エピソード6

響さんの車を降りた私はその車が見えなくなるまで見送った。

『連絡しろよ』

響さんに言われて頷いた私はドアを開けようとした。

その時、びっくりするくらいの素早い動きを見せたのは響さんの車の運転手さんだった……。

運転席を降りた運転手さんが勢い良く私の横のドアを開けた。

あまりにも素早過ぎて、ドアに手を掛けていた私は危うく車から落ちそうになってしまった……。

危機一髪の所で響さんが腕を掴んで助けてくれたけど……。

凛に体当たりされてコケそうになるし……。

車からは落ちそうになるし……。

今日は怪我に気を付けた方がいいのかもしれない……。

「……ありがとうございます」

「大丈夫か?」

響さんは、私に声を掛けながらドアを開けて待っている運転手さんに視線を向けた。

『すみません!!』

別に響さんは、その人を睨んだ訳でも何かを言った訳でもない。

ただ視線を向けただけ……。

それなのに……。

運転手さんは深々と頭を下げた。

頭を下げたままの運転手さんから緊張感が伝わってくる……。

「だ……大丈夫です。私の不注意ですから……」

私は慌てて口を開いた。

「そうか」

「はい。今日はありがとうございました」

「あぁ」

「失礼します」

私は響さんに頭を下げて車を降りた。

運転手さんの視線は地面に向けられたままだった。

「……あの……」

私の呼び掛けに、運転手さんはやっと視線を上げた。

「はい?」

「ありがとうございました」

この時、初めて運転手さんの笑顔を私は見た。

響さんの車を見送った私は、自分の部屋に入ると着ていた制服を脱いでベッドに潜り込んだ。

……とりあえず、眠ろう……。

睡眠不足だった私はすぐに強烈な眠気に襲われた。

意識が無くなる寸前に頭を過ぎった。

……響さんの番号をアドレスに入れなきゃ……。


◆◆◆◆◆

……どこかでなんか鳴っている……。

その音はどんどん大きくなっていく。

……うるさい……。

私は、身体に掛かっている布団を引きずり上げて、頭の上までスッポリと被った。

それでも、耳に届く不快な音。

……スマホの電源を切っておけば良かった……。

大きな後悔を感じていると鳴り止んだ音。

……良かった!!……もう一眠りしよう……。

そう思った瞬間、再び鳴り出す音。

……もう……勘弁してよ……。

この着信音は、間違いなく凛だ。

凛の事だから、私が取らないと永遠に鳴らし続けるに違いない。

そう悟った私は、ベッドから腕だけを伸ばして音の発信元を探した。

伸ばしすぎて腕が攣りそうになりながらも、指先に触れたカバン。

……あと、少し……。

そう思った私は、ベッドから落ちそうになりながらも腕を伸ばした。

その瞬間、私の身体は見事にベッドから転げ落ちてしまった……。

……痛い……。

辺りにけたたましい音が響き、私の身体に当たったカバンは倒れ中身が無残にも飛び出している。

暗い部屋でスマホのイルミネーションだけが光を放っている。

……こんな事になるなら、最初から素直にスマホを取れば良かった……。

そう後悔しながらも掴み取ったスマホ。

液晶画面には予想通りの名前。

「……はい」

『おはよー!!綾、まだ寝てたの!?』

……何度聞いても寝起きに凛のテンションはキツイ……。

「……うん。今、何時?」

カーテンの隙間から見える窓の外が暗いのは、分かる。

だけど、お昼過ぎに寝た私は確実に時間の感覚が無くなっていた。

『今?えっと……もうすぐ22時だよ!!』

……22時……。

寝すぎたかも……。

そう思いながら辺りに散らばったカバンの中身からタバコの箱を手探りで見つけた。タバコの箱とその隣に落ちていたライターを手に取った私はベッドの上に座り直し、サイドテーブルの上のライトのスイッチを入れた。

