第12話 再会

足を止めたサーシャは無言で中心にいた令嬢に向き合った。

余裕のある表情から一転して焦りが浮かぶ。傍にいる二人よりも堂々とした態度であったことからも、恐らく伯爵以上の高位家格の令嬢なのだろう。


「な、何ですの…」


眉をひそめて不快感を表わしているが、先ほどよりも落ち着きがなく僅かに怯えが感じられた。陰口を叩いても面と向かって言うほどの度胸もないくせにと呆れそうになるが、一度湧き上がった怒りは簡単に消えない。


彼女は言ってはならない言葉を口にしたのだ。


(そんなに簡単に狼狽えるぐらいなら、最初から喧嘩など売らなければいいのに)


ガルシア家の爵位とサーシャの出自を低く見ていたから、反撃されるなど思ってもみなかったに違いない。サーシャ自身のことなら構わないが、彼女の発言はアンヌだけでなくマノンをも侮辱するものだ。


手を伸ばせば触れられるほどまでサーシャは近づくと、令嬢は咄嗟に後ずさろうとして背後の壁に阻まれる。サーシャはあくまでも無表情を貫いているが、無言であることと相手がどう出るか分からない状況に不安と恐れを抱いているようだ。


(相手と同じレベルに合わせる必要はない。ただ婉曲な表現で不安を煽れば勝手に自滅するでしょうね)


そもそも相手にする時点で同じレベルであり、不用意な発言は更なる噂の元になるのだが、冷静さを欠いたサーシャにはそれが最善のように思えた。

感情にまかせてサーシャが言葉を発しようとしたとき、鋭い声が割って入った。


「おい、そこで何をしている」


令嬢の顔に安堵と戸惑いの表情が浮かんでいるのを見て、振り向いたサーシャは舌打ちしたい気分になった。


そこには生徒会長であり攻略対象候補でもあるユーゴ・デュラン侯爵令息がサファイアのような瞳を細めて立っていたのだ。


「私どもは何もしておりませんわ。ただこの方が………その、急に睨まれましたの」


勢いよく言い訳を口にしかけた令嬢だったが、具体的な非難が思いつかなかったのか言葉を詰まらせた。


ただ近づいただけで何もしていないのだから、それ以上何も言えないのだ。その様子に毒気が抜かれてサーシャは何だかもうどうでもいい気分になった。発言自体は許し難いが、いちいち反応しても仕方がない。


「お騒がせして申し訳ございませんでした」

「待ちなさい」


頭を下げてその場を立ち去ろうとしたが、ユーゴに引き留められた。これ以上の面倒事はごめんだが、無視するわけにもいかない。


「君はもともと平民なのか」


(……ユーゴ様は選民意識の高い貴族なのかしら)


溜息を押し殺して先ほどよりも更に深くお辞儀をした。


「至らぬ点もあるかと思いますが、どうぞご寛恕いただきとうございます」


そんなサーシャの様子に令嬢たちからくすくすと忍び笑いが漏れた。


「君のマナーに問題はない。それを分からぬ者達こそが笑われるべきなのだがな」


後半のセリフが誰を指しているのかは明らかだ。サーシャが顔を上げるとユーゴは冷ややかな眼差しを令嬢たちに向けている。


「――っ、失礼いたしますわ」


逃げるように踵を返した令嬢に傍にいた二人も慌てて後を追う。


ユーゴはサーシャに向きなおり、先ほどの冷たい瞳を和らげたかと思うと頭を下げた。


「私の言葉が足りなくて不快な思いをさせた。すまなかった」

「会長に謝罪していただくなど恐れ多いですわ」


攻略対象候補だからと顔を見ただけでイラっとしてしまったが、ユーゴが現れたおかげで令嬢を攻撃せずに済んだのだ。一時的な感情に流されても良い結果を生まない、そういつも戒めていたのだが自分もまだまだ忍耐力が足りないようだとサーシャは内心反省する。


「君は強くて優しいんだな」

そう告げるユーゴの眼差しはとても優しくて、どこか既視感を覚えた。


(私はユーゴ様に会ったことがある?)


