第六話「親子」

●喫茶 南風

「で、何が判ったの?」

「いろいろよ」

 理沙は、不機嫌そうに空になったコーヒーカップをソーサーに置いた。

 妙にげんなりした顔をしている。

「何も食べないの?」

「……食べられないのよ」

「?」

「食べようとしても……いろいろ思い出しちゃってさ」

「そういうもの?」

「断っておくけど」

 理沙はバッグから資料を取り出しながら言った。

「私も年頃の女なんですからね」

「……」

「……」

「……」

「何、ポケッとしてんのよ」

「……え?」

「えっ?て、何よ」

「ごめんなさいお姉さん」

 水瀬は突然、両手をあわせた。

「?」

「お姉さんが女だってことをね?完璧に忘れてた」

「……」



「―――続けていい?」

 未だに硝煙を吐き続ける拳銃から空薬莢を抜き取る理沙の目の前では、水瀬が泣いていた。

 理沙も拳銃で撃つだけでは飽き足らなかったらしい。

 水瀬の頭には、銃尻で殴られて出来たでっかいタンコブが5つ、山を作っていた。

「……ぐすっ……はい」

「あの手首だけど、20代女性のモノだそうよ」

「若い女?」

「ええ……大体、今から200年から300年前のもの」

「古いね」

「どこかの発掘現場から盗んででもきたのかしらね」

「日本で……ミイラ?」

 水瀬は首を傾げた。

 ミイラといえば、エジプトや南米くらいしか思いつかないのだ。

「ミイラの輸入なんて出来るの?」

「ダメでしょう?でも、日本でもミイラに近い、肉が残った死体は出るの。検証した大学のセンセに教わったけど……」

 理沙は顔をしかめながら言った。

「意外と知られていないけどね?日本全国、何百年前の死体が残っていることはザラなのよ」

「へぇ?」

「土壌とか、いろいろな条件が重なった結果らしいけど」

「ミイラで?」

「多いのは死蝋(しろう)の方。でね?例えば、脳みそとかかなり綺麗に残っているのよ」


 死蝋とは、ミイラと並ぶ永久死体の一種。

 死体が何らかの理由で腐敗を免れ、死体内部の脂肪が変性し死体全体が蝋状(もしくはチーズ状)になったものである。

 

「死蝋(しろう)っていえば、八墓村(やつはかむら)だっけ?あれでも」

「そう。最も有名所ではイタリア、カプチン・フランシスコ修道会のロザリア・ロンバルド……日本では福沢諭吉ね」

「あの一万円札が?」

「……もう少し、表現があるでしょう?……ううっ。思い出しちゃった……参ったわ」

「お姉さん」

 水瀬は理沙が全く食事をとらない理由に見当がついた。

「その、死蝋ってヤツ、見ちゃったんだ」

「……そうなのよぉ……」

 理沙はテーブルの上につっぷした。

「面白そうだって保管庫に連れて行ってもらったら……真っ白な脳みそが……ヘンな色した死体が……ホルマリンのプールにプカプカ……あの男が天保年間、あっちが慶長年間の死体ですよ……だって」