暖かい灯りが部屋の中を照らし出す。

『今日来る?』

「うん」

『何時くらい?』

「今から準備するから一時間後くらいかな」

『分かった!!溜まり場の近くまで来たら連絡ちょうだい!!』

「うん。じゃあ、後でね」

『はい、はーい!!』

いつにも増してテンションの高い凛の声に苦笑しながら私はスマホを閉じた。

……とりあえず、タバコ吸おう……。

私は、タバコに火を点けた。

一服を終えた私は、シャワーを浴びて、メイクをして着替えを済ませた。

「……財布とスマホとタバコ……」

必要最低限のモノだけをバッグに放り込み私は家を後にした。

毎日通っている繁華街。

でも、通勤以外でこの道を通るのはかなり久しぶりのような気がする。

見慣れた繁華街。

行き交うたくさんの人。

聞こえてくる賑やかな声。

人工的な灯りが照らす道を私は足早に歩いた。

凛達がいる溜まり場が近くになった時、再びバックの中のスマホが鳴った。

「……はい」

『今、どこだ?』

数時間ぶりに聞く瑞貴の声。

……もしかして、何か買って来いとか言うんじゃないでしょうね?

「もうすぐ、着くけど?」

『分かった』

瑞貴はそれだけ言うと一方的に電話を切った。

今のは何の電話なの?

……っていうか、なんか用事だったんじゃないの?

思わず私は足を止め、自分のスマホを見つめてしまった。

……やっぱり瑞貴って変……。

考えるのは止めよう。

あんまり悩むと瑞貴ワールドに嵌りそうだし……。

そんな事になったら私まで変になってしまう。

身の危険を感じた私は手に握っているスマホをバッグの中に入れて再び溜まり場に向かって歩き出した。

しばらく歩いた所で、私は前から見慣れた人影が近付いて来ている事に気付いた。

「どこに行くの?」

「タバコ」

「買いに行くの?」

「いや、もう買った」

「さっき電話で言ってくれたら買って来たのに」

「あ?」

目の前に立っている瑞貴が怪訝な顔で私を見つめた。

「なに?」

「俺が頼んでも絶対に買ってこねぇだろ?」

……。

……まぁ、そうかもしれない。

何も言い返す事の出来ない私を瑞貴は鼻で笑った。

「行くぞ」

私に背を向けた瑞貴が来た道を引き返していく。

その後ろを歩く私。

……瑞貴はどこでタバコを買ったんだろう?

溜まり場からここに来るまでに自販機やコンビニは見当たらないけど……。

「今日の昼に電話した時、誰かと一緒だったのか?」

前を向いたままで瑞貴が聞いてきた。

「えっ?……あぁ、神宮さんっていう人」

「……神宮……ってもしかして神宮組の組長か!?」

「うん、瑞貴知ってるの?」

足を止め振り返った瑞貴が呆れた様に溜息を吐いた。

「この辺りにいる奴で、神宮組の組長を知らない方が珍しいと思うけど?」

「……そうなの?」

「……もしかして……」

「……?」

「お前、知らなかったのか?」

「……」

「……」

「……お店で知り合わなかったら、今でも知らないと思うけど?」

雪乃ママにこの辺りを仕切っている組の組長さんって教えて貰わなかったら、響さんの情報なんて全く知らなかったに違いない……。

他人に興味が湧かない私なら間違いなく……。

「お前、ある意味すげぇな」

言葉とは対照的に呆れ果てた様子の瑞貴。

……これは、多分バカにされているんだろうな……。

バカにされているんだからここはキレるべきなんだろうか?

「神宮組長はお前の客なのか?」

「えっ?」

「学校サボって会うくらいなんだから大事な客なんだろ?」

「別に神宮さんに会う為にサボった訳じゃないし」

「あ?」

「偶然なのよ」

「偶然?」

「そう、家に帰る途中で偶然あったの。だから、私が高校生ってのもバレちゃったし……」

「おい」

私の言葉に瑞貴の顔が引き攣った。

「なによ?」

「それってヤバイんじゃねぇのか?」

……ヤバイ……。

まぁ、ヤバイって言えばヤバイけど……。

バレた相手が響さんだし……。

あの人は大丈夫な気がする。

雪乃ママとの古くからの知り合いだし……。

「……神宮さんは大丈夫だと思う」

「そうか」

安心したような表情の瑞貴。

……?

変なの……。

瑞貴は私がこのバイトをする事を良くは思っていないはずなのに……。

それなのに、なんでこんなに安心したような顔をするんだろう?

