第4話

 ヨサカ独自の幻獣事典、と舌の上で言葉を転がしたところで、恭佳は「でも」と疑問を投げる。

「幻獣ってそんなにいっぱいいるんですか?」

「いる」断言して、トキは熱っぽい口調で続けた。「幻獣は百体、二百体なんてものじゃねえ。その数倍はいる。なかにはまだ事典とかに載ってない種類だっているはずだ」

「ヨサカにも?」

「むしろこの国にはごろごろいると思うぞ。まあ、それは今から調査するんだが」

「今から……今から?」

「ちょうど幻獣が関わってるかも知れねえ相談があったところだ。来い」

 席を立ち、トキはさっさと歩いて行ってしまう。恭佳が素早くあとを追いかければ、玄関先でシルキーがカバンを持って待機していた。革製のそれは肩から提げられるようで、彼女は恭佳の手にカバンを預けてくる。

「うわっ、結構重い」

「どんな幻獣が出るか分からねえからな。一通りの装備が入ってんだよ」

 どうやら荷物持ちは恭佳の仕事らしい。トキは中折れ帽をかぶり、手には何も持っていない。シルキーは一緒に行かないようで、二人が屋敷の門を出るまで見送ってくれた。

 穏やかな風が木々の枝を揺すって葉がざわざわと音を奏でるたび、足元を転々と照らす木漏れ日の位置が変わる。雑木林を抜け、日差しの下で見るトキの髪はただ黒いばかりではなく、深く濃い濃紺にも見えると初めて知った。

「相談って仰ってましたけど、普段からそういう相談が持ち込まれるんですか?」

「毎日ってわけじゃないが、たまにな。常吉つねよしから手紙がきたり、俺が直接聞きに行ったりして受ける」

「常吉……って誰ですか、それ」

「お前も知ってる奴じゃねえか」

 そんな知り合いいたっけなと恭佳が考える間も、トキが口を止めることはない。

「相談って言っても『野良猫が喋った』だの、『夜道を歩いていたら突然足を触られた』だの大抵そんな話だけどな。巷では怪談として噂になってるそれを、俺は幻獣が絡んでる可能性を鑑みて、一個ずつ調べるんだよ」

「じゃあ空振りに終わる可能性も」

「むしろ六割くらいは空振りだ」

 言い換えれば、残りの四割は〝本物〟なのか。

 今はどこに向かっているのか問えば、トキは町の東端にある一角――住人たちが〈貧民通り〉と呼ぶ通りの名を上げた。最近、通りから続く橋のあたりで奇妙な怪物がよく目撃されているというのだ。どういう姿なのかはっきりせず、現れる時間帯にも決まりはない。あまりに情報が不足しすぎていて、彼はただの作り話を疑っているようだった。

 雑木林から目的地までは、徒歩で三十分ほど。到着するまでの道すがら、恭佳は気になっていたことを問うてみた。

「レンフナってところにしばらく滞在してたんですか? 書斎の本とかそこから持って帰ったって、さっき聞きましたし」

「半年くらいな。表向きは外遊ってことになってるが、はっきり言えば家出」

「い、家出?」

 思いもよらない言葉に、恭佳は目を丸くした。レンフナがどれほど遠い異国なのか知らないが、確実に普通の家出とは規模が違う。しかも半年も逗留とうりゅうしていたとなればなおさらだ。

 帰国するきっかけはなんだったのか聞けば、幻獣事典を作りたくなったからだとトキは言う。

「そのために資料として本をいくつか欲しいって言ったら、エアストの当主がずいぶん気をよくしてな。あれだけの量をくれた。……ああ、エアストってのは俺が世話になってた魔術師だ」

