エピソード4

「眠い……」

とりあえず少しだけ眠ろう……。

私は、教室の机に伏せて瞳を閉じた。

英語の教師が教科書を読む声が子守唄にしか聞こえない。

しかも、窓際の席だから温かい日差しが気持ち良過ぎる。

私はそのまま意識を手放し眠りに落ちた。



チャイムの音と同時に誰かに頭を叩かれて、私は眠りから覚めた。

「……痛っ……」

「学校に真っ赤な爪で来てんじゃねぇよ」

……この声は……。

「……人が気持ち良く寝てんのに邪魔しないでよ!!」

「お前は何しに学校に来てんだよ?」

「……あんたに言われたくない」

朝からずっと授業サボってたくせに!!

居眠りでも教室にいる私の方が全然マシじゃん!!

「もう、昼だぜ。飯、食いに行こうぜ」

「……うん」

私は大きく背伸びをして席を立った。

この高校に入学して一ヶ月。

クラブのバイトと学校の両立にも何とか慣れてきた。

雪乃ママのお陰で繁華街にマンションを見つけて快適な一人暮らし生活を送っている。

部屋を借りてるって言っても部屋にいる時間はごく僅かだけど……。

昼間は学校にいるし、夜はバイトか繁華街で瑞貴や凛と遊んでいる。

それでも、好きな時に自由に帰れる家があるのは嬉しい。

学校のクラスも凛だけが隣のクラスで私と瑞貴が同じクラス。

体育や選択授業は凛と一緒だけど、入学式の日クラス発表の掲示板を見た凛はかなり落ち込んでいた。

『なんで私だけ……』

そう言って暗いオーラーを纏っていた。

そんな凛も今では人懐っこい性格をフル活用して学校内に着実に人脈を作っている。

……そして瑞貴も……。

私と同じクラスで席も隣同士。

どこまでも私達の腐れ縁は健在だった。

だけど、瑞貴が授業中、教室にいる事は殆どない。

朝は会うから校内にはいる筈なんだけど……。

授業開始のチャイムが鳴ると瑞貴は姿を消す……。

そして、今日みたいにお昼休みになると私を迎えに来る。

私も授業中は殆ど寝るから瑞貴がいない方がゆっくり眠れるし……。

まぁ、どうでもいい事なんだけど……。

「いただきまーす」

学食の日替わりランチを前に嬉しそうに両手を合わせる瑞貴。

……ご飯、大盛り……。

よくそんなに食べれるな……。

私の前にはホットサンドとアイスコーヒー。

毎日これが私の定番。

本当はあまり食べたくないんだけど……。

「バイト忙しいのか?」

チラっと私に視線を向けた瑞貴。

「まぁ、ぼちぼち……」

「そうか」

『ぼちぼち……』って言ったけど……。


実際はかなり忙しい。

春は新生活スタートの季節。

私が働いているクラブも毎日大盛況……らしい。

休み前だけっていう条件だったけど、ここ2週間は雪乃ママから毎日電話が掛かってくる。

お金はあっても困るモンじゃない。

そう思っている私は一日おきくらいの割合で出勤している。

実は昨日も……。

雪乃ママが気を使ってくれるからラストまでいる必要は無いんだけど……。

それでも、眠さには勝てない。

だから、授業中は大切な睡眠時間だ。


最初は抵抗のあったお水の仕事。

でも、やってみて気付いた事がある。

どうやら私には向いている職業らしい。

別に無理をしている訳でも、頑張っている訳でもない。

大好きなお酒を少しだけ飲んで、ニッコリ微笑むだけ。

話上手ではないから、聞き役に徹している。

そのキャラがお客さんに受けてそこそこ指名も貰っている。

元々フケ顔だから、お店専属のヘアーメイクさんにバッチリ化粧してもらって髪も派手めに盛って貰えば高校生には絶対に見えない。

20歳って言っても疑うお客さんさえいない。

それは、ありがたいような、悲しいような……。

だけど本当の歳がバレたら、私は働けなくなるしお店も営業停止になるからやっぱりありがたいのかもしれない。

お店の女の子同士の間には派閥争いみたいなものも存在しているけど、バイトの私には全く関係のない話。

裏ではどんなに醜い争いを繰り広げていたとしても、お客さんのテーブルに付くと流石はプロ……。

“私達はいつでも仲良しです”オーラを醸し出している。

……女って怖い……。

改めて私はそう実感した。

お店での私の源氏名は“綾乃”。

入店した日に雪乃ママが付けてくれた。

いろんな面で尊敬する雪乃ママから一文字貰った源氏名。

本名に近いその名前にすぐに愛着が湧いた。


『瑞貴!!』

食堂の入り口付近に5~6人の男の子達。

繁華街の溜まり場で見掛けたことのある顔。

その男の子達に瑞貴が視線を向けると、男の子達が手招きをした。

「……んだよ」

食事の邪魔をされた瑞貴は不機嫌な表情を浮べた。

「早く行きなよ」

瑞貴は小さく舌打ちして、ダルそうに椅子から腰を上げた。

「悪ぃーな。すぐ戻るから。一人で一服しに行ったりするなよ?」

「はい、はい。分かったから早く行きなよ」

高校に入学してから瑞貴は私とのお昼ご飯を欠かしたことがない。

瑞貴は私に気を使ってくれている。

私の性格を知っているから。

女友達なんて面倒くさいと思っている私はクラスでも孤立している。

別に苛められているとかシカトされている訳じゃない。

必要があれば言葉を交わすし。私も基本的に寝ているかタバコ吸いにサボっているかだから……。