「……歴史的なモルグだね」

「新人時代に老人の孤独死の現場入って以来よ……あの臭い……あの肌の色……ううっ」

 うぇっ。と声をあげた理沙は口元を抑え、ウェイトレスの持ってきたコーヒーのお代わりを一気に飲み干した。

「……僕も、死体はいろいろみているけど」

 ソファーの背もたれにもたれかかり、吐き気と闘う理沙を見ながら、水瀬は言った。

「アレは、慣れない人は絶対慣れないだろうことはわかるよ?」

「……私はダメね」

 理沙は自嘲気味に口元を緩めた。

「でも、それでいいと思う。警官としての仕事はとは別だと思うから」

「……うん」

 水瀬は笑って言った。

「腐乱死体の話、平気で語るようじゃ、お姉さん本気でもらい手なくなるもんね」

「……そうね」

 どこかひっかかるものを感じながら、理沙は小さく頷いた。

「それと、桜井すみれさんの件だけど」

「誰?」

「桜井すみれさん」

「そんな人、今まで登場していたっけ?」

「どういう表現よ。美奈子ちゃんのお母さんのことよ」

「……」

 水瀬は、美奈子の母の容姿を思い浮かべ、

「名前と外見が一致しない」

「失礼なこと言わないの!」

 と、理沙に怒られた。

「今じゃすみれどころか、カボチャみたいな典型的なオバさんだけど」

「お姉さんも十分失礼だよ」

「……すみれさんのこと、ここでは“お母さん”って呼んでいい?」

「その方がありがたい」

「ミイラの手首については、お母さんにも心当たりはないそうよ。おばあさんの美那さんもないだろうって」

「そうそう」

 ポンッ。と、水瀬は手を叩いた。

「おばあさんって、どんな人だったの?」

「調べたけど、普通の人生。学校出てすぐに美奈子ちゃんのおじいさんと結婚。一人娘のすみれさんを設けた……あとは昔の専業主婦の典型的人生って言えば事足りる」

「……そんな人に、どうしてあんなモノを」

「名指しだもんねぇ」

 理沙はちらりと水瀬を見た。

「……どうするの?」

「とりあえず」

 水瀬は言った。

「相手の動きを見る」

「動き?」

「あれがどういう意味なのか。単なる嫌がらせか、それとも桜井さんに対する挑戦か」

 水瀬は席を立った。

「警備してくれているんでしょう?動きがあったら教えてね?」

「うん……わかった」

 何故か、水瀬は小走りにドアに向かった。

 その後ろ姿を見送った理沙は、テーブルに残された伝票に気づいた時は遅かった。

「クソガキぃっ!金払ってけぇっ!」




 そんな水瀬が、父親に呼び出されたのは、夕方の買い出しの最中だった。

「忙しい」

 携帯電話に一言、そう告げると、無視を決め込んだ。

 内容なんて知らない。

 どうせロクなことじゃないだろう。

 そう思って水瀬は携帯電話の電源を切ろうとした時だ。

 新しい着信があった。


 美奈子からだった。


 先日の事件のこともある。

 水瀬はすぐに電話をとった。

「もしもし?」


 その電話で、美奈子は意外なことを水瀬に頼んできた。


 曰く―――


 一晩、泊めて欲しい。



「どうしたの?」

 ボストンバッグを手にした美奈子が水瀬邸にやって来たのは、それからきっかり1時間後のことだった。

「ご、ごめんね?」

 美奈子は、心底申し訳ない。という顔で玄関に立っていた。

 ドアを開き、水瀬は美奈子を家へ入れた。

「親戚に不幸があって、お母さん、しばらく帰れないって」

「お父さんは……」

 そこまで言って、水瀬は黙った。

「そう」

 美奈子は頷いた。

「九州へ単身赴任中」

「それで僕の所へ?」

「葉月に親戚がいなくて、友達の所へって……」

 美奈子が困ったような顔になった。

「……迷惑、だった?」

「ううん?」

 水瀬は言った。

「そろそろルシフェルも帰ってくるし、問題ないよ」

「そっか」

 心底、ホッとした顔の美奈子が、嬉しそうに言った。

「お世話になります♪」



 事態が変わったのは、夕食を終えた頃だった。


「はぁい」

 チャイムの音を聞いて、何も考えずに玄関に出た水瀬は、目の前に立つのが父親だと判った途端、

 ピシャンッ!

