2・香奈→楡井⑬

 駅の改札で楡井と別れたわたしは、彼と反対のホームへ向かう。


 初めは、高校生をもう一度やるなんて、とんでもない話だと思った。

 勉強は面倒くさいし、制服だって恥ずかしい。

 その思いは変わらないけれど、日を重ねるごとに慣れてしまうのだ。

 慣れるのは楽だけど、怖くもある。


 嫌な考えを押し返すように、大きく深呼吸する。

 そして、今日知り得た情報をあれこれ整理した。

 帰ったら、笙子の部屋を漁ろう。

 もしかすると、芦田の指す手紙は別にあるのかもしれない。

 それにしても、楡井も気になる。

 彼は、肝心なところをぼやかすので、笙子との関係が今一つわからない。


 わたしは前髪を手で押さえ、おでこを出した。

 これで、少しは冷えるかな。


 わたしは、勉強したり考えごとをしたりすると、頭に血が上るのか、熱くなってしまう。

 そういうときは、おでこを出して風にあてるのだ。

 笙子の体でも、中の人物が同じだと、みょうな癖はそのままなのか。



「あ、朝――」

 聞きなれた声に反応して、ついそっちを向いてしまった。

 あっ、宗田。

 さっきとは違う熱が、わたしに宿る。

 宗田は、わたし(笙子だ)を見て、驚いた顔をしていた。

 なんだろう。

 なにか、変なことをしちゃったかなと心配しつつ、髪から手を放し、ぺこりと挨拶をした。

 うむむ。

 宗田に、頭を下げる日が来るとは……。


「そうだったな。朝倉もこっち同じ方面だったな」

 生徒らしく、笙子らしく、とりあえず頷く。

「電車、各停?」

 またもや、頷く。

「俺は急行」

 知っているよ、とは答えない。

「朝倉、勉強、頑張っているんだな」

 宗田が、わたしの隣に立った。

 香奈でいたときよりも、顔への距離が短い。

 そう思うと、顔がますます赤くなる。

「図書室、俺もよく本を借りに行くから。今日も、楡井と勉強していただろ」


 見られていたんだ。

 どうか、間抜けな顔(って、笙子の顔なわけだけど)じゃ、なかったようにと願ってしまうわたしがいる。


「学校に戻っていきなり勉強で、大変だろうなって、先生たちも心配しているよ」

 それは、感じているし、感謝してもいる。

「でも、朝倉が前向きなんで、そこがこっちとしても――」


 よかった、とか、安心。とか、そんな言葉が続くものだと思い聞いていたわたしの耳には、宗田からのその続きの言葉はこなかった。

 少しの沈黙の後、宗田がふっと笑う。


「ごめんな、偉そうなこと言って」


 そう言うと、宗田は背負っていたリュックを前にずらし、そこに手を突っ込むと「元気の源」と言って、わたしの手の平に飴を一つのせてきた。


 小さなビニールで包装された、一個の飴。


 うわっと、涙が込みあげる。

 宗田ってば、宗田ってば!

 引っ込め涙、と命じても、涙腺は制御不能でどうにもならない。


「ありがとう。先生」


 わたしは俯くと、袋から飴を出して口に入れた。

 爽やかな甘さが、口一杯に広がる。

 宗田の好きなパイナップル味の飴。



 この飴は、今、わたしの鞄の中にも入っていた。

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