第95話 理想の異性がいなければ自分好みに育てればいい

 明星マネージャーは四肢を床につけており、顔が見えない。

 ずっと地に伏していると思いきや、


「ウアアアアアアアアアアッ!!」

「ええっ!?」

「な、何!?」


 獣のような唸り声を上げて首を上げると、号泣し始めた。


「わ、私だってやりたくてやってるわけじゃないのに……。彼氏もいない私は仕事で成功してみんなを見返すしかなかったのに……。そ、それなのに、こんなことしなくてもいいじゃないですか……」

「え、えーと……」


 演技じゃない。

 本気で泣いている。


 大人がガチ泣きすると、こんなにも動揺するものなのか。

 同級生だったら適当な言葉を言って慰めることもできるだろうが、相手はいい年をした大人。

 なんて声をかけていいのやら。


「私なんて屑で最低で何もできないモテない無能女なんだああああああ!!」

「…………」

「…………」


 アイと俺は顔を見合わせる。


 アイが俺を見ながら、明星マネージャーを何度も指さす。

 俺に、何とかしなさいよ、と言っているようだ。

 俺はアイ同じジェスチャーをし返す。


 お前がやれよ、と。


 それからお互いにジェスチャーで押し付け合ったが、とうとう俺が折れた。


「あ、あの、無能なんてことないんじゃないんですか? し、新人の担当になれるって結構有能じゃないんですか?」

「事務所の人間でもないあなたに何が分かるのよおおおお!!」

「……帰っていいかな?」


 め、面倒くさい。

 こっちの話を聴いてくれる気がないのだからしょうがない。

 もう、落ち着くまで待っていようと思っていると、


「――私、事務所に所属してあげてもいいけど」


 アイが平然と爆弾発言をブッ込んでくる。


「な、何を――」

「ほ、本当ですか?」


 足元に縋りついて来る明星マネージャーに対して、アイは鷹揚に笑む。

 みっともなく鼻水を垂らしている相手に動じず、対応できている姿は異様に映る。


「本当よ。ただし、条件があるの」

「な、何をすればいいんですか?」


 限界まで空腹になった後に、飯を与えて感謝される誘拐犯と被害者に見えて来た。


 明星マネージャー、犯人――そいつです。


「私がこの事務所に入ったら全力でサポートして欲しいの」

「? それは勿論、最初からそのつもりでしたけど」

「そうじゃなくて、今回みたいに無理やりな仕事の振り方やスケジュールを押し付けないで欲しいってこと。自分の手柄に固執するんじゃなくて、本気でマネージャーとしての仕事を全うして欲しいの。それができる?」

「――はい!」

「私が嫌だと思う仕事はキッパリ断って。それから危険なことがあったら私を守って。それと欲しい物があったらすぐに買ってきて」

「いや、どさくさに紛れてパシリみたいになってないか?」


 最初ははた迷惑な明星マネージャーをやり込めて、してやったりと思っていた。

 しかし、懇願する姿に段々と不憫になってきたので、会話の途中でカットインしてしまったが、


「勿論、いいです!!」

「いいんですか!?」

「ま、まあ。所属タレントが売れると立場が逆転して、マネージャーなんてパシリみたいになりますから慣れっこですよ」

「……お疲れ様です」


 表舞台に立つ人間の苦労に関心はあるけど、裏方の人の大変さにはあまり目が行かない。

 というか発想があまりなかったけど、マネージャーは、マネージャーで大変みたいだ。


 嫌がる人間に対して手段を選ばずに事務所に繋ぎ止めようとしたことは決して褒められたことではないけど、それだけ追い詰められてしまう環境でもあったのかも知れない。


 社会の中で芸能事務所はブラックボックスだ。

 ただでさえ社会、会社の苦悩についてピンとは来ないけど、俺には分からない事がたくさんあるらしい。


 事務所側の人間については分かった。

 だが、それよりも分からないことがある。


「いいのか? 入りたくなかったんじゃないのか?」


 アイの心境の変化だ。

 俺が知る限り、意見を翻すような予兆はなかったはずだが、一体何があったんだ。


 まさか、みっともなく泣いた明星マネージャーに対して、同情した訳でもないだろう。

 天上天下唯我独尊のアイに、そんな血の通った判断ができるはずがない。


「気が変わったの。読者モデルぐらいだったらやってみてもいいと思ったの」

「……ど、どういう心境の変化だ?」

「手段が最悪とはいえ、手を汚してでも私を手に入れたいって思った訳でしょ? つまり、それは、私の見た目が評価されたってことでしょ? そこまでされたら少しは私の可能性を試してみたいって思うのは当然でしょ」