このくらいの距離感が一番いい。

そんな私に瑞貴は気を使ってくれているんだと思う。

そういう所は律儀な男だから……。

目の前のホットサンドを手に取り口に運ぼうとした時、ポケットの中のスマホが音楽を奏で始めた。

取り出して液晶を確認すると“雪乃ママ”の文字。

私はチラッと食堂の出入り口に視線を向けた。

出入り口の横の壁に腕を組んだ瑞貴が寄りかかり、それを囲むように男の子達が立っている。

なんか知らないけどみんなが難しそうな顔をしている。

瑞貴は眉間に深い皺を寄せ男の子の話を聞いている。

なんかあったのかな?

……もしくは……。

お腹が空いて不機嫌な瑞貴にみんなが怯えているのかもしれない……。

……まぁ、どっちにしても瑞貴はまだ戻って来なさそう……。

なら、ここでいいか。

私はスマホの通話ボタンを押して耳に当てた。

「おはようございます。雪乃ママ」

『おはよう。綾乃ちゃん。ごめんなさいね。今、学校よね?』

「はい、でも、今お昼休みだから大丈夫です。どうかしました?」

なんで雪乃ママから電話が掛かって来たのかは聞かなくても分かっている……。

『今日の夜なんだけどお店出てくれない?』

……やっぱり。

……昨日も出たんだけどな……。

「今日ですか?」

『そうなの。ウチの上得意のお客様から貸し切りの予約が入ったのよ』

「か……貸し切り!?」

あの店を貸し切りって……。

一体そのお客さんはいくら払うんだろう?

『そうなのよ。普通だったら急な貸し切りは断るんだけど上得意のお客様だから断れないのよ』


「……そうですか」

どんなお客さんなんだろう?

私の好奇心がむくむくと動き出した。

……見てみたい。

『無理かしら?』

「大丈夫です」

『良かった。じゃあ、夜お店で待ってるわね』

「はい。分かりました」


私は、電話に夢中になり過ぎて全く気付いていなかった。

瑞貴が戻って来ている事に……。

「今日もバイトか?」

瑞貴の声に驚いた私の身体はビクっと反応した。

その所為で終話ボタンを押したばかりのスマホを落としそうになった。

私の向かいの席に腰を下ろした瑞貴はまっすぐな視線で私を見ていた。

「うん……そう」

また、なんか言われる!?

私の身体には自然と力が入った。

……でも……。

瑞貴は私の予想外の言葉を発した。

「あんまり無理するなよ?身体壊すぞ」

「えっ?……う……うん」

拍子抜けした私。

「なに、アホみたいな顔してんだ?」

「はぁ?誰に言ってんの?」

「お前以外に誰がいるんだよ?」

「……!!」

「いいから、早く食えよ。タバコ吸いに行くぞ」

……ムカつく……。

文句言いたい!!

……だけど、今はそれ以上にタバコが吸いたい……。

私は葛藤の末ここは我慢して一刻も早くタバコを吸いに行く事を選んだ。

さっき手を伸ばしかけたホットサンドに再び手を伸ばした。

そんな私を見て瑞貴は鼻で笑った。

……いつか絶対この仕返しはしてやる。

私は心の中で固く誓った。

お昼ご飯を食べて私と瑞貴は食堂を出た。

私達が向かったのは校舎の3階にある空き教室。

入学してすぐに、私がタバコを吸う場所を探していたら瑞貴が案内してくれた。

『タバコを吸いたくなったらここを使え』

一年の私達が校舎内の空き教室なんて使っていたら上級生が黙っていないんじゃ……。

そう思ったがその空き教室に入って納得した。

中には私と同じようにタバコが吸いたくなったらしい生徒がたくさん集まっていた。

その生徒達は全員が、繁華街の溜まり場で見たことのある顔ばかりだった。

凛や瑞貴以外の人とあまり話さない私はその子達の名前や歳を知らなかった。

でもそこにいた生徒達が履いていた上履きを見て分かった。

青に黄に赤が入り混じっている。

この高校は学年ごとに上履きの色が決まっている。

一年が赤。

二年が黄。

三年が青。

この教室には一年から三年の生徒が集まっている事になる。

繁華街の溜まり場に居たという事は瑞貴のグループの子達って事……。

そのグループのリーダー的存在の瑞貴。

……って事はここを使っていても誰も文句を言わないって事なんだ。

その日から、私はタバコを吸いたくなったら空き教室を使うようになった。


空き教室の前には見張りらしき男の子が3人立っていた。

その男の子達は瑞貴の姿を見つけると、頭を下げた。

頭を下げた男の子達の上履きを見ると黄。

……二年じゃん……。

頭を下げている男の子達の前をダルそうに通る瑞貴。

その瑞貴を見たとき……。

瑞貴がとても遠い存在に感じた。

空き教室のドアを開けた瑞貴が立ち尽くしている私に中に入るように顎で差す。

私は素直に従って先に中に入った。

「……誰もいない」

いつもは所狭しと人がいるのに、今日は誰一人としていなかった。

「お前に話があるから、今日は誰も入れねぇようにした」

私の後から入ってきた瑞貴がドアを閉めながら言った。

「話?」

「あぁ」

「なに?」

「まぁ、座れよ」

瑞貴が教室の奥にある誰が何処から持ってきたのかさえ分からないソファを指差した。

……なんの話よ。

……まさか……。

今頃、私のバイトの話を持ち出すんじゃないでしょうね?

