第16話 来訪者
領地に戻って数日後、サーシャは別荘で羽を伸ばしていた。真っ白なシーツが風ではためいている風景に心が癒されていく。
「よし、次はお父様に紅茶をお持ちして、それから客間のお掃除ね」
「……サーシャ様、働き過ぎですよ」
侍女頭のエミリーが見かねたように苦言を呈するが、やる気に満ち溢れたサーシャは一向に気にならない。
「様付けは止めてください。今の私はあくまで侍女なんですから」
学園から領内の邸宅に到着すると、サーシャは当然のように使用人部屋に向かおうとした。不在の間は侍女用の服を預かってもらっていたからだ。
「サーシャ、どこに行くんだい?」
そんなサーシャを呼び止めたのはジュールだ。馬車の音が聞こえたため、迎えにホールまで出てきたらしいが、子爵家当主にあるまじきフットワークの軽さである。
「お父様、この格好のままではご挨拶もできませんので着替えてまいります」
「旅装を解くならいいけど、侍女の恰好をするつもりじゃないよね?」
「サーシャ、学園に通う間は貴族令嬢として振舞うのではなかったかな?」
ジュールの言葉を補足するかのようにシモンも加わった。
「学園ではそうですが、ここでは侍女の立場で――」
「「却下」」
二人の声が見事に揃って、血の繋がりがなくとも親子なんだなと場違いの感想を抱いたが、サーシャも譲る気などない。
「奥様とご相談させていただきます」
「確かに屋敷内で貴女が侍女として働くことは、適切ではありませんね」
急いで着替えたサーシャはマノンの元に向かい、許可を得ようとしたのだが、返ってきたのは期待どおりの回答ではなかった。
ほっとした表情を浮かべる父と義兄を恨めしく思っていると、マノンが付け加えた。
「ただし、ここでない場所だったら構いませんよ。――例えば領地の境にある別荘などは少し手入れをしたいと思っていたこところです」
「ありがとうございます、奥様。早速明日から向かってもよろしいでしょうか?」
「……せめて2、3日は屋敷で過ごしなさい。貴女が帰ってきたことを喜んでいる人たちもいるのですよ」
義妹のイリアの不機嫌そうな態度や、構ってほしそうな父の態度は数か月離れていただけなのに懐かしさを感じさせる。少々変わっているけれど、ここが自分の実家なのだという思いを胸に、サーシャは言われたとおり3日間を家族と共に過ごした。
(でもやっぱり落ち着かないのよね)
根っからの平民であり前世が勤勉を美徳とする日本人だからか、働かずに他人に世話をされるという状況は落ち着かず、別荘に着いてからは楽しく仕事に勤しんでいた。
マノンは仕事の関係上、屋敷を離れるわけにはいかず、ここにいるのは父と義兄と義妹、それから僅かな使用人のみだ。
イリアは当初屋敷に残る予定だったが、シモンが別荘に行くと分かると文句を言いながらも付いてきた。兄に甘えたいというのもあるが、実はサーシャの淹れる紅茶と手作りの焼き菓子がお気に入りなのだ。
事あるごとに反抗的な態度をとるものの、イリアのそういうところが可愛くて嫌いになれない。
悩んでいたユーゴの件も、屋敷にいる間に手紙を送っておいた。季節の挨拶を皮切りに過去のことを気にする必要がないと言葉を重ねた後に、学校が始まる前に一度会って話をしたい旨を記した。
どうしても気になるのなら、過去の後悔にきっちりと区切りを付ける手助けぐらい問題ないだろう。
(あまり覚えていないけど、落ち着いた態度のユーゴ様がいてくれて頼もしかったもの)
物置を片付けていると、バタバタと廊下を走る音が聞こえてサーシャは不思議に思った。貴族である父たちはもちろん、使用人の教育も行き届いているはずのガルシア家でそんな音を立てて走る者などいないはずだ。
足音はまっすぐこちらに向かってきて、ノックもなしにドアが開いた。顔を向けると侍女歴3年のダリアが顔を真っ赤にして、叫んだ。
「大変です、サーシャ様!着替えてください、今すぐに!!」
「大声を出してはいけませんよ。来客ですか?」
落ち着かせようとわざとゆっくりと言葉を発したサーシャを、ダリアはじれったそうに身体を揺らしながら言った。
「殿下が、アーサー殿下がお忍びでお越しになりました!」
(何で殿下が……っていうかお越しになるなら先触れを出してくれないと対応に困るじゃない!急な訪問なんて、嫌な予感しかしないわ……)
中途半端に手を付けた状態の物置を名残惜しそうに見つめたサーシャはため息をついて、令嬢らしい服装に着替えるためダリアとともにその場を後にしたのだった。
「失礼いたします」
応接室に入ると寛いだ様子のアーサーと珍しく不機嫌な表情を浮かべたシモンが、向かい合わせで座っていた。ジュールとイリアが外出していたことが不幸中の幸いと言える。王族に接する機会など皆無なのだから、父は狼狽のあまり腰を抜かしていたかもしれない。
