第15話 領地への旅路
王都から領地まで馬車で半日ほどかかる。一度邸に戻るより寮から直接向かうほうが早いためシモンと二人で向かうことになった。
それほど長い時間をシモンと過ごしたことがなかったため始めのうちは不安だったが、学園のことやシモンの研究について話しているとあっという間に時間が過ぎていく。
食堂で昼食を摂った後に再び馬車に揺られていると眠気がやってきた。
気晴らしに窓の外に目を向けるが、代り映えのない田園風景は眠気覚ましには不向きである。長時間の移動のため姿勢を崩すぐらいなら良いが、暇だからといってうたた寝するのは淑女として好ましくないのだ。
「サーシャ、眠っていいよ。誰も見ていないし実は僕も昼寝がしたいと思っていたんだ」
シモンの言葉は自分を気遣ったものであることは明らかだ。通常であれば使用人の立場でそんなことはできないと突っぱねただろう。
だけど今の自分はシモンの義妹として領地に向かっているし、正直昨晩の夢見が悪かったせいで寝不足だ。シモンの好意を無駄にするのも何となく気が引けた。
「…ではお言葉に甘えて少し休みます」
そう言うとシモンは嬉しそうな顔で頷いた。
目を瞑ったものの母以外の前で眠るなどは初めてのことだ。眠れないかもしれないと思ったのは一瞬で、馬車が大きく揺れたのを感じて、はっと意識を取り戻した。
「すみません!急に獣が飛び出してきたので。大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ」
御者の声に答えるシモンの声がすぐ頭上から聞こえて、サーシャは一瞬自分がどこにいるのか分からなかった。
(えっと、これはつまり――お義兄様に抱きしめられてるってこと?!)
「サーシャ?怪我はないね?」
無言で首を縦に振ると、シモンはサーシャの肩に回していた手を離してサーシャの身体を起こしてくれた。
「折角ぐっすり眠っていたのに起こされてしまったね。……少し休憩を取ろうか?」
「いえ、大丈夫です。――あの、もしかして眠っている間、支えていてくれたのですか?」
気づかないうちにすっかり熟睡してしまったのだから、窓に頭をぶつけていてもおかしくなかった。首や頭を痛めることなく、しっかりと支えられていたような感触が僅かに残っている。恐らくシモンが肩を貸してくれていたから、急な揺れにも間に合ったのだろう。
「平坦な道ばかりではないから、念のためにね」
ご迷惑をかけて申し訳ございません――そう口にしかけたが、実際に出てきたのは別の言葉だった。
「気遣ってくださってありがとうございます、お義兄様」
「これぐらいかわいい妹のためならお安い御用だよ」
慈愛に満ちた眼差しでシモンは微笑んだ。そこには邪な思いが一片たりとも混じっていない妹を想う兄の姿があった。
「サーシャ、屋敷に着く前に話しておきたいことがあるんだ」
どことなく和やかな雰囲気の中で、躊躇いがちにシモンは口を開いた。
「ユーゴ様がサーシャと話をしたいそうだ。サーシャに面会する許可をもらえないか訊ねて欲しいと頼まれた」
学年は違うがシモンは今年から生徒会に所属しているため、ユーゴとの接点がある。一方的に関わるなと告げたサーシャを尊重し、あれ以来ユーゴと話すどころか顔を合わせることもなかった。代わりにシモンに言伝を頼んだからといって、責められることではない。
「ユーゴ様にサーシャを何故知っているのか尋ねたら、サーシャの許可なしに話すことはできないと断られたよ。でもできれば僕はその理由を知りたい、兄としても子爵令息としても」
高位貴族である侯爵家との繋がりはプラスマイナスどちらに転がるか分からない。ましてや学園で関わりのある先輩と義妹に接点があると聞いたシモンはさぞかし驚いただろう。
「お義兄様、恐らくお父様と奥様は知っている話だと思います。ですからお話しても構いまわせんわ。ただ、私はそのことで何も影響を受けておりませんし、ご心配いただく必要もございません。それをご承知おきくださいませ」
優しい義兄がこれ以上過保護になっても困る。そう思ってあらかじめ釘を差しておくことにした。シモンが頷いたのを見て、記憶を辿りながらサーシャは8年前の誘拐事件のことを話し始めた。
「サーシャ……」
話し終えると気遣うような表情で何かを言いかけたが、最初に念を押されたことを思い出したのか、そのまま口を噤んだ。
「ユーゴ様は責任感の強いお方ですから、学園で再会した私のことを気に掛けてくださったのですわ。ですが、私はこれ以上噂を立てられるようなことを避けたかったので、ユーゴ様とお会いすることはご遠慮させていただきました」
「ユーゴ様がいたく気にしていらっしゃるようだった。あの人から家族について訊ねられることなどなかったから驚いたけれど、そういうことだったんだね」
ちくちくと罪悪感が胸を刺す。あの時はレイチェルのことで悩んでいた矢先、見知らぬ上級生から不快な言葉を掛けられ苛々していたのだ。
普段だったらもう少し言葉を選んだのに、さっさと立ち去りたいとユーゴの気持ちを慮ることなく関わり合いを避けてしまった。
「サーシャが会いたくないなら断りの連絡を入れるよ。どうする?」
「……少し考えるお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
シモンの承諾を得ると、外の風景を見ながらサーシャはユーゴのことを考えた。
関わらないほうがいいのは分かっているが、あの時の傷ついたようなユーゴの表情が気にかかっていた。たとえサーシャが距離を置いたとしても強制力によって、ユーゴと接点を持つようになるかもしれない。
(それだったらいっそ会って心残りを解消しておいたほうが安全かしら?だけどそれが好感度を上げるきっかけになったら……下手に動くのもまずいわ)
堂々巡りするサーシャの思考をよそに、馬車は領地へと順調に歩を進めていった。
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