エピソード2

翌日、私は瑞貴の胸の中で目を覚ました。

私のバッグの中で鳴り響くスマホ。

身体に絡みつく瑞貴の腕を寝呆けながらも解きベッドの下にあるバックからスマホを取り出した。

「……はい」

『おはよー!綾!!』

寝起きに凛のハイテンションはキツイ……。

「おはよ」

そう言いながら私はタバコを銜えた。

『まだ寝てたの?もう夕方だよ!!』

「……そう。明け方に寝たから」

『……もしかして、瑞貴と一緒?』

「うん」

『今から2時間後に面接だけど行ける?』

突然、小声になった凛。

凛なりに気を使っているらしい。

「大丈夫。2時間後って事は19時でいいの?」

『うん、繁華街で待ってるから』

「分かった」

そう告げて終話ボタンを押した時、背後からタバコに火を点ける音が聞こえた。

「起こしちゃった?」

振り返るとベッドで上半身は起こしているけど瞳を閉じたままタバコを銜えている瑞貴。

「いや……目が覚めた……」

……まだ半分寝てんじゃん……。

瑞貴は「寝すぎた……」と呟いて大きな背伸びをした。

「私、これから用事があるから帰るね」

ベッドの下に散らばっている洋服をかき集めた。

「俺もついていくかな」

「キャバの面接に男連れて行ってどうすんの?」

私が溜息を吐くと瑞貴が楽しそうに笑った。

昨日着ていた服を着て瑞貴の部屋を出ようとした。

「綾」

「なに?」

「面接終わったらいつもの所に来るよな?」

「当たり前でしょ?今の私にはあそこしか居場所が無いんだから」

「待ってる」

「……うん」

「頑張って来いよ。うまくいくといいな」

その言葉が瑞貴の本心かは分からない。

……でも、瑞貴が私の為に掛けてくれた優しい言葉。

だから、私は笑顔で頷いた。

「……ありがとう、瑞貴」

それから、一度家に帰った。

誰も居ない家。

どうせ母親は男と遊びに行っているんだろう。

シャワーを浴びていつもより念入りにメイクしてお気に入りのワンピースに着替えた私は凛との待ち合わせ場所に向かった。

陽が落ちた繁華街は魅惑的な雰囲気に姿を変える。

ショッピングを楽しむ学生や子供連れが多い昼間とは全く違う。

看板のネオンが街を彩り、たくさんの誘惑に誘われるように人が集まってくる。

夜の繁華街を居心地がいいと思う私も、誘惑に誘われている一人。

目に見えない刺激を求めている。

「綾!!」

私の姿を見つけた凛が嬉しそうに手を振っている。

「ごめん、お待たせ」

「大丈夫、そんなに待ってないから。ちょっと心配したけど……」

「心配?」

「瑞貴に面接に行くのを阻止されてんじゃないのかって……」

まぁ、その予想もあながち外れてないけど……。

鋭い予想をした凛に私は苦笑するしかなかった。

「そろそろ行こうか」

「うん」

私と凛は並んで歩き出した。


凛はいつも私達がいるゲーセンやカラオケボックスがあるメインストリートを通り過ぎ飲み屋街に向かって歩いている。

この辺は若い子が多い私達が溜まっている所と違って仕事帰りのサラリーマンやこれから出勤らしい着飾ったお姉さん達で賑わっている。

「ここだよ」

凛が足を止めたのはたくさんのお店が入ってるビルの前だった。

スマホで時間を確認した凛が「ピッタリ」と呟いた。

……このビルの中に何件のお店が入ってるんだろう?

