第48話 手の温もり

放課後もエリアスが教室に迎えに来てくれたので、そのまま学園を案内することになった。


「ご足労おかけして申し訳ございません」

本来であれば身分の低いサーシャが出向くべきだったが、エリアスは軽く受け流す。


「いや、俺がサーシャに早く会いたかったからな。それに俺のほうがサーシャを気に入っていると知らしめるためにもちょうどよかった」


後半のセリフはサーシャにしか聞こえないよう耳元で囁かれて、それを見た女子生徒が顔を赤らめている。

距離は近いが目的が分かっていれば、冷静に受け止められる。そのためサーシャもこの場で相応しいと思った言葉を伝えた。


「ありがとうございます」


感謝すること自体本心であったが、高位貴族に対する儀礼的なものではなく身内に対するように親しみを込めて微笑んでみせた。

エリアスの白い頬に赤みが差して、視線がぎこちなく逸らされる。


(あら、逆効果だったかしら?)


「サーシャ様、お気になさらず。学園のご案内を続けていただけますか?」


少し馴れ馴れしい態度だったかと反省していたが、レンの声で顔を上げる。エリアスを見ると口元を押さえたまま、未だにサーシャの方を見ようとしない。

本当に良いのかと目線で問えば、二度も首を縦に振られる。


「主がご迷惑をお掛けしますが、どうかご容赦ください」

ただの子爵令嬢相手に過分なほど深々と腰を折るレンに、サーシャはすっかり恐縮してしまった。


「レン様、顔を上げてください。私にそのような気遣いは無用ですわ」

「サーシャ様、私に敬称は不要です。貴女様は殿下の大切な婚約者なのですから」


レンの指摘は正しいが、本来であれば家格が上のレンを呼び捨てにすることなど恐れ多いことだ。そもそも体質が改善されるまでの一時的な、いわば仮の婚約者である。理解はできても躊躇うサーシャにエリアスが声を掛けた。


「サーシャ、そんなにレンばかり見ては駄目だ」


指と指を絡めるように手を繋がれて、驚いたサーシャが隣を振り向くとエリアスが満足そうな表情で頷いた。


「やっとこっちを向いてくれた。案内してくれるか?」

「……畏まりました。……エリアス殿下」


繋いだ手を離そうとしないエリアスを見つめれば満面の笑みが返ってくる。アーサーやシモンが譲れない時に浮かべる笑みを同じものを感じ取ってサーシャはそれ以上言葉にするのをやめた。


(笑顔で圧力をかけるのは貴族の嗜みなのかしら……)


これも噂を打ち消すためだと切り替えたサーシャは包まれた手の温もりを無視して、案内役の務めを果たすことに集中することにした。


寮まで送るというエリアスの申し出を固辞して、サーシャは寮へと歩いていた。先ほどまで温かった手が秋風に晒されて少し寒さを感じる。そのことが妙に気になってぼんやりしていたため、気づくのが遅れてしまった。


「シュバルツ王太子殿下に気に入られたからといって、何て傲慢な態度なのかしら」


顔を上げると見覚えのある令嬢たちが立っていた。確か昨年レイチェルを泣かせてしまった際に嫌味を仕掛けてきた令嬢たちだ。気づかなかっただけだが、向こうからしてみれば無視されたように感じたのだろう。

あの時サーシャもひどく腹を立てていて良からぬことを考えたが、結果的にユーゴが追い払ってくれたので事を荒立てずに済んだ。


「……考え事をしており失礼いたしました、バートン侯爵令嬢」


誤解したエリアスがサーシャの引き取り先を依頼し、身分を釣り合わせるため白羽の矢が立った侯爵家の一人娘、オリヴィア。


(ちょっと小物感が強いけど、この方も悪役令嬢ポジションなのよね)


アーサーの婚約者候補だった過去もあり、王族や公爵家以外と婚約するつもりがないと公言するような自尊心の高い我儘令嬢だと言われている。

前回アーサーとの噂が広まった時に、嫌味を言われたのは子爵令嬢ごときがアーサーと関わることすら許し難いと思ったからだろう。


そして今回は間違いなくエリアスが原因だ。


「お可哀そうに王太子殿下はご存知ないのね。あんなにたくさんのご令息方と噂になるような下賤な娘なのに」


嘆かわしいと大げさな態度で表現するオリヴィアに二人の令嬢は追従する。


「あんな容姿でどうやって誑かしているのでしょうね」

「まあ、嫌だわ。汚らわしい」


見下す表情の中には抑えきれない嘲笑が混じっている。諫めるでもなくただ貶めるためだけの言葉に耳を傾ける必要はない。前回は家族にまで言及されたことでキレかけたが、今回は無用な争いをしては駄目だと自分に言い聞かせる。


「御用がないのであれば失礼いたします」


「私は知っているのよ、王太子殿下は体質のせいで惑わされているだけだって。すぐに貴女なんか捨てられてしまうわ」


オリヴィアの言葉につい足が止まった。恐らくバートン侯爵は番のことをそう表現したのだろう。体質改善が必要なのはむしろサーシャのほうなのだが。


「存じておりますわ」


振り返って一言伝えると、サーシャは背後を気にすることなく歩き始めた。


(エリアス殿下が私を求めるのは番だから。そんなの今更だわ)


それなのに何となく息苦しいような胸が詰まったような感覚に襲われる。そのことを少しだけ疑問に思ったが、今晩から体質改善のために試してみたいことがあったためそちらに気を取られたサーシャはすぐにその感覚を忘れてしまった。

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