「なんだよ?」

ボンヤリと瑞貴の顔を見つめていた私に気付いた瑞貴が怪訝そうに呟いた。

「ねぇ、私が夜バイトするのイヤって言ってなかった?」

「あぁ、今でもイヤだけど?」

「じゃあ、なんでそんなに安心した顔してんの?」

「は?俺がイヤなのはお前が飲み屋でバイトをすることだ」

「……?」

「歳を誤魔化して働いている事がバレれば、すぐに学校にも連絡が行くんじゃねぇのか?」

「……うん」

「そうなったら間違いなくお前は退学になる」

「……」

「俺はその心配をしているだけだ」

「……そう」

「それがどうかしたか?」

「……別に」

「大丈夫なんだろ?」

「……?」

「神宮組長は人に話したりしねぇんだろ?」

「うん、多分ね」

「……お前……」

「なに?」

「神宮組長のお気に入りなんだな」

……お気に入り……。

……。

お気に入り!?

「そんなんじゃないわよ。ただの気まぐれよ。それに……」

「それに?」

「神宮さんには、奥さんがいるし……」

「……奥さん!?」

「うん、結婚してるでしょ?」

「……まぁ、結婚してるって言えばしてるけど……」

「……?」

なんで、瑞貴がこんなに動揺してんの!?

「なぁ、綾。それって神宮組長から直接聞いたのか?」

「……直接じゃない」

「じゃあ、なんで分かるんだ?」

瑞貴が私の顔を覗きこんだ。

「指輪」

「指輪!?」

「神宮さんの左手の薬指にいつも指輪がついているから……」

「……なるほどな」

瑞貴が納得したように頷いた。

私の頭に伸びてくる瑞貴の手。

その手がゆっくりと私の頭を撫でた。

「直接聞いてみろよ」

「……?」

「直接聞かねぇと分からない事もあるだろ?」

そう言った瑞貴の瞳が悲しそうに揺れていた。

「……うん」

私が頷くと瑞貴は私の頭を軽く叩いた。

「瑞貴?」

「行くか。凛達が待ってんぞ」

「うん」

瑞貴は私に背を向けるとゆっくりと歩き出した。

その背中を見つめながら歩く私。

この時、私は気付いていなかった。

自分の本当の想いにも……。

瑞貴が響さんの情報を知っている事にも……。

そんな瑞貴に対して私がどれだけ残酷な態度を取っていたのかも……。

◆◆◆◆◆

何度も訪れたことのある溜まり場。

どこよりも居心地の良かった場所。

家に帰ることが出来なかった私の唯一の居場所。

……だったはずなのに……。

落ち着かないのは、なぜだろう?


瑞貴の背中を追って潜った溜まり場のドア。

見慣れているその空間がいつもとは違うように感じた。

元々はBARとして営業していた店舗。

営業がうまくいかなくなった経営者がある日突然、姿を消した。

この店舗の所有者が瑞貴の知り合いだったらしく、ここを溜まり場として使うことを許可してくれたらしい。

ここはまだその名残を残している。

カウンターの奥の棚に並ぶ色々な種類のお酒のボトル。

綺麗に磨かれたグラス。

いままでたくさんの人の話を聞いてきたはずのカウンターや少し背の高い椅子。

ゆったりと座れる籐で出来た椅子とテーブルのボックス席。

ここを訪れる人が、お酒を楽しむ大人から居場所を求める子供に変わっても動き続ける大きな時計。

その全てが前とは何も変わっていないのに。

この違和感は……。

「綾?」

溜まり場の入り口に立ち尽くしている私に瑞貴が気付き振り返った。

私が前にここに来ていた時とは比べ物にならないくらいの男の子がいた。

瑞貴を見ていても全身に感じる視線。

「どうした?」

「……別に」

「こっちだ」

再び奥に向かって歩き出した瑞貴。

この空間で瑞貴がいつもいるのは、一番奥のボックス席。

どうやら、それは変わっていないらしい……。

私の予想通り、瑞貴が向かったのは一番奥のボックス席。

これだけたくさんの人がいるのに……。

そのボックス席だけは誰も座っていなかった。

「座れよ」

「うん」

先に腰を下ろした瑞貴に促されて、私は瑞貴の向かいの椅子に腰を下ろそうとした。

……ちょっと待って……。

私、ここに座ってもいいの!?

……また、瑞貴が“俺様”に変身しない?

もし、今ここで変身されても面倒くさいし……。

「ねぇ、瑞貴」

「あ?」

「私、どこに座ればいいの?」

「どこに座りたい?」

……はぁ?

