第五話「襲い来る過去」

「―――ミナセ」

 正面の闇の中から、女の声がした。

 まだ年は若い。


「―――28年前を忘れたとは言わさないぞ」


「……28年?」


「28年です」

 次は右後方から。

 正面の声より落ち着いた声だ。

「あの屈辱……私達は―――永遠に忘れることは出来ません」


「あ……あのね?」


「……28年もの長き間、私達は苦しみ続けてきた」

 正面の闇の声は怒りに震えている。

「寝ても覚めても……あの時の屈辱、悔しさ、痛み……全てが私達を狂わせる」

 水瀬は、自分を取り囲む者達の感情の変化を敏感に感じ取った。

 それは、怒りであり、悲しみであった。


「あの……僕は」

 だから、水瀬は余計に困惑せざるを得ない。

 28年前といえば、自分はまだ生まれていない。

 生まれる前のことでどうして僕が命がけで責任をとらなければならない?

 そんなバカな。


「偶然とはいえ、この極東の島国で貴様と出会えたことに……私は感謝する」


「あの……何度もすみませんが……お話が全っ然、読めないのですが?」


「ここで」


 ザッ!


 闇の中から放たれる凄まじいほどの殺気の結界が水瀬を完全に封じ込めた。


「ここで、貴様を殺すっ!」


「だから―――」


「八つ裂き程度で済むと思うなよ!?」


「僕は―――わっ!?」


 四方八方から飛んでくる飛び道具。

 水瀬が驚いたのも無理はない。

 先程の飛び道具から身を守ってくれた魔法障壁が一瞬にして貫通されたのだ。


「対魔法防御が!?」


「貴様が何者か、そんなことはとうにお見通しだ!」

 パシッ!

 闇の中から飛び出してきたのは、黒い装束をまとった自分と同じくらいの年頃の少女達。

 黒髪のボーイッシュなタイプの少女が、奇妙な形状のナイフを手に襲いかかる。

「そう簡単に死ねると思うな!?」


「―――くっ!」

 タンッ!

 水瀬は、黒髪の少女の一撃をかわすと、地を蹴った。


「逃がすかっ!ベスッ!ディアナッ!」


「―――えいっ!」

 宙(そら)では圧倒的優位に立つはずの魔法騎士である水瀬が、いまや防戦一方だ。

 金髪をツインテールにしてあどけない女の子が、右斜め後ろに出現。

 同時に投擲された10本近い飛び道具―――投げナイフが襲いかかってくる。

「これって!?」

 水瀬は目を見開いた。

 相手のスピードが速すぎる。

 ナイフをかわすのがやっとだ。


 ―――違う。


 そう。


 違う。


 この彼我の速度差は何だ?


 何だ?


 この違和感は!?


 時間が経つにつれて、まるで相手が徐々に速くなっていく様に思えてならない。


 思えて?


 違うっ!


 実際に速くなっているんだ!


 それさえ違う!


 相手が速くなっているんじゃない!


 自分が、遅くなっているんだ!


 一体、何が!?


「“ここ”では私達の方が上だっ!」

 黒髪の少女はそう叫ぶ。

「逃げたつもりだったろうが、私達に誘い込まれたことに気づかないとはな!」


「―――くっ!」

 その言葉を、水瀬は否定出来ない。

 

 時間が経てば経つ程、自分が不利になっていくだけだ。

「これ……高いのに!!」

 水瀬は、懐から護符を取り出すと、護符に封印された呪文を発動させた。


「なっ!?」


 シュンッ


 空気が抜けるような音を立て、突然“エモノ”の姿が消えた。

 “敵”を切り刻むつもりで振り下ろしたナイフが虚しく宙を斬る。

「バカなっ!」

 黒髪の少女は、目を見開いて周囲を見回した。

 敵の姿はどこにもない。

 完全に、消えていた。


「ど、どうして!?」

 崩れずにいた工場の屋根に着地して再び周りを見回す。

「どういうこと!?ベスッ!」

 黒髪の少女の近くに着地したのは、金髪のメガネ少女。

 勝ち気な印象を与える黒髪の少女と違い、恐ろしく大人の印象を受ける落ち着いた少女だ。

「“結界”が不完全だったの!?」

「いえ……」

 “ベス”と呼ばれた少女は思案顔で首を横に振った。

「“結界”は完璧でした。“敵”の魔法に対しては」

「じゃあアイツは!?」

「テレポートで逃げたのは間違いありません」

「結界が完璧で、どうしてテレポートが使えたのよ!」

「ですから」

 ベスはニコリと微笑んだ。

 

