エピソード3
溜まり場に着いた私はすぐに瑞貴と瞳が合った。
男の子達の中心でタバコを吸っていた瑞貴。
私の姿を見つけると安心した様な笑みを浮かべた。
それから、私に顎で『こっちに来い』と合図をした。
多分、瑞貴は私の面接の結果を聞きたいんだと思う……。
さすがに、昨日あれだけ話したんだから、私が『お水のバイトをする』と言っても瑞貴はもう何も言わないだろう……。
それに、私は瑞貴に紹介して欲しい人がいた。
さっき雪乃ママと話して“決意”したことがあった。
その“決意”の為にも私はどうしてもしたい事があった。
私が瑞貴に近付くとそこにいた男の子達がその場を離れた。
私に気を使ってくれたのか、瑞貴がそうさせたのか……。
「どうだった?」
開口一番そう口にした瑞貴。
「今週末から働く事になった」
「そうか」
瑞貴が持っていたタバコを下に落として、靴で火を踏み消した。
瑞貴の視線は足元を見ているから、顔の表情は分からないけど……。
……多分嬉しそうな表情はしていないはず……。
「……綾がキャバ嬢か……」
「あっ!違う!!」
「あ?」
「キャバじゃなくてクラブで働く事になったの」
「クラブ?踊る方のクラブか?」
……瑞貴……。
私と全く同じ事考えていた……。
「そうじゃなくて、飲む方のクラブよ」
「あぁ、そっちか」
瑞貴が納得したように頷いた。
私は雪乃ママと話した事を一通り話した。
別に瑞貴に話す必要は無いのかもしれないけど。
瑞貴なりに私の心配をしてくれているんだから、話すのが筋だと思った。
「優しいママで良かったな」
話を聞き終えた瑞貴が言った。
「うん。凛のお陰だよ」
「……凛ね……」
「なに?」
「ちょっと凛を殴ってくるか」
「はぁ?」
な……なに?
瑞貴と凛ってケンカでもしたの!?
……そんなはずないよね!?
ここには決まりがあるんだから。
「心配するな。軽く殴るだけだ」
……『軽く』とかそんな問題じゃないでしょ!?
不敵な笑みを浮かべて立ち上がった瑞貴の腕を私は慌てて引っ張った。
「あんた、ここの決まりを忘れたの!?」
必死な私の顔を見て瑞貴は鼻で笑った。
「冗談だよ」
「……」
……止めてよね!!
そんな心臓に悪い冗談なんか……。
「まぁ、殴りたい気持ちは充分あるけどな」
「……え?」
「お前にそんな仕事を紹介したんだから」
瑞貴はポケットからタバコの箱を取り出し一本銜えると火を点けた。
そして、その箱を私に差し出した。
私が吸うタバコと瑞貴が吸うタバコの銘柄は同じ。
迷うことなく一本貰い銜えた。
瑞貴が差し出してくれた火をタバコの先に翳す。
「凛は何も悪くない。私が頼んだんだから」
ゆっくりとタバコの煙を吐き出した瑞貴は「そうだな」と呟いた。
私と瑞貴の間に静かな時が流れる。
これ以上バイトの話をしたくない私は切り出した。
「ねぇ、瑞貴」
「ん?」
「お願いがあるんだけど」
「お願い?珍しいな、お前が俺に頼み事なんて。なんだ?」
「彫り師を紹介してくれない?」
「は?彫り師?」
瑞貴の瞳が驚いたように丸くなった。
「うん」
「お前、墨入れてぇのか?」
「そう」
「なんで?」
「ちょっとね」
「……」
瑞貴は何かを考えるように腕を組んで瞳を伏せた。
何を悩んでいるんだろう?
……もしかして……。
また、『ダメだ!!』とか言うんじゃないでしょうね?