私が聞いてるんだけど!!

「ここ」

私は、瑞貴の向かいの席を指差した。

「……」

……なんで無言なのよ。

しかも、不機嫌な顔してるし……。

……って事は、ここでも私の席は瑞貴の隣なのね。

ここで反抗しても疲れるだけだし……。

私は小さな溜息を吐いて、瑞貴の隣に腰を下ろした。

隣でタバコに火を点ける瑞貴。

その顔はなんだか嬉しそうだった。

「吸いてぇのか?」

私の視線に気付いた瑞貴が火を点けたばかりのタバコを差し出してくる。

「ありがとう」

私はそのタバコを受け取り何の躊躇いも無く口に銜えた。

『綾!!』

私の名前を呼ぶ声が聞こえたのと、身体に衝撃を感じたのは同時だった。

「痛っ!!」

そう言ったのは私じゃなくて、隣にいる瑞貴だった。

「……凛……」

なんでこの子はいつも私に飛びついてくるんだろう?

もっと普通に登場してくれればいいのに……。

身体の小さな凛は、私を見つけて子犬のように飛びついてきた。

油断していた私は凛に飛びつかれた衝撃で勢い余って瑞貴の方に倒れ込んでしまった。

凛と私の下敷きになってしまった瑞貴が一番の被害者だ。

その証拠に瑞貴をクッション代わりにしている私の身体はどこも痛くない。

「綾!!会いたかった!!」

もし凛に尻尾があったらパタパタと振っているに違いない。

なんか、本当に子犬みたい……。

そんな凛に思わず笑いが込み上げて来る。

「昼間に会ったじゃん」

「あれは学校でしょ?学校以外で会うのは久しぶりだもん!!」

凛は、そういいながら私にしがみ付いてくる。

……凛って本当に可愛い……。

「そうだね。ごめんね、凛。今日はいっぱい遊ぼうね」

「うん!!」

私は凛の柔らかい髪の毛を撫でた。

「イチャついてるとこ、悪いんだけど……。いい加減降りてくれるか?」

苦しそうな瑞貴の声。

ヤバっ!!

凛の可愛さに夢中になり過ぎてすっかり瑞貴の存在を忘れていた……。

「ごめん、瑞貴。痛い?」

「綾、謝る前に凛を退けさせろ」

そ……そうだよね……。

「凛、ちょっと退けて」

「イヤ~!!」

大げさに私にしがみ付いてくる凛。

……もしかして……。

凛、瑞貴を苛めてる!?

「凛、いい加減にしないと蹴り飛ばすぞ?」

「きゃー!!」

瑞貴の物騒な言葉にやっと凛は私から離れた。

とても楽しそうな表情で……。

「大丈夫?」

やっと私と凛から解放された瑞貴はぐったりと疲れた表情をしていた。

かなりの重症だ……。

私が瑞貴の顔を覗きこむと、瑞貴は私が手に持っているタバコを奪い取った。

そのタバコを銜えて、吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出した。

「……なんか一気に疲れた……」

……そりゃあそうだろう……。

私達二人の下敷きになったんだから……。

そんな瑞貴を他所に、事の発端である凛は手にビニール袋を提げて満面の笑顔で立っている。

……全然反省してないな。

「ねぇ、綾」

「うん?」

「起きてからご飯食べた?」

……。

ご飯?

そう言えば……。

「……食べてない」

「やっぱりね」

「……?」

得意気な表情を浮かべた凛がビニール袋から中身を取り出した。

テーブルいっぱいに広げられたお菓子とジュース。

「綾が何も食べてないんじゃないかと思って準備しといたんだ」

さすがは凛。

私以上に私の行動を熟知している。

準備してくれたのがお菓子とジュースってとこが凛らしいけど。

「ありがとう、凛」

「どういたしまして」

ニッコリと微笑む凛。

私は目の前にあるポテチの袋に手を伸ばそうとした。

「綾」

瑞貴の声が私の手を止めた。

「なに?」

「飯、食ってねぇのか?」

「うん」

『瑞貴!!』

私が頷くと同時にカウンターに座る男の子達が瑞貴を呼んだ。

「ご指名だよ、瑞貴!!」

凛と私が瑞貴に視線を向けると、瑞貴が舌打ちをして面倒くさそうに立ち上がった。

……どこまでもこの人は“俺様”らしい……。

ズカズカと座っている私の前を通り過ぎた瑞貴がカウンターの方へ向か……わず足を止め私を振り返った。

……なに!?