「あの、その魔術師ってなんなんですか?」

 自分が知らないだけで常識なのかとも思ったが、ヨサカで普通に暮らしているなら魔術師を知るわけがない、とトキに説明されて、恭佳は内心で安堵した。

「あっちの方の宗教では、人間は神が土をこねたことで出来たって伝えられてんだ。その時に神の力の欠片が宿り、不可思議な力が使えるようになった連中のことを主に魔術師という。昔は〝十家じゅっけ〟って呼ばれた名高い家を筆頭に結構な数がいたらしいが、今じゃ二家を残して処刑されたか離散したらしい」

「処刑……」

「幻獣を作ったって言ったろ。料理と同じように、そこには材料があるわけだが、それはなんだと思う?」

「材料?」

 木々を組み合わせて家具を作るように、あるいは糸をつなぎ合わせて衣類を作るように。幻獣とは「河童ならこういう見た目をしているだろう」と数多の材料――動物や植物、その他もろもろを組み合わせて出来た人工生命体のことを指す。そう話すトキの口調は、当然のことだろうと言わんばかりだ。

 恭佳は言葉に詰まった。

 ぞっとしたのだ。

 ――普通なら存在するはずのない生き物を、人間が意図的に作り出したってこと?

 ――生きている動物や、植物をもとにして?

 黙り込む恭佳を振り返り、トキは悟ったような表情で頬をかく。

「安心しろ。河童はまだマシな幻獣だ。材料に使われたのは、記録によれば適当な魚とカエル、家鴨あひるとサルと亀。人間は使われちゃいない」

「……にん、げん?」

「なんだ。それに気付いたから絶句してたわけじゃねえのか」

 衝撃に瞳を揺らす恭佳を見すえながら、トキは淡々と言葉を紡ぐ。

「魔術師たちは幻獣の知能向上を目的に、材料に人間を用いることがあったんだと。一度じゃないぞ、何度もだ。それが公になったことで、かつて神に近い人間として崇め奉られた奴らの評価は地に落ち、処刑されたってわけだ。笑えるだろ」

「わ……笑えませんよ、全然」

「意外と繊細なんだなあ、お前」

 バカにしているというより、本当に意外に思っているような口調だった。一体、彼は恭佳のどこをどう見て繊細ではないと考えていたのか。

 ――お屋敷で火の玉を見ても逃げ出さなかったから、とか?

「ぜひこの機会に誤った認識を改めていただけると嬉しいですけど」

「考えといてやる。ちなみにシルキーだが、あれは河童と違って、人間を材料にして作られた幻獣だ」

「シルキーさんも幻獣なんですか!? あ、だから言葉が通じない……」

「アホか」今度は確実に馬鹿にした言い方である。「それは幻獣だからじゃない。単純にお前が喋ってんのはヨサカ語、あいつの場合はレンフナ語ってだけだ」

 門まで見送ってくれたシルキーを思い出す。とても人工的に作られた存在とは思えない。材料ということは、元々は普通の人間だったのだろう。トキによると、基本的に幻獣は人だった頃の記憶を持たないという。

「今も残る二家は『幻獣を作ったりしたけど、人間を材料には使わなかった』って理由で存続が許されてる。さっき言ったエアストはこのうちの一つだ。あの家は世界各地に残る幻獣の調査と記録、その管理を担っててな。だから俺は幻獣に興味を持ったわけだが――と」

 トキが不意に足を止める。恭佳もそれに倣って辺りを見回した。どうやら目的地に到着したらしい。人だけでなく、荷車や人力車の往来を想定したであろう木製の橋の幅は広くゆとりがある。

 けれど橋の向こうに続くのは〈貧民通り〉。その名の通り、急激に細くなる道を挟むようにして貧しい者たちが暮らす家々が並んでいた。この近辺を総称して〈貧民街〉と呼ぶ者もいるし、どちらかというと正式な地域の名称よりそちらの呼び方が定着している。

 まともに手入れのされていない橋はひどく汚れ、欄干らんかんには元の色が分からなくなるほど変色した布切れがいくつも見受けられる。どういう意図や用途で引っかかっているのか見当がつかない。