「覚えてないか。君はまだ幼かったし、8年前のことは決して楽しい思い出ではないからな」


8年前といえば前世の記憶を取り戻した時、と頭に浮かべるのと同時に誘拐事件のことを思い出したサーシャは目を瞠った。


「――あの時の、貴族の少年はユーゴ様なんですか?!」


その言葉に顔をわずかに綻ばせてユーゴは首肯した。





すぐそばにいる黒髪の少女が苦しそうに身じろぎしたのを見て、ユーゴは思わず声を掛けた。


「おい、起きろ」


軽くゆするとその瞼がゆっくりと開かれたが、どこかぼんやりとした様子だ。馬車の荷台から鉄格子の檻の中にまとめて放り込まれた時も意識がなかったので、この状況を理解していないのかもしれない。


「大丈夫か?ぐったりしていて動かなかったがどこか悪いのか?」

「あ、ごめんなさい。たぶん大丈夫」


少し掠れていたものの、受け答えはしっかりしていることにユーゴは安堵した。幼い子供は言葉が通じなくて苦手だが、この少女は見かけによらず随分と落ち着いているようだ。


少女は周囲を見回すと少し考える素振りを見せて、しゃくり声を上げながら涙をこぼしている幼い少女の前に座った。少女は怖がらせないようそっと手を伸ばして、頭を優しく撫でながら話しかけた。


「私、サーシャっていうの。あなたは?」


そう言ってみんなの名前を訊ね、手を握ったり抱きしめたりしていると怯えと緊張に満ちていた空気が少しずつ和らいでいく。

その様子を見ていたユーゴは足元がぐらつくような衝撃を受けた。


攫われて怖い思いをしているはずなのに、そんな素振りを見せずに周囲を気遣う優しさと強さ。そして自分よりも幼い少女がそれを行っているのに、年上であり貴族として常に振る舞いを求められてきた自分が、何も行動を起こさなかったことへの羞恥心。


周囲から年齢よりも落ち着いた言動を褒められることが多く慢心していたことにユーゴは気づいた。大人の、評価する者の目がなければ自分は行動しようとしなかったのだ。子供が苦手であっても、民を守るのが貴族の務めであるのにそれを放棄した自分が恥ずかしいとユーゴは思った。


そもそも驕ってしていたからこそ、護衛を撒いていつもなら行かない路地に入りこむような愚行を犯したのだ。

親切そうな大人に騙されて攫われたのは自業自得、それでもまだ父や護衛が助けに来てくれると安心しているからこそ取り乱さずに済んでいる。権力や身分に守られていない平民の子供はどれだけ心細いだろうか。


ユーゴは逡巡したものの、サーシャの傍に行くため立ち上がった。

きょとんとした表情を浮かべるサーシャの頭をそっと撫でる。嫌がられたらどうしようと思うと心臓が早くなり、サーシャから目を逸らしてしまった。


「ありがとう」


嬉しそうな声にほっとしてサーシャを見ると、労わるような優しい笑みを浮かべている。

まるで天使のようだと思った。

この子を絶対に守ろうと心に決めたユーゴは、救出される瞬間までユーゴはその小さな手を握りしめていた。




(――まさか8年前からフラグが立っていたなんて!)


そんな昔に攻略対象に会っているなど誰が想像できるだろうか。そもそもあの時は膨大な記憶の整理と現状把握で頭がキャパオーバーだったのだ。混乱する中気づけば狭い牢の中に押し込められていて、身体的には自分と同じぐらいの年頃の少年少女を見た瞬間、記憶について一旦先送りにすることを選んだ。


余計な情報は脇に置いて、無事に逃げ出すことと子供たちを安心させることに集中したのだ。前世である大人の記憶が幼い子供たちは守らなければという使命感を掻き立てたからだ。


その中で貴族の少年は子供ながらにサーシャを気遣って、頭を撫でてくれたような記憶がぼんやりとある。


幼い頃事件に巻き込まれた少年と少女の再会は純愛かつ王道の展開だ。


(対象が自分でなければ、ユーゴ様ルートは応援したくなるぐらいだけど……)


驚きはしたものの、胸が高鳴るようなときめきはない。やっぱり自分はヒロインに向いていないようだ。


「その節は侯爵家のご令息とは知らず、大変失礼いたしました」


あくまで礼節を保ったまま距離感をほのめかすような言葉を口にすると、ユーゴは眉をひそめた。


「サーシャ嬢、私は君のおかげで自分の傲慢さに気づくことができたんだ。感謝こそすれ詫びられることなど何もない」


「私は何もしておりません。何がきっかけであったとしても、全てユーゴ様が努力された結果ですわ。――それでは失礼いたします」


「――待ってくれ、また会えるだろうか?」


切実さを感じさせる声音に罪悪感を覚えるが、サーシャに出来ることは何もない。


「申し訳ございません。……ユーゴ様は私の噂をご存知ですか?」


その質問に返事はなかったが、ユーゴの気まずそうな表情が答えになった。


「私は平穏な学園生活を望んでおります。もしユーゴ様が幼い頃の私に僅かでも感謝の気持ちを抱いてくださったのならば、どうかお聞き届けくださいませ」


今度こそ背中を向けてその場を立ち去るサーシャに掛けられる言葉はなかったが、背中に感じる強い視線は廊下を曲がるまでずっと続いていた。

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