2・香奈→楡井⑪

 こんなとき、つくづくわたしは25歳なんだなと思う。

 芦田の勢いのある言葉にも、怯まないのだ。

 社会に出たら、もっと迫力のある諸先輩のもっと毒のあるお小言をもらうときもあれば、自分の至らなさをズバリ指されてアイタタタな出来事だってある。

 高校生の頃と比べると、対人関係の図太さは、数段スキルアップしているのだ。

 ただ、朝倉笙子の立場で考えると、同じ年の男子のこの剣幕は、怖いだろう。


「芦田君は、納得できないと思うけど、楡井君に教えてもらおうと決めたの。物理の先生にも勧められたのよ」

「わかったよ。それなら、いつ返事はくれるの?」

「返事?」

「あれ、読んでくれたんでしょう?」


 『あれ』ってなに?

 もしかして「7月12日 PM6:15」の手紙?



「朝倉、遅いぞ」

 腕を掴まれ、体がよろける。

 楡井慧だ。


「朝倉さんは、いま、ぼくと大切な話をしていたんだ。邪魔するな」

「芦田って、1年の時に朝倉とトラブって、先生が入って話し合いしてたよな。もう、朝倉とはかかわらないとか、そんな取り決めになってたんじゃないの?」

「なんで、おまえがそんなこと知っているのさ。先生も朝倉さんも誰にも言わないって言ってくれたよ」

「でも、俺は朝倉から聞いたよ」

 楡井の発言に、芦田だけでなくわたしも驚く。

「……朝倉さんと、親しいのか?」

「芦田に言う必要ある?」

 威圧するような楡井の声に、芦田が悔しそうな表情を浮かべる。

「朝倉、行こう」

 楡井に背をおされて、わたしは歩き出した。


 芦田君の横を通り過ぎようとした瞬間「朝倉さん、返事、待ってるから」と声がした。




 図書室の準備室は、カウンターの後ろにあった。

 室内には楕円の大きなテーブルが置かれ、カウンターと接する面は、ガラス張りになっていた。

 楡井のあとに、準備室に入ると、今日当番の図書委員の子たちが手を振ってきた。

 笑顔で手を振り返しながらも、わたしの頭の中には、芦田君が言った言葉が残っていた。


 ――あれ、読んでくれたんでしょう?


 わたしの手持ちのカードの中で、それに該当しそうなのは、笙子の机の引き出しにあったあの手紙しかない。

 芦田君からと思われるメールはなかったし、アドレスもなかった。


「7月12日 PM6:15」の手紙は、芦田君から?

 なら、笙子は、芦田君からの手紙に、反応したってこと?


 頭の中が芦田君の言葉で一杯なままで、わたしは楡井と目があった。



「――朝倉。朝倉?」

「え、は、はい」

「大丈夫? 勉強、できそう?」

「うん。あのさ、芦田君のことなんだけど。わたし、楡井君に相談していたのね」

「してないよ」


 目を丸くして、楡井を見る。


「なら、どうして知っているの?」

「それは、言えない」

「意地悪しないで、教えてよ」

「こっちにもいろいろと約束があるんだよ」

「どういう意味よ」

「そんなことより、今は物理が大事だって意味だよ」


 そう言うと、楡井は大きなテーブルに教科書を広げ出した。

 楡井が話す気がないのがわかったので、仕方なくわたしも勉強を始めた。


 ――はずなんだけど、やっぱり芦田の意味深なセリフが頭をかける。


「ねぇ、朝倉。ひとの話、聞いてる」

 楡井が、シャーペンで机を叩く。

「ごめん。なんだっけ」

「『音の波』だよ」

 物理の授業はあれから進み、「音の波」つまり音波についてのフォローを楡井にしてもらっていたのだ。

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