第11話 油断と悪意
「シモン様に喜んでいただけましたわ!」
顔を紅潮させたまま、ミレーヌが教室に戻ってきた。
昨日はサーシャの指導のもと、寮の厨房で初めてのお菓子づくり教室が開催された。料理をしたことのない令嬢ばかりだったため初心者向けのレシピを用意していたが、大きなトラブルもなく上々の出来上がりだった。
「良かったですわね、ミレーヌ様」
「あの、お礼にシモン様から今度一緒にお出かけしようと、誘っていただきましたの」
もじもじと告げるミレーヌに、一瞬場が静まり返ったあと歓声が上がった。
(良かった。お義兄様とミレーヌ様、いい感じだわ)
ミレーヌとシモンの接触回数が増えて、自然と仲良くなるのが理想だ。この純粋な二人の場合は、あまり外野が動きすぎても逆効果だろう。
「頑張った甲斐がございますね。私もまた教えていただきたいですわ」
「自分たちで作るのも楽しかったですわね。それにサーシャ様に淹れていただいた紅茶も大変美味しゅうございましたもの」
「へえ、俺も飲んでみたいな」
リリーやベスの声に混じって背後から親しげな声が掛かった。
「女性の会話を盗み聞きするのは紳士らしかぬ行為ですね」
遠回しにサーシャは非難するが、ジョルジュは悪びれた様子もない。
「サーシャ嬢が俺のこと避けるからだろう」
「……何かご用ですか?」
会うたびに冷たくあしらっているのだが、気にすることなくジョルジュはサーシャに声を掛けてくる。
「友人と話すのに理由なんているのか?サーシャ嬢と話すのが楽しいから相手してくれよ」
「私はご令嬢方と話すほうが楽しいのです。どうぞご遠慮ください」
「じゃあ今度紅茶を淹れてくれ」
見かねたベスが間に入ってくれた。
「ジョルジュ様、あまりご無理を言うものではありませんわ」
「分かったよ。じゃあまたな」
わざとらしくジョルジュは肩をすくめる。
「困ったものですね。ジョルジュ様に悪気がないとはいえ、周りから好奇の目で見られるのはサーシャ様ですのに」
ジョルジュがいなくなったのを見届けたリリーが嘆息を漏らした。ベスもリリーも週末を共に過ごしたおかげかすっかり打ち解けた様子で庇ってくれる。
だが他の生徒から見れば家格が下で平民出身のサーシャにジョルジュが付きまとうのは、サーシャが思わせぶりな態度を取ったからではないかと勘繰られてしまうのだ。
こういうところが貴族社会の面倒なところだとサーシャは思う。
「私は大丈夫ですわ。リリー様たちが信じてくださってますもの」
何気なく口にした言葉だったが、ミレーヌは瞳を潤ませ、リリーとベスも何だか温かい目でサーシャを見ている。
「私たちはサーシャ様の味方ですわ!」
ベスの言葉に頷くリリーとミレーヌを見て、胸がじんわりと温かくなった。
放課後、寮に戻ろうとするサーシャは思わぬ人物から声を掛けられた。
「サーシャ様、少しお話があるのですが」
ジョルジュの婚約者のレイチェルだ。サーシャとしてもレイチェルに確認したいことがあったため、二つ返事で承諾した。
やってきたのは図書館内にある学習スペースだ。テスト前でもないので人気がなく、落ち着いて話すには最適だった。先にレイチェルの話を聞こうと黙って待っていると、ようやく決心したようにレイチェルが口を開いた。
「サーシャ様はジョルジュ様がお嫌いですか?」
ジョルジュ自身は面倒だと思うこともあるが、気さくな態度や裏表のない性格は嫌いではないのだ。攻略対象候補でなければ友人として接することに抵抗はないが、そもそも貴族世界で年頃の男女が親しくすると余計な勘繰りをされてしまう。
「嫌いではありませんが、少々困っております」
あくまでも家格が上の相手であるため、表現に気を遣いながらも興味がないことを伝えたつもりだったが、レイチェルはそう受け取らなかった。
「私がいるからジョルジュ様と距離を取ろうとしているのですね」
「レイチェル様、そうではありません」
誤解だと告げたくて言葉を募ろうとするが、レイチェルのほうが早かった。
「学園にいる間だけなら、私は邪魔しませんから。だからジョルジュ様のこと――お願いします」
「レイチェル様!」
苦しそうに声を絞り出すと、レイチェルは走り去ってしまった。
(これは私の失敗だわ…)
ジョルジュをかわし続けていれば諦めるだろうと高をくくっていた。もっとレイチェルの性格を把握しておくべきだったのだ。
一緒に昼食を摂った時も、自分のことよりもジョルジュを優先して我慢をするような少女だったのに――。
自分と婚約しているせいでジョルジュとサーシャの邪魔をしていると感じてしまったのだろう。言いたくない言葉を言わせてしまった罪悪感に胸が苦しくなる。
だがこのまま追いかけてもレイチェルは聞く耳を持たないはずだ。
(日を改めて多少強引でも話をする機会を取らなくちゃ)
「あの方、泣いてらしたわ。お可哀そうに」
「殿下の次は騎士団長のご子息、どうしたらそんな恥ずかしい真似ができるのかしら」
俯いていたせいで気づかなかったが、顔をあげるとすぐ近くにいた3人の令嬢たちと目が合った。
「社交界デビューが出来なかったぐらいよ。マナーなんてご存知ないのでしょう」
「だからといって学園で婚約者探しをするなんて、非常識だわ」
横目でサーシャの様子を窺いながら、楽しげに囀る令嬢たちに新たな娯楽を提供するつもりはない。
人の不幸が好きな人間は一定数いるものだ。
事を荒立てず平静な状態で通り過ぎようとした時、一人の令嬢が言った。
「仕方ないわ。お母様も妻子がいる男性に言い寄るような方だったんでしょう」
その言葉だけは聞き流せなかった。
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