 恭佳の実家があるのはほぼ真逆、町の西端に近い場所であり、これまでこのあたりに近づいたことすらない。実際に貧民街の様子を目の当たりにしたのは今日が初めてだ。

「うぇ……すごいにおいがしますね。鼻が曲がりそう」

「汚水とかその他もろもろ垂れ流されたものが、全部ここに辿りついてんだよ」

 見てみろ、とトキは橋の下を指さすが、覗き込む勇気が出ない。

「なんだか、すごく静か」

 今は昼前で、しかも快晴である。他所の通りや広場であればかなりの喧騒のはずだが、ここだけ夜の静寂に取り残されたかのようだ。

 奇妙な怪物が出るという噂のせいだろうか。だとしても、この静けさは異常な気がする。一人や二人くらい、噂など気にも留めない誰かが出歩いていてもおかしくないと思うのに。

「おぉ、あれか!」

 眉間に皺を寄せる恭佳の前で、トキが不意におもちゃを見つけた少年のように弾んだ声を上げる。

 そこにいたのは。

「な、なに」

 思わず肩から提げていたカバンを放り出して逃げそうになり、なんとか踏ん張った。

 一言で表すなら、巨大な肉の塊だろうか。大きさはそばにある平屋の家屋と同じくらい。長時間水に浸ってぶよぶよと伸びてしまった皮膚に似たなにかで体を覆っているが、そもそもあれは体なのか。というのも、顔にそのまま手足がくっついたような見た目をしているからだ。

 その手足もずんぐりとした体格に不釣り合いなほど細く、二足で立ち、しかも歩いているのが不思議なほどだ。家屋の隙間から現れたそれは、ゆっくりと、しかし確実に橋の上を歩き、こちらに近づいてくる。

「どうやら今回の噂は〝本物〟だったようだな!」

「嬉しそうでなによりですけど、なんですかアレ! 近寄って来てますし!」

 得体の知れないものから逃げたいが、雇い主であるトキを放って自分だけ逃げるわけにはいかない。相反する感情に板挟みになりつつ、恭佳は必死に、目の前の化け物について彼に説明を求めた。が、トキは見たこともない無邪気な笑みを浮かべ、恭佳の肩を掴んで引き寄せたかと思うと、カバンをあさって何かを取り出す。

 トキが手にしたのは、鉛筆と一枚の紙だった。彼は嬉々とした足取りで肉塊に近づき、ぺちぺちと表面を叩いたり、意思の疎通が出来るか試し始める。

 肉塊には一応、目と鼻、口がついているが、耳があるべき場所から腕が生えているので音が聞こえているかは怪しい。分厚いまぶたが垂れ下がっているせいで、目はほとんど見えていないのではないか。鼻も踏みつぶされたように平らで、常に半開きの口からは風が通り抜けるひゅーひゅーという音が聞こえるだけで言葉らしい言葉が発されることはない。

「刻印は……ないな。〝十家〟のどれかが作ったわけじゃなさそうだ」

 トキは慣れた手つきで紙になにごとか書きつけ、己の思考を整理するように繰り返し呟きながら肉塊をじっくり観察している。

 とりあえず害はないのだろうか。助手として採用された以上、怯えてばかりもいられない。恭佳は及び腰のままトキと肉塊に近づこうとしたが、

「!」

 急に肉塊がぶるりと震え、恭佳に向かって突進してきた。走り出すだなんて予想外で、恭佳は女子らしからぬ悲鳴を上げながら反射的に飛びのいて尻もちをついた。肉塊は、その図体からは想像もつかない素早さで、先ほどまで恭佳が立っていた場所を通り過ぎていく。