そうなったら、面倒くさいなぁ……。
瑞貴だったら、そっち系の知り合いが多いからいいと思ったんだけど……。
私は、まだ普通にスタジオに行ってもTATOOを彫って貰える歳じゃないし……。
紹介とかコネが無いとTATTOOは無理だし……。
でも、彫りたいと思ったらすぐに彫りたいし……。
だけど、面倒くさいのはイヤだし……。
他の人に紹介して貰うしかないかな……。
私が瑞貴に頼むのは諦めようと思った時、瑞貴が口を開いた。
「和彫りと洋彫り。どっちがいいんだ?」
「へ?……あ……和彫りかな」
「機械彫り?それとも手彫りか?」
「……それってどう違うの?」
私の質問に呆れたように溜息を吐いた瑞貴。
でも、きちんと説明してくれた。
「痛みが軽くて早く仕上がるのが機械彫りだ。んで、手彫りは機械彫りに比べて時間は掛かるけど、彫ってから年月がたってからも色褪せが少ない」
「じゃあ、手彫りがいい」
「本当にいいのか?」
「なにが?」
「結構、痛ぇぞ」
「痛くても綺麗に残る方がいい」
「分かった。いつだ?」
「明日」
「はぁ?今、明日って言ったか?」
「うん。言ったけど」
「えらく急ぎだな」
そう言いながらも瑞貴はスマホを取り出した。
ボタンを押すとどこかに電話を掛け始めた。
電話の相手としばらく話し込んでいた瑞貴がスマホを耳から離して私に視線を向けた。
「明日の13時でいいか?」
「うん」
私の返事を聞いた瑞貴は再びスマホを耳に当てた。
「それじゃあ、明日の13時に行くから」
瑞貴はそう言ってスマホを切った。
「ありがとう、瑞貴」
「あぁ」
「場所はどこ?」
「明日俺も一緒に行く」
「いいよ。悪いし……」
「別に悪くねぇよ。俺も入れるし……」
「……そう瑞貴も入れるんだ。なら一緒に行けばいいね。……は?」
「どうした?」
「なんで?」
「なにが?」
「なんで瑞貴がTATTOO彫るの?」
「俺が墨入れてなんか問題あるか?」
「……問題はないけど……」
「……なら、そんなに驚く必要なんてねぇじゃん。お前すげぇ間抜け面してんぞ?」
私の顔を見て笑いを堪えている瑞貴。
「うるさい!!」
……本当にコイツは失礼な奴だ……。
「今日泊まりに来いよ?」
「なんでよ?」
「俺が昼に起きれると思ってんのか?」
「……頑張りなよ……」
「無理だな」
「はぁ?」
「紹介料」
瑞貴が右手を私に差し出した。
「……いくらよ?」
「今日、ウチに泊まって明日俺を起こせ」
……。
それって、私に拒否権ないじゃん……。
「……分かったわよ」
「商談成立」
瑞貴がニッコリと微笑んだ。
……なんか悔しい……。
瑞貴のペースに嵌っている事が悔しくてたまらない。
◆◆◆◆◆
瑞貴は昨日私に『起きれないから泊まりに来て起こせ』って言ったくせに……。
スマホのアラームで目覚めた私よりも先に起きていた。
眠くて閉じそうになる瞳を無理矢理開こうと頑張る私を楽しそうに見ていた。
ベッドの上になんとか起き上がった私は瑞貴に抗議した。
「……アンタ、起きれなかったんじゃないの?」
「そう思ってたけど、目が覚めた」
「それなら、私がわざわざ泊まりに来る必要なんてなかったんじゃない?」
「別にいいんじゃねぇか?細かいことばかり気にしてると細かい人間になるぞ?」
平然と言い放つ瑞貴に溜息しか出てこない。
いつもの私なら、瑞貴に文句を言うところだけど……。
寝起きで怒るのがダルくて私は瑞貴を放ってバスルームに向かおうとした。
昨日ここに来る前に家から持ってきた着替えの入ったバッグを掴んだ私は部屋を出ようとした。
「綾」
「なに?」
「どこに行くんだ?」
「シャワー」
「俺も一緒に行こうか?」
「……」
振り返ると楽しそうに笑いを堪えている瑞貴。
……からかわれてる……。
私は溜息を吐いて部屋を出た。
