8・香奈→対決⑤
「ごめんね、朝倉さん」
もとの軽い調子に戻った楡井先生は、そう言うとちらりと楡井を見た。
楡井は、見たこともないほど不機嫌な顔をしている。
「あんまり朝倉さんと仲良くすると、弟が妬くんでさ。だから、朝倉さんが僕と話さなくなっても、まぁ、いいかって思ってて。でもそういった態度、問題ありだったよね。反省します」
楡井先生はそう言うと「兄の心、弟知らずだよ」やれやれ、と弟を見て苦笑いをした。
ですよね。わかります。
「――朝倉、行こう」
楡井に、引っ張られる。
その様子を、楡井先生がにやにやとした顔で見ている。
「あのさ、わたし、笙子じゃないよ」
楡井だけに聞こえるように言うと、楡井は顔を赤くした。
わたしは楡井と、近くにあるという公園へと向かった。
両親としては、わたしを連れて帰りたいようだったが、楡井は、今回わたしを助けることに一役買った人なだけにNOとは言えず、さらに楡井が家まで送ってくれると言ったのが、効いたようだった。
「あれさ、口実だったんだなぁ、と思って」
歩きながら楡井に言うと、「なにが」と聞かれた。
「うん。笙子さ、小論を重点的にやる塾に行きたいから、塾をやめたんだって母から聞いていたから」
「あぁ。そうなんだ」
そしてその嘘を、母は見破れなかった。
「そーいうこと、あると思う。本当のことしか言わない奴なんて、いないんだし」
「そりゃ、そうだよね」
そりゃ、そうだ。
公園は遊具があるというよりも、森林公園といった感じだった。
さすがに紅葉はまだだけど、そうなるとまた見ごたえがありそうだ。
楡井は立ち止ると、わたしの顔を見た。
楡井の眉間にしわが寄る。
「口のところ、少し赤くなってる」
「え、あぁ、ここ?」
恐らく、さっき塞がれたからだと思う。
ここらへんかな、と適当な場所を手で押さえる。
「いや、そこじゃなくて」
楡井の手が伸びる。
と、楡井は少しためらった後、手を引っ込めた。
「……帰ったら、冷やした方がいいかも」
「うん。そうする」
なんとなく、楡井が触れなかった理由は察した。
でも、黙った。
「楡井、階段のところにいたんだね」
話題を変えるべく、そのことを言う。
視界に、楡井らしき人影を見た時、びっくりしたから。
「あぁ。田辺と朝倉が自販のところに行くって話してただろ。でもあそこさ、階段の側で、スペースも狭くて。二人について歩いて行って、俺がそこにいるのもなんかなぁと思ってさ」
だからエレベーターで一旦二階に下りて、改めて階段で三階に上がってそこから朝倉の様子を見ようとしたら。
「四階から下りてくる人がいてさ。やばいと思って隠れて。そうしたら、それが村沢先生で。しかも、田辺と朝倉のことを陰に隠れてじっと見ててさ」
恐怖で鳥肌が立つって、初めての経験だったと楡井は言った。
「ありがとう。おかげで助かった」
「なに言ってんの。あれは、お姉さんの肘鉄が効いたんだろう」
「でも、それも楡井君がいるって分かっていたからだよ」
――でも。
「あのときね、村沢先生から『なんで、あなたが生きているのかしら』って言われた時、体の中に笙子を感じたんだ。だから、あんな力が出たんだと思う」
わたしだけじゃない。
笙子の力があったから、頑張れた。
「……もう、大丈夫だと思う」
わたしの言葉に、楡井が首を傾げる。
「笙子のことだよ。もう、笙子を怖がらせることはないし。だから、もう大丈夫だと思うんだ」
そうだよ、笙子、もう大丈夫だよ。
「大丈夫って、なに。それ、朝倉が、戻って来るってこと?」
「そう」
「……そう、か」
ざわざわと吹く風が、木々の葉を揺らす。
風が、季節を運んでくる。
「ねぇ、楡井君。笙子の誕生日っていつか、知ってる?」
わたしは楡井に、その日を告げた。
「笙子ね、ニューヨークチーズケーキが好きなの」
「え? ニュ? ニューヨーク? なんだって?」
そんなの聞いたことがないとばかりに、楡井が言う。
「それくらいは、調べなさい、少年よ」
「少年、ってなんだよ」
楡井が不機嫌そうな声で、文句を言った。
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