呆然とビルを見上げている私の腕を凛が掴んだ。

「行こう!!」

私の腕を引いて慣れた足取りでビルに入って行く凛。

エレベーターに乗り込み凛が押したのは11階のボタンだった。

「なんか緊張するね」

そう言ったわりに凛の瞳は興味津々の瞳だった。

初めて行くキャバクラ。

テレビのドラマなどでしか見た事のない世界。

少しの緊張と大きな興味を私は感じていた。

エレベーターが静かに停まりドアが開くと、そこはもう店内だった。

薄暗いイメージがあったキャバクラの店内。

想像とは全く違って眩しいくらいの照明が店内を映し出していた。

「……明るい……」

「まだ開店前だからね。……あっ!!お疲れ様です!!」

私達に近付いてきた人に気が付いた凛の声が1オクターブ高くなった。

「あぁ、お疲れ」

白いYシャツに黒いズボンとベスト。

長めの髪を後ろで束ねた20代前半の若い男。

この人が凛の知り合いの先輩らしい……。

その人は私の足元から頭まで視線を向けると近くのカウンターの椅子を指差して言った。

「ちょっとそこに座っといて。君に会いたいって人がいるから」

「……?」

「綾、座ろう?」

「う……うん……」

……私に会いたい人?

……誰だろう?

まぁ、いいか。

凛が私を騙したりするはずなんてないし……。

この先輩は、どう見てもボーイって感じだし。

面接をするのは店長とか店の責任者だろうから、その人が来るんだろう。

……もし、なんかあってもこの先輩を殴って逃げればいいんだし……。

そう考えた私は素直にカウンターの椅子に腰を下ろした。

それを確認した先輩はスマホを持って店の奥に行った。

「ねぇねぇ、綾」

「なに?」

「あの人かっこいいと思わない?」

「あの人って、凛の先輩のこと?」

「そう!!」

……どうなんだろう?

そう言えば私、先輩の顔をよく見てなかったかも……。

「好きなの?」

「うん!!」

そう答えた凛の顔は可愛らしい女の子の顔だった。

「あと10分くらいで着くらしいから」

先輩が戻って来てそう言った。

「なんか飲むか?」

「はい!!」

嬉しそうに凛が答えた。

「お茶かジュースかコーヒーか酒……ってまだ飲めねぇか」

先輩の言葉に私と凛は顔を見合わせた。

凛も私や瑞貴と一緒でお酒には強い。

……だけど……。

私は今から面接だし……。

凛も大好きな先輩にはお酒が飲めません的な可愛い女の子を演じたいだろうから……。

「冷たいお茶をください」

私がそう言うと先輩はニッコリと微笑んで頷いた。

「凛は?」

「私もお茶をください!!」

目の前にウーロン茶が置かれた。

「今、春休みか?」

「はい!!」

「高校受かったのか?」

「お陰様で、ギリギリ合格ですけど……」

「ギリギリでも合格は合格だろ?よかったじゃねぇか。おめでとう」

「……ありがとうございます」

カウンターの中に立って凛の正面で頬杖をついた先輩。

その先輩に至近距離で見つめられた凛は頬を赤く染めて俯いた。

……可愛い……。

いつもの凛じゃない……。

こんな凛は見た事が無い気がする。

……でも……。

こんな凛も好きかも……。

微笑ましい凛と先輩のやり取りを見つめていた。

頬杖をついて凛と話していた先輩の視線がお店の出入り口に向けられた。

「来たぞ」

そう呟いた先輩が背筋を伸ばした。

静かに開いたエレベーターのドア。

現れたのは和服姿の上品そうな女性だった。

「雪乃ママ、お疲れ様です」

先輩が軽く頭を下げた。

「お疲れ様」

雪乃ママは妖艶な笑みを浮かべた。

その笑顔は女の私でもクラクラするくらいに綺麗で色っぽかった。

「面接に来たのはどっちかしら?」

「あっ!!私です」

「そう、ちょっと二人で話したいんだけど……」

「雪乃ママ、奥のボックスを使ってください」

先輩が案内してくれたのは店の一番奥のボックス席。

そこで雪乃ママと私はテーブルを挟んで向かい合って座った。

先輩が再び私と雪乃ママの前にお茶の入ったグラスを置いてその場を離れると、雪乃ママが口を開いた。

「お名前は?」

「綾です」

「綾さんね、本当に今度高校入学なの?」

「はい、そうです」

「とても大人っぽいわね」

「……そうですか?」

……それってフケてるって事?