そんな事を考えている私の横を瑞貴が通り過ぎソファに腰を下ろした。

私は、恐る恐る瑞貴の向かいのソファに腰を下ろした。

「おい」

「な……なに?」

「なんでそっちに座るんだよ?」

「は?」

「お前が座るのはここって決まってるだろーが」

……確かに瑞貴の言うとおりだ。

初めてこの教室に来た日から私が座るのは瑞貴の隣。

でも、それはいつも人がいっぱいで瑞貴の隣しか空いていないから……。

「今日は誰もいないからこっちでもいいでしょ!?」

「ダメだ」

「なんでよ?」

「お前の席はここって決まってんだよ」

「……」

「……」

「……誰が決めたのよ?」

「俺」

「……」

「……」

なに?

こいつ……。

一体何様のつもり?

ちょっと聞いてみようかしら?

「ねぇ」

「あ?」

「あんた、何様?」

「俺様」

「……!!」

瑞貴が自慢気に答えた。

……聞いた私がバカだった……。

それ以上何も言う気が無くなった私は大きな溜息を吐いて立ち上がり瑞貴の隣に移動した。

早く話を終わらせて自分の教室に戻ろう。

絶対それがいい。

瑞貴と一緒にいたら私までおかしくなってしまうかもしれない……。

「話ってなに?」

瑞貴がタバコの箱をポケットから取り出したのを確認した私はその箱から一本奪い取りながら尋ねた。

そんな私に驚く様子も無い瑞貴は自分もタバコを一本取り出すと銜えていつも使っているジッポを私に差し出してきた。

気が利くじゃない!!

私は遠慮なくその火にタバコを翳した。

私のタバコに火が点くと瑞貴も自分が銜えているタバコに火を点けた。

一度、吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出す瑞貴。

「チームを作ろうと思う」

「えっ?」

「準備は完璧整っている」

「準備?」

「他のチームに負けねぇくらいの人数が集まっている。しかもそのほとんどが繁華街で名前を売っている奴等だ」

「……」

「繁華街を仕切ってるヤクザにも、他のチームにも話は通した」

「いつの間に?」

「お前がバイトに入り浸っている間だ」

……今、サラっと嫌味を言わなかった!?

でも、本当の事だから我慢しなきゃ。

ここは頑張ってスルーしよう。

「……そう」

「あぁ」

「もうチーム作るって決まってるんでしょ?なんで私にわざわざ話すの?私は関係ないじゃん」

「はぁ?なに言ってんだ?」

瑞貴の表情が険しくなって私の顔の至近距離にある。

「……」

……近いんですけど……。

「お前もそのチームのメンバーだから」

「……はい?」

「なんだ?」

「チームって男ばかりじゃないの?」

「いや?」

「そ……そうなの?」

「グループの時の男のメンバーは全員そのままチームのメンバーになる」

「女は?」

「グループの時と違って危険が付きまとうからな」

「でしょ?」

「だから、お前と凛だけ残す」

「へっ?なんで私と凛が残るの?」

「お前達なら男相手でもケンカ出来るからだ」

「……」

「嬉しいだろ?」

……全然嬉しくない……。

そんな理由を聞いて嬉しいなんて思えないし……。

「光栄に思え。ウチのチームで初代の女のメンバーはお前と凛だけだぞ」

「……」

……だから、光栄になんて思えないってば……。

だって、それって私と凛は女じゃないって言われてるみたいなモンじゃない!!

この話は丁重にお断りさせて頂こう!!

「……あの……」

「断ったりすんなよ」

瑞貴が鋭い眼つきで私に睨みを効かせた。

……ダメだ。

こいつは本気だ。

こんな眼の時は私が何を言っても聞いてくれない。

「……凛はなんて言ってるの?」

「お前と一緒なら何も問題ないって喜んでいる。今日も準備で繁華街を走り回ってる」

……凛……。

だから今日は一度も会わないんだ……。

「でも、私はバイトがあるから毎日なんて顔出せないわよ」

「別に毎日、顔を出す必要なんてねぇよ。お前は、時間がある時だけでいい」

『お前は』って事は……。

「他の子は毎日顔出すんでしょ?」

「まぁーな」

「じゃあ、私だけ毎日顔出さないなんてダメじゃん」

「綾」

「うん?」

「チームのトップは俺だ。俺がいいって言うんだからいいんだ。誰も俺に文句なんて言えねぇよ」

「……そう」

どうやら私は瑞貴の話を断れないらしい……。

「チームに入るよな?」

「……うん」

「んじゃ、決まりな」

瑞貴は嬉しそうな笑みを浮べた。

……私は軽い眩暈を感じた……。

校内に鳴り響く午後の授業開始のチャイム。

最近、チャイムの音を聞くとものすごい睡魔に襲われる。

いつも居眠りしている事の賜物じゃない?

