第13話 乙女ゲームと現実
「おはよ、サーシャ嬢。……ん、どっか悪いのか?」
「いいえ」
能天気な声に苛立ちはしたものの顔には出していなかったはずだ。そもそもジョルジュの言動に対して冷たくあしらうことなどむしろ通常どおりだったのに、何故今日に限ってそんなことを言うのだろう。
「俺、頭はあんまり良くないけどそういうことには気づくほうなんだ。悩みがあるなら相談に乗るぞ?」
心配そうな態度にさらに胸のつかえが増した気がする。
昨日はレイチェルに続き、ユーゴにも嫌な思いをさせてしまったことでサーシャは罪悪感に苛まれていた。もっと他にできることがあったのではないか、ただ懐かしんでくれただけの相手を突き放し過ぎたかもしれない、そんな思いが浮かんできて昨夜はなかなか寝付けなかったのだ。
「結構です。ジョルジュ様には関係ございません」
「そっか。何かあったらいつでも声をかけてくれ」
それだけ言うとジョルジュはすぐにサーシャから離れていった。本当に心配してくれただけなのだろう。
「子爵令嬢なのに傲慢ね」
聞こえよがしな囁き声はまさにその通りだと思った。
(ヒロイン以前に人として失格なんじゃないかしらね)
「サーシャ様、今日は3人でお昼をいただきませんか?」
そう提案してきたのはミレーヌだった。週に1度、シモンと二人で昼食を摂るようになったばかりだというのにどうしてわざわざ自分を誘うのか。首を傾げるとミレーヌが困ったような笑みを見せる。
「何だかお悩みのようでしたので、気分転換にと思いましたの。良ければシモン様にお話ししてみてはいかがですか?」
「……ありがとうございます。でも大丈夫ですわ」
断りを入れてサーシャは席を立った。一人になりたくて歩いていると、気づけば人気のない裏庭にまで足を伸ばしていた。
(私の周りはみんな優しいのに、私だけまるで悪役令嬢みたいね)
もし全部が自分の妄想だったなら、どんなに滑稽なのだろう。あからさまに好意を向けられているならまだしも、ほんのわずかな好意にも敏感に反応し拒絶するなんて自意識過剰もいいところだ。
(もしもここが乙女ゲームの世界ではなくて、私がヒロインでなかったのならば――)
何度も考えてきて答えが出なかった仮定が重くのしかかっている。
『幸せになってね』
母の最期の願いに応えるためにも、自立した女性として働き平穏な幸せを手に入れると決めた。それなのに学園に入っただけで人間関係が上手くいかないばかりか、自分の思考や言動に自信が持てず、情けないほどに揺らいでいる。
「何だか、疲れちゃったな」
その声に反応するように、ニィとか細い声が聞こえてサーシャは顔を上げる。鳴き声を頼りに視線を巡らせれば、木の上に黒い毛玉があった。近づくと手の平サイズの子猫が枝の上から助けを求めるように鳴いている。周囲を見渡しても親猫はおらず、人の姿もない。
(これもイベントの一つかしら)
そんな考えが脳裏をよぎった。
だが子猫のつぶらな瞳が助けを求めるようにサーシャを見つめている。震えている小さな身体は今にも落ちてしまいそうなほど危うい。
幸いにも子供の頃に木登りをしたことがあり、子猫がいる場所までは何とかたどり着けそうだ。木のうろや大ぶりな枝に足をかけながら慎重に登っていく。
怯えさせてしまえば元も子もないと恐る恐る手を伸ばせば、子猫は大人しくサーシャの手の平に収まった。
そっと胸元に抱きしめて、登る時よりもさらに慎重に足を掛ける。
あと少しといったところで、子猫が急にサーシャの腕から逃げ出そうとするかのようにもがき出した。
「……っ!」
子猫を抱き寄せようとしたところ、幹にかけていた足が滑った。バランスを崩しながらも子猫を腕の中に抱きしめて、衝撃に備える。
思わず目をつぶったが軽い衝撃のあとに覚悟していた痛みはなく、代わりに低い声が聞こえた。
「大丈夫ですか?」
(うっ…やっぱりイベントだったのね)
やるせない思いで目を開くと、そこにいたのは見知らぬ男子生徒だ。長い前髪で顔が良く見えないが、恐らく同級生ではない気がした。
ゆっくりとサーシャを地面に下ろし、立ち上がらせてくれる。
「………あ、助けてくださってありがとうございます」
「いえ、お怪我がなくて何よりです。それでは」
そう言うと彼はあっさりとその場から立ち去った。
ニィニィと抗議するように鳴く子猫に気づいて地面に下ろすと、子猫も小走りでどこかに消えていってしまった。
呆然とその様子を見ていたサーシャだったが、徐々に笑いが込み上げてきた。
「あははっ、何だか馬鹿みたい」
入学して以来乙女ゲームのことばかり考えていたが、現実はそうではない。全てのことをイベントや攻略対象に繋げて考える必要はないのだ。自分がヒロインである可能性に囚われ過ぎていたことにサーシャは気づいた。
攻略しないと決めてから知らぬうちに気負い過ぎていたようだ。強制力や好感度ばかり気にしていて、攻略対象本人をきちんと見ていなかった。それは婚約者である令嬢たちも同様で、無意識にコントロールしようとしていたから、思い通りにいかないことに苛立ちや焦りを感じていた。
(もう少し肩の力を抜いてもいいんじゃないかしら)
『学園で同年代の子供たちと学ぶことは貴女にとって成長の機会となるでしょう』
マノンの言葉を思い出したサーシャは、今になってようやくその意味を理解した。
侍女としてガルシア家にいた頃は主従関係を築くことが第一だったが、学園では友人関係という横の繋がりを築くことになる。家格差はあれど学園内でしか築けない関係性に目を向けることが今のサーシャには必要なのだ。
将来お互いの道が分かれてしまうのだとしても、入学前に望んだ友達が欲しいという気持ちに嘘はなかった。
(ミレーヌ様にお礼を言おう。ジョルジュ様とレイチェル様にもきちんと向き合って、話をしよう)
遮断するのではなく、関係性を築いていくことを決めると心がすっと軽くなった。きっかけをくれた黒猫と見知らぬ男子生徒に感謝しながら、サーシャは教室へと向かった。
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