クズ刑事からの捜査協力が元恋人との再会フラグ

 集会がお開きになったのら午後九時半を過ぎた頃だった。

 二十代も前半まではオールナイトで語り明かしていたのだが、デスクワークによる体力の衰えは火を見るよりも明らかだ。

 いつまでも寝ていられる自称映像クリエイター(ただの引きこもり)の美穂を除くと、敦子も私も明日の仕事を控えているので、アルコールもほどほどに、今夜の宴は解散の運びとなった。


「おつかれー」


「また来週〜」


「おけー。おやすみ〜」


 若干アルコールが入って気分が良くなった三人は、頬を少し赤らめ、「気を付けて帰りなー」という店主の言葉に見送られ、上機嫌で居酒屋の暖簾を抜けた。



 *****



 敦子、美穂と別れて自宅に着いた私は、麦茶を飲もうと冷蔵庫へ直行した。台所では母親が洗い物をしているところだった。


「お帰り。また敦子ちゃんと美穂ちゃん?」


「んー」


「相変わらず仲良しだこと」


 今年で還暦を迎える母がゆったりした声で問いかけてくる。

 私が生まれたのは母がちょうど三十歳の時、つまり、今の私の年齢の時ということだ。

 母と同じ年齢なら、既に孫がいるなんていうことは、何も珍しくはない。それどころか、こと田舎においては、逆に母と同じ年齢で孫がいないという方が珍しかったりする。

 そういうことに関して母が何かを言ってくることはこれまで一度もなかったが、『そういうこと』のように聞こえることが時々ある。


「早くお風呂入りなさいね」


「んー」


 しかし母親というものは、子がいくつになっても優しいものだと、そう思う。

 母の言葉から、見返りを求めることがあろうはずがない、無償の愛を感じる度に、三十歳、独身、実家暮らし、契約職員という不安定な現実を打開せねばと思うのだった。


 翌朝。

 私の覚悟は決まっていた。

 鹿島北署の経理事務は三月末をもって契約満了だ。定時に帰ることができるのだから、契約の更新を申し出ることはせず、正社員を目指して就職活動を始めよう。

 そう心に誓い、今日もよくわからない捜査費の領収書と睨めっこを決め込んでいた。

 その日の午後、がやってきた。


「綾部、いるか!」


 名前を呼ばれた私を含め、総務課の全員が声の主を振り向く程度には迷惑な声量だった。

 奴は刑事課のクズ刑事で、私と同じ小中高の一つ先輩にあたる人間だった。というか、家が近所でいわゆる幼なじみだ。

 なぜ奴がクズなのかというと、いや、その話はやめておこう。

 そんな幼なじみと同じ職場で働いているというのも可笑しな話ではあるが。


「なんですか山田先輩。うるさいです」


「うるさいって、お前……。俺、先輩。お前、後輩。わかる?」


「ですから、敬語使ってるじゃないですか」


「トゲがある! 言葉の端々にトゲがあんのよ! え、俺のこと嫌いなの?」


「普通です」


「それが一番傷つくからな!?」


 クズの山田先輩は相変わらずテンション高めで、正直なところあまり関わりたくはない存在なのだが、このように度々話しかけてくる厄介な奴なのだ。


「あーそうそう。異性からモテモテになるってバカ売れしている壺があるんですが、山田先輩も買います? なんでも需要が逼迫していて、今、二十万円まで値上がりしているそうなんですが、これから更に値段は吊り上がっていくらしいですよ?」


「マジか! なんでもっと早く教えねーんだよ!」


 アホだこいつ。そんな壺があるなら私が欲しい。


「はぁ。つまらないほど間抜けですね。間抜けな山田先輩にも刑事が務まるんだから、私だって刑事になれそうです」


「え、あ。あ! 騙したな綾部!」


「で。何か用があって来たんじゃないんですか?」


「あ、俺の話スルーしたな! 詐欺だぞ! しかも警察署内で堂々と!」


「はいはいすみません。で、用事は何ですか?」


 月に何度か繰り広げられる私と山田先輩の取り留めがない会話に、総務課の職員はくすくす笑っていた。

 しかし、次に山田先輩が口を開いた時、この場の全員から笑みが消えた。


「祐徳MJ銀行のサーバが乗っ取られる事件が起きた! 犯人は銀行の顧客データを人質に五億円の身代金を要求している!」


「そ……、それは大変です。しかし、それをどうして私に?」


 銀行という社会インフラを相手取る犯罪に、身が硬直する。

 いわゆるサイバー犯罪というものだろうか。しかも身代金まで要求してきているとなると、すでに刑事課やサイバー犯罪対策室が出動していると思われる。


「当然、現場では刑事課の者が犯人とのコンタクトを取ろうと試みているし、県警本部からは黒田刑事部長が先ほどまで、ここ鹿島北署にお見えになっていた。あんなに辿々しい署長は初めて見たぜ。今は黒田刑事部長が自ら現場に向かわれている」


「ですから、どうしてその話を私に?」


 山田先輩から事件のことを聞くのは初めてだった。彼の口から発せられる言葉は、いつもくだらない話ばかりだったので、私は少し困惑している。


「これだけは言っておく。日本の警察は優秀だ。でもな、このままだと祐徳MJ銀行の顧客データがネット上にばら撒かれちまうんだ!」


 山田先輩の話はこうだった。

 本日、午前十時過ぎ、祐徳MJ銀行のサーバが何者かにハッキングされ、犯行声明と思われる脅迫電話が同銀行にかけられた。

 犯人の要求は単純だった−−銀行の顧客データを流出させたくなければ本日、午後五時までに五億円を支払え。

 悪戯ではないことは明白だった。

 同銀行にとっての優良顧客である企業や人物の預金残高や借入残高、その取引履歴が記載されたメールが届いたのだ。それも、きっかり一分おきに三十通だ。

 このことにより、祐徳MJ銀行はハッキングされていることを現実のものと認め、警察に連絡してきたのだ。

 それ以降、犯人からの連絡は一切ない。身代金の受け渡し方法なども示されていない。

 指定された期限、午後五時までは残り二時間弱となっていた。


「……話はわかりました。でも、だからそれをどうして私に?」


「はっきり言って、うちのサーバ犯罪対策室は捜査に行き詰まってる。そんな中、祐徳MJ銀行の頭取がこんな事を言い出したんだ」


 そう言って、山田先輩はごくりと生唾を飲んだ。


「彼なら、すぐに犯人を捜し出すだろう、ってな」


「その、彼とは……?」


「祐徳MJ銀行のVIP、最も重要な顧客のうちの一人……誰だと思う、驚くなよ?」


「……はい」


 クズの山田先輩にとっては珍しく迫真な声色に、私もごくりと生唾を飲む。


「SRI……株式会社杉崎総合研究所の最高経営責任者、杉崎潤すぎさきじゅんだ」


 最高経営責任者……CEO!?

 なんということだ。私の元カレが、よく知らない会社のCEOになっていた。

 いやいやいや、大事なのはそこじゃない!

 潤と山田先輩は同じ高校の同級生で、二人とも私の一つ先輩にあたる。ようするに、潤は、私と山田先輩の共通の知り合いということでもある。だから私にこの話を?


「頼む綾部! 杉崎に捜査協力の連絡してくれ!」


「は? はぁ!? なんでですか! どうして私が!?」


 別れて十年以上なるのに、別れてから一度も連絡取ったことないのに、今さらそんなの無理だって!

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