これって特技に入らないのかしら?

「教室に戻るか?」

瑞貴が私の顔を覗きこんできた。

戻りたいのは山々だけど……。

今から行っても教室に着く頃には授業が始まっている。

それに、もう限界……。

眠すぎる……。

「ここでしばらく寝る」

「そうか」

瑞貴がこのソファを眠い私の為に空けてくれると思っていた。

……でも……。

瑞貴は私の肩に腕を回すと勢い良く自分の方に私の身体を倒した。

そんな事をされるだなんて思っていなかった私は身体に力を入れる暇もなく簡単に瑞貴の力に従って倒れてしまった。

倒れた私の頭は瑞貴の膝の上にすっぽりと嵌った。

「何してるの?」

瑞貴の膝の上に頭を載せたまま私は尋ねた。

「眠いんだろ?」

「うん」

「じゃあ、寝ろよ」

「このまま?」

「なんか文句あるのか?」

……文句は無いけど言いたい事はたくさんある。

……だけど……。

瑞貴が私の頭を優しく撫でるから……。

私は心地良くて吸い込まれるように眠りに落ちた。

意識を手放す瞬間に頭の中に疑問が浮かんだ。

友達同士なのにこんな事をするのはおかしい事なんじゃないのだろうか?

確かに私と瑞貴は恋人同士じゃないのに……。

私は瑞貴に抱かれた。

でも、それは割り切れる。

瑞貴は分からないけど、少なくとも私は割り切ってる。私はこの疑問の答えを出す事が出来なかった。

答えを出す前に眠りに落ちてしまったから……。

結局、私が目を覚ましたのは全ての授業が終わってしまい部活を終えた生徒が帰宅を始めた頃だった……。

「……ん……」

瞳を開けて一番に飛び込んできたのは瑞貴の顔だった。

「やっと起きた」

瑞貴の一言で、眠りに落ちる寸前までの記憶が脳裏に浮かんできた。

「今、何時!?」

気のせいかもしれないけど……。

……っていうか気のせいであって欲しいんだけど……。

……空き教室の窓の外が薄暗いような気がする……。

「19時過ぎ……」

「……はぁ?」

「んだよ?」

……一体、私は何時間寝ていたの?

……っていうか寝すぎじゃない?

どれだけ疲れてんのよ!?

「……バイト……」

「あ?」

「バイトに行かないと!!」

「……」

……どうしよう……。

準備があるから20時までに行かないといけないのに!!

その前に家に帰ってお風呂に入りたいのに!!

……あっ……。

この際シャワーでもいいか……。

ダメだ。

それでも絶対に間に合わない!!

「もう!!なんで起こしてくれないのよ!!」

「……はぁ?」

……分かっている……。

瑞貴は何も悪くない。

どっちかと言えば、こんな時間まで私の睡眠に付き合ってくれたんだから、本当ならお礼を言わないといけないんだけど。

焦りすぎて完全に頭の中が混乱している私には瑞貴に対してこんな態度をとることしか出来ない。

「……どうしよう……」

そんな私に瑞貴は呆れたような溜息を漏らした。

「……綾……」

「なに!?」

「とりあえず連絡しろ」

「連絡?どこに?」

「店だよ」

「店?」

「あぁ。んで、なんでもいいから理由つけて遅れるって言え」

「理由?……例えば?」

「なんでもいいんだよ」

「そのなんでもいいが一番困るのよ!!」

「店の奴は、お前が高校生って知っているんだろ?」

「うん、ママだけ……」

「それなら、簡単じゃねぇか」

瑞貴が不敵な笑みを浮べた。

「……?」

「『放課後帰ろうとしていたら、担任に急に呼び出しくらって、今終わったから急いでそっちに行くけど、少し遅れる』って言え」

「いやよ!!そんな事、雪乃ママに言ったら私の印象が悪くなるじゃない!!」

「……良く考えてみろ?」

「何を?」

「今はそんな事言ってる場合じゃねぇだろ?どっちにしてもお前の印象は悪くなるんだ。素直に『授業サボって昼寝したら寝過ごしたので遅刻します』って言う方が印象が悪くなるんじゃねぇか?」

……瑞貴の言う通りだ。

そう思った私はスマホを取り出し、雪乃ママの番号を呼び出して、発信した。

数回の呼び出し音の後に聞こえてきた雪乃ママの声。

『どうしたの?綾乃ちゃん?』

いつもと変わらず落ち着いていて上品な雪乃ママの声。

私は瑞貴が考えてくれた言い訳を伝えた。

『分かったわ。急がなくていいから気をつけて来てね?』

雪乃ママは優しくそう言ってくれた。

ごめんなさい……雪乃ママ!!