ダメダメ!!

ここでキレちゃダメ……。

冷静にならないと……。「どうしてお金が必要なの?」

突然の質問に私は答えに詰まった。

「言いたくない?」

雪乃ママが優しく微笑んだ。

その笑顔を見て私の口は自然と言葉を紡ぎ出した。

何も言わず絶妙のタイミングで頷くように相槌を打つ雪乃ママ。

とても話しやすい雰囲気を作ってくれる雪乃ママに私は全てを話す事が出来た。

両親の事、一人暮らしをする事、その為にお金が必要な事……。

「毎月どの位のお金が必要なの?」

「30万くらいです」

「そう、もしあなたが私のお店に来てくれるなら50万出すわよ」

「ご……50万ですか!?」

「えぇ」

驚く私に雪乃ママはニッコリと微笑んだ。

「あ……あの、私来週から高校に通うので毎日出勤は出来ないんですけど……」

「大丈夫よ。あなたに働いて欲しいのはここじゃなくてクラブなの」

「クラブ?」

クラブって踊る方のクラブ……じゃないか。

「そう、ここも私が経営しているんだけど、私が毎日いるのは会員制のクラブの方なの」

「……会員制……」

「そっちの方がお客様の身元も分かっているから知り合いに会ったりする事もないでしょ?完全予約制だから事前に誰が来るかも分かるし」

……確かに……。

私がお酒を提供するお店で働くのは違法……。

もし、知り合いにお店で会ったりしたら歳がバレてしまう。

そうならない為にもキャバクラよりクラブで働いた方がいい気がする……。

「綾さんが出勤するのは、金曜日と土曜日と祝日の前日だけでいいわよ」

「それだけでいいんですか?」

「充分よ。ウチのクラブで働いてくれている女の子も殆どが昼間会社に勤めていたり大学や専門学校に通っている子達なの」

「そうなんですか?」

「えぇ。たまにどうしても女の子が足りない時はお願いする事もあるけど無理な時は無理って言ってくれて構わないから」

「はい」

「返事を急がせるのは良くないんだけど……出来れば今週末からお店に出て欲しいの。どうかしら?」

条件もお金も……。

断る理由なんて何もない。

「よろしくお願いします」

私は雪乃ママに頭を下げた。

「こちらこそ」

雪乃ママの笑顔はやっぱり私をクラクラさせるくらい妖艶だった……。

「綾さん。一人で住む家はもう決まっているの?」

「いいえ。これから探します」

「私の知り合いに不動産会社の社長がいるから紹介しましょうか?そっちの方が融通が利くわよ」

「ありがとうございます」

「それから、これが私の連絡先だから」

手渡された名刺にはスマホの番号やクラブの住所や電話番号などが書かれていた。

「それとこれは……」

雪乃ママがバッグから茶封筒を取り出し私の目の前に置いた。

「……?」

茶封筒の中には万札の束が入っていた。

「新しい生活の足しにしてちょうだい」

「う……受け取れません!!」

私は慌てて茶封筒を雪乃ママの前に置いた。

「綾さん」

「はい?」

「この世界に入ろうと思うのなら、人の好意に甘える事も覚えなさい」

「……え?」

「失礼な事を聞いてもいいかしら?」

「なんでしょうか?」

「あなた彼氏はいる?」

「……いいえ」

「男の人と寝たことは?」

「……あります」

「その人はあなたにとって大切な人?それとも見ず知らずの人?」

瑞貴は、私の大切な友達……。

「大切な人です」

私がそう答えると雪乃ママの表情が和らいだ。

「そう、お金は好き?」

……お金を嫌いだという人がこの世の中にいるんだろうか?