準備が出来た私が瑞貴に連れて行かれたのは、繁華街にあるごく普通のマンションだった。
エレベーターを降り、瑞貴がインターホンを押した。
それは、まるで友達の家に遊びに来たような感じだった。
中から物音が聞こえ、静かにドアが開いた。
姿を見せたのは20代後半くらいの男だった。
鋭い眼つきが印象的な男。
鼻と唇と眉尻にはボディピアス。
Tシャツから出ている腕には手首までびっしりと刺青が彫られている。
鋭い眼が瑞貴の姿を捉えると、細められた。
「瑞貴、久しぶり」
刺青だらけの腕を伸ばし瑞貴に手を差し出した。
「おう」
差し出された手を瑞貴が握った。
その手はすぐに離され二人は拳を作りお互いにぶつけた。
それはいつも瑞貴が仲間と交わす挨拶だった。
「こいつ、楓」
瑞貴に紹介された楓は笑顔で私に右手を差した。
「綾ちゃんだよね?瑞貴から聞いてるよ。よろしくね」
「はじめまして」
私は差し出された手に自分の手を重ねた。
楓は重ねた私の手を握るとにっこりと微笑んだ。
「二人とも入って」
楓に促されて私たちは中に入った。
通されたのは広い部屋だった。
消毒液の香りが病院を想像させる。
入り口の近くにあったソファに座った私と瑞貴。
その向かいに楓が座った。
楓の手元にはスケッチブックが置いてある。
「彫りたい絵とか場所は決まってる?」
「うん、一応……」
「何を彫ろうか?」
「蝶を彫りたいんだけど」
「蝶ね、どこがいい?」
「腰」
楓はスケッチブックにサラサラと何かを書き始めた。
「好きな色は?」
「赤」
「分かった」
黙々とスケッチブックにペンを走らせる楓。
何を書いてるんだろう?
すっかり自分の世界に入ってしまっている楓……。
私は隣にいる瑞貴に視線を向けた。
「いつもの事だ」
瑞貴が呆れた様に言った。
しばらくして楓は満足そうな表情でペンを置いた。
「これでどう?」
楓が差し出したスケッチブックを見て私は息を飲んだ。
今にも飛び立ちそうに大きな羽を広げている真紅の『蝶』。
「これが気に入らないなら他にも書くけど?」
「これがいい!!」
「OK」
楓が嬉しそうに微笑んだ。
「大きさは俺の掌位でいい?」
「うん」
「腰の真ん中に彫るより右か左に寄せたほうがいいと思うんだけど」
「うん、楓に任せる」
楓が嬉しそうに頷いた。
「今日筋だけ彫って、数日後に色を入れようか?」
「今日仕上げてもらいたいんだけど」
「全部?」
「そう……無理かな?」
「無理じゃないけど、結構痛いしキツいと思うよ」
「痛みには強いから大丈夫」
楓は私の顔を見つめた。
人に見つめられたら視線を逸らしちゃいけないと思ってしまう私は相当捻くれているんだと思う……。
真剣な表情で私の顔を見つめる楓とその眼から視線を逸らせない私。
「大丈夫だよ、楓。こいつは気合だけは入ってるから途中で弱音なんか吐かねぇよ」
「……でも、初めてだし熱を出すかもしれねぇし」
「熱ぐらい大丈夫!!」
私を見つめていた楓の表情が和らいだ。
「分かったよ。途中、休憩入れながらやるから3時間くらい掛かるけど、時間は大丈夫?」
「うん」
「よし、じゃあ準備するから待ってて」
楓はそう言って席を立った。
「ここに座って」
楓に声をかけられた私は部屋の中央に置いてあるリクライニング式の椅子に座った。
「おい」
笑いを堪えたような瑞貴の声。
ソファに座っている瑞貴に視線を移すと予想通り笑いを押し殺そうとしていた。
「なに?」
「お前どこに彫るつもりだ?」
「はぁ?腰だけど」
「その座り方だったら彫れねぇんじゃないか?」
「……」
……確かに……。
これだったら椅子の背もたれが邪魔で彫れない……。
だったらどんな風に座ればいいのよ?
普通、椅子に座れって言われたらこんな風に座るでしょ?