思わず身構えた私に瑞貴は言った。

「後で飯を食いに行くからあんまり食いすぎんなよ」

テーブルの上を指差した瑞貴。

「瑞貴、私も一緒に連れて行ってね!!」

凛が大きな瞳を輝かせた。

「お前はさっき食ってただろ?」

瑞貴が呆れたように溜息を吐いた。

「大丈夫!!その頃にはお腹が空く予定だから!!」

自信満々で言い放った凛を瑞貴は鼻で笑った。

「……食いすぎると太るぞ」

小さな声で言い残し瑞貴はカウンターの方に向かった。

「ムカつく~!!」

小さな声だったにも関わらずしっかりと瑞貴の声をキャッチしたらしい凛が悔しそうに顔を歪めている。

二人のやり取りを見ていた私は我慢しきれなくなり吹き出した。

「綾、笑ってる場合じゃないし!!」

そう言いながら凛はテーブルの上からチョコレートを手に取り、勢い良く箱を開けた。

凛は、あっという間にむき出しになったチョコレートを口に放り込んだ

「美味しい~綾も食べる?」

数秒前まで激怒していたはずなのに……。

幸せそうな表情で箱を差し出す凛。

まあ、いつもの事だけど……。

私は、箱からチョコレートを掴んで口に運んだ。

口の中に優しい甘さが広がっていく。

「瑞貴がチームを作ってから初めてじゃない?」

「うん?」

「綾がここに来るの」

「そうだね」

「人が増えたでしょ?」

「うん。なんか……」

「なに?」

「……落ち着かない……」

凛が再び口に運ぼうとしていた手を止めた。

その顔は不思議そうな表情。

「落ち着かない?」

「……うん」

私の顔を見つめていた凛が何かに気付いたように頷いた。

「……?」

「綾、人見知りだから」

凛は楽しそうに笑った。

……なるほど……。

溜まり場にはたくさんの人がいる。

その中には見た事のある顔もあるけど……。

殆どが知らない人ばかり。

だから、落ち着かないんだ。

「今、チーム拡大中だから」

「拡大中?」

「うん。瑞貴の野望なの」

「野望?」

「どうせチームを作るならこの辺で1番大きなチームにしたいんだって」

「そっか」

「だから今どんどん大きくなっているの」

……野望ね……。

俺様も負けず嫌いだから。

「落ち着かないなら、少し外に出る?」

凛が私の顔を覗き込んだ。

それは、私が願ってもない提案だった。

ここに入ってからずっと感じていた視線。

探るような興味津々の視線。

瑞貴がチームを作って初めてここに来たんだから仕方がないんだろうけど……。

ここにいる女は凛と私だけ。

だから余計に目立つのかもしれない。

「手が空いたら瑞貴が紹介してくれるよ」

「……そうだね」

カウンターにいる瑞貴は真剣な表情で男の子とお話中。

その話はまだ終わる様子はない。

「お散歩にでも行こうかな」

「お付き合いしますよ、姫」

凛がお茶目な表情で言った。

「ありがとう」

二人で席を立ち出入り口のドアの方に歩いていると……。

「綾!!」

聞こえてきた瑞貴の声。

大きな瑞貴の声で一瞬にして水を打ったように静まり返った空間。

声がした方を振り返ると男の子達と話していたはずの瑞貴が私を見ていた。

「どこに行くんだ?」

「お散歩」

「散歩?」

「うん」

何かを言おうとした瑞貴。

「大丈夫だって瑞貴!!私も一緒だし」

それを凛が遮った。

瑞貴が私の顔から凛の顔に視線を移した。

「……それが心配なんだ」

瑞貴の言葉に周りにいた男の子達が遠慮気味に笑っている。

「はぁ!?」

ヤバイ。

凛が豹変しそう……。

そう悟った私は慌てて凛の肩を押さえてドアを開け、凛を外に押し出した。

「じゃあね、瑞貴。しばらくしたら戻って来るから」

「綾」

「なに?」

「なんかあったらすぐに連絡しろよ?」

……?

『なんか』ってなに?

