第37話 距離感

「サーシャは領地に戻るのでしょう?私ガルシア領に行ったことがないの。案内してくれないかしら?」


王子妃教育のため今年は領地に戻らず王都で過ごすというソフィーだが、5日ほどまとまった休みが取れるそうだ。せっかくなので領地以外の場所に視察を兼ねて小旅行をしたい。そんな中候補地として白羽の矢が立ったのがガルシア領だ。


(よりによって微妙な雰囲気になった休暇の話題が再び上がるなんて……)

サーシャは内心頭を抱えた。


「ソフィー様……」

「サーシャ嬢は忙しいんじゃないか?」


気遣うようで僅かに口の端が上がっていることから、昨年の訪問を思い出しているに違いない。アーサーの前では貴族の装いをしていたが、恐らく侍女として過ごしていたことなどバレているのだろう。


「あら、随分とお詳しいのですね」

ソフィーの声が僅かに尖っているのに、アーサーは嬉しそうに微笑んでいる。


「すみません、ソフィー嬢。サーシャは先約があるのです」


にこやかな笑みでシモンが庇ってくれるが、サーシャはどうしてもその言葉の裏を読んでしまう。先に宣言することでダラス領に行くための外堀を埋めようとしているのではないか。


「あのシモン様、大丈夫ですから」

小声で呼び掛けるミレーヌに、ソフィーは得心したように頷いた。


「もしかしてダラス領に行くの?だったら邪魔しないからいいわよ」


なし崩し的にダラス領に行くことになるのも困るし、ソフィーに嘘を付いた形になるのも嫌だった。サーシャは言うべきか迷ったものの正直に告げることにしたのだが、ソフィーからは予想外の質問を投げかけられる。


「サーシャ、貴女はどうしてそんなに貴族が嫌いなの?」


自分は平民だという自覚はあるものの、貴族が嫌いだと思ったことはない。ソフィーの質問を頭の中で繰り返しても、やはりピンとこなかった。


「知り合った頃に比べてそれなりに親しくなったつもりだけど、貴女はいつも線を引いて一定の距離を保っているでしょう」


いつもと変わらないソフィーの口調だが、サーシャはどことなく追い詰められているような、居たたまれない気分になる。先ほどシモンに咎められた時と同じような不安を感じてしまうのだ。何か言わなければと思うのに言葉が出てこない。


サーシャの返事を待つことなく、ソフィーは言葉を重ねていく。


「そうかと思えば自分を蔑ろにしてでも他人を守ろうとするわよね。サーシャ、貴女は――」

「ソフィー、そこまでだ」


不安な予感に耳を塞ぎたくなった時、ソフィーの言葉を止めたのはアーサーだった。


「それ以上踏み込み過ぎるのは良くないね。サーシャ嬢も今日はもう帰った方がいい」


アーサーの言葉に背中を押されるようにして、サーシャは生徒会室から出て行った。どうやって自室に帰ったか覚えていない。ただソフィーの言葉だけがいつまでも耳に残っていた。




「私、間違ったことは言っておりませんわ」

サーシャに続いてシモンとミレーヌがいなくなり、しばらくの沈黙ののちソフィーが口を開いた。


「正しいとか間違いとかそういう話ではないよ」


気づいているだろうという意味を、アーサーが言外に込めるとソフィーは悔しそうな顔で俯く。そんな顔も嫌いではないが、その原因がサーシャ嬢だと思うと嫉妬に似た感情を覚える。


(私のことよりもサーシャ嬢に関することのほうが、よほど感情的になると見える)


平民のエマ嬢は自分にも媚びるような素振りを見せていたが、ソフィーは終始冷静なままだった。婚約者の関心を引けないのなら用はなく、面倒になってシモンに押し付けた結果、彼女はシモンにターゲットを絞った。

それなのに彼女はサーシャ嬢に手を出すという愚行を犯し、シモンの逆鱗に触れたのだ。


シモンの家族に対する愛情は過剰なほどで、それがシモンに興味を持つようになった要因の一つだ。

両親よりも臣下のほうがはるかに顔を合わせる機会が多く、アーサーは家族の情愛というものは知ってはいるものの実体験として持っていない。


それゆえに婚約者となったソフィーに対しても、侯爵令嬢として、さらには第二王子の婚約者としての役割を果たす者としてしか見ていなかった。だからこそ彼女自身を見るきっかけになったサーシャには感謝しているし、力になってやりたいとは思っている。


「自ら気づいてないのだからそれ以上は酷なことだ。サーシャ嬢に嫌われたくはないだろう?」


一方でもどかしいと思うソフィーの気持ちも分かるのだ。将来の王子妃である侯爵令嬢と子爵令嬢という立場でさえ、学園に通ってなければ接点などない関係性だ。ましてや平民となれば二度と会うことすら叶わない。


思い当たる節があるのか、ソフィーは眉を下げて俯いた。

限られた友人たちの前でしか見せないのであろう、萎れた姿は無防備で愛らしく出来れば自分以外の異性の前では見せないで欲しいと思ってしまう。


「彼女を侍女にする気はないのかな?」


友人ではないが一緒に過ごすことはできるし、サーシャの能力からしても問題ないだろう。


「私から言えばそれは命令になってしまいます。権力を傘にサーシャの将来を決めるような真似をしたくありません」


普段の強気な言動とは裏腹にソフィーが優しいと思うのはこういうところだ。自分だったら外堀を埋めて自ら選択させるように追い込むだろう。外見だけは優しく取り繕える自分とは正反対だからこそ愛おしいのかもしれない。


「貴族が嫌いというより平民でありたいという気持ちのほうが強いだけだろう。そこにどんな理由があるか分からないけど、彼女はソフィーのことを嫌ってはいないよ」


貴族である自分に嫌気が差しているのではないか、侯爵令嬢だから側にいるのではないか、僅かだがそんな気持ちもあるのだろう。


以前ユーゴとの関係性を調べさせた際、幼少の頃に誘拐されたことが判明した。酷い暴力を振るわれた様子はなかったが、おそらくその時に精神的にショックな出来事が起きたのではないか、アーサーはそう推測していた。

子供の頃に植え付けられた感情や思考はそう簡単に覆らないし、かなりの苦痛を伴う。


そのことを口にせずソフィーの頭を優しく撫でると、ようやくハシバミ色の瞳と目があった。どうしていいか分からない様子だが、徐々にその顔が赤く染まっていく。

2人きりでいることをやっと意識してくれたようだ。

気の利くヒューは早々に部屋の外で待機しているのにソフィーの頭の中にはサーシャしかいない。


(もっとソフィーには私のことを考えてもらわないとね)


可愛い婚約者を見つめながら、アーサーは今後のを思い浮かべてにっこりと笑った。

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