 即座に玄関のドアを閉じた。

「どういう意味だ貴様っ!」

 ドアの向こうで父親の怒鳴り声がする。

「鍵をかけるな!何だ今のゴトッて音は!?貴様、つっかえ棒しているだろう!ドアを釘で打ち付けるな!……暗くなった?照明まで消すな悠理っ!」


「今、この家は留守です」


「ぶち破るぞ!」

 由忠がドアを蹴飛ばした。

「息子の前でそのような振る舞いは、教育上問題が」

「親を閉め出すのが息子の振るまいか!」

 さらに怒鳴ろうとした由忠は、“待てよ?”という顔になった。

「―――悠理」

「……僕はいません」

「お前、まさか女、引っ張り込んでいるんじゃないだろうな!?」

 その声は、心底勝ち誇ったような声色をしていた。

「僕は留守です」

「綾乃ちゃんに通報するぞ!」

「……どうぞ」

「いい度胸だ!」

「ようこそいらっしゃいました。お父様」


「そういうことなら」

 水瀬邸の茶の間。

 ちゃぶ台に向かい合わせに由忠と水瀬、そして美奈子が座る。

 由忠―――この場合、好きな男の子の父親―――と初めて出会った美奈子は、しきりに緊張していた。


「最初から理由を言えばいいものを」


 由忠はあきれ顔で息子に言った。

「何を一々怖れる?」

「……だって」

 水瀬は不満げに口を尖らせた。

「……その」

「……ああ」

 由忠は苦笑しつつ携帯電話を取り出した。

「例えば」

 カシャッ

 そんな音がして、携帯のフラッシュが光った。

「こうして……こうだよな?……俺が、お前と美奈子ちゃんのツーショットを撮って」

 ピピッ

 随分不器用な様子で、由忠は携帯を操作する。

「……そして、綾乃ちゃんに送りつけるようなマネでもしないか心配だった……というんだろう?」

「ち……違うよ」

 水瀬は、横に座った美奈子をチラリと見て言った。

「桜井さんが迷惑するから」

「何を言うか」

 由忠は携帯を操作しながら言った。

「クラスメートだろうが」

「う……うん」

「保育園からこの方、お前の友達っていうのを、俺は初めて紹介された気がするぞ?」

「……」

「大体」

 由忠は携帯から目を離さずに言った。

「おかしいな。これでメールはどう操作するんだ?」

「あ……あの」

 美奈子が席を立つと、由忠の携帯を覗き込んだ。

「アドレスは打ち込んでありますよね?じゃ、ここのボタンを押して」

「ああ……これで送れるのか」

 メール送信中の画面を見て、由忠は心底感心した。という表情になった。

「ありがとう。息子も私も、こういう方面はどうにもダメだ」

「いえ……恐縮です」

 美奈子ははにかんだような笑顔を浮かべ、小さく頭を下げた。

「いい子じゃないか……どうした悠理?」

 美奈子が見ると、水瀬は真っ青になっていた。

「……水瀬君?」

「あの……」

 水瀬は恐る恐る、という表情で指さしたのは由忠の携帯だ。

「お父さん?今、誰に、どんなメール送ったの?」

「文章は書いていないぞ?」

 由忠は答えた。

「単に、写真付きメールというのを送るのにはどうしたらいいか。そう思って……」

 由忠も、“ハッ!”という顔になって自分の携帯に視線を向けた。

 “やってしまった”という言葉が、これほど似合う顔も珍しいだろう。

 美奈子は、水瀬親子二人の表情を見てそう思った。


 ピンポーン(チャイムの音)


 ガチャ(ドアの鍵の音)


 バキィッ!(ドアが壊された音)


 ドスドスドス(廊下を歩く音)


 ガラッ!(襖が開かれた音)


「―――悠理君?」

 ギギギギ……ッ

 油が切れたようなゼンマイ人形のような音を立てながら、背後からの声に水瀬が振り返る。

 そこには、百万人のファンを魅了して止まないトップアイドル、瀬戸綾乃がにっこりと微笑んでいた。

「この写真」

 微笑みながら、水瀬の前に突き出したのは、綾乃の携帯。

 その画面には、美奈子と水瀬のツーショットが映し出されていた。

「どういうことか」

 とっさにテレポートで逃げ出そうとした水瀬だったが、

 グイッ!

 神速の動きを見せた綾乃が、テレポートを始めた水瀬の右足を掴むと、襖に叩き付けた。

 水瀬はテレポートに失敗し、上半身で襖を破った。

 その水瀬を襖から引きはがしながら、なおも綾乃は笑顔で携帯を掴んだままだ。


「―――説明してくださいね?悠理君?」


 


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