終話ボタンを押した私は罪悪感でいっぱいになった。

私が大きな溜息を吐いたのはその罪悪感を少しでも忘れたかったから……。

今更、本当の事を話すなんて出来ない。

……騙すようなことをしてごめんなさい!!

この気持ちはバイトを頑張って返そう。

そう心に誓った……。

「行くぞ」

瑞貴に視線を移すと、ソファに座っていたはずの瑞貴が、すでに立ち上がり空き教室の出入り口のドアの前に立っていた。

いつの間に移動したの!?

「……どこに?」

「……お前いつまで寝ぼけてんだ?いい加減にしろよ?」

「……」

瑞貴は私に相当呆れているみたいだ……。

「バイト行くんだろ?家まで送る」

なるほど……。

そういう意味か……。

「ありがとう、瑞貴」

私がそう言うと、瑞貴は自分の髪を乱暴にかきあげた。

……あっ……。

瑞貴が照れている……。

「早く行くぞ」

瑞貴は、私から顔を逸らしたまま空き教室を出て行った。

「あっ!!待ってよ!!」

私は慌てて立ち上がり瑞貴の後を追って空き教室を出た。

先に行った筈の瑞貴が、教室から少し離れた所で待っていてくれている……。

……本当に優しい奴……。

私は自然と笑みが零れた……。

そのまま私を家まで送ってくれた瑞貴。

送ってくれたのは嬉しいんだけど……。

なぜか、瑞貴はシャワーまで私の家で浴びた……。

「お前がバイトに行く時、俺も溜まり場に行く」

私が住んでいるマンションの下で瑞貴が言った。

「そう、じゃあなんか飲んで待ってる?」

「いや、俺もシャワー浴びて行く」

「……はぁ?着替えは?」

「クローゼットの中に入ってるだろ?さすがに制服で夜の繁華街は無理だろ」

私がここに住み始めてから瑞貴はちょこちょこ泊まりにやってくる。

大抵夜は繁華街にいる瑞貴。

そんな瑞貴とバイトが終わって帰る時に会うことがある。

そんな時に泊まりに来たりするから瑞貴の洋服が何着か私の部屋のクローゼットの中に入っている。

「……そう」

……別に拒否する理由はなにもない。

私と瑞貴は並んでマンションに入った。

先に私がシャワーを浴びて、準備している間に瑞貴がシャワーを浴びた。

準備が終わった私達は、また並んでマンションを出た。

「じゃあな」

「うん、ありがとう」

お店の近くまで送ってくれた瑞貴と別れて私はお店に向かった。

お店に着いた私は従業員専用の入り口から中に入った。

入ってすぐにある控え室のドアを開けると、もう顔見知りになっている、お店の専属のヘアーメイクのお姉さんが待機していた。

「綾乃ちゃんおはよう」

「おはようございます、マリさん。すみません、遅くなって……」

「いいのよ。今日はこれに着替えて!!」

差し出されたロングドレス。

「……すごい……」

綺麗な真紅のドレス。

「でしょ?雪乃ママが綾乃ちゃんに似合うって新調してくれたんだよ」

「えっ?雪乃ママが?」

「うん!!」

マリさんがニッコリと微笑んだ。

「……嬉しい……」

「綾乃ちゃんは雪乃ママのお気に入りだからね」

「はっ?」

早速、ロングドレスに着替えようとしていた私は、マリさんの言葉に驚いて動きを止めた。

「ねぇ、綾乃ちゃん、知ってる?」

「……?」

「雪乃ママから名前の漢字を貰ったのは綾乃ちゃんが初めてなんだよ」

「そ……そうなの?」

「うん!!」

「……知らなかった……」

嬉しいんだけど……。

そんな事を聞いたら……。

また罪悪感が……。

「大変!!綾乃ちゃん急がないと!!」

そうだった!!

