第10話 確かな一歩

「おはようございます、ミレーヌ様」

「サーシャ様!おはようございます」


翌朝サーシャは自分からミレーヌに話しかけることにした。サーシャから話しかけても迷惑そうな顔を見せず、むしろ嬉しそうな表情を浮かべるミレーヌに安心しながら話を続ける。


「差し支えなければ、本日お昼をご一緒してもよろしいでしょうか?」


「まあ、サーシャ様に誘っていただけるなんて嬉しいですわ」


サーシャの目的は情報収集だ。ミレーヌがシモンに好意を抱いているのは間違いないが、シモンに恋愛感情を抱かせるためには、まずミレーヌについて知っておく必要がある。


「サーシャ様、私たちもご一緒していいかしら?」


さりげなく近づいてきたのは、昨日ミレーヌを庇っていた令嬢たちだ。


「リリー様とベス様は幼馴染ですの」


ミレーヌの素直な性格は社交界では悪意の的となりやすい。恐らくはこの二人がミレーヌを守っているのだろうとサーシャは推測する。


「もちろん構いませんわ」


情報収集には他者からの視点も大切だ。警戒するリリーとベスの視線に臆することなく、サーシャは了承した。



「サーシャ様、シモン様のお好きな物を教えてくださいませ」


「そうですね。特に好き嫌いなどはございませんが、勉学の合間によく甘いお菓子などを口にしていますわ」


サーシャが答えるとミレーヌは嬉しそうにメモを取っている。

婚約したのは1年前だがミレーヌはシモンと会ったのはほんの数回。学園に通い始める直前の婚約だったこともあり、まだ知らないばかりだという。


「ミレーヌ様は義兄のどんなところを好ましく思ってらっしゃるのですか?」


サーシャの質問に顔を赤らめて頬を押さえる様子も可愛らしい。


「サーシャ様、ミレーヌ様をあまり虐めないでくださいませ」


揶揄っていると思ったのか、すかさずベスが庇う素振りを見せる。


「妹君であるサーシャ様にお伝えするのも恥ずかしいのですが、シモン様はいつも紳士的な方ですし、一つしか歳が違わないのに落ち着いていて、それにとても優しい方ですもの」


うっとりした表情のミレーヌはまさに恋する少女そのものだったが、数回しか会ったことのない相手のことをそこまで確信めいた言い方をするのはちょっと気になる。

恋に恋している状況でなければ良いのだが。


「サーシャ様は何故そんなこと気にしてらっしゃいますの?」


にこやかな笑みを浮かべたリリーの質問を深読みすれば、そんなこと貴女に関係ないでしょう、という牽制だ。


「義兄は研究ばかりに気を取られている朴念仁です。ミレーヌ様のように可愛らしい婚約者がいるのにその幸運に気づいていないようなので、何かお手伝いができればと思っております」


「サーシャ様、そんな風に思ってくださるなんて……」


感動した様子のミレーヌとは違ってリリーとベスは不審そうな表情だ。そこでサーシャはもう一押しすることにした。


「お義兄様には幸せになっていただきたいのです」


「……随分と仲睦まじいのですね」


何か裏があるのではと疑わしそうにサーシャを見るベスに、しっかりと目を合わせて本心を告げる。


「ガルシア家に引き取られて以来、義兄は私に優しくしてくれました。将来ガルシア家を離れるつもりですが、その前に恩返しがしたいのですわ」


こういうところで思ってもいないことを告げれば、自然と相手に伝わってしまう。ベスもリリーもミレーヌを大切に思っているからこそ、きちんとこちらの気持ちを伝えることが必要だとサーシャは思った。


リリーとベスが互いの顔を見合わせていたが、やがてどちらからともなく頭を下げた。


「「ごめんなさい」」


「リリー様、ベス様、どうか頭を上げてください。私に謝罪など不要ですわ」


「でも……」


「ミレーヌ様にお二人のような良き友人がいてくれること、私も嬉しく思いますの」


尚も言い募ろうとする二人をサーシャは遮るように言葉をかぶせた。

サーシャを警戒したせいで少々高圧的な態度であったものの、やはりミレーヌの友人だけあって本来は穏やかで優しい性格のようだ。自分たちの考えが間違っていたと感じても一度抱いた印象はそうそう切り替えられないし、認めようとしない者も少なくない。


ミレーヌはきょとんとした表情を浮かべたものの、すぐににっこりと微笑んだ。


「ええ、至らない私をいつも助けてくれる大切な友人なの」


サーシャを警戒し、疑っていたことなどわざわざ口にしなくていい。視線で伝えれば、二人とも無言でうなずいてくれた。


「ミレーヌ様、よろしければ今度一緒にお義兄様の好きなお菓子を作りませんこと?もちろんリリー様もベス様もご一緒に」


「まあ素敵!お菓子を作るなんて初めてだわ」


サーシャが提案するとミレーヌは嬉しそうな声を上げる。


本来であれば使用人の働く厨房に出入りすることは無作法なのだが、幸い寮には厨房があり週末は申請さえすれば使えるらしい。普段できない体験にリリーとベスも興味を引かれたようだ。


「誘ってくれてありがとうございます」

「私たちも楽しみですわ」


少しぎこちないものの打ち解けた空気が漂ってきた。友人関係も恋愛感情も少しずつこうやって育んでいければいい。確かな一歩にサーシャは僅かに口元をほころばせた。

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