「そ、そうなのか?」


 結局、アイは事務所に認められて悪い気はしなかったってことか。


 一歩を踏み出す勇気がなかっただけど、どうにか踏み出す気になった。

 その理由はきっと、明星マネージャーの態度が軟化したからだろうな。


「それに、こういう強引な事は二度としないって約束できるでしょ? もしもそんなことになったらこの手が滑るかもね?」

「し、しません、しません。誓います。むしろ入ってくれるんでしたら、地に伏して頭を下げます」


 完全にアイが主導権を握っている。

 これなら、俺が心配することはないだろう。

 何か問題が起きても、明星マネージャーは、アイの味方になってくれそうだ。


「はあ、良かったあ。これで何とか配置換えされずに済む……。後は、彼氏がいないことだけか……はあ……」


 明星マネージャーは、元気を取り戻したのかようやく立ち上がる。


「いいですよね。高校生で彼氏彼女がいて。輝いて見えます」

「まっ。当然ね! 私なんかモテすぎて逆に困るぐらいなんだから!」

「うっ……」


 明星マネージャーが傷ついた顔をする。


 なんだか気の毒になって来たし、嘘をついている罪悪感が胸に押し寄せて来た。


「もう、嘘つかなくていいだろ」

「あっ、こら! 何を――」

「本当は俺達付き合ってないんです。この前別れたんです」

「え?」


 アイには止められたけど、もう真実を話してもいいだろう。

 ここまで来たら嘘をつく必要性はもうない。


「事務所に所属するのを断り切れないから、アイに彼氏のフリしてくれって頼み込まれて、それで……」

「嘘を?」

「はい」

「そう、だったんですか……」


 放心状態になっている。


 何かフォローした方がいいんだろうか。


「なんでバラしたのよ! 私に恥をかかせる気!?」


 とか、後ろで五月蠅いアイは無視して、明星マネージャーを励ましたい。


「マネージャーさんもいい人できますよ」

「そんな適当なこと言わないで下さい。学生なら出会いはいっぱいありますけど、社会人になったら出会いなんてないんですから」

「き、綺麗ですし、ご、合コンとか、出会い系アプリはどうですか?」

「え? そ、そんな嘘をつかなくても。それに、私よりも綺麗な人は沢山いますし……」


 職業上、容姿が整っている人が周りに大勢いるだろう。

 そのせいで、見た目のコンプレックスが他人より強いのかも知れない。

 これ以上、外見を褒めるのは逆に傷つけてしまうことになりそうだ。


「それに、仕事もできますし」

「仕事できても周りからは生意気なんて言われるんですよ。もっとおしとやかな方が男ウケするんでしょうね」

「…………」


 なんでこの人こんない面倒臭いんだ。


 男の影がないのって、この悲観的過ぎる考えがあるからじゃないんだろうか。


「そ、そんなことないですよ。か、かっこいいと思います。あ、憧れるなー。仕事できる女の人って」

「……本当ですか?」

「ほ、本当ですよ?」


 ジッ、と俺を観察するように見つめてくる。

 まるで値踏みされているようだ。


「私をここまで追いつめる手腕。それにじゃじゃ馬である彼女を乗りこなす根性。……ここまで優秀な男、あんまりいないかも……」

「え?」


 明星マネージャーが何やらブツブツ呟きだした。

 声のボリュームが小さすぎて聴こえづらい。


「理想の男がいないなら、いっそ自分で育てて……。光源氏の逆的な……」

「どうしましたか?」

「いいえ、なんでも!」


 声のトーンが先程よりも高い。


 急に距離を詰めてくると、俺の両手を握り締めてくる。


「それよりも、ソラ、さん。今度二人きりで会いませんか?」

「え?」


 突然の提案よりも、急にテンションが高くなったことに驚いている。

 ぶっちゃけさっきからの行動全てに引いてる。


「な、なんで、ですか?」

「アイさんのプロデュースについて話し合いたいからです」

「プロデュース?」


 何故、二人きりで会う必要が?

 アイが制御不能だからまた話し合いってことなのか?


 一応、一段落したみたいだから、もう巻き込まないで欲しいんだけど。

 最早俺は他人だ。

 後は、アイと事務所側で今後の方針を決めて欲しいんだが。


「待ちなさい!」


 アイが俺と明星マネージャーの手を無理やり引き剥がすと、


「ソラと話し合いたいなら、まず私を通しなさい!」

「どっちがマネージャーなんだ……」


 それから明星マネージャーとアイが、未来のことについて口論が始めたので俺はそそくさと部屋から退散した。


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