私は今日遅刻だったんだ。

急いで真紅のロングドレスに着替えると、マリさんが髪をセットして、メイクをしてくれた。

「はい!綾乃ちゃんの完成!!」

大きな鏡に映ったのは、いつもの私じゃなくて“綾乃”だった。

この格好になると気持ちが引き締まる。

背中に細い棒が入ったように自然と背筋が伸び、指の先の動きにまで神経が張り詰められていく感じ。

今の私は“綾”じゃなくて“綾乃”なんだ。

瞳を閉じ、集中して自分にそう言い聞かせる。

ゆっくりと瞳を開け鏡の中の自分に微笑む。

「今日も綺麗ね、綾乃ちゃん」

「ありがとう、マリさん」

「いってらっしゃい!!頑張ってね」

マリさんの言葉に見送られて私は控え室を出た。

控え室のドアを出て奥に進むともう一つのドアがある。

この扉の向こうが私の場所。

“綾乃”の居場所なんだ。

私は深呼吸をしてから、気持ちを落ち着けドアのノブに手を掛けた。

薄暗い通路に煌びやかな光が漏れてくる。

一歩、足を踏み出すとそこは別世界。

瞳に映る全ての物が洗練された高級品で、普段の私なら絶対に見ることも触れる事もないような店内の調度品。

シャンデリア、テーブル、ソファ、店内の至る所の置かれている小物、グラスや食器、その全てが雪乃ママが選びぬいたものばかり。

もちろん、ここで働いている従業員達も……。

ここは、雪乃ママが作り上げた世界。

客だって雪乃ママの許可がないとこの世界に入る事は許されない。

『綾乃さん、おはようございます』

黒服姿の男の子が声を掛けてくれる。

「おはようございます」

時間を選ばないこの挨拶にも戸惑う事は無くなってきた。

『綾乃ちゃん!!』

ボーイの男の子と挨拶をしている私に気付いた雪乃ママが慌てた様子で駆け寄ってきた。

「雪乃ママ、すみません。遅くなってしまって……」

いつも和服姿で上品な雪乃ママ。

そのママが珍しく焦っている。

その証拠に、勢い良く私の腕を掴んだ。

「雪乃ママ!?」

『雪乃ママ、どうぞ』

カウンターの中から男の子が雪乃ママにお茶の入ったグラスを差し出した。

「ありがとう」

グラスを受け取った雪乃ママがそのお茶を一気に飲み干した。

グラスをカウンターに置いた雪乃ママは深呼吸をして呼吸を整えた。

「ママ?大丈夫?」

「えぇ、おはよう。綾乃ちゃん」

ニッコリと妖艶な笑みを浮べた雪乃ママはいつもと同じ上品で落ち着いた雰囲気のママだった。「おはようございます」

「早速で悪いんだけど、満席なのよ」

「満席!?」

「えぇ。女の子が全然足りなくって……」

「じゃあ、私着いてきます」

私が店の奥に行こうとすると、雪乃ママが腕を引っ張った。

「綾乃ちゃん!!」

「えっ?」

「今日のお客様……」

雪乃ママが言葉を濁した。

「なんですか?」

「ちょっと特殊なお仕事の方達なの……」

……特殊なお仕事……。

私は大きな観葉植物の陰から店の奥を覗いた。

確かに……。

特殊だ……。

厳ついスーツ姿の男達はお店のソファを埋め尽くしている。

「大丈夫?」

雪乃ママが心配そうに私の顔を覗き込んだ。

「大丈夫です、任せてください」

普通のお客さんより得意かもしれない。

そう思った私は雪乃ママにニッコリと微笑んだ。

「よかった」

安心した様子の雪乃ママ。

「どのテーブルに着けばいいですか?」

「一番奥をお願い出来るかしら?」

……一番奥って……。

VIP席だよね?