「とんでもございません。殿下にお越しいただけるなど、光栄でございます」
学園ではないので最上級のカーテシーを披露する。顔を上げるとシモンが何か言いたしそうな顔をしていたが、この場で訊ねることもできず大人しく隣に腰を下ろした。
「アーサー殿下は改めて謝罪にいらっしゃったそうだ」
何のことか一瞬分からなかったが、すぐに噂のことだと思い当った。最近では陰口を叩かれることもなかったため、すっかり過去の出来事として忘れていたぐらいだ。
「ちょうどコベール家に行く通り道にあったからね。入学早々迷惑をかけてすまなかった」
「殿下のせいではございませんし、義兄に伝えたように私は気にしておりません」
表面上は冷静に返したが、内心は呆れと不安で一杯だった。
(婚約者の家へ行く前にわざわざ立ち寄るほうが問題だと思うわ)
ソフィー・コベール侯爵令嬢が知ればさぞ不快に思うに違いない。
そんなサーシャを見てアーサーは楽しそうな笑い声を漏らした。
「サーシャ嬢は見た目と内面が異なっていて本当に面白いな。お淑やかなのに行動的で、それにとても優しい令嬢だ」
どこか含みのある言葉にサーシャは引っ掛かりを覚えたが、続いて聞こえたノックの音に注意を逸らされる。
侍女頭のエミリーとともに現れた青年の姿を見てサーシャは目を瞠った。前髪を後ろに流しているため印象が変わっているが、木から落ちかけた時に助けてくれた男子生徒に間違いない。
「ヒューは私の侍従と護衛を兼ねているんだ」
アーサーは簡単にヒューを紹介したあと、その時の事について改めて話してくれた。
ヒューが裏庭に来たのはまったくの偶然だったらしい。サーシャに気づいたヒューが声を掛ける前に木に登り始めたため、迂闊に声を掛けるのは危険だと判断し万が一に備えて待機してくれていた。結果的に助かったので感謝するところだが――。
(どうりで含みのある発言をするわけね。そのこと自体はどうでも良いけど、できればお義兄様の前で言わないで欲しかったわ……)
殿下たちの手前あからさまにはしていないが、笑顔の裏にシモンの怒りをひしひしと感じる。基本的には甘い義兄はサーシャが無茶をしたり、自分の身を顧みない行動をすることに関しては厳しいのだ。
エミリーの淹れた紅茶を飲んで落ち着こうとしたが、テーブルに供されたお茶菓子を見て噎せそうになった。
アーサーの前に出されたのは今朝サーシャが焼いたシフォンケーキだ。綺麗に盛り付けられてはいるものの、素人の作った食べ物など王族に出すようなものではない。
目線で問いかけるとエミリーは小さく肩をすくめて、アーサーの後ろに控えているヒューに視線を移した。つまりこれはヒューの指示によるものらしい。
「殿下、こちらの焼き菓子はサーシャ嬢のお手製だそうですよ」
(こら、余計なことをするんじゃない!)
途端に興味を示した様子のアーサーを見てサーシャは内心毒づいた。手作りの菓子は好感度アップのマストアイテムのようなものだ。
「これは美味だな。紅茶の邪魔をしない繊細な味だ。サーシャ嬢は随分と多才なようだ」
どことなくアーサーの言動に皮肉な口調を感じてしまうのは、先ほど揶揄されたせいだろうか。
「お褒めに預かり光栄ですわ」
無難な言葉を返すサーシャを見て、にこりと笑みを浮かべたアーサーは信じられないことを口にした。
「サーシャ嬢はまだ婚約者が決まっていないと聞いたけど、このヒューなんてどうかな?侯爵子息で将来有望、おまけにまだ婚約者もいないよ」
「殿下!」
思わず咎めるような声を上げるシモンには注意を向けず、アーサーはサーシャを観察している。
(思ったよりも腹黒い方なのかしらね。まあ甘やかされて周りが見えないような我儘王子より全然ましだけど)
王族から婚約者を提示されれば下級貴族としては受け入れるしかない。それを分かっていながら気軽に提案をしてくるアーサーの意図は読めないが、サーシャとしては貴族令嬢として返すだけだ。
「婚約者がいないのは私の我儘に過ぎません。オラール家よりガルシア家に正式な書状が届きましたら、その時は両親が判断いたしますわ」
当たり前のことを口にしただけなのに、何故かアーサーは忍び笑いを漏らした。
「ははっ、すごいね。私はヒューの家名を伝えていなかったのに、あれだけで分かったんだ?サーシャ嬢はもしかして貴族名録を全部覚えているの?」
攻略対象候補を絞るために同年代の貴族令息を調べていたなんて、言えるわけがない。
「……ただの偶然ですわ」
その後も冷や冷やするようなやり取りが続き、アーサーは一人だけ満足した笑みを浮かべて別荘を後にしたのだった。
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