2・香奈→楡井⑧
チーズケーキは、わたしだけでなく笙子も好きだった。
このお店のニューヨークチーズケーキの下には、グラハムクッキーが敷いてあった。
グラハムクッキーは、小麦そのままの風味と、独特の食感、香ばしさがあるクッキーだ。
それが、上にのるチーズケーキの生地のまろやかさと相まって、なんともいえないおいしさを醸しているのが、このお店のニューヨークチーズケーキだったのだ。
このケーキに、淹れたてのコーヒーなんてあったら、もうたまらない。
一日にあった嫌なことは、軽く吹き飛ぶくらいの、威力がある。
まぁ、笙子の場合は、コーヒーでなく、あくまで紅茶なんだけど。
頭の中に、笙子の姿が浮かんだ。
いくつかの紅茶の缶の前で悩む、笙子。
そして、慎重に丁寧に紅茶を淹れる、笙子。
ケーキ一つとっても、わたしはそれに連なる、笙子の姿を知っていた。
家族として暮らすって、こんなことなんだって思った。
日々の生活の積み重ねは、家族のいろんな発言や思考、仕草や動作の積み重ねでできている。
そして、それを、わたし達は、意識せずとも互いに知っている。
「そうか。チーズケーキかぁ。お父さんもたまには、そうするかなぁ」
「え、なんで? 苦手でしょ。お父さんはケーキといえば、ショートケーキで、和菓子といえば大福じゃない」
「でもなぁ、うん。食べてみようかと思ってさ」
「珍しいな、どうしたの?」
「いろいろとさ。いろいろとね。お父さんは、いろいろと知らなかったことが多かったなぁと思ってさ」
――あっ、と思う。
胸が、痛くなる。
やだやだ。そんな話は、聞きたくないよ。
「お父さん、ちょっと聞いてよ。ほんと、もう大変なことがあったの。今日わたし、物理で18点とったの。追試だって! もう最悪だよ。この年で追試。もう、物理ってなに? って感じよ」
「それは、20点満点なのか?」
「20点満点? そんな、20点満点のテストなんてあるの? それに20満点で18点なら、追試なわけないでしょ。そもそも普通は100点満点か、まぁ100点か、あって50点でしょ」
「それがな、お父さんの高校には、満点で107点とか、そういった答案をよく作る先生がいたぞ」
「107? なにそれ、煩悩の数よりも少ないし」
わたしが笑うと、父も笑った。
――あぁ、また、胸が痛い。
もっとこうした時間を過ごせばよかったと、わたしも父も思っている。
してもしなくても、世の中には何の影響もないそんな会話。
でも、ささやかで大事な、家族としての会話を。
時間は無限にあると思っていた。
そして、それを盾に後回しにしていた。
後悔している。
でも、そんなことを言ったら泣いてしまいそうだから、言わない。
言わないけど、わかる。
わかるのだ。
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