1・25才会社員→高校生②
変な話ではあるけれど、わたしは意識が戻り個室に移ったあとも、このおかしな状況を掴めていなかった。
わたしを「笙子」と呼ぶ母を、声の出ない体で「違うでしょう」と突っ込みつつ、常日頃からわたしたち姉妹の名前を呼び間違える母らしいとも思っていたのだ。
きっと今頃、別の部屋で、笙子は香奈と呼ばれているのだろう。
それくらい、わたしは自分が笙子と呼ばれる状況を軽く考え、そして、笙子もわたし同様に、この病院で入院生活を送っていると、当たり前のように信じていたのだ。
日にち薬とはよくいったものだ。一日一日と過ぎるうちに、体の痛みは減っていき、炎症も減り、そして遂には、看護師さんに見守られながら車いすでトイレに行けるようにもなった。
そのトイレの鏡を見て、わたしは悲鳴をあげた。
そばについていてくれた看護師さんは、顔に残る傷やうち身にわたしがショックを受けたのだろうと思ったようだが、それは違う。
鏡の中にいたのが、笙子だったからだ。
なにかの間違いではないかと、笙子の頬をつねった。痛かった。長い髪も引っ張った。痛かった。どこをどうとっても、わたしは笙子だった。
混乱しながらも、これは大変なことになったと思った。わたしは笙子の体の中にいるのだ。
それならば、「朝倉 香奈」はどこに?
その答えを、わたしはすぐに手に入れた。
この状況を母に報せようと、わたしは車椅子で病棟のラウンジに行った。ラウンジンには、公衆電話があったのだ。そこで、40代と思われる入院患者の女性2人が話していた。
「605号室のお嬢さん、気の毒ね」
「あの生き残った妹さんね」
「そうそう。お姉さんはまだ20代だったそうよ」
「よそ見運転の乗用車が、タクシーに突っ込んだんでしょう? 新聞にも載ったものね」
「やりきれないわね」
「酷い話よ……」
ありがたいともいえるその情報を聞いた時、わたしは、愕然としながらも、心のどこかでやっぱりなぁと思った。でも、すぐに、やっぱりなぁでは済まない、暗く荒れた気持ちに襲われた。
よそ見運転?
なにそれ。
なんなのそれ。
そんな、バカみたいなことで、わたしは死んだの?
わたしの人生、どうしてくれるの。
冗談じゃないわ。
夏のボーナスで、買おうと決めていたワンピースがあったのよ。
美容院だって、新しいお店を試そうとしていた。
ネイルだって、色を変えようと思っていた。
それに――。
それに。
会いたい人だっていた。
そうか。
……わたしは、死んだのね。
死んじゃったんだ。
思わず、笑いが漏れた。
と同時に、涙も溢れた。
天を仰ぐ。
わたし、これからどうしたらいいのだろう。
そのまま部屋に戻ったわたしは、ベッドに入るなり熱を出し、数日間また寝込んでしまった。
熱が下がったわたしは、父と母を病室に呼んだ。
そして、笙子でなく香奈であると告白したのだ。
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