第6話 嫌な未来を避けても待っているのは、もっと悪い未来の可能性もある

 今日一日の授業が終わり、生徒たちはそれぞれ教室から散っていく。

 部活に行く人がいたり、特に何に用事がなくても教室に残ったりする奴もいるみたいだ。


 俺も特に部活に入ったりする予定もないので、家に帰るだけである。


 ──お疲れさん! よかったら一緒に帰ろうぜ。


 教室を出る俺に声をかけてきた草介に誘われた俺は、特にすることもなかったので誘いに応じ、一緒に帰ることになった。


 今は学校を出たところである。


「まじで一日が長かった……」


 永遠に感じるほどに。


「えらく疲れてんだな」

「見りゃ分かるだろ」

「まぁな。転校初日からご苦労さん。後ろから見学させてもらった俺としては面白い限りだったけどな」


 草介が言っているのは、授業中の俺と朝霧のやりとりのことだろう。


 転校初日ということで俺にはまだ教科書が準備されておらず、全ての時間で朝霧から教科書を見せてもらうことになった。


 そのせいで精神が擦り切れるんじゃないかというくらいに疲弊した。

 明日からもそれが続くと考えると憂鬱である。願わくば、明日には教科書が届いていてほしい。


「他人事だと思いやがって」


 思い出し笑いをする草介を恨むように呟く。


 その時、俺の頭に何かが駆け巡った。


 ***


「かっかっか! おま、おま……なんでそうなるんだ……かっかっか!!」

「……………………」


 ***


 ほんの短い映像だった。

 現場には俺と草介の二人。草介は道側から俺を見て笑っていた。そして俺はなぜか田んぼに両足を突っ込んでおり、真新しい制服がドロドロになっているものだった。


「…………」


 何がどうなってそうなったかまでは教えてくれなかったが、このままこの道を進めば、何らかのアクシデントでそうなるのだろう。


「……どうした?」


 何かを話しながら歩いていた草介は俺がその場に立ち尽くしたことに気がつくと振り向いた。


「草介。この先、田んぼってあるか?」

「あるぞ。まっすぐ行ったらちょっとだけ田んぼが続いてると思うけど」

「……道を変えよう」

「んだ、急に」

「いいから」

「あ、おい!」


 俺は首を傾げる草介を連れて、無理やり道を変更することにした。


「お、もしかしてこっちに女子の匂いがしたか?」

「お前と一緒にすんな。そんなんじゃねぇよ」


 どんな変態だ。出会って初日にこんな扱いどうかと思うが、こいつなら大丈夫だと判断した。そして俺はただ泥だらけになりたくなかっただけだ。


「とか言って、ちゃっかり転校前からウチのツートップと仲良くなってんだから分からないもんだよな〜。女子に興味ないとか言っておきながら」

「倉瀬はともかく、朝霧の件はどこに羨ましい要素があんだよ」

「羨ましいだろ、普通に。普段なら触れることさえ許されない女神にも思しき女子に抱きついたんだぞ? これを羨ましがらずにいられるか!! どうだった!? どんな匂いがした!?」

「急にテンション上げてくんな、怖いわ」


 襲いかかる草介を無理やり引き剥がす。


「ったく、つれねぇなぁ。ちょっとくらい教えてくれてもいいのに」

「誰が教えるか」

「お、独り占めか?」

「変な言い方やめろ。こっちが悪いのは間違いないけど、それにしたって迷惑してんだから」

「まぁ、見てる分にはおもれーけど、やっぱり本人からしたらそんなもんか」


 一体どういう目線で見てんだ。


「まぁ、確かに朝霧は他人に冷たいからな。俺、倉瀬以外と仲良くしてるの見たことないわ」

「……そんなの絶対許してもらえないじゃん」

「かもな」


 かもなって。

 ……もういいや、ポジティブに考えよう。元から他人に冷たいなら許してもらおうが許してもらうまいが変わらないのではないだろうか。


 そんな労力を使ってまで許しを乞う意味がどこにある?

