2・香奈→楡井⑨
今回のテスト直しと、その後に行われた追試の結果がよかったことで、わたしの物理のフォローは楡井が担当となってしまった。
母に事情を話し、居残り勉強で帰りが遅くなる日があると伝えた。
「香奈の学生時代の再現ね」
その通りなので、言葉に詰まった。
母がちらりとわたしを見る。
「香奈、転んだりしてない?」
「ないよ。どうして?」
「笙子ね、高校に入ってしばらくしてから、転んだり、足をくじいたり、怪我も時々あったのよ」
「大丈夫なの? わたし、全然知らなかった」
「香奈は、平日はお仕事で忙しくて、週末は友達と遊びに出かけて、家にいなかったものね」
そうなのだ。家族のことなど考えもせずに、エンジンフル回転で生きていた。
「笙子に聞くと、ぼーっとしてたって。勉強をしていて寝不足だったって言うのよ」
「勉強のしすぎで、寝不足! なにそれ、すごい。わたしも今回のテストの前日は、寝不足だったけどさ」
「やっぱり睡眠は大切よね。香奈みたいによく寝ると、元気でいいわね」
母の感心するような声に、それはなんか違うんじゃないかと思ったけど、黙っていた。
学校での昼休み、クラスの女子数人で机を寄せてお弁当を食べる。
わたしは、和可奈から渡された塾の特別講座のパンフレットを机の上に広げた。
小論文に英語に現代文。
今回は文系の講座が中心だそうだ。
興味がある子もいるようで、彼女に詳細を聞いていた。
笙子が通う学校は、理系と文系に分かれることなくクラス分けされていた。
一緒にお弁当を食べる子の中には、将来は体育系に行きたいとか、演劇を学びたいとか、いろんな子がいた。その雰囲気がとてもいいなぁと思った。
25歳のわたしにとって、この子たちの思いはとても真っ直ぐで、眩しく感じられたのだ。
わたしは、自分が高校生だったときのことを思い出した。
昼休み、お弁当を食べ終わったわたしは、宗田に次の授業の宿題を教えてもらっていた。
そのとき、宗田はぽつりと、将来は教師になりたいと言ったのだ。
「宗田が先生? あっているよ。教え方、上手いもん」
「教えた方が上手い? 朝倉、俺はおまえに教えるたびに敗北感を味わっているよ」
「どういう意味よ」
「朝倉の成績は、ちっとも上がらない」
「悪かったわね」
「いや、人間、成績だけじゃないからさ」
宗田がにやりとする。
「そういえば、朝倉は、将来のこと考えているの?」
「わたしは、そうだな。子どもが好きだから、幼稚園の先生とか?」
「そういえば、年が離れた妹がいるんだっけ?」
「そうなの。今、小学生。でもさ、わたしの妹は、わたしと違ってインドア派なのよ。本読んだり、絵をかいたり。だから、遊んであげるって感じじゃないのよね」
「しかし、幼稚園の先生ね。朝倉には合っているだろうけど、俺がなったら、でかくて怖いって泣かれそうだな」
「そんなことないよ。わたしが通っていた幼稚園の園長先生も体が大きくて、力持ちで。子どもって好きだよ、そんな先生も」
「まじか」
そう言うと宗田は、わたしの大好きな大きな口をにっと開いて笑った。
なんの下心もない、とびきりの笑顔にくらくらきた。
もし、宗田が幼稚園の先生になったら一緒に働きたいなぁとか。もう、いっそ、宗田に永久就職したいなぁとか。
ふられる前のわたしは、宗田への恋心一杯で、こんな将来を夢見たりしていた。
結局、わたしは、幼稚園の先生とはほど遠い、一般企業に就職した。
そして、宗田はあの頃の夢を叶え、高校の教師になったのだ。
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