「“あの御方”以外の魔法が発動されたのです。たとえば、呪符とか」

「やめてよ、その呼び方!アイツをそんな呼び方するなんて!」

 黒髪の少女は掴みかからんばかりの勢いで怒鳴った。

「あんた、自分がアイツに何されたかわかってるの!?」

「―――ええ。わかってるわ。アリス」

 ベスはニコリと微笑んだ。

「ただ、あなたと私では、相手に対する想いが違うだけ」

「……あの時、あなたは誓ったはずよ?」

「当然、覚えているわ?」

「ならっ!」

「誓いにウソはない」

 ベスは手にしたナイフを服の中へしまい込んだ。

「あなたは憎いから、私は愛しているから―――だから殺すの……あの人を」

「……」

「ああ。エルシィ?」

「は、はいっ!?」

 先程、水瀬にナイフを投げつけたツインテール女の子が、驚いて飛び跳ねた。

「な、なんですか!?お姉さまっ!」

「その帽子についている針」

「―――えっ!?」

 ベスは、エルシィと呼ばれた少女に近づくと、そっと少女の帽子を指さした。

「魔法による発信器ね」

「エルシイっ!」

「もう。アリスったら、エルシィが怖がっているでしょう?どうしてイジメるの」

「だって、発信器しかけられるなんて!」

「さすがはあの御方ね。あの瞬時にそんなマネをするなんて」

「―――っ!エルシィっ!壊しなさいっ!」

「待ちなさい。エルシィ」

 ベスは言った。

「そのままにしておきなさい。そして、大切に身につけておくのです」

「―――えっ!?」

「針には糸がついている―――あの御方は、その糸をたどってきます」

「……“発信器(それ)”をエサに誘い出すと?」

「クリス。その通りです。私達が一々探す必要はどこにもありません」

「そうか……ならいい」

「では、今回は失敗でしたが、次は成功させましょう」

「帰ったら結界張り直さなくちゃ」

「ふふっ。たっぷりと仕掛けもして差し上げましょう。ところでエルシィ?」

「はい?」

「“あの娘(こ)”の様子は?」

「あ、はい。家で……今、眠っています」



「女に襲われただと?」

 場所は、南青山の某高級マンションの一室。

 ウィスキーをストレートであおる由忠の前で、水瀬は腕に包帯を巻きながら頷いた。

「うん。戦闘能力は高くないけど」

「戦闘能力が低い雑魚が束になったとしても、お前にゃ勝てまい……で?」

 薄暗い照明だけの室内で、由忠はグラスをベッドのサイドテーブルに置いた。

「―――殺したんだろうな?」

「ううん?」

 腕の具合を確かめた水瀬は、床に転がっていたクッションに座った。

「逃げた」

「逃げた?……敵がか?」

「僕が」

「お前の方が!?」

「うん。綾乃ちゃんトコのおばさんから売りつけられた呪符使った。

 だって、こっちの移動速度は遅くなるし、向こうは速くなるしで」

 水瀬は、あの廃工場で起きた現象を説明した。

 由忠は、怪訝そうな顔になった。

「陥穽結界(かんせいけっかい)に墜ちただけじゃないのか?」

「何ソレ」

「あらかじめ、ターゲットの魔法特性を把握しておき、それに対応した結界のこと。いわばターゲット専用の結界のことだ。対高位魔法騎士戦の常識だ」

「ということは、あれは僕専用の?」

「いや……おそらく、お前によく似たターゲットだろう」

 由忠はボトルを掴みながら言った。

「陥穽結界(かんせいけっかい)はかなり強力だ。もし、陥っていたら、お前は魔力を発揮出来ない。となれば、確実にお前でも殺されている」

「そんな結界、すごく手間がかかるシロモノだよね?」

「ああ―――魔法特性を把握・分析するだけでも膨大な時間と手間がかかる」

「ふぅん?」

「―――心当たりが?」

「ううん?」

 水瀬は首を横に振った。

「よくわかんない―――もし、これからも僕を狙うなら向こうから来てくれるだろうし」

「そうか……」

 カラン。

 由忠の手の中で氷が鳴った。

「親として言えることは―――降りかかった火の粉は払いのけろ……位だな」

「うん」

 水瀬は頷くと、クッションから立ち上がった。

「ありがと。お父さん―――じゃっ!」

 ガッ!

