第47話 不名誉な噂

翌朝、登校したサーシャは僅かに眉をひそめる。貴族の情報収集力の高さを承知していたため、自分が噂の的になることは覚悟していたが、今までと大きく異なる点があった。


遠巻きに様子を窺ったり女子生徒からの嫉妬や羨望の眼差しは同じだったが、男子生徒からの視線がサーシャの顔ではなく身体に向けられている。

恐らくはお茶会でエリアスの膝の上に座らせられたのが原因だろう。


『シュバルツ国の王太子を身体で誘惑した』

そんな噂が流れていることは想像に難くない。


男性を誘惑するふしだらな令嬢、奇しくもエマに対する忠告が自分に降りかかってきた形になって少し落ち込む。


(自分で堀った穴にはまった気分ね。不快だけど噂が収まるまで我慢するしかないわ)


密やかな囁きが交わされる中、サーシャは潔白を表わすかのように背筋を伸ばして堂々と教室へと向かった。


「サーシャさん、おはようございます」

駆け寄ってきたレイチェルの笑顔に心が温かくなる。心無い噂を耳にしているだろうにそれを否定するような態度が嬉しかった。


「おはようございます、レイチェルさん。先日はお茶会の片付けを手伝えなくてすみませんでした」


お茶会の終了まで待たずに王宮へと連れて行かれたため、最後まで手伝えなかったことが申し訳ない。


「それは……問題ありませんでしたよ。そもそも準備の段階でもかなりの時間お手伝い頂いていたので、サーシャさんには感謝しかありません」


途中退席の原因は軽々しく口に出来ないと思ったようで、レイチェルは一瞬言いよどんだがすぐに言葉を続けた。気を遣わせてしまったのは明らかで、サーシャは心の中で反省する。


「今度は女性だけでお茶会をしましょう」


明るく努めてくれるレイチェルに感謝の気持ちを込めて、サーシャはぎこちなくも微笑んだ。


午前中の授業が終わると廊下の様子がおかしいことに気づいた。


「サーシャ、迎えに来た」


眩しい笑みを浮かべるエリアスに令嬢たちの頬が赤く染まり、声にならない歓声が聞こえるようだ。昼食の約束などしていないが、ここで断れば不敬だと思われることは間違いない。


(それにエリアス殿下がわざわざ人目につくように現れたのも、理由があるのではないかしら?)


「アーサー殿とソフィー嬢も一緒だ。さあ、行こうか」


その言葉で何となく意図を察したサーシャは大人しくエリアスに従った。


貴賓室にはアーサーとソフィーだけでなく、シモンの姿もあった。笑顔なのに冷たい空気が流れていることから、サーシャはシモンの怒りを察するが、その理由が分からない。


(エリアス殿下と一緒にいるのが気に入らないから、ではないわよね?)


その様子に気づいたソフィーが声を掛ける。

「サーシャが気にすることではないわよ。さ、いただきましょう」


昼食の時間が短いためワンプレートではあるものの、メイン料理と一緒にサラダなどの付け合わせが綺麗に盛り付けられていて温かいスープとパンが添えられている。

フォークに手を伸ばしたところで、エリアスから声が掛かる。


「サーシャ」


差し出されたフォークにはサーシャの好きなマリネが載せられている。その好意はありがたいが、室内の温度がさらに下がった気がした。


「エリアス殿、身内の前でそのような行為はサーシャ嬢を困らせてしまいますよ?」


アーサーの言葉で大人しくフォークを引っ込めたエリアスに内心安堵する。


「サーシャ、明日からは僕と一緒に食事を摂ろう。体質改善の話をする時間に充てたいからね」


生徒会長の仕事と薬の開発で多忙なシモンの時間を更に使わせてしまうため、サーシャに反対する理由はなかった。


「それなら俺も同席しよう。当事者不在では有効性が確認できないからな」


「サーシャの不名誉な噂が落ち着くまでは、ご配慮いただけないでしょうか?」


あれだけあちこちで囁かれているのだから、シモンの耳にも入っているのは当然だった。その原因であるエリアスに対して、シモンはサーシャの嘆願もあって抗議はするものの丁重な口調である。


「シモン様、先ほどもご説明しましたけどシュバルツ王太子殿下とサーシャが正式な婚約者であると認識させることが、噂を払拭する一番穏やかで簡単な方法ですわ」


この昼食会はそのためのものだとソフィーが告げて、サーシャも了承の意を示すために頷いた。


シュバルツ王太子殿下自らがエスコートして、第二王子とその婚約者との昼食会に参加する。サーシャとの関係が一時的なものであれば、そのような席に招かれるはずがない。そう思わせることで、サーシャの名誉を回復させることが狙いだった。


「それは承知していますが、サーシャが不躾な視線に晒されている事実は変わりません」


「噂の原因は俺の軽率な行動のせいだ。すまないことをした」


エリアスの謝罪はサーシャだけでなく、シモンにも向けられている。簡単に頭を下げることなどない立場にもかかわらず、そんな対応をされてサーシャは焦った。


「過分なお言葉痛み入ります」


エリアスの態度にシモンは驚いたような表情を浮かべたが、すぐに冷静に対応した。動揺した自分の至らなさを痛感しつつ、サーシャも言葉を返そうとしたがエリアスのほうが早かった。


「これから顔を合わせる機会が増えるし、あまり畏まらなくていい。よろしくな、義兄殿?」


固まったシモンと挑発的な笑みを浮かべるエリアス。

二人の関係が改善されるのは、しばらくかかりそうだとサーシャはパンと一緒にため息を飲み込んだ。

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