「綾乃ちゃん?」

「は……はい、分かりました」

私と雪乃ママのやりとりを見ていたボーイの男の子が近付いてきた。

『ご案内します』

「いいわ。私が案内するから」

男の子の申し出をやんわりと断った雪乃ママ。

「一番奥のテーブルには、この辺一帯を仕切っている組の組長さんがいるの。そこが一番、安全だから」

雪乃ママが声を潜め私の耳元で囁いた。

“組長”と“安全”って言葉が結び付かないんだけど……。

「ありがとうございます」

雪乃ママの配慮にお礼を言った。

「行きましょうか?」

私は深呼吸をして気合を入れた。

「はい」

一歩前を歩く雪乃ママについて、店内の奥へ向かって歩く。

店内にいる人達の視線が全身に突き刺さる。

奥へと続く通路は全てのボックス席から見えるようになっている。

そこをボーイじゃなく雪乃ママに連れられて歩いているんだから目立ち方も半端じゃない。

こんな時でも私の負けず嫌いは顔を覗かせる。

下を向いてしまえば負けたような気がする。

だから、私はまっすぐ前を向いて歩いた。

たくさんの視線を集めながら、辿り付いたVIPルーム。

薄いカーテンで仕切られているその席は特定の人しか座る事の出来ない席。

この世界の特定は、お金を使う人って事……。

「響さん」

雪乃ママがカーテンの上がっている出入り口から中の空間に足を踏み入れた。

『なんだ?』

中から聞こえてきた低くて優しそうな男の人の声。

「紹介したい子がいるんだけど。いいかしら?」

『あぁ』

「綾乃ちゃん」

名前を呼ばれた私は初めてVIPルームの中に入った。

外からは人影くらいしか分からないその空間は思いの他広かった。

「はじめまして、綾乃です。よろしくお願いします」

そう言って挨拶した私は顔を上げて驚いた。

私の真正面が上座だから、この人が組長なんだろうけど……。

全然、ヤクザに見えない。

私が想像していた人と違う。

あんまり、ヤクザの人と接した事はないけど、小太りで厳つい顔のおじさんを想像していたのに……。

目の前にいるのは、優しくて穏やかそうな大人の男性。

他の人たちと同じ黒いスーツを着ているけど、全然それっぽくなくて、どちらかと言えばオシャレな感じがする……。

まっすぐに向けられた視線から、私は瞳を逸らす事が出来なかった。

……漆黒の瞳……。

「綾乃ちゃん?」

私は雪乃ママの声で我に返った。

「……失礼しました」

そう言って気付いた。

……ここ女の子足りてるじゃん。

この席には組長も含めて、お客が3人。

組長の隣にはこの店のNO.1のアリサがベッタリとくっついてるし、ヘルプ専用の椅子にも女の子が座っている。

他のテーブルに比べたら……。

私がここに着く必要なんてない気がするんだけど……。

「アリサちゃん」

「はい?」

「綾乃ちゃんと代わって」

「えっ?」

雪乃ママの言葉に驚いたのは、アリサだけじゃなかった。

私だって……空になったグラスに水割りを作ろうとしていた女の子だって、息を飲んで雪乃ママの顔を見つめていた。

組長がアリサを指名していない事は分かる。

……でも……。

すでに組長に着いているNO.1のアリサをバイトの私と代えるのは……。

アリサが組長を狙っているのは一目瞭然だ。

この店を貸し切るって事は、それだけのお金をこの店に落とすって事……。

そんな客を自分の客に出来たら、NO.1ホステスとしての地位も収入も安泰。

バイトの私には、売り上げなんて関係ないのに……。

「アリサちゃん」

雪乃ママの優しく上品な声が響いた。

妖艶な笑みを口元に称えている雪乃ママの顔を見つめるアリサ。

一瞬、アリサが悔しそうな表情を浮べたのを私は見逃さなかった。

だけど、それは本当に一瞬の事でアリサは組長にニッコリと微笑んだ。

「響さん、ごゆっくり。失礼します」

「あぁ」

真っ白なロングドレスを身に纏ったアリサが優雅に立ち上がり、席を離れた。

「失礼します」

アリサが座っていた席に私は腰を下ろした。

「響さん、綾乃ちゃんは新人さんだから苛めないでね」

雪乃ママはそう言って席を離れた。

「店に入ってどのくらいだ?」

「一ヶ月くらいです」

「慣れたか?」

「いいえ、まだ……」

「慣れない方がいい」

「えっ?」

「この世界には染まらない方がいい」

同じテーブルの他のお客さんと女の子が楽しそうに話している声、VIPルームの外から聞こえてくる声、店内に流れる音楽……。

たくさんの音が絶え間なく耳に飛び込んでくる中、響さんの低く落ち着いた声が心地よく耳にひびいた。

……変わった人……。

この世界に飛び込んで一ヶ月。

その間『頑張って早く慣れてね』って言われ続けてきた。

私だって『早く慣れなきゃ!!』って思っていた

遊びで働いている訳じゃない。

私の生活が掛かっているんだ。

なのに……。

この人は……。

「なんか飲むか?」

「はい、お茶を頂いてもいいですか?」

「お茶!?」

漆黒の切れ長の瞳が驚いたように見開かれた。

「は……はい」

私、変な事を言った?

「酒、飲めないのか?」

「いいえ」

「じゃあ、飲めよ」

「飲むと仕事が出来なくなるので」

本当は飲みたい。

飲んだ方が話だって出来るし、緊張する事も無くなる。

でも……。

ここはお客さんが楽しむ場所。

私達はお客さんを楽しませるのが仕事なんだ。

雪乃ママに最初に教えてもらったこと。

私の瞳をまっすぐに見つめていた響さんの漆黒の瞳が細められた。

この人、こんなに優しく笑うんだ。

「おい」

響さんの言葉は私の横を通り過ぎ、同じテーブルの顎にヒゲを蓄えている厳つい男の人に届いた。

『はい』

今まで女の子と楽しそうに談笑していた男の人が真剣な表情で返事をした。

和やかだった場の雰囲気が響さんの一声で一気に張り詰めた。

「お茶を持って来させろ」

『分かりました』

VIPルームの出入り口近くの女の子が立ち上がろうとするのを制し、男の人が立ち上がった。

「それから、雪乃を呼べ」

『はい』

VIPルームを男の人が出てすぐに雪乃ママがやって来た。

「お呼びかしら?響さん」

「あぁ、今日は指名をしたいんだが」

指名!?

……やっぱりアリサの方が良かったとか?

そういうオチなの?

そう言えば、今日の朝のテレビで見た占いで私、ワーストだったのよね……。

「あら、珍しい!!」

驚いた様子の雪乃ママを他所に響さんは、私を凍りつかせる一言を言い放った。



「綾乃を指名する」

……綾乃か……。

やっぱり綾乃が良かったのか。

……。

綾乃!?

綾乃って……私じゃないの!?

響さん……。

正気なの!?

“アリサ”と“綾乃”を間違えたとか言わないでしょうね。

このクラブは永久指名制。

一度指名するとその女の子が店を辞めるまで、指名を変えることは出来ないのに……。

『間違えた』っていうなら今しかないんだよ?

