第57話 おまけ③

※おまけ②の続きです。



翌日サーシャは図書館に向かっていた。王宮内とはいえ貴賓専用の建物内は自由に使っていいと言う許可が出たのは、ソフィーが便宜を図ってくれたのだろう。


エリアスには外交上の会議や顔合わせなどの仕事があるが、まだ婚約者でしかなく知識に乏しいサーシャが同席しても意味はないどころか邪魔である。

サーシャを一人にすることを渋るエリアスに、何処に行くにも侍女と護衛を必ず同行させると伝えて納得してもらった。


図書館に至る回廊へと差し掛かった時、うずくまっている子供の姿が見えた。体調でも悪いのかと近づけば何かを探しているようだ。


「何かお探しですか?」


周囲に人の姿は見えないものの、きちんとした身なりをしていることから招待客の関係者だろう。

突然声を掛けられて驚いたのか、びくりと肩を震わせたあとこちらを見上げる瞳には反抗的な色が浮かんでいる。


「邪魔をするな。失せろ」


随分と乱暴な口調だが、これでもサーシャは平民育ちであり近所の子供たちで慣れていた。


「お手伝いをしたいだけですよ。一人よりも二人のほうが見つけやすいですから」


すぐに顔を伏せて地面に視線を戻したことから、何か大切な物を失くしたのではないだろうか。苛立った態度と必死な様子からそう察したサーシャは、敢えてさらりとした口調で伝えてみた。

困っている子供を放ってはおけない。


「……もういい。どうせ見つからない」


不貞腐れたように吐き捨てるが、目じりに涙が滲んでいる。


「失せ物探しにはコツがありますわ。最後にいつどこで見たのか教えていただけますか?」


根気よく声を掛けると、少年は小さな声でサーシャの質問に答えた。



「あった!」


探し始めて30分後、少年が歓声を上げて拾い上げたのは深緑の小さなブローチだ。芝生に紛れていたせいで、落とし物として拾われることもなくそのまま放置されていたのだろう。


「よかったですね。それではこちらで失礼いたします」


そろそろエリアスが部屋に戻ってくる頃だ。図書館に行くとは伝えていたが、姿が見えなければ心配するに違いない。

だがサーシャがそう告げると、少年は慌てたようにサーシャの手を取った。


「……さっきは、済まなかった。おかげでお祖母様の形見を見つけることが出来た。名前を聞いてもいいだろうか?」


安心したと同時に自分の振る舞いを省みる余裕が出て来たらしい。気にしないでとその場を去ることも出来たが、式典などで顔を合わせる機会があれば話が大きくなってしまう可能性もある。


「サーシャと申します。大したことをしておりませんので、どうかお気になさいませんよう」

「サーシャ、俺はルスクーン国の王太子、ナサニエルだ。お前に婚約を申し込みたい」

「え……」


真剣な表情のナサニエルに、サーシャは咄嗟に返すことが出来ず固まってしまった。そのまま腰を折り、手に口づけされようとしているのが分かり焦るものの、振り払っても大丈夫なものだろうか。


「私の婚約者に何をしている?」


唇が触れる瞬間、冷ややかな声が響いてその場にいた全員が凍り付いたように動きを止める。サーシャが声のした方向に顔を向けると、不快そうに眉をひそめたエリアスの姿があった。


「ナサニエル、手を離しなさい。その方はシュバルツ国王太子の婚約者だ。それと従者も付けずに一人で何をしているんだ?」


エリアスの背後にいた男性がそう声を掛けると、ナサニエルはようやくサーシャの手を離した。


「申し訳ございません、父上。ですが俺は彼女に求婚――」

「ナサニエル?」


笑顔で圧力を掛けられてナサニエルは押し黙ってしまう。その間にエリアスはサーシャを抱き寄せるとルスクーン国王に一礼して、その場から離れようとする。


「エリアス様、あの――」

「話は部屋で聞こう」


平坦な声にサーシャは頷くのが精一杯だった。こんなエリアスは初めてだ。以前軽率な行動を窘められたことはあったが、それでもこんな風に冷淡な態度を取られることはなかった。


(他国の王族相手に粗相を働いてしまったから……?)


突然の求婚に驚いてしまい、適切な対応が取れなかった。王太子妃教育を受けているのにと落胆させてしまったかもしれない。


「エリアス様、申し訳ございません。私が――」

「少し黙ろうか」


部屋に戻るなり謝罪をしようと口を開いたサーシャを、エリアスは苛立ったように遮るとそのまま口を塞がれた。いつもであれば愛情表現だと思えるのに、性急さを感じるほどの深い口づけが不安を煽る。反射的に後退りかけたサーシャの身体を引き寄せる腕は力強く、エリアスの怒りを表しているようだった。


ようやく唇が離れた時には、酸欠状態になりそうなほどで呼吸を整えることしか出来ない。生理的な涙を拭うサーシャの耳に信じられない言葉が飛び込んできた。


「俺との婚約が嫌になったか?」


顔を上げるとエリアスは失言だったというように口を手で押さえ、視線を逸らしている。


「すまない……。頭を冷やしてくる」

「――エリアス、様!」


引き留めようと伸ばした手は空を切り、扉が閉まる音がやけに大きく響いた。頭の中には何故、という言葉しか浮かんでこない。


(ナサニエル王太子殿下の求婚をすぐに断らなかったから?私がそれを望んでいるように見えた?)


