5時間以上も寝返りひとつせずに眠っているこいつ。

……そろそろ起こすか……。

そう思ったのは1時間前のこと。

今日、こいつはバイトに行く日。

一度、家に帰って準備をするならそろそろ起こしてやらないといけない。

……でも、もう少しこいつの寝顔を見ていたい気もするし……。

出来ればバイトに行かせたくない。

それは俺の完全な独占欲。

自分でも分かっているけど……。

俺はこいつを起こす事が出来なかった。

結局、この時間までずっと……。

弱い自分に嫌気がさす。

そんな事をしても結局困るのはこいつじゃねぇか。

もう一人の俺がそう囁く。

……別に俺はこいつを困らせたいわけじゃない。

弱い自分を振り切るように俺は頬にキスを落とした。

唇に柔らかくて温かい感触を感じ、俺はゆっくりと唇を離した。

「……綾、ずっと俺の傍にいろよ……」

俺の小さな声が、眠っている綾に届く事はない。

……これから先もずっと……。

俺はゆっくりと綾の頭を撫でた。

柔らかい髪が俺の指に絡みつく。

「……綾……」

その時今まで身動きひとつしなかった綾が

「……ん……」

微かに動いた。

ゆっくりと開く瞳。

そんな綾に俺は平然さを装って声を掛けた。

「やっと起きた」

俺が呆れたような口調だったのは、弱い自分を綾に見せたくなかったから……。

「今、何時!?」

焦っている綾に感じる罪悪感を隠しながら俺は答えた。

「19時過ぎ……」

「はぁ!?」

「んだよ?」

「……バイト……」

「あ?」

「バイトに行かないと!!」

「……」

「もう!!なんで起こしてくれないのよ!?」

「はあ?」

そう言いながら俺は心の中で綾に謝った。

きっと、こいつは気付いていない。

俺がどんなに綾の事を想っているのか……。

俺がどんなに綾の事を好きか……。

……だけど……。

それでもいい。

この先ずっと綾が気付かないとしても……。

ただ傍にいてくれるだけで……。


俺の心の中は温かい。


番外編 温もり【完】

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