そう思ったけど、私には考えている時間がなかった。

凛が暴れ出す前にこの場を一刻も早く離れないと!!

「分かった!!」

私はそれだけ言い残すと慌ててドアを閉めた。

寒くも暑くもない心地良い空気が身体を包み込む。

タバコの煙とお酒の匂いが充満する空間を出ると外の空気が新鮮な感じがした。

「ねぇ、綾」

「うん?」

「バイトどう?」

私の顔を下から覗き込んだ凛。

さっきまで今にも暴れ出しそうだったのが嘘みたいに穏やかな表情。

凛の変わり身の早さには本当に感心する。

「バイト?普通だけど」

「そう。楽しい?」

「まぁ、楽しいって言ったら楽しいけど……」

「お客さんで気になる人とかいないの?」

……気になる人……。

その時ふいに頭に浮かんで来たのは……。

響さんの顔だった。

ちょっと待ってよ!!

なんで響さんの顔が浮かんでくるのよ!?

私は頭を左右に振って頭の中から響さんの顔を追い出した。

「あ……綾!?どうしたの?」

突然の私の行動に凛が焦った声を出した。

「なんでもない!!」

響さんの顔が頭に浮かんだ私も焦って口調が強くなってしまった。

「そ……そう?」

怯えた表情の凛が私から少し離れている。

「うん」

「そう……それならいいんだけど……」

凛が恐る恐る私の隣に並んだ。

「……っていうか綾、神宮組の組長に指名されたでしょ?」

「……!?」

どうして?

凛がそんな事を知ってるの?

このタイミングで響さんの名前が出たことと、凛が知っている事実に驚いた私は声すら出せなかった。

言葉を発する事も出来ずただ口をパクパクと動かす私は誰が見ても挙動不審者に違いない。

その証拠にすれ違う人達が不思議そうな表情で私を見ている。

だけど、今はそんな事に構っていられない!!

「……なんで……」

やっと出た私の言葉に凛は得意気な表情を浮かべ自慢気に言い放った。

「凛さんの情報網を甘くみちゃダメだよ!!」

……確かに……。

凛の情報網をナメちゃいけない。

私は思わず頷いてしまった。

……てか、違う!!

感心している場合じゃない。

「なんで、凛さんはそんなことを知ってるんですか?」

私は小さな凛の肩に腕をまわした。

「えっ!?」

凛に向かってニッコリと微笑み掛ける私。

今度は凛が顔を引き攣らせる番だった。

「その情報はどこから仕入れたの?」

「えっと……どこからだっけ?」

「正直に言わないと……」

「わ……分かりました!!言います!!」

「よろしい」

「……実は、先輩から……」

「先輩?……先輩ってキャバのボーイさん?」

凛が大きく頷いた。

「なるほどね」

私の疑問が一気に解決した。

キャバの経営者も雪乃ママだし。

そこでボーイをしている“先輩”の耳に入った情報を凛が知っていても全く不思議な事ではない。

そこで新たに浮かんできた疑問。

「凛も神宮さんの事知ってるの?」

凛が大きな瞳を丸くした。

「この辺で神宮組長を知らない人はいないと思うけど?」

「……」

……凛まで……。

「……もしかして……」

「……?」

「綾、神宮組長の事知らなかったの?」

「……うん」

「マジで!?それってかなり貴重人物だよ」

……貴重人物……。

「凛、人の事を珍獣扱いしないでくれる?」

私の言葉に凛は声を上げて笑い出した。

「ご……ごめん!!だって……“神宮 響”って言ったらかなりの有名人だよ」

「そうなの?」

「うん!!この辺にいる私達くらいの歳の子から夜のお店で働くお姉さま達までたくさんのファンがいるんだから」

「そんなにモテるの?」

「もちろん!!神宮組長には“神宮 蓮”っていう息子がいるんだけどこの子が父親にそっくりでかっこいいの。まだ小学生だから将来が楽しみ!!」

……子持ちなんだ……。

結婚しているんだから子供がいてもおかしくはないか。

……ん?

ちょっと待って?

「神宮さんっていくつ?」

「えっ?……確か29歳だったと思うけど」

「息子は?」

「小学5年生だから11歳くらいかな」

……ってことは響さんが18歳の時の子供!?

それってかなり早い結婚じゃない?

