第36話 齟齬
シモンの警告が効いたのか、あれ以来エマは生徒会室に姿を見せなくなり、サーシャに絡むこともなくなった。
だが時折様子を窺うような視線は感じている。目が合えばすぐに逸らされるし、何度か気になって声を掛けようとしたが逃げられてしまう。
エマに自分も転生者であることを告げるつもりはない。
この世界の予備知識もなく前世の記憶や知識もお菓子作り以外に発揮できていないし、何よりエマがどう受け取るか分からないので下手に刺激したくなかった。
微妙な緊張感が生まれていたが、気にしないよう心掛けることにした。
元々距離を置く予定だったし、何か迷惑を掛けられているわけじゃないと自分に言い聞かせて。
「これ美味しいわね。今度作り方を教えてちょうだい」
ソフィーがそういう時はかなり気に入ってくれた証拠である。嬉しくてもちろん快諾すると、アヴリルがくすくすと声を立てて笑った。
「殿下がお好きそうなお菓子ですものね」
その言葉に顔を真っ赤にするソフィーをみんなが温かい眼差しで見ていた。穏やかな昼下がりに開かれたお茶会はいつものメンバーの気楽なものだ。
「アヴリルこそユーゴ様に差し入れでも持っていけばいいじゃない。新入りは雑務も多いし、宰相の息子だから何でも出来て当然とか思われてそうだし。愛しの婚約者から手作りのお菓子が届けばきっと疲れも取れるでしょうよ」
冷やかされたソフィーがお返しとばかりに告げると、アヴリルの頬が薄く色づく。
「実は、先日お届けしたの。直接お渡しできなかったけど、お礼に綺麗な花束を戴いたわ」
「まあ素敵ですわ」
「ユーゴ様もさぞお喜びだったでしょうね」
歓声が上がると、ますますアヴリルは顔を染めて俯いた。ユーゴとは滅多に会えないようだが仲の良い様子にサーシャも微笑ましく思う。
「あの、サーシャ様……私にもお菓子作りを教えてくれますか?」
おずおずと申し出たのはレイチェルだ。断る理由などなくサーシャはもちろん了承する。
「まあ、ジョルジュ様もお喜びになりますわね」
以前のぎくしゃくした時期を知っているベスが嬉しそうに声を掛けるが、レイチェルは首を横に振った。
「ジョルジュ様のためではなく、生徒会の皆様とのティータイム用に準備したいと思いましたの。サーシャ様のように美味しくできないかもしれませんが……」
一瞬沈黙が下りたが、躊躇うことなく疑問を口にしたのはソフィーだった。
「どうして婚約者に渡さないの?もう愛想を尽かしてしまったのかしら?」
遠慮のない口調に怯えることもなく、レイチェルはすぐさま首を横に振る。一緒に仕事をする中でソフィーのはきはきとした性格にも慣れたのだろう。
「私は今までずっとジョルジュ様に嫌われないことばかり考えてきました。でも生徒会で仕事をするようになって、会長もソフィー様も褒めてくださるし、私なんかの意見にもきちんと耳を傾けてくれるのがとても嬉しいのです。だから日頃のお礼も込めて作りたいなと思って」
レイチェルの言葉に昨年までの姿が頭をよぎった。ずっとジョルジュに認めてほしくて、相応しい婚約者になろうと一生懸命な様子を覚えている。
「ジョルジュ様しか見ていなくて視野が狭くなっていました。もちろんジョルジュ様も大切ですが、もっと堂々と側にいられるように私も成長したいのです。ですから、これからもよろしくお願いします」
そう告げたレイチェルの瞳は輝いていて、肩の力が抜けたように見える。そのことが何だかとても嬉しい。自分に価値を感じずいつも不安そうなレイチェルだが、自分の能力を発揮する場所を得たことで自信がついたようだ。
「レイチェル様、素敵ですわ。私も何か出来ることがないか考えてみたいと思います」
「シモン様に甘えてあげたらいいんじゃない。サーシャはそういうの苦手みたいだけど」
ソフィーの言葉に少し引っ掛かるものを感じたものの、そのまま別の話題に移ったこと、レイチェルの変化に気を取られていたことでサーシャは僅かな違和感をそのまま流してしまった。
期末試験が終わり、学園全体もどこかそわそわとした空気に変わっている。試験明けで、しかも1年で最も長い休暇が目前なのだから無理もない。
以前より頻度は減ったものの手伝いのためサーシャが生徒会室に着くと、シモンとミレーヌの姿があった。
「サーシャ様、ちょうど良いところにいらっしゃいましたわ」
シモンのために出来ることして、ミレーヌは先月から生徒会の仕事を手伝っていた。サーシャが生徒会への出入りを控えたのは、こんな風に二人の時間を作ってあげたいという思いもあったからだ。
「夏休みはシモン様と一緒にダラス領に遊びにいらっしゃいませんか?湖畔の別荘にご招待いたしますわ」
きらきらとオレンジ色の瞳が輝き、ミレーヌは無邪気な笑みを浮かべている。その様子に微笑ましさと少しの申し訳なさを感じながらサーシャは答えた。
「素敵ですわね。でも私、お義母様のお手伝いがありますの。お義兄様、イリアも来年は社交界デビューですし、連れて行っても大丈夫ではないでしょうか?」
マノンの手伝いは嘘ではないが、将来的に貴族の身分を捨てる予定のサーシャが他領を訪問するのは控えたほうがいいだろう。ミレーヌとは親しくさせてもらっているが、家同士の交流を図るなら話は別だ。
一方で婚約者であるシモンだけが訪問するのは外聞が悪いので、妹であるイリアを同行者の候補に挙げた。サーシャにしてみればそこに何の他意もなかった。
「あ…、ごめんなさい。サーシャ様の都合も考えずに誘ってしまいました」
先ほどまでの興奮が嘘のように落ち込むミレーヌを見て、シモンが庇うように言った。
「サーシャ、ミレーヌ嬢はサーシャに遊びにきてほしいと誘ったんだ。イリアが代わりになるわけないだろう」
シモンの言葉にどこか責めるような響きを感じ取って、サーシャは何故か傷ついたような気持ちになった。間違ったことを言ったつもりではなかったし、シモンだってサーシャが将来平民になることを知っているのだ。
だがミレーヌを悲しませたことは事実だったため、そんな気持ちを抑えて謝罪の言葉を口にする。
「ミレーヌ様、せっかく誘っていただいたのに申し訳ございません」
何となく気まずい雰囲気になったが、アーサーとソフィーが姿を見せたため、気をとりなおして生徒会の仕事に取り掛かることになった。
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