私は背後から聞こえてくる小さな笑い声に気が付いた。
声が聞こえてくる方を振り返ると……。
ピアスが刺さった顔を崩して笑っている楓がいた。
笑われている事にムカついて横目で睨むと、楓は慌てて笑いを飲み込んだ。
「綾ちゃん、背もたれの方を向いて座ってくれる?」
楓の指示に従って私は椅子に座り直した。
3時間後、私の腰には今にも飛び立ちそうな真紅の蝶が大きな羽を広げてとまっていた。
痛くなかったと言ったらウソになる。
最初はチクチクと感じる程度だった痛みが時間を増すごとに、体の芯に響くような痛みに変わっていった。
額にはあぶら汗が浮かび、体には痛みに耐えようと自然と力が入って強張った。
椅子の背もたれにしがみ付いている時、瑞貴が背もたれの脇から顔を覗かせた。
『痛ぇか?』
……痛いに決まってるでしょ!!
そう言いたかったけど……。
負けず嫌いで強がりな私は、『痛い』と言う事が出来なかった。
『……全然、痛くない……』
『そうか』
瑞貴は鼻で笑った。
……だけど、瑞貴はそれが私の強がりの言葉だって事に気付いていたんだと思う。
私の額の汗を拭いて、椅子の背もたれを握り締めている私の手に自分の手を握らせた。
そして、ずっと私の顔を見つめていた。
心配そうな。
悲しみを帯びた様な瞳で。
『綾ちゃん、終わったよ』
その言葉で、私の全身の力は一気に抜けた。
私の口からは、大きな溜息が漏れた。
痛みから解放された安堵感と達成感に包まれて……。
腰に感じる消毒液の冷たい感触。
熱を持って、火照っている肌にとても心地良かった。
『見てみる?』
楓が部屋の隅にある大きな姿見の鏡を指差した。
『うん』
私は頷いて握り締めていた瑞貴の手を離した。
瑞貴の大きな手には、くっきりと爪の痕が付いていた。
『ごめん!瑞貴!!』
『気にすんな』
瑞貴はニッコリと微笑んで私の頭を撫でた。
『……でも……』
あれだけくっきりと痕が残っているんだから瑞貴だって相当痛いはず……。
『早く見てこいよ』
瑞貴は私の手を引いて立ち上がらせると、背中を押した。
『う……うん』
私は瑞貴の手が気になりながら、鏡の前に立った。
鏡に背中を向け着ていた服の腰の部分を捲り上げる。
私の腰には今にも飛び立ちそうな真紅の蝶が大きな羽を広げて止まっていた。
『いいじゃん』
鏡越しに瑞貴の顔が見えた。
『……うん!!』
私は頷いた。
『楓、ありがとう』
後片付けをしている楓に声を掛けた。
私の言葉に楓は手を止めて顔を上げた。
『どう?気に入ってくれた?』
『うん!かなり!!』
『そう、良かった。瑞貴は来週だったよな?』
えっ?
……楓、今なんて言った?
『あ~!!楓!その話は後で連絡するから』
『あぁ。分かった』
焦った様子の瑞貴が楓の言葉を遮った。
『行こうぜ』
『み……瑞貴!?』
瑞貴が私の腕を掴んで部屋を出ようとした。
『楓、また連絡する』
『OK』
それだけ言い残すと瑞貴は私の腕を引いて部屋を出た。
「ねぇ!瑞貴ってば!!」
「あ?」
玄関を出てエレベーターの前まで来た時、瑞貴はやっと足を止めて私の腕を放した。
「私お金払ってないんだけど」
「あいつは受け取らない」
「どういう意味?」
「もう払った」
「はぁ?」
「俺からの一人暮らしと就職祝いだ」
「……」
「ありがたく受け取れよ?」
切なそうな瞳で微笑んだ瑞貴。
いつもなら『勝手な事しないでよ!!』って怒鳴りつけていたに違いない。
……でも今日は言えなかった。
瑞貴の瞳が余りにも悲しそうだったから……。
「……ありがとう……」
瑞貴がやっと嬉しそうに笑った。
「今日は早く帰って寝ろよ」
「……まだ夕方だよ」
「いいんだよ。熱が出るかもしれねぇから今日は夜遊び禁止な」
「はぁ?」
繁華街には夜が訪れようとしている。
人工的な明かりに誘われて、今日も人が集まってくる。
ここが私の居場所。
唯一の居場所なんだ……。
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