そんなに信用がないのかと思えば涙が出そうになったが、いつも率直に愛情を伝えるエリアスに比べて、サーシャが好意を口にする回数は圧倒的に少ない。

そう考えると、エリアスが不安になるのも仕方ない気がしてきた。


(いつもエリアス様に甘えていたから罰が当たったんだわ……)


そのことに思い至って落ち込みそうになったが、それよりも先にすることがある。気合を入れるため頬を叩いたサーシャは、エリアスを探すためにそのまま部屋を飛び出したのだった。


探し始めてすぐ廊下に佇むエリアスの姿を見つけて、サーシャは足早に駆け寄った。気配を感じて振り返ったエリアスは驚いたように目を丸くしている。

はしたないという自覚はあったものの、一刻も早くエリアスに伝えなければという焦燥感が先に立った。


「エリアス、様!」


逃げられてしまわないようにぎゅっとしがみつくと、エリアスは狼狽したように息を呑んだ。


「エリアス様、大好きです。エリアス様以外の方と婚約したいなどと思っておりません。私が一緒にいたい相手はエリアス様だけです。だから、嫌わないで――」


口にしただけで心が揺れて、零れそうな涙を必死で堪える。背中に馴染みのある温もりが添えられて抱きしめられると、不安があっという間に解けていく。


「サーシャのことを嫌いになるものか。俺が未熟なばかりに不安にさせてしまったな。済まない」


頭の上や額に感じる唇の感触はいつものように優しく、サーシャはようやく肩の力を抜いた。だがすぐに背後から聞こえてきた声に硬直することになる。


「あのように相思相愛なのですから、割り込むのは無粋というものです」


恐る恐る振り返るとそこにはアーサーとナサニエルが立っていた。さらにその背後にはユーゴとシモンの姿が見えて、サーシャは自分が未だにエリアスに抱きついている事実に気づく。


「し、失礼いたしました!」


慌てて離れようとするも、エリアスは気に留めることもなくサーシャを再び抱き寄せ、口づけを落としてくる。


「そういうことだ。諦めろ」


勝ち誇ったような態度は大人げないが効果覿面だったようで、ナサニエルは肩を落としたまま無言でその場を去っていった。


「……サーシャ、幸せそうで何よりだが少しは自重しなさい」

「お義兄様、ユーゴ様、お恥ずかしいところをお見せして申し訳ございません」


奇しくも道中エリアスに告げた言葉が自分に返ってくる形となり、久し振りの家族との再会は非常に気まずいものになってしまったのだった。



「サーシャは我慢強いし、他者を優先させる傾向にあるだろう。もし今回里心が付いてしまったらと不安で仕方がなかったんだ」


躊躇いがちに切り出された言葉に、サーシャは目を丸くした。まさかエリアスがそんな風に考えているとは思いもしなかったからだ。


想いを受け入れてくれたとはいえ他国に嫁ぐ、それも王太子妃ともなれば環境の変化もささることながら重圧も大きい。

いつか限界を感じた時、自分から離れることを選ぶのではないか。そんな不安をエリアスは抱いていたそうだ。


「他国の王太子に求婚されるサーシャを見たら、堪らなく不安になって酷いことを……。本当に悪かった。完全に俺の落ち度でしかない」


しゅんとした表情のエリアスは珍しく本気で落ち込んでいるようで、サーシャはエリアスの頭に腕を伸ばしてそっと撫でた。


ぽかんと呆気に取られたようなエリアスに、子供扱いし過ぎだろうかという考えがよぎったが、エリアスもサーシャが疲れている時や落ち込んでいる時には頭を撫でてくれるのだ。

気づかない振りをして撫でていると、エリアスが目を閉じて肩の力を抜いたのが分かった。


「案外、心地よいものだな……。サーシャは俺を甘やかすのが上手い」

「いつもエリアス様が甘やかしてくれるからですよ」


シュバルツ国でも平穏に暮らせているのは、愛情を惜しみなく伝え、側で支えてくれるエリアスがいるからだ。

恥ずかしいからと受け取るばかりだったから、エリアスを不安にさせてしまっていた。気づかなかったことへの申し訳なさを感じつつ、これからはもう少ししっかりと伝えていくことを決意する。

こういうものは勢いが大事だろう。


「――サーシャ?!」


顔を真っ赤に染めて動揺するエリアスにつられたように顔が熱くなるのを感じる。唇を重ねた時には感じなかったのに、今更ながらに心臓がうるさい。


(やっぱり女性からするのははしたないことだったかしら……)


「すごく嬉しいが、俺の理性が持たない……」


その一言を理解したサーシャは真っ赤になった顔を両手で覆った。


翌日から、婚約したてのカップルのような初々しい姿のシュバルツ国王太子とその婚約者が目撃されることになるが、皆が微笑ましく見守っていたのは言うまでもない。

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ヒロイン気質がゼロなので攻略はお断りします! ~塩対応しているのに何で好感度が上がるんですか?!~ 浅海 景 @k_asami

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