元カレとの再会まであと五分!

「頼む綾部! 杉崎の連絡先知ってんだろ?」


 待て待て待て。

 確かに杉崎潤すぎさきじゅんの連絡先を知っている。正確に言うと、付き合っていた時のままスマホに登録されている。ただそれは、彼の番号が高校時代から変わっていなければの話だ。


「彼への捜査協力を言い出したのは銀行の頭取なんですよね? というか、銀行なら連絡先くらい知っているんじゃないですか?」


「そんなもん、銀行からとっくの昔に連絡してるって。杉崎の会社の番号にな! 何度会社かけても杉崎は不在にしてるってしか言わねーんだよ! だからもう、綾部から杉崎個人の番号に連絡してもらうしかねーんだよ!」


 クズの山田先輩がここまで焦りの表情を見せていることにも驚くが、他ならない警察が一個人に頼らなければ事件を解決できないということにも驚きだ。

 私が躊躇していると、山田先輩のスマホが鳴り出した。電話の相手は、なんと県警本部の黒田刑事部長からだった。刑事部長はよほど怒鳴り散らかしているらしく、通話の内容は私にまで丸聞こえだ。


「山田ぁ! まだ『ゔぇりー・いんぽーたんと・ぱーそん』は見つからないのかぁ!」


「くっ、黒田刑事部長……! ゔぇ、え?」


「『ゔぇりー! いんぽーたんと! ぱーそん!』だ! 早くしろ!」


「ああ、祐徳MJ銀行のVIP……」


「そうだ! 水鳥川みどりかわ頭取がおっしゃっていた『ぶいあいぴー』杉崎潤だ!」


「はいっ! 今まさに杉崎氏と連絡を取っているところであります!」


「だったら早く現場に連れてこい!」


「はいぃ!」


 山田先輩は電話だというのに、目の前に黒田刑事部長がいる錯覚を見ているのだろうか−−腰を直角に曲げた最敬礼のポーズで話している。やっぱりアホだ。

 黒田刑事部長との電話が終わると、山田先輩は涙目で私の肩を掴んだ。


「頼む綾部……杉崎に連絡してくれ」


「こわっ! ていうか気持ち悪っ!」


「杉崎に連絡してくれなかったら俺泣くぞ。いいのか? 三十過ぎた男が泣くところなんか見たくないだろ?」


 もう泣いてるだろお前。と、私が言おうと口を開いた時、再び山田先輩のスマホが鳴り出した。またもや黒田刑事部長からだった。かわいそうに。

 今回は怒鳴り散らかしているわけではないようで、こちらまで通話内容は届かない。


「ああ、もしもし山田? すまんすまん、言い忘れてた。犯人から新たなメールが送られてきた。水鳥川頭取のお孫さんを誘拐したことを知らせるメールだ。丁寧に写真付きで、だ」


 内容は聞こえないが、山田先輩の顔が青ざめていくのがわかる。


「要求の午後五時までもう二時間を切っている。早めに頼むぞ。それじゃ、そういうことで」


「お、お待ちくださ……! あ、切れた」


 恐怖でわなわなと身体を震わせながら、山田先輩は私の目を見る。しかしその目はどこか虚である。


「……祐徳MJ銀行頭取のお孫さんが誘拐された。綾部、頼む……もう時間がない」


 銀行の顧客データを人質にとるサイバー犯罪に加え、頭取の孫が誘拐されたらしい。

 随分と前に買った安物の腕時計に目をやると、午後三時二十分を回ったところだ。五億円の身代金の受け渡しまで、残り一時間四十分。


「わかりました」


 経理担当の契約職員かもしれないが、私もここ鹿島北署で働く職員の一人である。そんな私でも何か役に立てるのなら、その一心で、杉崎潤の電話番号をコールした。


 コール音は鳴った。この番号に電話をかけたのはもう十年以上も前のことなので、番号の所持者が変わっていてもおかしくない。

 数回のコール音の末、番号の主は電話に出た。


「はい」


 その一言だけだった。

 その声を聞くのは久しぶりで、声の主が潤であるかどうか、私は確信が持てなかった。

 心臓の鼓動が大きくなり、緊張の汗が滲み出しているのを感じた。


「えっと、潤……?」


「そうだが? 久しぶりだな、奈津希」


 潤だったー! ヤバいよヤバいよ!

 いざ当人と連絡が取れたとはいえ、何を話せばよいやらであたふたしてしまう。

 私は山田先輩に電話が繋がったことを目配せするが、その山田先輩は何かに祈るような格好で私に拝んでおり、私のヘルプに気付いていないようだった。つくづく役に立たない先輩だと思った。


「あの、少し相談がありまして……」


「奈津希の声を聞くのも随分と懐かしいな。どうした?」


 素直にキュンである。潤の声に胸の高鳴りをを隠せない。


「私、鹿島北署で警察関係の仕事をしていて、あるサイバー犯罪のことで潤の意見を聞きたいんです。ほら、潤すごく頭良かったから、なにかヒントをもらえると思ったの……。鹿島北署、覚えてますか? あの、高校の近くあった……」


「もちろんさ。で、僕はどうしたらいいんだ?」


 どうやら潤は協力的な様子だった。

 私は再度、山田先輩に目配せとジェスチャーを送る。親指と人差し指で丸を作る、いわゆるオッケーのサインだ。

 これに気付いた山田先輩は目を輝かせた。


「今、祐徳MJ銀行のサーバがハッキングされて、顧客データと銀行頭取のお孫さんが人質に取られています。犯人の手がかりは身代金を要求してきた脅迫電話と、何通か送られてきたメールだけです。これだけで、犯人に繋がる何かを見つけることは可能なんでしょうか?」


「なんだ、そんなことか。メールが届いているのなら、そこからメールの送り主を辿れると思うが?」


「本当ですか!? あの、潤。今はどちらに? 実は祐徳MJ銀行の頭取が潤のことを知っているそうで、潤なら犯人をすぐ見つけてくれるだろうとおっしゃっているそうなんですが」


「ああ、水鳥川頭取……なるほど。ちょうど今、祐徳MJ銀行まで数分というところにいる。では、僕はその現場に向かえばいいのか?」


「お忙しいところごめんなさい。そうしてもらえると助かります……」


「いやはや。その妙にかしこまった話し方も懐かしいな。わかった。では五分後、現場で会おう」


「わかりました。よろしくお願いします」


 通話が終わり、山田先輩へ内容を伝えると、彼はまるでクリスマスの翌朝の子供のように騒ぎ出した。


「頼りになるぜ綾部! 早速現場に行くぞ!」


「はい−−は!? 私もですか!?」


「当たり前だろ!」


「いやでも、今日までに終わらせたい領収書がまだ残ってるんですが」


「お前が杉崎に捜査協力したんだろーが。表に車回すから待ってろ!」


 捜査協力は山田先輩に言われてやっただけなんですが……。

 え、今から潤に会うの!?

 私は途端に恥ずかしくなって自分の姿を確認する。髪はテキトーに一つに結っただけ、服装は色気のない黒のパンツスーツ、化粧は薄め。

 ダメだ。どう考えたら十数年ぶりに王子様と再会する姿ではなかった。

 山田先輩は走って車取りに行っちゃったし、どうするよこれ。

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綾部奈津希の事件簿 結香 @jyar0320

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