 うむ。時間の無駄だ。


「まっ、他人に冷たいのは確かだけど、事故って抱きついたってんならそれは謝らねぇとな」

「……やっぱり?」

「当たり前だろ、人として」

「まさか草介に諭されるとは思わなかった」

「俺をなんだと思ってんだ、お前」

「冗談だって。つってもなぁ……謝れる気がしないな」


 今日一日を振り返っても、拒絶しかないあの瞳。それが続くとなると気が重い。

 面倒は嫌いだが、それにより生じる面倒さを考える方がもっと面倒だ。だから事故だとはいえ、謝ったほうがいいのは確か。


 本来であれば事故から助けたので俺はお礼を言われる側だが、朝霧にしたらそんなことは知ったことではない。

 朝霧にあるのは、急に呼び止めて抱きついた変質者が転校生の俺だったという事実のみ。


 ………………うん、どう足掻いても無理そう。


「やっぱ、やめよ。無理」

「諦めんの早すぎだろ」

「俺は無駄な労力はかけたくないタイプなんだ」

「まぁ、俺は別にお前が事故を装っていきなり女子に抱きつくような変態でも構わないわけだが……朝霧を通じて事情を知った倉瀬はどう思うかな?」

「…………別に倉瀬くらい」


 どうってことない。ただの他人。そう思ったが、あんな微笑みの優しい女子に変態と思われるのは少し心苦しいものがある。


「さらに言えば、倉瀬は朝霧と親友だが、その他にも交友関係は広い。つまり、倉瀬から他の生徒にもその話が広がる可能性がある。そしてこの田舎は娯楽がないゆえにやたらと人の噂が広まるのが早い」

「……それってまずい?」

「ああ。田舎を舐めるなよ? 明日にはおばさまネットワークにより、あらぬ噂が広まっているぞ。下手をしたら痴漢どころではなくなってるかもしれん。そして一度、その噂が広がるとその誤解を解くのに時間がかかる。それに道ゆく知らない人からヒソヒソとされる恥ずかしさ。俺が言うんだ、間違いない」


 ……なんか実感こもってるな。こいつはそのおばさまネットワークであらぬ噂が広められた過去があるのだろうか。


「まっ、難しく考えんでも次会った時、普通に謝ればいいじゃん」

「それができたら苦労しないんだって」


 結局、なんの解決案も出ないまま歩いていると、唐突に草介が声をあげる。


「……お? 噂をしたら」

「え?」


 草介の視線が向いた方を俺も追う。


「「あ」」


 その先にいたのは、倉瀬と一緒に帰っている朝霧だった。

 向こうも俺の顔を見て、固まっている。


 ……おい、ふざけんな神様このやろう。田んぼに落ちる未来回避したからってこれはないだろ。


 謝らなくちゃいけないこと先ほど謝ろうとは思ったが、そんなすぐは想定していない。心の準備ができていない。

 思わず顔が引きつってしまう。


 そんな俺の心情を知らず、朝霧はすぐに顔を切り替え、一睨み。


「おっすおっす。そちらさんも今帰り?」


 草介はその間にも風のように二人に話しかけに行く。あのフットワークの軽さを見習いたい。


「うん、笹岡くんたちも?」

「お、おお!! 名前を覚えてくれていた……!?」

「え、クラスメイトでしょ? 当然でしょ?」

「あれ? 朝は間違えられたような……まぁ、いいや!! それよりさ、よかったら倉瀬たちも一緒に帰らないか!?」


 切り替え早いな。……じゃなくて何誘ってんだ!?

 草介はなぜかこちらを見て、ウインクをしている。


「無理」

「即答かよ! つーか、俺は朝霧じゃなくて倉瀬に聞いてんの! ね、どう倉瀬!?」

「七海に近寄らないで、そこの変態と一緒にとっとと消えなさい」

「…………」


 ひでー言い草。まじで嫌われてるな。

 俺が悪いとはいえ、ここまで嫌悪されると俺もこみ上げるものがある。


 謝る気失せてきた。


「もう、優李ちゃんってばそう言わないの!」

「な、七海!?」


 なんて言い返してやろうか思案していると倉瀬さんが朝霧の顔を思い切り、両手で挟んだ。

 

「聞きたいことあったんでしょ?」

「そ、それは……」

「ね?」

「うっ……」


 倉瀬さんに諭され、朝霧の顔は幾分か穏やかになっていった。倉瀬すごいな。あの狂犬を手懐けるなんて……。


「っっ……」


 そう思った瞬間先ほどの穏やかさは消え、また睨みつけられた。心でも読んでんのか? こわっ。


「お、それならウチの新世が奢らせてもらうぜ!」

「おい」


 いつからお前の俺になった。というか、知り合ってまだ一日経ってないよな?


「……甘いの。とびっきり甘いのを奢りなさい」

「……!」


 意外だった。どうやら向こうもこちらに用があるらしい。

 そうして、俺たちは草介の計らいにより、謝罪の場──もといおすすめのカフェへと足を運ぶこととなった。

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