第53話 噂の顛末

エリアスにエスコートされて現れたサーシャを見てエマは一瞬眉をひそめたが、すぐに悲しそうな表情でエリアスに話しかけた。


「エリアス様、まだ魅了が解けていないのですね。でも私が――」

「気安い。許可もなく王族に話しかけるなど、これだけでも不敬に問えるが駄目か?」


「学園内では身分の差を問わないという決まりがあるので、さすがにこれだけでは足りませんね」

不快そうに眉をひそめたエリアスがアーサーに訊ねるが、あっさり却下される。


途中で遮られた上、冷淡な扱いを受けたエマは怒りの矛先をサーシャに向けた。


「サーシャ様、大人しく認めたらいかがですか?アーサー様やユーゴ様を魅了で誘惑しておいて、エリアス様に乗り換えるだなんて淑女としてあるまじき振る舞いです」


「不用意な発言を控えてもらおう。君を登壇させたのは魔女を証明する方法を聞くためで、相手を侮辱する場を設けたわけではない」


アーサーが平坦な声に不快感をにじませて告げるが、エマは気にした様子もなくティーセットを運んでくる男子生徒に長机に置くよう指示をする。


「魔女にだけ効果がある特別なハーブがあるんです。サーシャ様が魔女でないとおっしゃるのなら飲んでください。もちろん私もいただきます」


明らかに怪しい状況で用意されたのはティーポットとティーカップが2つ。毒を仕込むならティーカップなのだろうが、どちらを選ぶか分からない状況でリスクは犯さないだろう。ならば先に解毒剤を服用しておいてお茶に毒を混ぜるのが一番確実な手だ。


サーシャが推測している間にエマはハーブティーをカップに注ぐ。紅茶よりも鮮やかな赤いお茶から目が離せない。


「レン」

名前を呼ばれたレンは、片方のティーカップを取り躊躇なく口に含む。


「……問題ございません」


「まあ、毒なんて入れていませんわ。効果があるのは魔女だけですもの」


くすりと笑うエマは余裕の表情を浮かべているが、手渡されたカップから立ち昇る薬草のような匂いが不安を煽る。


「サーシャ」


信じてほしいと告げられた時と同じ表情をしているエリアスを見て、サーシャはハーブティーを口にした。二口飲み込んだ時、陶器が割れる鋭い音がして顔を上げる。


そこには蒼白な表情で崩れ落ちるエマの姿があった。


「ヒュー、手当てを頼む」


小声で囁いたアーサーは、騒然とする生徒に向けて厳しい口調で告げる。


「臨時集会はこれにて終了だ。各自教室に戻るように。噂がもたらした結果をよく考えるがいい」




「エマ様は大丈夫なのですか?」


生徒会室に戻るなりサーシャが気になっていたことを訊ねると、エリアスは困ったような表情を浮かべた。


「命に別状はないだろう。サーシャ、君は危うく殺されかけるところだったんだが、最初に気にするところはそこなのか?」


その可能性を考えないわけではなかったが、実際に言葉にされると重みが増す。顔色が悪くなったサーシャを見て、エリアスは慌てて謝罪した。


「すまない、怖がらせるつもりはなかった」

「いえ、大丈夫です。エリアス殿下は全てをご存知なのですね」


不安なサーシャに対して安心させる言葉を掛けてくれたエリアスは、何が起こるか承知しているようだった。


全員揃ってから話をしようと言うエリアスの言葉に従い、サーシャはお茶の支度に取り掛かる。もう機会がないと思っていたエリアスが好む紅茶とそれに合うお茶菓子を準備したところで、アーサーとシモン、そしてジョルジュが現れた。


「サーシャ嬢、ごめん!謝って済むことじゃないけど、それでも謝罪させてほしい」


膝をつき深々と頭を下げるジョルジュに困惑したサーシャは、アーサーやシモンに視線を送る。


「エリアス殿とシモンは許していないけど、私はジョルジュの行為は不問にして良いと思っているんだよ。結果的に彼のおかげで助かった部分もあるからね」


アーサーの言葉を受けて、ジョルジュは今回の騒動のきっかけについて話し始めた。


「あいつは自分のことを聖女だと言っていた。だから未来を予知する能力があるって」


最初は信じていなかったジョルジュだが、学園内の出来事を言い当てるにつれて不審に思いながらも信じるようになった。一緒に行動するようになったのはそんなエマを危険視して、見張りの役割を果たすためだ。


「ある日レイチェルが将来事故に遭うと言い出したんだ。事前に知っていれば避けられるから代わりにして欲しいことがあると言われて、俺は……」


エマがジョルジュに望んだのは、セーブル伯爵家の領地に生息するワームウッドの亜種だった。通常のワームウッドは解熱作用のある薬草として重宝されるが、亜種は強い毒性を持つため一部の人間のみ取り扱いを許可されていた。エマは何故かその情報を知っていて、交換条件の対価としてジョルジュにそれを手に入れるよう指示したという。