「……多分……好きです」

「多分?あなた面白いわね」

雪乃ママが楽しそうに笑った。

「私はお金が大好きよ」

「……はい」

「あなたは、昔の私に似ているわ」

「雪乃ママにですか?」

「えぇ。その瞳も負けず嫌いなところも不器用なところも……」

「……」

初対面なのに雪乃ママはどうして私の事が分かるんだろう……。

「この世界で『蝶』になりなさい」

まっすぐと私を見つめる雪乃ママ。

「『蝶』ですか?」

「そうよ。自分が好きなものだけを選んで優雅に舞う『蝶』になりなさい」

「好きなものだけを?」

「お金も友達も男も……。好きなものだけを選べばいいのよ」

「……はい」

「だから、これは受け取ってね」

雪乃ママは茶封筒を私の手の中に納めた。

「……ありがとうございます」

「今週末、お店で待ってるから」

「はい、何時に行けばいいですか?」

「お店は21時からだから20時でいいわ。ドレスもメイクも髪型もお店で準備出来るから普段着でいいからね」

「分かりました」

「それじゃ今週末ね」

「はい、よろしくお願いします」

私は席を立ち、雪乃ママに頭を下げてから、凛が待つカウンターに向かった。

楽しそうに談笑している凛と先輩。

「綾!話、終わった?」

私に気付いた凛がカウンターの椅子から落ちそうなくらい身を乗り出してくる。

「うん」

「どっちで働く事にしたんだ?」

先輩が尋ねた。

「クラブにしました」

「そっちがいい」

ニッコリと微笑んだ先輩。

「俺はいつもこっちにいるからなんかあったら相談に来いよ」

「はい。ありがとうございます」

「よかったね、綾。バイトが決まって」

ビルを出た時、凛が私の顔を下から見上げた。

「うん、凛のお陰だよ。ありがとう」

「別に私は何もしてないよ」

「そんな事ないよ。今日だってわざわざついて来てくれたし」

「いいって。私も先輩に会えたし。それに……」

「それに?」

「今度一緒に遊ぶ約束したんだ!!」

凛が嬉しそうに微笑んだ。

いつもとは違う凛の表情。

恋をしている表情。

私が一生する事のない表情。

友達が喜んでいて嬉しいと思う反面そんな凛を羨ましいと思う自分がいた。

「良かったじゃん」

「うん!!」

……私は今ちゃんと笑えているのだろうか?

そんな疑問を抱えている時、私のスマホが鳴り響いた。

画面に浮かび上がる“瑞貴”という文字。

「……はい」

『面接終わったのか?』

「うん」

『来るんだろ?』

「今から行く」

『酔っ払いに絡まれんなよ』

「……そんな心配いらないから」

『それもそうだな』

瑞貴は楽しそうに笑っていた。

……どうせ私に絡んで来る奴なんていないわよ!!

いつまでも笑いを止める事の無い瑞貴に段々、ムカついてきた。

「じゃあ、後でね!!」

私は、そう告げるとスマホを勢い良く閉じた。

私と瑞貴の電話でのやり取りを聞いていた凛が隣で声を押し殺して笑っている。

「なに笑ってんのよ?」

「え!?」

「下を向いていても肩が揺れてるんだけど」

「バレてた?ごめん!!綾と瑞貴っていつも仲がいいなぁと思って」

「仲がいい?瑞貴と私が?」

「うん」

「そお?いつもケンカばかりだけど?」

「それが楽しそうに見えるんだって!!」

「……」

凛が言ってる意味が分からない。

私は楽しいけど……。

瑞貴がそう思ってるとは思えない……。

首を傾げる私を見て凛はクスクスと笑った。


ずっとこのままの関係でいれたらいいのに。

凛や瑞貴達とバカみたいに騒いで笑って……。

私は早く自立して大人になりたいと思う。

……でも……。

凛や瑞貴は変わらないで欲しい……。



あの頃の私は、そんな自分勝手な願いをいつも胸に抱えていた。


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