私は、そぉーっと響さんに視線を向けた。

「……」

私の視線に気が付いた響さんは、優しく穏やかに微笑んだ。

……どうやら間違ってはいないらしい……。

「良かったわね。綾乃ちゃん」

「……はい」

雪乃ママはニッコリ微笑んでいるけど……。

……分からない……。

なんで、響さんはアリサじゃなくて私なんかを指名したんだろう……。

私、今日の占いでワーストだったのに……。

「雪乃」

「はい?」

「他の女の子にも好きなものを好きなだけ飲ませてやってくれ」

「まぁ、ありがとう!!」

雪乃ママの顔が輝いた。

一体、響さんは今晩いくら使うつもりなんだろう……。

響さんが私を指名してくれたって事は、響さんが今日お店で使ってくれたお金は私のお給料に影響を与える。

その時、私は気付いてしまった。

……アリサに恨まれる……。

私がこのテーブルにつかなければ、指名をしていない響さんが使ったお金はテーブルマスターのアリサの売り上げになっていたはず……。

さっき見てしまったアリサの悔しそうな表情が脳裏に浮かんだ。

……だから女の世界は鬱陶しいのよね。

『どうぞ』

いつの間にか戻ってきた顎鬚の人がお茶の入っているグラスを差し出してくれた。

「ありがとうございます。頂きます」

私がグラスを持ち上げると、響さんがそのグラスに自分のグラスを当てた。

ガラスがぶつかる音がひびいた。

水割りを口に含んだ響さんがグラスをテーブルに置きスーツのポケットからタバコの箱を取り出した。

それに気付いた私はバッグの中からライターを取り出した。

その時、視界の端で動く人影が見えた。

そちらに視線を移すと、ライターを握り火を点けようと構えている男の人と目が合った。

「私の役目ですから」

笑顔で男の人に声を掛ける。

『はぁ……』

私の言葉に驚いたような表情の男の人。

いつもはこの人の役目かもしれないけど、ここでは私の仕事。

「牧田」

私の隣で響さんが口を開いた。

「はい」

「綾乃に任せておけ」

「分かりました」

牧田と呼ばれた男の人はポケットにライターを入れた。

「ありがとうございます」

牧田さんにお礼を言って、響さんにライターの火を差し出した。

その火にタバコを翳す響さん。

タバコをもつ左手の薬指が光を放っていた。

店内のライトの光が薬指にはめられている指輪に反射していた。

響さんの歳は分からないけど、見た感じ20代後半から30代前半。

結婚していても全然おかしくない。

どちらかといえば、かっこよくて、オシャレで優しいんだから結婚してないって言う方が信じられない。

……だけど……。

なんだろう?

この感じ……。

胸に何かが引っ掛かっているような……。

「どうした?」

響さんが私の顔を覗き込んだ。

「すみません。失礼しました」

仕事中に考え事をするなんて最低だ。

私は響さんに頭を下げた。

「なんで謝るんだ?」

「……」

「謝らなくていい。気にするな」

「……はい」

「今度、飯でも食いに行くか」

……えっと……。

これって、同伴かアフターのお誘いなのかな?

「はい、喜んで」

「毎日、出勤しているのか?」

「いいえ、昼間も働いているので休みの前の日だけです」

これは、雪乃ママと入店の時に考えた私の設定。

『お店で歳を尋ねられたら20歳って言うこと』

20歳だから、まだ学生でもいいけど、ツッこんだ話になるとボロが出そうだから、“事務員”をして働いている事になっている。

『学生です』って言ったら『学校はどこ?』って聞かれるけど、『事務のお仕事してます』って言っても『どこの会社?』って聞かれる事は無い。


「休みはいつだ?」

「土日、祝日です。お店に出るのはその前日です」

私は自分のスマホ番号がかいてある名刺を響さんに差し出した。

「分かった。近いうちに連絡する」

響さんは受け取った私の名刺をスーツのポケットに入れた。

「分かりました」

その後2時間程、響さんは私と話して帰って行った。

この辺を仕切っている組の組長だなんて言うから、どんなに怖い人だろうと思っていたけど、響さんは優しくて穏やかで全くそんな雰囲気なんて感じさせなかった。

どちらかと言えば品があって紳士的なお客さん。

そんなイメージの人。

響さんが帰る時、店の外まで見送った。

「響さん、今日はありがとうございました」

「こちらこそありがとう」

響さんはニッコリと微笑んでくれた。

……なんで響さんがお礼を言うんだろう?

その答えを聞く前に響さんは厳つい男の人に囲まれて帰って行った。

「ありがとう、綾乃ちゃん。助かったわ」

響さん達の姿が見えなくなると、一緒に見送りに店の外に出ていた雪乃ママが、私の肩を叩いた。

「……いいえ」

「いいお客様を捕まえたわね」

「……はぁ」

「響さんはウチのお店でもトップクラスのお客様よ」

「そうなんですか?」

「えぇ。私がお店を出す前からの付き合いだけど、なかなか指名してくれなかったのよね。綾乃ちゃんに着いてもらって本当に良かったわ」

満足そうな雪乃ママ。

……だけど……。

雪乃ママの話を聞いて私の疑問はより一層深まった。

「雪乃ママ」

「なに?」

「響さんは、なんで私なんか指名したんでしょうか?」

「えっ?」

「……」

「……綾乃ちゃんだからよ」

「……?」

「響さんは、綾乃ちゃんだから指名したのよ」

……。

雪乃ママは嬉しそうに笑っているけど……。

ダメだ……。

全然意味が分からない……。

「綾乃ちゃん、今日はもういいわよ。ごめんなさいね、明日も学校なのに……」

「いいえ、お先に失礼します。お疲れ様でした」

「お疲れ様」

私はなにか引っ掛かるモノを感じながら控え室で着替えを済ませて店を後にした。

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