「……結婚していて小学生の子供がいるのに、みんなあの外見が好きなんだ……」

私の口から零れ落ちた言葉。

それは、独り言のようなモノだった。

……だけど……。

凛にはしっかりと聞こえていたようで。

「……綾、知らないの?」

私の顔を勢い良く見た凛。

「なにを?」

「神宮組長の奥さんは……」

そう言い掛けた凛の小さな身体が何かにぶつかった。

「……痛っ!!」

凛の眉間に皺が寄った。

その皺は、痛みで寄った皺じゃなくて……。

明らかに……。

凛にぶつかったのは、私達とあまり歳の変わらないくらいの男だった。

「ちゃんと前を向いて歩けよ」

そう言った男の両隣には友達らしい男達。

……3人か……。

だったら私の出る幕は無さそう。

そう思った私はバッグからタバコを取り出し火を点けた。

背の低い凛の顔を覗き込んだ男の態度が一変した。

「可愛いじゃん。ぶつかったお詫びに今から一緒に遊ぼうよ」

……バカな男……。

私は吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出した。

「友達も美人じゃん。一緒に行こうぜ」

急にテンションが上がった男3人。

盛り上がり過ぎて凛の変化に気付かないらしい。

何も言わない凛の肩に1人が手を置いた。

「……んじゃねぇよ」

凛の低い声に3人は一瞬にして言葉を失った。

小さくて小動物みたいに可愛らしい女の子の凛。

だけど、それは外見の話。

いつもはニコニコしているから知らない人はその豹変ぶりに驚きを隠せない。

私も初めて凛がキレたところを見て、驚きのあまり言葉さえ出てこなかった……。

「気安く触ってんじゃねぇよ」

いつもより低い凛の声。

女らしからぬ言葉と静かな口調。

そのミスマッチさに凛の肩に手を置いていた男が、慌てて凛から離れた。

……だけど……。

この時間帯に繁華街にいる男達。

それなりにイキがっている男が友達の前で女に凄まれて『すみませんでした』って謝るはずも、そのままこの場を離れるはずもない。

しかも、あっちは男3人でこっちは女2人……。

どんなに頭の悪い奴だって女2人に負けるはずがないって思うのが当たり前。

「女のくせに強がってんじゃねぇぞ」

……『女のくせに』……。

私と凛が一番嫌いな言葉。

その言葉を聞いた瞬間、凛が動いた。

ケンカは力なんて関係ない。

凛のケンカを見ていていつも思う。

大事なのは、最初の一発をどこに入れるかだ。

凛と男達の身長差はかなりあるし、体格だって女と男じゃ全然違う。

そんな凛が男相手にケンカして勝てる理由。

それは、凛が人の弱点を知っているから。

性別なんて関係なく、人にはそこを攻撃されると動けなくなる弱点が必ず数箇所ある。

相手に攻撃される前に、そこを攻撃すればいいだけの話。

格闘技のプロやケンカのプロには効かないかもしれないけど、繁華街でイキがっているくらいのこの子達には十分。

その証拠にあっという間に凛の目の前には3人の男が蹲っている。

楽勝じゃん。

……やっぱり、私の出番は無かったか……。

蹲っている男達に向かって凛は口を開いた。

「『女のくせに』って言ったくせにその“女”に負けてんじゃん」

そう言われても苦しそうに顔を顰めるだけで視線すら上げる事も出来ない上に何も言い返せない男達。

そんな男達を凛は鼻で笑った。

「私、夜はいつもこの辺にいるから、悔しかったらいつでもおいでよ」

凛ったら、宣戦布告しちゃったし……。

「……だけど、そうじゃなかったら二度と私に顔を見せないで」

あら、かっこいい。

「行こう、綾!!」

満足そうな表情の凛。

だけど、次の瞬間、凛の表情が一変した。

『綾!!』

私を呼ぶ声が響いた。

声がした方を私より先に見た凛が慌てた様子で、私の背中に隠れた。

しかも、蹲った男達も顔を引き攣らせている。

「……?」

声の主は、瑞貴。

その瑞貴が数人の男の子を引き連れて私達に近付いてきた。

「なんか、あったのか?」

いつもと変わらない表情の瑞貴。

だけど、視線は蹲っている男達に向けられている。

その瞳は鋭く威圧的だった。

「べ……別に何もないよ。この人達が蹲っていたからどうしたのか聞いていただけ」

凛が私の後ろから顔だけ出して言った。

「綾、そうなのか?」

……。

なんで私に聞くの?