 ゴキッ!

 由忠は頷くと、とっさに駆け出そうとした息子の襟首を捕まえた。

 息子の首からヘンな音がしたことに、由忠は何の感心もみせない。

「―――まぁ、待て」

「い、痛たたっ……は、離してよ!バスに遅れちゃう!」

「……地獄行きのバスならいくらでも呼んでやる」

「……ううっ」

「コレについて」

 由忠が親指で指し示すのは、二人のいる室内。

 ガラスは割れ、カーテンは破れ、家具は軒並み粗大ゴミ同然に砕かれている。

 由忠の座るベッドの奥では、水瀬が見たことのない裸の女性がシーツにくるまって震えていた。

「どう言い逃れするのか、聞かせてもらおうか?」

「……えっとね?」

 水瀬は顎に人差し指の先をつける独特な仕草の後、言った。

「予め設定しておくテレポートの座標は、簡単にわかんないところがいいなって、そう思ったの。で、お父さんが愛人との逢い引きに使うのこの部屋なら問題ないだろうって。

 でも、いざ使ってみたら、テレポートの反動で室内グシャグシャ。しかも偶然、お父さん達がお楽しみの最中だった―――と」

「悠理」

 由忠は額の青筋を一つ増やした。

「いいか?覚えておけ。この部屋は、逢い引き用の部屋なんかじゃない」

「違うの?」

「この女の部屋だ」

「……ああ」

 ポンッ。

 水瀬は感心したように手を叩いた。

「手切れ金?」

「違う!」

「代官山に新しく借りたマンション、あそこに本命がいるのかと思ってたんだけど?それとも、高円寺の方だった?てっきり、一番古いここ、手切れ金にしたのかと」

「ば、バカモノっ!」

 由忠の拳が虚しく宙を切り裂く。

「何というヤバいことを!」

 由忠は、後ろから放たれる殺気を確かに感じた。

「―――由忠さん?」

 それまでシーツにくるまって震えていたオンナが、まるで蛇のように由忠にからみついた。

「い、いや、由紀子!誤解だ!息子のイタズラだ!」

「悠理君でしたね?」

「は……はい」

 よく見れば、びっくりするくらいの美人だ。

 その美人が、水瀬がビビるくらいの声色で言った。

「お家に帰りなさい―――ここから先は、教育上問題です」

「は……はい」

 あまりの迫力に押された水瀬は、バカのように首を縦に振るだけだ。

「ゆ、悠理っ!何とかしろっ!」

「お母さんと警察、どっちがいい?」

「どっちもいらんっ!」

「じゃ、樟葉さん」

「殺すぞ!」

「じゃ、どうしようもない」

「こ、この!」

「由忠さんっ!」

「い、いやだから!」

「愛人の地位は受け入れます!でも、でもっ!私だって辛いんですよ!?日陰者と言われ、耐えに耐えて我慢して!でも、でもっ!」

 水瀬の目の前で、妙齢の美女が由忠の頭をわしづかみにした。

「せめて、せめてもの救いだと信じていたのに!け、決して!決して、二股はかけないという約束を忘れたの!?」

 ギリ……メリ……メリ……

 由忠の頭のあたりから奇妙な音が聞こえ始めた。

「お、落ち着け室町警視正っ!警視庁のキャリアが―――ぐぁっ!」

「そんなに!」

 後ろで束ねられた長い黒髪が巨大なツノのように逆立った。

「迷宮入り事件の犠牲者になりたかったなら、もっと早くおっしゃっていただければよろしかったのにっ!!」

 ―――ぐがぁぁぁっ

 メリメリメリ……ッ

 そろそろ、限界を迎えるだろう父親の頭蓋骨の危機を前に、水瀬はペコリと頭を下げ、

「―――失礼しまぁす」

 そう言い残して、ベランダから姿を消した。

 父親の悲鳴なんて、今の水瀬にとっては知ったことではない。

 割れた窓からいろんな家具が飛んできて、パンツ一丁の由忠がベランダでクッションを楯に必死の説得を試みていようとも。

 二股をかけられたことにキレたオンナが、包丁を台所から持ち出して、全裸のままベランダで由忠を刺し殺そうとしても―――だ。

 それが、この父子の関係だった。

 ……

 合掌。





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