8・香奈→対決④

 なんで、残ってしまったのか。


 それは、心だけになってもここにいるわたしが抱える、罪悪感。

 でも、そんなこと、この人に言われる筋合いではない。

 まして、わたしの死を、この人になんか語ってほしくない!

 あんたに、いったい、わたし達のなにがわかるっていうのよっ!


 力が湧きおこる。

 満ち満ちた、力が。


 その力で、勢いよく両肘を手前に引くと、そのままの力で村沢先生に肘鉄をした。

 村沢先生が、うっとしゃがみ込む。

 そのタイミングで、階段を勢いよく駆けあがる足音がした。

 村沢先生が顔をあげた。


「楡井先生?」


 薄暗い踊り場で、楡井に向かい村沢先生はそう言うと、うずくまった。

 ――助かった。でも。

「誰か、来て下さい!!」

 大声で、助けを呼ぶ。


 今まで、笙子の声で、こんな大声聞いたことが無いと思うほどのものだった。

 その、ただならぬ様子を察知したかのように、多くの人が駆け付けた。


「楡井先生、見ないで。楡井先生、見ないで、見ないで」

 村沢先生は、楡井から顔を隠すように体の位置を変えた。

 さっき、わたしを捕らえたときは、大きく感じられた体が、今ではまりもみたいに小さくなっている。



 その村沢先生を、塾の先生たちは取り囲むと、ゆっくりと立たせた。

 そして、生徒から隠すように、その場から連れ去った。



「しょ、笙子ぉ!」

 うそうそ、なにがあったの、と和可奈がわたしにしがみついて来た。

 和可奈は、あたたかかった。


 大きくなってからというものの、わたしは笙子と、こうして抱きしめあったことなんてない。

 和可奈の背中に手を回しながら思う。

 妹って、こんなんだったな、と。

 今では、わたしよりも背が高くなった笙子。

 でも、幼稚園や小学校の低学年の時は、よく抱きしめた。


 ほんのりと、ミルクの香りのするその体を、ぎゅっと。

 すると笙子もわたしをぎゅっと、抱きしめてきたのだ。

 その度に、笙子の小さな、でも力強い心臓の音がわたしの体に響いてきた。


 ――あぁ、すごいな。こんなに小さくてもちゃんと生きているんだ。


 忘れていた、昔の思い出。


 でも、今、思い出した。


 そして、あの、軽くて無責任と言われた楡井先生も、弟を守るように抱きしめていた。

 楡井先生の心は、きっとわたしと同じだろう。



 村沢先生は、水を向けるまでもなく、全てを白状した。

 最初は、手紙だけだったこと。

 けれど、「無神経」な笙子が気が付かないので、怪我をさせたこと。

 事故後は、笙子を心配する和可奈を利用し、いろいろと探りをいれたこと。

 そして、笙子が楡井先生の講座に申し込んだと知るやいなや、怒りがふつふつとこみあげてきて、もう気持ちが止まらなかったと。


 村沢先生の学生時代は、笙子のように勉強ばかりだったそうだ。

 その時、親切にしてくれた塾の先生がいたそうだ。

 けれど、その先生を好きな生徒から、散々嫌な目に合わされたそうだ。


 そのことには、同情するけれど、今回のことは、全くの別問題だ。



 塾には、両親も呼ばれ説明があった。

 両親は、涙ぐみながらもその話を聞いた。

 両親の涙には、いろんな意味があったとおもう。

 笙子が酷い目にあっていたことと、そのことに気が付かなかった自分たちの不甲斐なさ。


 そして今度は、わたしが一人でそれに向かったことへの恐怖。

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