瑞貴に尋ねられた私に集まる視線。

なんて言えばいいのよ?

凛に話を合わせるか……。

瑞貴に正直に話すか……。

私の背中をつっつく凛。

これは、『話を合わせて!!』の合図。

視界に入った男達もどうやら凛の誤魔化しに賛成みたい。

……確かに……。

もし、私が正直に話したら次にキレるのは瑞貴の番。

そうなれば、この男達は凛に殴られた挙句に瑞貴にまで……。

瑞貴がキレたらこの男達の病院行きは決定になってしまう。

しかも、このメンバーだったらキレた瑞貴を止めるのは私の役目になってしまう。

そうなったら面倒くさいし、疲れるのは目に見えている。

「うん、凛の言う通り」

私の顔を見つめる瑞貴。

……ヤバイ……。

この沈黙が辛い。

「ほ……ほら、あなた達もう大丈夫でしょ?」

凛が男達に言った。

その後に瑞貴達には聞こえないくらいの小さな声で言った言葉を私は聞き逃さなかった。

「早くどっか行けよ」

……。

……凛……。

最高!!

私は俯いて笑いを堪えるのに必死だった。

凛の小声の脅しに怯えた男達が弾かれたように立ち上がった。

「ありがとうございました」

深々と私と凛に向かって頭を下げた男達。

どうやら、凛に話を合わせているようだ。

殴られた女に頭を下げてお礼まで言って……。

「お礼なんて言わなくてもいいよ!!」

ニッコリと笑みを浮かべた凛。

凛の演技力には心底感心する。

小走りにその場を離れる男達に私は少しだけ同情してしまった。

遠ざかって行く男達の後姿を見送っていると頬に感じた視線。

私はその視線を辿った。

……瑞貴……。

その顔はまだ疑ってるとか?

まっすぐに見つめる視線。

その瞳は明らかに疑いの眼差しだった。

これは早急に話題を変えたほうがいいのかもしれない……。

「……瑞貴達はこんなところで何をやってんの?」

私の問いかけに瑞貴は小さく舌打ちをした。

……なんで舌打ち!?

そう思ったけど、今、瑞貴に噛み付くのは危険すぎる。

とりあえず、スルーしとこう。

事件の原因を作った凛は、瑞貴が引き連れてきた男の子達と楽しそうに談笑している。

どうやら、不機嫌丸出しの瑞貴の相手は私一人に任されているらしい……。

……この沈黙は本当に身体に悪い。

……多分、瑞貴は気付いている。

さっきここで起こった事に……。

それなのに私や凛が必死で誤魔化した事が気に入らないんだろう。

分かってる。

分かってるけど、今更、本当の事を話すのも面倒くさいし……。

……やっぱり、この沈黙に耐えて瑞貴の機嫌が良くなるのを待つのが一番いいみたいだ。

そう決心した私は、口を閉ざして時が過ぎ去るのを待つ覚悟を決めた。

私が、さっきの出来事について一切話さない事を悟ったのか、瑞貴が溜息で重苦しい沈黙を破った。

「……綾」

「な……なに?」

「腹、減ってんだろ?」

「……うん」

「飯、食いに行くぞ」

「うん」

私が頷くと瑞貴は男の子達に声を掛けた。

「行くぞ」

瑞貴の声に楽しそうに響いていた笑い声が消えた。

瑞貴が歩き出し、その少し後ろを歩く私。

私達が歩き出すと、再び楽しそうな笑い声が後ろから着いてくる。

……凛達は、楽しそうなのに……。

私は、自分だけが瑞貴の不機嫌な空気を感じていると思うと無性にムカついてきた。

……なんで、私が瑞貴の相手をしないといけないのよ!?

そう思いながら見つめていた瑞貴の背中。

前にあった瑞貴の背中が、ゆっくりと私に近付いてきた。

突然、歩くスピードを緩めた瑞貴。

……?

前にいた瑞貴の身体が、私の隣に並んだ。

「なにが食いたい?」

私が歩くスピードに合わせてくれた瑞貴。

「……ハンバーグ……」

「分かった」

そう言った瑞貴の顔は優しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る