第七話「指輪の意味」

「お茶をいれようか」

 由忠が急須に手を伸ばした。

「い、いえっ!」

 美奈子が慌ててその手を止める。

「わ、私がやりますからっ!」


 襖の向こうから、

 グシャッ!

 ボクッ!

 メキョッ!

 ……凡そ人体から聞こえてはいけない音が、瀬戸綾乃の罵声と、水瀬の命乞いの混じって聞こえてくる。


「聞き慣れないかな?」

「い、いえ」

 由忠の問いかけに、美奈子はとっさに答えてしまい、慌てて口元を抑えた。

「普段からああだからね。あの子にも困ったものだ―――ん?」

 不意に、由忠の視線が止まった。

 視線の先にあるのは、急須を握る美奈子の手だ。

「……」

「……あの?」

「……いや。何でもない」

 そう言いつつ、由忠の視線はずっと美奈子の手に注がれる。

「―――あっ!」

 由忠の湯飲みに茶を注ぎ終えた美奈子は、自分の手元を見て、由忠の視線の意味を知った。

 左手の薬指に光るのは銀色の指輪。

 飾り気も何もないが、それでも今の美奈子にとっては、大切なものだ。


 深い意味はない。


 頭ではわかっている。

 女の子として期待する意味は、この指輪にはない。


 それでも、


 それでも、


 ―――好きな人にもらった。


 それだけで、美奈子にとっては大切な指輪なのだ。


 

「こ……これは」

 どうしよう。

 美奈子は困惑気味に手を隠そうとした。


 私にとっては大切だ。

 だけど、“悠理君にもらいました”と言ったら、父親としてどう思う?

 本来の意味にしか捉えないだろう。


 それでいいの?

 自分からの問いかけに、答えることが出来ない。


 単なるプレゼントです。

 オモチャです。


 そう言いたいの?

 そう言われたいの?


 そんな、自分からの問いかけに、答えられない。



 ―――追跡装置に反応する機能が仕込まれてるんだ。


 あれは、単なる照れ隠しだ。

 本当は、ちゃんと指輪に意味を込めてくれているんだ。


 美奈子は心のどこかで、そう願っている。


 水瀬君は、私のことを―――


 そう、信じている。


 それを、口に出すことで、誰かに否定されることを、美奈子は心から怖れる。


 

「……悠理か?」

「……えっ?」

 思わず見た由忠の顔は、心がとろけそうになるほど、優しさに包まれていた。

「その指輪だよ」

「……」

「その指輪はね?」


 ―――何を外に逃げようとしてるんです!

 ―――吹き飛ばされたフリしても許しませんからね!?


「……」

 どうやら庭に放り投げられた水瀬を追って、綾乃も外に出たようだ。

 ハアッ。

 それを確認し、小さいため息をついた由忠が小声で言った。

「綾乃ちゃんには内緒にして欲しい」

「……は?」

「それは……お袋から悠理に与えられた指輪だ」

「これですか?」

「返せとはいわないさ」

 困惑する美奈子の表情に、由忠は苦笑した。

「あいつも忘れているのか何なのか……あの性格だからね」

「……ははっ」


 ―――やっぱり。


 愛想笑いを浮かべながら、美奈子は内心で泣いた。


 ―――これは、オモチャだったんだ。


 水瀬君が私にくれた理由は……やっぱり……。


「あなたにとって、一番大切な人にあげなさい。お袋はそう言ってあいつにくれた代物さ」


「縁日か何かでですか?」

 上手く笑うことが出来たかどうか、自信がない。


「まさか」

 由忠は大げさなほどに肩をすくめた。

「普通の銀なら、あいつと俺は触ることが出来ない。そいつは天界の最高級ミスリルで作られた代物―――恥ずかしい話だが」

 由忠は頭を掻いた。

「俺が妻に送った婚約指輪とは対になる代物だ」

「―――えっ?」


「まぁ……あいつが、“そこまで”の意味を込めているか?そう聞かれれば首を傾げるしかない。“一番大切な存在”が、恋人ではなく、一番のクラスメートなのかもしれないからね」


「……あっ」


「そう落ち込まないでくれ。物事は、悪い方へと考えると、悪い方へと向かうぞ?」


「……はい」


「……物好きな話だとは思うが」

 憮然として湯飲みに口を付けた由忠は、すっと立ち上がった。

「ここを動かないで欲しい」

 その手には、いつ、どこに隠していたのか、一振りの刀が握られていた。

「悠理は……使い物にならないな。あのバカ息子め」



 由忠が庭に面した襖に向け、一歩を踏み出した途端―――


 バンッ!


 突然、襖がけたたましい音と共に開かれ、何かが部屋に飛び込んできた。


 黒い大きな塊。


 美奈子には、そうとしか捉えることが出来なかった―――それ。


 ザンッ!!


 グチャッ!


 バンッ!


 そんな音がして、室内に鉄のような臭いが漂い始める。


 ―――血の臭いだ。


「―――っ!」

 由忠の背後。

 別な部屋に通じる襖。

 それまで白地に水墨画が描かれた質素だが品のいい印象を受けていたその襖は、二つの真っ赤な、そして大きな染みによって汚されていた。


 そして、襖の下には二つの黒い物体が転がっている。


 黒い物体は、襖と床とに描かれた赤い線で繋がっている。


 人間の死体だ。


「女子供も見るモノではないが……」


「お気遣い、感謝します」

 美奈子は震える声で気丈に答えた。

「でも―――私は大丈夫です。どうぞ心おきなく戦ってください」


 ふっ。

 由忠は楽しげに鼻を鳴らした。

「悠理にはもったいないな」


 ズダダッ!


 大きく開かれた襖。

 その先に広がる闇の中から鈍い音が連続して響く。

 美奈子はとっさに畳の上に伏せた。

  

「騎士に銃が効くと―――」

 由忠は全く動いてさえいなかった。

「本気で思っているバカがまだいたとはな」



 ザンッ

 ザシュッ


 時代劇の殺陣で聞こえそうな音が、闇の中から聞こえてきた。


 間を開けて、月を隠していた雲が動いた。

 少しずつ、庭を月明かりが照らし始める。

 月明かりに誘われるように闇の中から出てきたのは、黒髪の美少女―――ルシフェルだ。

 その手には、由忠同様、抜き身の刀が握られている。

「遅くなりました」

 刀を仕舞いながら、ルシフェルは養父である由忠に頭を下げた。

 そんな仕草でさえ、銀色の月明かりに照らし出され、まるで一枚の絵画のような美しさとなっている。

「かまわない。ご苦労だった」

「不審者と見なし、とっさに斬りましたけど―――」

 ルシフェルはその時、初めて美奈子の存在に気づいたらしい。

 少し、驚いた表情を見せた。

「お父様?これは一体―――?」

「さて?俺がわかることと言えば、」

 由忠は肩をすくめた。

「これから忙しくなりそうだ。その程度さ」


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ミイラが送りつけられてびっくりしてたら、美人のお姉さん達に襲われた件について 綿屋伊織 @iori-wataya

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