1・25才会社員→高校生⑤

  須田 佐知と駅で別れ、反対方向の電車に乗った。

 笙子になってから、明るいうちに家に帰るのが、なんだか不思議だ。


 家は、高校からは電車で一本なので楽だった。

 ちなみに、わたしが落ちた高校でもある。

 ……これも何かの因果か。



 わたしの家は、静かで緑豊かな住宅街にあった。

 父と母がこの街で暮らし始めたころは、家もまだ数えるほどしか建っていなかったと聞く。

 最寄り駅は急行が停まらないので、お買い得価格だったそうだ。

「先見の明があったってことよ」

 毎回、そう自慢する母に「お母様のおかげです」と合いの手を入れ、父や妹の笑いを取るのはわたしの役目だった。


 家に帰ると、アップルパイのいい香りがした。

 母が鍋掴みを両手にしたまま、迎えてくれた。

「お帰りさない、香奈。お仕事、お疲れ様」

「お仕事……か。うんまぁ、そうよね」

「コーヒーでも淹れるわね」

「紅茶でいいよ。笙子はコーヒーよりも紅茶が好きでしょ」

 笙子はおこづかいで、あちこちの有名な紅茶を少量買ってきては、わたし達に飲ませてくれた。

「でも、いいじゃない。香奈は、コーヒーが好きなんだから」

 母は鍋掴みを外すと、コーヒー豆を挽き出した。




 わたしが両親に自分は香奈だと告げた日。

 わたしの告白に、父は不安そうな目をわたしに向けたが、母は違った。


「そうだったのね。どうりで粗忽だと思ったわ」

「ソコツ……って、粗忽? そこかい!」 

「そうよ。おかしいなぁと思ったの。笙子にしては、いろいろと身の周りのことを構わないし。でも、本当に酷い状態だったから。仕方ないのかなぁと思っていたんだけど、香奈なら納得です」

 父は、そんな母をおろおろとした様子で見ていた。

 けれど、母は、父の戸惑う様子をものともせずにこう言ったのだ。

「お帰り、香奈。無事でよかった」

 その言葉に、父がはっとした表情を浮かべた。

 そして、まっすぐな優しいまなざしで、わたしを見てきたのだ。

 母が、笙子の体のわたしを抱きしめてきた。

 わたしも、笙子の体で母にこたえる。


 ぐっと悲しみがこみあげる。


 どうして、わたしは、死んでしまったんだろう。

 どうして、笙子は、ここにいないんだろう。

 両親を前にすると、そういった思いが一気に膨らんだ。


 悔しい。

 悲しい。

 やるせない。


 そして、自分がここにいてしまう罪悪感。 


 わたしは両親に「ごめんね」と言った。

 お父さんとお母さんより先に死んでしまって「ごめんね」。

 そして、笙子の体をとってしまって「ごめんね」。


 この状況は一体、なんなのか。

 一時的なものなのか。

 それとも、このまま……。

 一番の不安と疑問を語れないまま、わたしと両親は暮らしているのだ。





 リビングで母の淹れてくれたコーヒーで一息ついたあと、勉強でもしようかと今日配られたプリントを鞄から出した。

 リビングで勉強をするには、理由がある。

 勉強道具の多くは、当然のことだけど笙子の部屋にあったわけだけれど、わたしはできるだけ彼女の部屋には、入りたくないと思っていた。

 体だけでなく、彼女のプライベートまで探るような後ろめたさがあったからだ。

 かといって、わたしの部屋はというと。

 勉強とは一切縁をきった部屋だったので、机さえなかった。

 結果、リビングですることになったわけだけど。

 勉強が決して得意でないわたしにとっては、もう一度高校の勉強をするのはいわば苦行だ。

 そういった意味で、母もわたしが笙子の代わりに高校に通うのを「仕事」と言うのだろうけど。

 溜息を一つつき、配られたプリントを開くと、小テストのスケジュールが書いてあった。

 テストかぁ。

 やれやれと思いつつ、わたしは教科書を机に並べた。

「……ん? はぁ? なにこれ」

 物理の教科書を開き固まる。

 さっぱりわからない。

 わたしの声に反応した母も、覗き込んできた。


「あのさ、お母さん。……テストができなかったら、やっぱりまずいよねぇ」

 えへへへ、と笑いながらも母の様子を伺う。

「そりゃ、まずいわねぇ。笙子はなんでもできたから」

 母が、しれっと言う。

「ノートの文字はね、なんとなーく、笙子に似せて書いているのよ」

「その調子で、お勉強もがんばって。赤点じゃなければいいから」

「ですよね。……がんばります」

 ううっと唸りながら、わたしは、田辺 和可奈から貰ったノートのコピーを取りに笙子の部屋へと向かった。


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