「きゅ、急になに!? なんなの!?」

「さあな、俺にも分からん」トキは恭佳ほど驚いた様子を見せず、落ち着き払っていた。「それより、大丈夫か?」

「はい、多分。ちょっとお尻を打っただけで」

「お前じゃなくて、カバン」

 カバン、と恭佳が目を落とすと、肩から提げていたそれを尻の下に敷いていた。

「わああああ、すみません、すみません! 壊れものとか入ってましたか!?」

「入れてない。が、確認はしておけよ。俺はそれどころじゃねえから」

 言われた通りに中身をざっと確認しつつ、肉塊はどうなったのかと視線を投げる。

 肉塊はそのまま走り去ることなく、突進してきた時と同じ唐突さで停止し、ふらふら左右に揺れながら方向転換をして、こちらに顔を向けた。恭佳の慌てふためく様子がおかしかったのか、口が歪な三日月形に歪んでいる。なんだか無性に腹の立つ笑い方で、一時ではあったものの恐怖を忘れた。

「喋らない。知能もほぼ無さげ。明確に害悪というわけでもねえが、突然襲い掛かってくることもある……と。ったく、何を考えてこんな訳の分からん幻獣を作ったんだか。桂樹」

「は、はい」

「いつまで座り込んでる。これ、ちょっと持ってろ」

 トキが鉛筆と紙を放る。あわあわとそれを受け止めると、今度は刃物を寄越せと命じられた。

 カバンの中を確認した時、確かに鞘に入った状態のそれがあった。刃渡りは恭佳の肘から手首くらいだろうか。忙しなく取り出して渡すや否や、彼は鞘から刃物を引き抜いた。

 銀色の刃が光りを跳ね返し、まばゆく輝く。トキはとんっと地面を蹴ると、走り出した勢いのまま、肉塊に刃物を突き立てた。痛覚はないのか、肉塊は反応らしい反応を示さない。

 反撃されないか恭佳が気を揉むなか、トキは慣れた手つきでざくざくと肉を切り開いていく。やがて彼は「あった」と肉塊に腕を突っ込んだ。血が噴き出してきてもおかしくないはずなのに、肉塊は自分の体内がかき回されていることに気づいていないのか、悲鳴も上げず、血の一滴すら流すことはない。

 十秒ほど経って、彼が腕を引き抜いた時、その手に虹色に輝く石のようなものを握っていた。

 なんだろうと恭佳はトキに近づこうとしたのだが、

「!? うわっ!」

 先ほどまでぶよぶよとしていた肉塊が、急に岩のような硬質なかたまりに変化した。かと思うと表面に細かくひびが入り、体全体にまんべんなく行きわたったところでトキが刃物の柄で突くと、ざらりと音を立てて跡形もなく崩れ落ちる。

「え、え……?」

「よし、記録はできたし、帰るか」

 トキは満足げに頷き、ぱんっと手を叩いた。それを合図にしたように、これまで顔を覗かせることすらなかった貧民街の住人たちが、ぞろぞろと通りに現れ始めた。

 彼らは一様にぼろぼろで垢だらけの衣を身に着け、日々の食事もままならないのか、がいこつのようにやせ細っている。初めて見る人々の様子に恭佳が少なからず怯む中、トキに「行くぞ」と肩を叩かれた。

「あいつらが出てきた以上、ここに長居はしない方がいい。帰るぞ」

「わ、分かりました」

 あの肉塊はなんだったのか。トキが体内から宝石を取り出した途端に崩れ落ちたのはなぜなのか。そして、自分たちが来てから今まで、住人たちが一切顔を見せなかったのはどうしてか。

 聞きたいことは山ほどあったが、この場で訊ねるべきではないと本能が告げている。

 体中に視線が突き刺さる。「あいつらは何者か」「あの着物を剥げないだろうか」と考える視線が。

 トキは宝石を陽の光に透かしながら、すでに歩き出している。恭佳もカバンを胸に抱え、視線から逃れるように、早足で彼の背中を追った。

 肉塊だった砂塵は、人々の歩みや風にさらわれ、方々に散っていった。

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