強い毒性があってもそのまま服用すれば苦みがあるため、普通は気づく。だから大丈夫だと言い聞かせても不安は晴れない。そうしているうちにサーシャが襲われ、不穏な気配を纏うエマをどうにかしなければとジョルジュはアーサーに全てを打ち明けた。


「事前に現物が手に入ったことは確かに僥倖でした。複数のハーブを組み合わせていたので服用後に解毒剤を作っても手遅れになる可能性がありましたから」


その言葉でシモンもあらかじめ事情を知っていたのだと分かった。


「お義兄様、同じものを飲んだのにどうして私とレンさんは大丈夫だったのですか?」

エマは自分を害そうとしていたのに、実際に倒れたのはエマだ。

「レン殿が大丈夫だったのは、本来あれが女性にしか効かない特殊な毒だからだ。もっともそれを事前に入手して別の物にすり替えておいた。エマ嬢が事前に服用した解毒剤が効かないタイプの毒物で、サーシャのお茶にだけレン殿がこっそり解毒剤を入れたんだよ」

レンは毒見をすると見せかけて口に含んだ解毒剤をお茶に忍ばせたのだ。


「サーシャは俺の婚約者だから毒見役がいても不自然ではないからな」


自分だけ蚊帳の外だったようで疎外感を覚えるが、不用意に怖がらせないためにあえて伝えなかったのだろう。いくら解毒剤があるとはいえ、毒入りのお茶を飲むのは躊躇してしまいそうだ。


「噂に踊らされた連中もこれで懲りただろう。もうサーシャ嬢が不当な扱いを受けることはないはずだ」

「アーサー殿下、ありがとうございます」


そ言葉でずっと抱えていた緊張感が解けていく。エマの行動を予測した上で彼らは大掛かりな仕掛けをして、サーシャの無実を証明してくれたのだ。


「発端は俺の言動でもあるからな。だがサーシャと義兄殿のおかげで番への過剰反応も抑えられるようになった。礼を言うのは俺のほうだ」


エリアスに言われて、胸がちくりと痛む。きっと、これでもう終わりなのだと思うと寂しさと悲しさが込み上げてくる。


「じゃあ私たちはまだやることが残っているから、先に失礼するよ」

アーサーが立ち上がるとシモンとジョルジュもさっさと部屋から出て行ってしまった。


(どうしよう……落ち着かないわ)


レンの姿も見えず、完全に二人きりの状態になるのは初めてのことだった。自分の気持ちを自覚してからは気づかれないよう細心の注意を払っていたのだ。思わぬ状況に緊張のあまり心臓がバクバクする。


「サーシャ」

「っ、はい!」


動揺のあまり勢いよく返事をしてしまった。恥ずかしくてすぐさま俯いてしまい、頬が熱を帯びてくる。


「大切なことを確認したい。顔を上げてくれないか?」


情けなくて泣いてしまいたいのを堪えて顔を上げると、エリアスが衝撃的な一言を口にした。


「サーシャ、その……君は俺のことが好きか?」

「!!」


(気づかれた!いえ、もうとっくに気づいてらっしゃったのかもしれないわ。この騒動が終わるまで殿下は気を遣って触れなかっただけで……)


「申し訳――」

咄嗟に謝りかけて自分の口を押えた。


謝ってそれで終わりでいいのだろうか。これがきっとエリアスに想いを伝える最後の機会だ。拒絶されても困らせてしまっても伝えないままならきっと後悔が残る。エリアスが尋ねてくれたのは、彼の優しさなのかもしれない。


(もう一度だけ、最後に甘えてもよいのなら——)

図書館で泣きじゃくった時の記憶がよぎる。


「はい、私はエリアス殿下をお慕いしております。今まで、ありがとうございました」


泣いて困らせたくはなかったから、笑顔になるよう口角を上げた。どんな言葉が返ってこようともちゃんと受け止めようと思ったサーシャに、エリアスは溜息を吐いた。


「せっかくサーシャが俺のことを好きになってくれたのに、どうして別れる前提なんだ…」

「え?」


目を細めて恨みがましい表情のエリアスに驚いていると、腰を引き寄せられた。


(え、ええ、何で?!)


温かい腕の中で抱きしめられて力が抜けそうになるが、冷静な自分がストップをかける。


「エリアス殿下、近すぎると番の影響を受けてしまうのでは――っ!」

唇に触れた柔らかい感触に今度こそ力が抜けた。


「俺はサーシャを愛している。番だから惹かれたのではなく、努力家で優しくて甘え下手で不器用なサーシャを愛しく思っている。ずっと俺の傍にいてくれないか?」


真摯な眼差しと甘さが滲む声に、思わず涙が零れた。


(私はこの方の前で泣いてばかりだわ)


いつかのような絶望ではなく、嬉しさのあまり涙が止まらない。声にならずに何度も頷くサーシャをエリアスは優しく抱きしめた。

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